第38話 完璧

『優秀だな』

『凄い子ね』

『偉い子ね』

『将来が楽しみだな』


 そんな言葉ばかりが『オレ』の周りには溢れていた。

 それが当たり前で、そんな風に扱われる以外の接し方をされたことがない。


 反面、それ以外の妬みも羨望も向けられていた。


 ある種の期待が日常になってしまえば、なんてことはない。


 『オレ』は自然と、周囲に好かれる処世術を覚えた。

 いつからとかは記憶になく、ただそれが当たり前の日常だった。


 才能を認められ、他人を妬む隙間すらないぐらい、賞賛に溢れた日々だった。


 そんな『オレ』とは対照的な奴を、『オレ』は一人だけ知っている。


『可哀想に』

『気の毒に』

『――可哀想に』


 何をやっても、うまくいかない。努力も泡になって消えてしまう。

 

『どうでもいい』


 言いながら、両親にも妹にも気遣われ、心配され、

 将来すら不安定な奴だった。

 

 いつ死ぬのかすら分からない、病気持ち。


 そんな『あいつ』を見ていれば、『オレ』は自然と可哀想に思った。


 家族以外は、誰も彼も『あいつ』から離れて行ってしまう。

 だから、『オレ』は『あいつ』に声をかけた。


『なぁ、』

『……何?』


 幼い子供には不釣り合いな、澱んだ瞳。

 今振り返れば、まるで世捨て人のようだった。


 そんな目を向けられても気にも留めず、『オレ』は『あいつ』に言った。


『一緒に遊ばないか?』


 

* * *


 中学に上がってから、『あいつ』の症状は悪化していた。

 誰のことも名前で呼ぶことができず、『村人』だとか『商人』だとか、

 呼ぶようになっていた。


 『あいつ』の病気を知らない奴は、『痛い奴』と認識していた。


 唯一、家族のことは認識できるらしいが、それだって怪しいものだった。

 妹の和葉ちゃんは根気強く、自分のことを忘れられない努力を行っていた。


 それでも状況が悪化していくのは変わらない。


 聞いた話では、中学を卒業できるかどうかすら怪しいらしい。


 そんな中、『オレ』は、


『よう、勇人』


 声をかければ、決まって『あいつ』は、


『――


 と呼んでいた。


 最初は『違うだろ』と否定したり、笑い飛ばしたりしていたが、

 次第に『オレ』は否定しなくなっていった。


 ――疲れてしまったのだ。


 自分の名前を呼ばれないことにも、根気強く付き合いをすることにも。

 疲れてしまったから、流すようになっていく。


 現実に引き留めるのが、病気の悪化を遅らせる『治療薬』の役目もあるらしいが、

 あくまで、


 なら、別に流してもいいじゃないか。


 そう思い込みながら、『オレ』は『あいつ』の友人をやっていた。



* * *



 桜の散り際だった。

 教室に、『あいつ』の姿はなく、また保健室で倒れているのかもしれない。

 

 そんなことを頭の片隅に追いやりながら、授業を受けていると、


 教室の扉が開いた。

 教室中の視線が集まる。


 そんな視線を臆することなく、『彼女』は言った。


『すみません、遅刻しました』


 音が止んだ。

 思わず、息を呑んだ。


 長い黒髪に、黒い瞳。白い肌。

 整いすぎるぐらい、整った完璧な容姿。


『九条梓です。よろしくお願いします』


 綺麗な音にすら聞こえる、透き通った声。


 姿を見た瞬間、声を聴いた瞬間、

 

