鳥籠
「いくらなら?」
薫を買い取ると言えば、売れないとカルメンは言う。
そもそも僕に薫を紹介したのは彼女なのだから僕が気まぐれで買い取ることがあるくらいは予測しているはずだ。
「アタシにはその権限がないの」
「ニネッタはどこです?」
ここの女性たちの「母親」役、ニネッタが全ての決定権を持っている。彼女はとても強欲な女だ。金で動く。
「寝てるよ。ママは」
「起こしてください。急ぎます」
「アンタね……ホンっと、最悪の客だよ」
カルメンに睨みつけられるが、黒い瞳に怯むことは無い。
ここでは金さえ払えば正義だ。
「スペード、あまりカルメンを困らせないでよ」
薫が窘めるように言う。
「お前は黙っていなさい。というより、自分が売買されるのに随分と落ち着いていますね」
呆れた。
この娘には危機感が無いのだろうか。
「別に、興味無い」
本当に妙な娘だ。自分の命を他人に握られるという状況を理解していないのだろう。
「お馬鹿さん、少しは慌てたり怯えたりしなさい」
「嫌だ。疲れるもん」
「……お前は……」
呆れて何も言えない。生存本能を疲れるの一言で否定するのか。
ただ、彼女は虚ろに空を見上げているだけだ。
「私は空の広さを知らない」
「は?」
「この国がどんな国なのか、理解できていない。あがけばあがくほど危険がある」
妙に落ち着いている。そう思っていたが、どうやら不安で動く気力さえ無いようだ。
「ここで待っていなさい。ニネッタと話をつけて来ます」
「逃げたりして」
真面目な表情で薫は言う。
「そう願っていますよ」
その方が楽しめる。
この世界には刺激が足りない。
もっと刺激が欲しい。
「嘘。逃げない」
彼女はただ、そう言った。
何の感情も浮かべずに。
「ほぅ、妾からあの娘を……そうだのぅ、これでどうだ?」
ニネッタは意地悪い笑みを浮かべ、そろばんをはじく。ずいぶんとふっかけてくれたが、生憎僕は稼いでいる。
「ええ、構いませんよ」
ニネッタの目の前に金貨を降らせる。
「またか。お前はいつもどんなにふっかけてもその場で払っていく。それが気に入らん」
拗ねた子供のような仕種を見せるが、彼女は決して若くは無い。若作りではあるが。
「なんとでも言ってください」
「この前の娘たちはどうした?」
あまり興味がなさそうに訊ねられる。
「ああ、死にましたよ。飽きたので、一人ずつ拷問に掛けたらすぐに死んだ。人間とは脆い」
悲鳴は楽器代わりにもなりませんでしたよと告げれば、気を悪くした様子だ。
「またか。お前はどれだけ私の娘を殺せば気が済む」
ニネッタの鋭い視線が全身を指す。
「売り渡しているのは貴女だ」
「それが商売だからな。だが、普通ならば払えぬ額を言い値で買うお前が信じられん」
呆れた様に溜息を吐く。
「彼女は今までの娘とは違う。そんな気がします」
「まぁ、男に媚びたりはしないし、恐怖に怯えたりもしない。妙な娘だ。あまり長く手元に置きたくは無かった。丁度いい」
ようは厄介払いをしたかったということだ。金も手に入る。本当に売り渡したくなければ先程の十倍の額は示していただろう。
「カルメンが聞けば怒りますよ? 彼女を気に入っているようでしたから」
「ほぅ、珍しいこともあるものだ」
ニネッタは金貨を数えながら言う。
「丁度。と言いたいが、金貨三枚多い」
よくまぁ真面目に数えたものだ。僕なら秤を使うのに。
「差し上げますよ。仲介料です」
「全く、嫌な男だ。カルメン、あの子を連れておいで」
少し離れたカルメンを呼ぶ。
「はいよ。シルヴィア、アンタ、あのお客のとこに行くんだよ」
「うん」
おかしな話だ。
売られた薫よりもカルメンの方が悲痛な表情だ。
「気に入らなさそうですね。カルメン」
「当然だよ。アンタに買われた娘で生きて戻った奴はいない」
カルメンはいかにも忌々しそうに言う。
それもそうだ。生きていたとしてもこの国には居ないのだから、ここに戻ることはない。
「けど、この子は死なない。そんな気がする」
「だと、いいですね」
だけど、それは不可能。
僕が退屈になった時。その時がこの子の死ぬ時だ。
「薫、行きますよ」
「うん」
僕の元に居れば、この子の安全は保障されたも同じ。僕を怒らせなければ、退屈させなければの話だが。
何も言わず、後をついてくる薫を不審に思う。
もしかすると、宮廷の間者かもしれない。
だが、それはそれで悪くない。
「僕を楽しませてください」
「それは約束できない」
即答される。
「死にたいのですか?」
「さぁ? だって、ここ、天国とか地獄とかそう言った場所かもしれないもん」
今、生きているって保証できる? 夢かもしれない。と薫は言う。
「そうですね。夢なら良い」
この渇きも、何もかも。
もう、この子は手の中だ。
さて、これからどうしよう。
この満たされない渇きを、この子が埋められるはずもない。
それでも、何故か期待してしまう。この子に。
かつてあったはずの何かを。
欠けてしまった何かを。
「ここがお前の部屋です」
もう、何日も戻らなかった自宅の一室に案内する。
中には寝台と机と何も入っていない棚があるだけだ。漆の飾り格子の入った窓の他は、外から鍵を掛けられる戸があるだけで、鍵を掛けてしまえば出ることが出来ない。
「中では自由にして構いません。ですが、僕の居ない時に外に出ることは出来ないと思いなさい」
「そう」
文句ひとつ言わずに彼女は中に入る。
「鍵を掛けるんでしょ? そうして私が餓死するのを待つ。悪趣味だね。アンタ」
彼女はそう言って寝台に横たわった。
「それも、悪くない」
なにも考えていないのか、少女はただ、目を閉じた。
「随分と余裕ですね」
「そう? でも、こうしてると、大地と一体化している気がする」
それだけ言って、何も言わなくなった彼女を部屋に残し、鍵を掛けずに自室へ向かった。
彼女がどう動くか、試したくなった。
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