不安



 この二日で、薫も身の回りの基本的なことは覚えたようだ。


「今日はセシリオが来ます。くれぐれも、くれぐれも大人しくしてください」

 下手に刺激しなければ害はないはずだが、なにが刺激になってしまうか予測ができないのがセシリオという男だ。長い付き合いだがあの男の思考は多くの人間とは極端にずれている。薫のなにが彼にどういう影響を与えるか全く見通しがつかない。

 薫を見れば視線も合わせず頷く。

「うん」

「出来るだけ口は開かないほうが良い」

「うん」

 聞いているのか居ないのか、彼女はただ頷くだけだ。

 本当に妙な娘だ。

 それが命取りにならないといいが。




「うわっ」

 薫が声を上げて後ろに下がる。

「どうしました?」

 訊ねると同時に格子が派手に飛んできた。

「……セシリオ……貴方に不法侵入を咎めることはもう諦めました。ですが、せめて玄関から入ってください。格子を壊すな」

「すみません。うちから直進の最短距離がここだったので」

 セシリオはしれっとした顔で言う。

 ダメだ。この男は。きっと他の建物も散々破壊してきたのだろう。

「それで? 貴方の見せたいものとはこの娘ですか?」

「ええ。薫と言います」

 セシリオは固まっている薫を品定めするように見回す。

「ほぅ、悪くないですね。弟子を取るんですか?」

 リリムが最後かと思っていましたとセシリオは言う。リリムはもう随分前に心が壊れてしまった女だ。才はあったが記憶の維持が出来ずに、それでも今は同じ日を繰り返しながら夫の元で幸せに暮らしている。それで十分だ。彼女ほど才のある者でなければ弟子にする価値がないが、あれほどの才はそこらに落ちているものではない。