 『オレ』は『彼女』、『九条梓』に心奪われていた。


 一目惚れだった。



* * *



 九条さんは完璧だった。

 容姿のみならず、勉強や運動も全て完璧にこなしてしまう。


 教師からの評判もよく、同級生の中には九条さんと接する際、

 敬語を使ってしまう者までいた。


 ――高嶺の花。


 そう呼ばれるぐらい、九条さんは注目の的だった。


 ただ、唯一解せないのは、


『勇人、少しいい?』

『……梓』


 何故か『あいつ』と親しくしている点だろうか。

 まるで、長年連れ添った幼馴染みのように、


 二人は名前を呼び合っていた。

 その上、一緒に帰る姿まで見かけたことすらある。


『オレ』は焦っていた。

 いくら余命いくばくもないとしても、好きな相手が他の男と名前で呼び合い、

 放課後の貴重な時間を過ごしている。


 どう考えてもいい気はしなかった。


 だから、『オレ』は、


『楽しそうだな、オレも交ぜてくれよ』


 人懐っこい笑顔を浮かべて、二人の間に入っていった。



* * *



 二人の間に割って入って、分かったことが沢山あった。

 九条さんは完璧だけど、年相応な少女のような面があること。

 

 そんな一面を知っていくうちに、ますます好きになっていく。


 同時に『オレ』は知った。


 最近誰のことも認識しづらく、病気を悪化させていた『あいつ』が、

 九条さんのことだけは『九条梓』だと認識していた。


 九条さんと接する時は、軽口を言い合ったり、呆れたり、笑ったり、

 ごく普通の『少年』の一面を見せていた。


 それは今まで見たことのない『あいつ』の表情だった。


 ――『あいつ』が九条さんを好きだと自覚するのに、そう時間はかからなかった。


『中学までしか生きられない』

 

 そう言われていた『あいつ』が気付けば、中学を卒業し、

 九条さんや『オレ』が進学する高校に合格していた。



* * *



『平野君、好きなの。私と付き合ってくれませんか?』

 

