鼓動



 寝付けない。そう珍しいことではないが、なにかが重くのしかかるような感覚に襲われる。錯覚だとはわかっているが、何度も繰り返しこういったことがある。

 ただ、今夜は何かが違った。

 何者かの気配が酷く気になった。

「誰だ」

 飛び起き戸を開ける。

 そこにいたのはあの娘だった。

「お前ですか。どうかしましたか?」

 この屋敷に居るのは僕と彼女だけなのだからそうであるのが普通だが、僕の立場を考えると侵入者という可能性もありえる。屋敷の場所を誤魔化す幻影をすり抜けられるという可能性も皆無ではない。

「部屋の外に人影があったからびっくりして……あんたを探してた」

 部屋数が多すぎるとか屋敷が広すぎるとか泣き喚きだした少女に驚く。

「怖かったんだから……あんた使用人も今は居ないって言ってたじゃん!嘘吐き!」

「いえ、使用人は居ませんよ。おかしいですね……今はお前と僕以外誰も居ないはずなのに……」

 本気で泣いている彼女が嘘を吐いている可能性は極めて低いだろう。

 だが、侵入者対策の幻影をすり抜けてこの屋敷に侵入できるものはセシリオのほかはもう一人しか心当たりがない。セシリオの訪問であればもう少しなにか物音があるはずだ。彼はわざと家を壊したり大袈裟に僕を驚かせようとする。

「……まさか……薫、この部屋を出てはいけません」

「え?」

「息を潜めて隠れていなさい。決して姿を見られるな」

 寝台の下に彼女を押し込み、部屋を出る。

 セシリオでないとすればあいつしかいない。

 既に廊下に気配があった。

「カトラス……お前はあれを知っているな?」

 消え入りそうなほど儚い雰囲気を纏った男が目の前にいる。起きているのか眠っているのかさえわからないほど、彼はふわふわと地に足がつかない様子なのだ。

「あれ? 何のことです? 不法侵入ですよ。メルクーリオ」

 厄介な男だ。一切の幻影が通用しない上に魔術の罠も全て掻い潜って来る。彼にとってこの世の全ては幻とでも言うのだろうか。どんな術も彼の前には存在さえしないのか、術の前に彼が存在しないのか、効果がない。

「異界からの侵入者だ」

 静かなのに脳内を支配してしまいそうな声が、ただ事実を確認するように問う。

「僕の屋敷に勝手に入ってこないでください。酷く不快だ」

 魔術の知識にも技術にも魔力にも自信はある。

 だが、目の前のこの男も同じくらい魔力と知識を持っている。後は経験の差だ。

 この男はさらに上の経験をしている。

 この男を騙せるほどの罠を仕掛けるのは容易ではない。彼は最早自分自身が魔術そのものと言うほど、常に何らかの魔術を纏っている。

「前回破られてからさらに強化させたのですが?」

 会話で気を逸らそうと試みるが、そもそも彼の思考が読めない。

「生温い。少しはロートに戻れ。お前は賭け事に現を抜かし腕を鈍らせている」

「ハハン、冗談を。僕は最前線で仕事もしています。貴方こそ城で腐っているのではないですか? 実体は動くことが出来ないのでしょう?」

「それは陛下のご意思だ。それにお前の相手など幻影で十分だ」

 全く、嫌な男だ。やはり本体ではなかった。彼がただの幻影なら、攻撃しても屋敷が吹っ飛ぶようなことはないだろう。

「女王がどうなろうと、何を考えようと僕には関係ない。消えろ」

 魔力で暴風を起こせば幻影は消える。どうやら初めから戦う意思はなかったようだ。

「結界を強化させるべきですね。出てきても構いませんよ」

 部屋のほうへ声を掛ければ少女が顔を出した。

「今の誰?」

「お前は知らなくて良いことです。ほら、部屋に戻りなさい」

「……うん」

 薫は不満なのか俯く。

「何です?」

「部屋、どっちだったかわからない」

 不安そうな声に、機嫌が悪いわけではないのかと少し驚く。素直に恐れることもできるのか。

「お馬鹿さん。一度で道を覚えなさい」

 また案内しなくてはならない。

 本当に、頭の悪い娘だ。

「何をしているんです? 付いて来なさい」

「あ、待ってよ」

 慌てて追いかけてくる姿がなんとも滑稽だ。

「ねぇ、もうあの人来ない?」

 どうやらメルクーリオのことを気にしているらしい。それもそうか。侵入者が簡単に現れるようでは落ち着かないだろう。

「ええ、追い払いましたからしばらくは来れませんよ」

「良かった……」

「怖いのですか?」

「ううん、スペード、あの人苦手だと思って」

「は?」

 おかしなことを言う娘だ。

 けれど、不快ではない。

「なんとなく、スペードあの人と合わなさそう」

「まぁ、間違いではありませんね」

 妙に直観力だけはある。

「あんた、変なの」

「は?」

「自分のこと、ちゃんと解ってない」

「は?」

 本当に妙なことを言う。

 腹が立つことを言われているはずなのに、反論する気すら起こさせない娘だ。

「なんか、私に似ている気がしただけ」

「お前なんかと一緒にしないでください」

「ごめん」

 けど、と彼女は口を開く。

「あんた、自分のこと嫌いなんじゃないかなって思うときがあるよ」

「馬鹿なことを言わないでください。自分を嫌う人間なんて居るはずがない」

 馬鹿なことを言う娘だ。

 けれど、何故かその言葉が突き刺さる。

「早く寝なさい」

 部屋に押し込んで今度は鍵を掛けた。

 今日はもうこの娘の顔を見たくない。

 逃げるように自室に戻り、深く呼吸する。

 途端に、蝕むような寂しさに襲われた。

 闇に呑まれる。

 そんな恐怖を感じた。

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