「違いますよ」

 家に誰かを置くと弟子と考えられるのかと思ったが、どうもそうではないようだ。

「では養女に? ようやく貴方も家族の大切さを理解してくれたんですね。方法はいろいろ間違えていますが」

「違います」

「では?」

 何故この子を見せたかったのですかと彼は言う。彼にとっては弟子か養女でなければ価値がないとでも言うように。

「この娘が異界からの侵入者ですよ」

「ほぅ、この子が……どうやって来たんです?」

 セシリオは興味深そうに薫を見たやはり彼も異界に興味があるらしい。。

「知らない。変な服の女の人の夢を見た気がする」

 それだけ言って薫は黙り込む。女というだけで十分な情報だ。

「その女は名乗りませんでしたか?」

「ん、時の魔女って」

 嫌な予感は的中だった。

 あの女が動いている。けれども、これは僕にとっても好機だ。

「貴方の師匠の仕業のようですよ」

「ええ、だが、これで僕らの目指す未来へ進めそうです」

「おや? 良いんですか? そんなことを言ってしまって」

「構いませんよ。僕とクォーレの目指す未来への第一歩は確実に踏み出せた。後は厄介者を片付けるだけです。何より、あの小娘が邪魔だ」

「ふふっ、騎士団が聞けば直ぐにでも処刑されますよ」

 セシリオは面白そうに言う。彼だって状況を楽しめるくせに、口だけは善良な国民であるように振る舞いたがるのだ。

「奴らに僕は殺せない」

「本当に生に汚いですね。貴方は。それで、薫、でしたか? 貴女は今回の件についてどう思っているんです?」

 セシリオが訊ねると彼女は首を傾げる。

 何を訊かれているのか理解できないと助けを求めるようにこちらを見た。

「ここに来たことに対してどう思っているかと訊かれているんですよ」

「ああ、特に何も。ただ、スペードには感謝している。とても良く世話をしてくれるから」

 思ったより良い人で驚いていると彼女は言う。

 予想外の回答だったのは僕だけではなかったようで、セシリオは腹を抱えて笑っている。

「面白い娘です。どうです? 僕の養女になりませんか?」

 彼は笑ったまま薫に問う。

「え?」

「セシリオ、ふざけないでください」

「結構本気です。きっと娘たちも気に入りますよ。こういう娘は」

 セシリオの言葉に何故か苛立った。彼は気に入った人間をすぐに家族に迎えたがる。けれども薫は別だ。

「薫は僕の玩具です」

「おや? どうせ飽きたら殺すんでしょう? だったら僕にください」

「嫌です」

 何故この娘に執着しているのか理解できない。

 ただ、目の前の男に無性に腹が立って気がつけば武器を構えようとしている。

 懐に手を滑らせれば突然腕を掴まれる。

「居させて」

「は?」

 薫が腕にしがみついていた。

「他に行く場所無いの知ってるでしょ? 追い出さないで」

 縋るような言葉だが、彼女の表情からは感情を読めない。

「あんたしか頼れないんだ」

 縋る、というよりは宥めようとしている。そう感じた。

「中々賢い娘ですね。争いを避けたがる」

 セシリオは感心したように薫を見る。実際僕とセシリオがここで武器を使えば、屋敷は滅茶苦茶になるだろうし、薫だって危険だ。その上セシリオは殺しても死なない。

「スペード」

「わかりました。置いてあげますよ」

 空いている左手で頭を撫でてやると安心したように力を抜く薫が理解できない。

「何故僕を信用するんです?」

「あんた、悪い人じゃないもん。その人もだけど」

「おや……」

 我々を信頼しきっている娘にセシリオも驚いたようだ。

「この子の将来に激しく不安を抱きますね」

「将来なんて無いでしょう? 何れ死ぬのですから」

 興味が薄れれば殺す。それだけだ。

「若い娘の苦痛に歪む表情は中々良い」

「悪趣味ですね」

「お互い様でしょう?」

 強靭な男が毒薬で悶える姿が好きな貴方と大差ないと言えばセシリオは笑う。

「スペードの元に留まることを選ぶなんて自殺志願者としか思えませんね」

「そうかも。でも、それでもいいよ」

 薫は笑った。ここに来て初めてかもしれない。

「人はいつか死ぬんだから。早いか遅いかの違いでしょ?」

 この娘のこういうところが恐ろしくて、この眼を見ていられない。

「この娘は貴方に似ています」

「ほぅ、どの辺りが?」

「言動が時々」

「ということは、貴方の目に僕はこう映っているということですね」

「ええ」

 セシリオは面白そうに言う。

「私はこの人よりあんたのほうが似てると思うけど」

「は?」

「うん。だからあんたを嫌いになれない」

 薫はそう言ってセシリオを見る。

「ねぇ、セシリオって呼んでいい?」

「ええ、構いませんよ。僕も好き勝手呼ばせていただきますから」

「あんまり変な愛称付けないでよ?」

「たとえば?」

「えー、ビクトリアとか?」

「何故そうなったか凄く気になりますね」

 名前が原型を留めていない。

「んー、夜の女王ってそんな名前っぽーいとか言われて、そんなイメージだからとか勝手に先輩に付けられて三年間ビクトリアだった」

 薫はどうでもよさそうに言う。

「恐れ多くも女王の座を狙っているのですか?」

「ううん。魔笛が好きなだけ」

 あのアリアを口笛で吹いてたらそういうイメージになったみたいと彼女は言う。

「ほぅ、魔笛……おかしな娘ですね」

「あれを好む人は滅多に居ませんからね」

「え?」

 薫は驚いたように我々を見回す。

「ひょっとしてオペラとか無い?」

「歌劇ならありますよ。シエスタの役者たちがどうでも良い色恋沙汰を演ずるものが」

「ふぅん」

 何かが妙だ。

 この娘と話すとき、若干会話にずれがある。なんというか、言葉が通じているようできちんと伝わっていない。

「厄介なことになりそうです」

「ですね」

 ただ、首を傾げる薫。

 セシリオと目が合う。

「セシリオ、師匠に確認を取っていただけませんか?」

「何を?」

「この子に妙な術を掛けなかったかと。会話に若干のずれがあるが、本人に自覚は無い。もしかすると、全く言語が違うところから来て勝手に翻訳されている可能性があります。あの女の好むことだ」

 本当にあの人は余計なことばかりしてくれる。

「仕方ありませんね」

「頼みましたよ」

 呆然とする薫を置いてセシリオを見送る。

 明日には何か収穫があることを期待しよう。

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