第48話 悲恋
「なんで……」
引き攣った声が出た。
床一面に流れる銀色の髪が徐々に赤色に染まっていく。
その様を望んだ癖に、いざ目の前に突き付けられると、
混乱しているなんて、
「なんで、」
――いや、違う。
俺が取り乱しているのは、そんなことじゃない。
「なんで、」
刃物を突き刺した状態で、俺は彼女を見下ろしていた。
同様に、彼女は俺を見返していた。
その顔は何故か、
「なんで……っ、なんで笑っていられるんですか!!」
笑っていた。
血が滲み出て、辛そうに顔を歪ませながら、
それでもいつものように笑っていた。
その微笑みが、どうしようもなく俺を混乱させた。
「怖くないんですか! 憎くないんですか!」
一方で、彼女が少しでも動けば、刃物を握る手に力が入る。
「貴方は俺に殺されるようとしているのに!」
言葉と行動が全然噛み合わない。
行動は彼女を殺そうとし、言葉は彼女の死を嘆いている。
――ふと、思った。
行動自体は確かに『
言葉の主導権はまるで、別人が乗り移ったような感覚だった。
今、話しているのは紛れもなく、
「俺は貴方との約束を守らなかったのに!」
勇者自身のものだった。
「勇人様」
名前を呼ばれて、我に返る。
「まだ世界が崩壊するまで時間があります」
相手を諭すような、落ち着いた声音だった。
「ですから、」
聖女の微笑みを浮かべながら、彼女は言った。
「私の話を、聞いてくれませんか?」
* * *
突如、それは起きた。
『……え?』
私の前から、人が消えた。
『神父様?』
聖女を保護し、監視する役目を帯びた神父様。
直前まで話していた筈の神父様が、瞬きする間もなく掻き消えた。
神父だけではない。
足が鎖で繋がれていたとしても、外の音は聞こえてくる。
賑やかで、楽しそうで、遠い音。
その音が一気に無音へと切り替わる。
『…………え?』
呆然と立ち尽くし、何が起きたか分からない。
ただこれだけは何故か分かった。
私はこの日、たった一人で世界に取り残された。
鎖で繋がれた状態で、教会に置き去りにされた私は、一人祈りを捧げていた。
そうしなければいけない気がした。
祈りを捧げている最中も、全て無音のまま。
何日経ったのか、数えることなく、ただ一心不乱に祈りばかり捧げる日々。
不思議と、空腹感を覚えることなく、祈りに集中していた。
そこからすでにおかしかったのだ。
何日も経っていれば、そのまま餓死したとしてもおかしくない。
にもかかわらず、異常だと思うことなく、
私は教会に居続けていた。
すると、突然、教会の扉が開いた。
久しぶりに聞く、人の足音だった。
思わず振り返れば、そこにいたのは、
『貴方が、聖女様?』
『……ええ、そうです』
自分と全く同じ顔をした少女が一人、立っていた。
――ああ、そうか。
『貴方は、九条梓ですね?』
知らない誰かの名前が分かった。
『私の名は、聖女』
驚きは自然と溶けていく。
『またの名を、睡眠過剰症候群。その根源』
次はこの人が新しい宿主なのだと意識が芽生えた。
天啓と呼ぶべきかもしれない。
『初めまして、九条梓様』
次はこの人を眠りに就かせなければならないと気が付いた。
『どのようなご用件でしょうか?』
微笑みをもって、私は彼女を出迎えた。
――この日、私は初めて自分が病気の根源だと自覚した。
* * *
「何も知りませんでした」
ぽつりと、彼女は呟いた。
「自分の過去を疑うことなく、私は聖女なのだと思っていました」
世界を救済する為、存在する存在。
「ですが、私の役目は人を守る為ではなく、人を殺める為のものだった」
それでも祈りを捧げたのは、役目を放棄するわけにもいかない。
やめてしまえば、何の為の存在だったのか分からなくなってしまう。
本能に近い強迫観念に突き動かされ、世界の為に祈りを捧げた。
すると、教会の外から人の声は一人、また一人と増えていく。
「彼等はあくまで自身を人だと認識していた」
宿主が切り替われば、大元は自身が病気だと自覚する。
それ以外は全て宿主の世界を構築する為の駒であり、自覚する必要もない。
大元が自覚するのは、新しい宿主の世界を構築し、世界を存続させる為の、
本能を呼び覚ます為ではないか。
「あくまで私の仮説ですが」
「……何故」
自嘲気味に付け加える彼女に向って、俺は自然と口を開いた。
「何故、俺にそんなことを教えてくれるのですか」
仮説と称しているが、根源自身が語る事実など聞いたことがない。
この情報を現実に持ち帰れば、病気の構造を解明する糸口になるのでないか。
空想妄想と片づけられるかもしれないが、
それでも大した進歩じゃないのか。
だが、同時に疑問が残る。
「俺たちにとって、貴方の『仮説』は僥倖と言ってもいい」
「……」
「だけど、貴方にとってはそうじゃない」
彼女は睡眠過剰症候群そのものであり、根源である。
病気を解明することは、病気自身にとても不都合なのではないか。
「聞きたいことがあったからです」
虚空を見つめる彼女の目に、俺の姿が映った。
「聞きたいこと?」
「はい」
力なく頷きながら、何の感情も宿らない瞳に射抜かれた。
「勇人様、貴方はこの世界を何だと思いましたか?」
「え……」
「空想だと仰いました。妄想だとも」
「……ええ」
「ですが、この世界は確かに存在していた」
「……」
「私を含めて、貴方は数え切れない程の『人』の命を奪っていった」
「……」
「たった一人を助ける為に」
彼女は『聖女』だった。
今、病気の根源でなく、世界を守る為の存在として問いかける。
「私達は確かに存在していた」
「……」
「そんな私達の命を奪ってまで、価値あるものはありますか?」
――世界の敵だった。
『魔女』の時と同様に、『如月勇人』は世界を壊すだけの『敵対者』だった。
そこに味方は誰もいない。
対峙する聖女を前に、『如月勇人』は口を開いた。
「――それでも」
刃物を持つ手に力が入る。
「それでも俺は貴方を殺す」
流れる血に顔を歪めそうになりながら、はっきりと断言した。
「だから、」
「……もう、いいです」
彼女は頭を振った。
「分かりましたから」
刹那、ガラスの割れる音がした。
「……え?」
幻想的な光景だった。
彼女の体に罅が入り、ガラスの破片が散らばるように、
バラバラと散っていく。
「潮時ですね」
彼女から流れた血さえも、光に呑まれて消えていく。
「勇人様、お別れの時間のようです」
「…………」
「勇人様?」
何も言えなかった。
言える気もしなかった。
「何故泣かれているのですか?」
泣いていることすら自覚していなかった。
「勇人様」
頬を撫でる指先が、目の前でパリンと割れて消えていく。
「貴方が悲しむ必要はありません」
何も言えなかった。
「貴方自身が仰っていたじゃないですか」
「……?」
「貴方が好きなのは私ではありません」
儚げに微笑む彼女の頬に罅が入る。
「私も同じです」
彼女の目は愛おしげに誰かを見ていた。
「私が好きだったのは……」
その誰かが誰なのか気づいた瞬間、
「勇者様だったですから」
微笑みと共に、彼女は消えていった。
「聖女様……?」
世界が崩れていく。
「……っ」
後にはもう、何も残らない。
「う……」
それでも、『俺』は、
「う、ああああああああああああああああああああああ!!」
慟哭のような叫びを響かせた。
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