第40話 現実
『それでもいいです』
彼女はそう言った。
* * *
「やめた方がいい」
鬼頭先生の第一声がそれだった。
――梓を助けるために、聖女様を殺す。
そのために、あのヘルメットを貸してほしい。
だが、俺が鬼頭先生にそれを伝えれば、鬼頭先生は首を縦に振らなかった。
「君は自分が何を言っているのか分かっているのかい?」
「分かってます」
分かっているつもりである。
「よく考えた方がいい。あれは――」
「先生は、九条さんが死んでもいいですか?」
説明を続けようとした鬼頭先生を遮り、俺は言った。
「……いいや」
鬼頭先生はゆっくりと頭を振った。
「君達患者が助かれば、これほど幸いなことはない」
「だったら、」
「それでも」
鬼頭先生は深いため息を吐いた。
「これはあくまで私個人の考えだ。医者として
鬼頭先生は断言して、俺はこんなことを聞いてきた。
「勇人君、君はこの先を考えたことはあるかい?」
「この先?」
「そう、この先だ。睡眠過剰症候群を仮に完治できたとして、君は平気なのかい?」
「え……?」
何を言っているのだろうか、この人は。
「君は長い間病に苦しめられてきた。だが、同時に君は病を見せる世界を見てきた」
脳裏を過ぎるのは、聖女様とか剣士とか魔法使いとか。
現実の人間を反映した、懐かしい人達。
裏切られようが、殺されかけようが、郷愁を誘う思い出がいくらでも出てくる。
「その世界は、君にとっての『現実』だった」
そうだ、勇者の『俺』にとっては紛れもなく現実そのものだった。
「そんな『現実』を、君自身が壊そうとすれば、」
先生は最悪の可能性を口にした。
「君自身が壊れてしまうかもしれない」
「……っ」
「物理的に死ぬ可能性もそうだが、精神面に異常をきたす恐れがある」
――鬼頭先生が言うには。
聖女様を殺すにしても、まずあの世界を壊して壊して、壊し尽くして
聖女様を引き摺り出す必要があるらしい。
その為に多くの見知った相手の顔をした病原菌を殺す必要がある。
「聖女様を殺す前に、君自身が耐え切れなくなるかもしれない」
罪悪感に押しつぶされそうになるかもしれない。
「それでも君は、」
俺は、
「あの世界を壊すのかい?」
『――辛いよ、人を殺すの』
脳裏を過ぎったのは、梓の言葉だった。
『それでもいいの?』
「俺は、いいんです」
先程言えなかった言葉が零れ落ちた。
自分自身に言い聞かせているだけかもしれない。
それでもよかった。
「正直、将来とかこの先とか、分からないことだらけで」
もしかしたら、先生の言う通り、やめた方がいいのかもしれない。
精神に異常をきたしてしまうかもしれない。
また誰かに迷惑をかけてしまうかもしれない。
たくさんの『かもしれない』が、浮かんでは消えていく。
「それでも」
だとしても、
「俺が今一番怖いのは、」
恐れているのは、
「梓と話せなくなることなんです」
我ながら身勝手だった。
どうせなら『死なせたくない』とか、『守りたい』とか言えたらよかったのに。
「それが一番怖いから、だから俺は行くんです」
そう言って、俺は先生に頭を下げた。
「お願いします、先生。もう一度、俺をあの世界に行かせてください」
数秒の間があった。
それが酷く長く感じた。やがて、先生は、
「彼女と同じことを言うんだね」
「え?」
彼女? 聞き返そうとすると、先生は『分かったよ』と言ってくれた。
「ひとまず、九条君と君の家族に説明をしなければ。同意書も手配しよう」
「先生……ありがとうございます」
「お礼を言うにはまだ早いよ。君は君の家族に事情を説明して同意を貰わなければ」
「はい。先生」
「?」
「ありがとうございます」
再度感謝を伝えれば、先生は困ったような顔で笑っていた。
* * *
『それでもいいです』
勇人が昏睡状態を陥った際。
本来なら延命措置は取らずに、そのまま安楽死させる予定だった。
あのヘルメットは睡眠過剰症候群の患者を助ける反面、
様々な観点から使われることは殆どない。
リスクが大きすぎるのだ。
にもかかわらず、一人の少女がヘルメットの許可を下さいと言い出した。
家族の許可を貰う、同意書も書いてもらう。
だから勇人に延命措置をしてほしい。その間に勇人を助けるからと。
医師は懇々とリスクを話した。
少女自身への負担。危険性。
何より患者との関係の悪化の可能性。
患者にとって、何もできない『現実』に引き戻されるのは何より辛いだった。
そのため、助けてくれた相手に悪感情を抱く例も少なくない。
『構いません』
しかし、少女は全て呑んだ上で、断言した。
『勇人にどう思われようが、私は勇人の世界を壊します』
理由を尋ねれば、少女は言った。
『返事を言えてないので』
それだけですと、少女――九条梓は笑って呟いた。
その辛そうな顔と言葉に押されて、結局私――鬼頭妃は、
九条梓を『魔女』として、彼の世界に送り込んだのだった。
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