第41話 異常性
目を開ければそこには、
勇者の故郷が広がっていた。
はしゃぐ子供。
狩猟に出かける、男達。
井戸で水を汲み、洗濯物を片付ける女たち。
郷愁を誘うには十分すぎる光景だった。
戻ってきたのだ、もう一度。この世界に。
――だけど、
もう一度目を閉じて、開けてみる。
ぬるりとべたつく、気持ち悪い感触と、鉄の匂い。
燃え盛る炎が、村を、死体と化した村人全員を焼き尽くしていく。
――殺したのだ、俺がこの手で、
吐き気や罪悪感はもう、湧いてこない。
それが異常だと、
俺が思い知る、最初の出来事だった。
* * *
目を開けて、故郷が広がっていた時。
俺は何の違和感もなく、『帰ってきたのだ』と思った。
咄嗟に周囲を見た。
魔法使いと剣士はどこだろうか。
そう思えば、何故か肩を叩かれた。
「よう、勇者」
村人だった。
「どうしたんだよ、帰ってきたのか」
「……村人」
反射的に呼んで、違和感を覚えた。
だが、何に対してそう思ったのか、分からない。
「久しぶりだな、元気にしていたか」
「……村人」
また別の誰かを呼ぶと、またおかしな気がした。
「久しぶりに親父さんたちに会って行ったらどうだ?」
「ああ……」
普通に提案され、それを受け入れそうになって、
「そういえば……」
村人がこんなことを聞いてきた。
「噂の聖女様はどうだった?」
「聖女様……?」
「ああ、お綺麗な御方だと聞いたけど、実際どうだった?」
――聖女様。
銀色の髪を泉のように靡かせる、美しい少女。
脳裏に過ぎったその顔が、全く別人の顔と重なって見えた。
『勇人』
銀色じゃない。
夜のような黒髪と瞳を持つ、
また話したいと思う少女の名は、
「……梓」
考えるより先に身体が動いた。
前を歩く村人二人目掛けて、剣を振り下ろした。
考えたら駄目だと、頭の片隅で理解していたからだ。
殺した瞬間、吐き気が一気にせり上がってきた。
――吐くな。
唇を噛み締め、唾を呑み込んだ。
――今は吐くな。
手が震え、死体が転がる様に目を逸らした。
――今吐いたら、きっと、
一気に駆け出していく。
目についた子供や女や大人や老人も、片っ端から切り捨てていく。
何も考えなかった。
考えてしまったら、きっと、
二度と動けなくなってしまう。
それが分かっていたからだ。
* * *
「はぁ、はぁ、はぁ……」
気が付けば、故郷は血の海と化していた。
返り血に染まった状態で、息を切らし、
そして、
「……う」
吐いた。
まともに立っていられなかった。
剣を握る手は震えだし、まともに握れる状態ではなかった。
なのに、
「おぎゃあ、おぎゃあ」
赤ん坊の泣き声に、びくりと肩を震えた。
顔を上げれば、泣き声はすぐ近くで聞こえた。
死体として転がっている妊婦の死体だった。
ちょうど臨月にさしかかったのだろう。
胎児を守るようにして膨らんだ胎から、
「……え」
小さな手が這い出てきた。
そのまま、転がるようにして、それは生まれた。
赤ん坊だった。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
泣き叫び、母を求める騒がしくも、可愛らしい姿に、
心底ゾッとした。
直後脳裏を過ぎったのは、随分前に思える記憶。
妊婦の腹が裂かれ、赤ん坊が引き摺り出され、八つ裂きされた光景。
最初、赤ん坊を引き摺り出したのは『魔女』なのかと思った。
だけど、違った。
妊婦の腹を裂いたのは、彼女じゃない。
赤ん坊だったのだ。
「殺さないと……」
本能的に理解した。
これは新たな病原菌が生まれた瞬間だと。
だから殺さないといけない。
なのに、切っ先が震え、どうしても赤ん坊を貫けない。
散々人を殺した癖に。
「違う、これは」
これは人じゃない。
人を蝕む、病原菌。
ただそれだけだ。
きつく目を閉じ、そう思い込み、
目を開ければ、
そこには赤ん坊の姿はなく、
黒く歪んだ泥のような物体が蠢いているだけだった。
その変化に息を呑み、安堵した。
――これなら、殺せる。
そう思い、剣を振り下ろした。
それでも何故か、こんな言葉が零れ落ちた。
「……ごめんな」
* * *
それから、血の海と化した村を歩いた。
あの赤ん坊と同じ例があるかもしれないからだ。
幸い、あの一度だけで、他にはその気配はなかった。
「……」
吐き気はもう、なくなった。
と言うより、吐き気をなくしたいと思った瞬間、
本当になくなってしまったのだ。
それはどうしようもなく違和感が付き纏う、感覚だった。
『望んで叶わないことはない』
錬金術師――先生の言葉を思い出す。
「……」
ポツリと呟いた。
「燃やしたい」
一瞬で、村が燃え上がる。
――こんな呟きにすら反応して、望みが叶うのだ。
現実ではありえない光景で、
なによりここが現実ではないと教えてくれていた。
「……行かないと」
焔に呑まれていく村を背にして、俺は歩き出そうとした。
瞬間、魔法陣が足元に現れる。
身構えるより先に、察してしまった。
――これは移動魔法だ。
魔法使いが良く使っていた、術式。
俺は魔法なんか使えない。
それでも、移動したいと願った瞬間、現れた。
『お待ちしています』
儚げな声が聞こえた気がした。
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