第45話 走馬灯
魅力的だと思った。
足掻けば足掻くほど、泥沼に嵌っていく感覚。
そこから救い上げる手は、例え悪魔の囁きだったとしても。
救いだとすら思ってしまう。
それでも、
「……できるわけないだろ」
強がりを口にした。
起き上がれない身体を引き摺りながら、
拳に握り締める。
「ですが……」
「黙れ」
起き上がれない身体に鞭を打ち、
無理矢理力を込める。
「勇者様」
だが、身体は既に限界を超え、力を込めても、
意思に反して動けない。
「勇者様」
優しさに耳を傾けてしまう自分がいる。
目を向ければ、聖女様がこちらを見つめていた。
その顔が悲しみに歪んでいて、息を呑んだ。
「約束したじゃないですか」
泣きそうな顔で、
「今度お会いしたら、返事を聞いて下さると」
『貴女が好きです』
かつて自分が告げた想いが思い出す。
「今がその時ではありませんか?」
声は詰るようにも、懇願するようにも聞こえた。
「勇者様、お願いします。私を、一人しないで」
守りたいと思った。
その泣きそうな顔を、拭ってあげたいと思った。
湧き上がる気持ちが背中で押されてしまう。
「俺は……」
何を言おうとしたのか。
それでも、聖女様の方へと伸びていく。
すると、彼女はほっとしたように微笑んだ。
「勇者様……」
『勇人は自分の名前が嫌いの?』
「――え?」
刹那、聖女様の声を遮るようにして、
そんな疑問を口にする声が聞こえた。
「……勇者様?」
『だって、勇人って呼ぶ度に顔を顰めるじゃない』
聖女様の呼ぶ声は聞こえない。
代わりに見えたのは、かつての下校中の帰り道だった。
『勇人は自分の名前が嫌いなの?』
『なんでそんなこと聞くんだよ』
『だって、勇人って呼ぶ度に顔を顰めるじゃない』
彼女が唐突に切り出した疑問に、顔を背けた。
『嫌い……とかではないと思う』
『なら、なんで?』
『それは……』
自分の名前に『勇』の字を入っていて、その字の意味を知った時。
『似合わないだろ、こんなの』
病気持ちで、いつ死ぬかも分からない。
そんな身体を引き摺る自分に、この名前は似合わない。
そう思っていた。
『私はいいと思うけどな』
『そうか?』
『そうよ』
振り返った彼女は断言した。
『だって呼びやすいじゃない』
『……呼びやすい?』
『呼びやすい。勇人って呼ぶと』
『……そうか』
――そんなことない、似合ってる。
そんな気休めを口にされるよりも、ずっと、
ずっと気が楽になる気がした。
『それとも如月君って呼んだ方がいい?』
『いや、勇人でいい』
『そう?』
『ああ』
首を傾げる彼女に向かって、俺は言った。
『梓に名前を呼ばれるの、嫌いじゃないんだ』
『……そう?』
『ああ』
『そう……』
梓は視線を彷徨わせた後、
『なら、よかった』
はにかむようにして、笑ってくれた。
「――勇者様」
その光景が突如消える。
現実に、引き戻されたのだ。
――現実?
その思考に、違和感を覚えた。
「勇者様、どうかされたのですか?」
「……違う」
現実じゃない。
現実ではこんなこと起こり得ない。
ここは、この世界は、
「夢だ」
ポツリと呟いた瞬間、身体が動いた。
「……!」
聖女様の動きが一瞬鈍かった。
「勇者様……」
後ずさる目は、信じられないものを見る眼差しだった。
「どうして……」
その腕は赤が滲み出ていた。
「俺は『勇者』じゃありません、聖女様」
身体はぼろぼろじゃない。ちゃんと動ける。
剣は握れない。包丁ぐらいなら持てる。
「俺の名前は、」
――いつの間にか『勇者』の姿はなくなっていた。
いたのは、ただの、
「如月勇人」
ただの男子高校生、『如月勇人』その人だった。
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