 頬を赤らめて、震える手を伸ばしてくれる女の子に、

 『オレ』は一言、『ごめん』と断った。


『好きな子がいるんだ』


 あれから『オレ』は九条さんに告白できないままだった。

 周囲から『お似合い』だとか言われているが、


 好きな相手となると、思い切って想いを告げることができなくなる。

 そんな臆病な自分も、九条さんに会うまで知らないままだった。


 何より、九条さんの側にはいつも『あいつ』がいた。

 クラスは別々なのに、二人は決まって一緒に帰っていく。


 付き合っているのではないかと実しやかに囁かれているぐらいだった。


 『あいつ』の病気が完治したわけじゃない。

 今でも時折、『あいつ』はどこかで倒れたり、寝込んでいたりする。


 ただ、その頻度は確実に減っていた。今の『あいつ』は安定している。


 そんな穏やかな『あいつ』を見ていると、何とも言えない感情が湧き起こる。


 今の方がずっと接しやすい。


 九条さんさえいれば問題ない筈なのに、

 『オレ』は何故か未だに『あいつ』の友人をやっていた。



* * *



『――平野君』


 声をかけてきたのは、九条さんだった。

 一瞬、何が起きたのか信じられなくて、混乱する。


『……九条さん』


 平静を装った声は上擦っていないだろうか。


『何かあった?』

『勇人知らない?』


 ズキリと、心臓が悲鳴を上げる音がする。


『用があるんだけど、見当たらなくて』

『……知らない』

『そう? 分かった、ありがと』


 そう言って、九条さんは『オレ』に背中を見せる。

 瞬間、『オレ』は九条さんの腕を摑んだ。


『……平野君?』

『あ、いや、その……』


 格好悪いところなんか見せたくないのに。

 言い淀む自分に羞恥した。


 だけど、摑んだ手を離そうとせず、『オレ』はそのまま言った。


『九条さん』

『何?』

『好きなんだけど』


 言った。言ってしまった。


『好きなんだけど、オレと付き合ってくれない?』


 一瞬の間が空いた。


『ごめんなさい』


 綺麗な音だった。


『私、平野君とは付き合えない』


 断り文句ですら、彼女の声だと綺麗に感じるから不思議だった。

 ただ、どうしても、手を離す気になれなかった。


『……なんで?』

『え?』

『なんで、オレとは付き合えないの?』

『それは、』

『あいつのせい?』

『あいつ?』

『如月勇人』


 息を呑む彼女に向かって、オレは言った。


『あいつ、九条さんには釣り合ってないよ。病気持ちだし』

『――病気?』

『そう、病気。睡眠何とかっていう病気で、そこまで長く生きられないんだ』

『………』

『だからさ、九条さ――』


『――平野君』


 明確な怒気を孕んだ声だった。


『手を、放して』


 驚く『オレ』に向かって、九条さんは言い放った。


『平野君。もう一度だけ言うけど、平野君とは


 それは確定事項だった。


『勇人が病気だからって、平野君と付き合う理由にはならない』


 はっきりとした、拒絶だった。



* * *



『――勇人』

『――勝行?』


 彼女の捜し人は意外とあっさりと見つかった。

 目を擦りながら、あくびを噛み殺している姿に、どうしようもなく腹が立った。


 それが病気のせいだと分かっていてもだ。


『……オレ、言ったんだ』

『何を?』

『九条さんに好きだって』


 直後、目に見えて『あいつ』は動揺した。


『……そう、か』

『断られたけどな』

『……そう、か』


 何と言っていいのか分からない様子だった。

 そんな『あいつ』に、『オレ』は追い打ちをかけた。


『お前は言わないのかよ』

『何を、』

『九条さんに好きだって』


 息を詰まらせ、目を泳がせた後、『あいつ』は言った。


『……言えるわけないだろ』

『なんでだよ。言えよ』


 ――いっそお前も振られてしまえ。


 呪詛のように、言葉を吐き出した。


『こっちは秒だぞ、秒』


 好きだったのだ、一目惚れだったのだ。

 なのに、九条さんは『オレ』を拒絶した。


 目の前にいる、今にも死にそうな『こいつ』がいるせいで。


 いなくなってしまえばいいのに。


『オレは、お前が羨ましい』

『……!』


 瞬間、見たことのない『あいつ』の表情を見た。

 憤怒が湧き起こる、切れる寸前の顔だった。


『……っ』


 『あいつ』が何かを言いかけた。

 だが、結局『あいつ』は何も言わないまま、


 今まで見たことがないぐらい、傷付いた顔をしていた。


 いい気味だと思った。



* * *



 それから、『オレ』は意図的に『あいつ』を避けていた。

 九条さんは『オレ』を見かけても、素通りするばかりだった。


 九条さんがいないなら、『あいつ』なんか知ったことではない。


 そう思いながら、日々を過ごしていても、

 『あいつ』が倒れる場面に遭遇するのは何度もあった。


 中学に上がった頃よりも、その頻度は多くなっている気がした。


 また、『あいつ』は不安定な状態に逆戻りしていた。



* * *



、少しいいか』

『……なんだよ』


 夕暮れ時だった。『あいつ』から声をかけられたのは。

 無視してもよかった筈なのに、『剣士』呼びも慣れてしまったせいか。


 振り返って足を止めた。


『オレ、用事があるんだが』


 用事なんかない癖に、そんな嘘を口にした。


『すぐ済む』


 そう言って、笑うあいつの目には隈が出来ていた。


 穏やかな笑顔が、言い知れない不安を煽った。


『俺、明日死ぬんだ』

『…………は?』

『お前には言っておこうと思ってな』


 意味が分からなかった。


『冗談だろ』

『冗談なら、よかったんだけどな』


 目を擦りながら、『あいつ』は言った。


『医者からも言われたんだ。末期患者になったって』

『…………』

『もう薬もろくに効かないんだ』


 こうしている間も、眠ってしまいそうになると笑っていた。

 それが無理にして笑っていると気付いてしまった。


『無理矢理起きてるんだ、これでも』

『…………』

『次寝たら、最後だって言われてるから』


 足元がふらふらとおぼつかない。

 本当に今にも倒れてしまいそうな様子だった。


『…………九条さんには』

『言ってない。言えるわけないだろ?』


『なら、なんで、』


 自然とこの言葉が零れ落ちた。


『なんでオレには言うんだよ?』

『聞きたいことがあったからに決まってるだろ』

『聞きたいこと……?』

『ああ』


 『あいつ』は頷いた。


『前、お前言ってただろ? 俺のこと羨ましいって』


 ――『オレは、お前が羨ましい』


 呪詛の言葉が蘇る。


『あの日から気になっていたんだけどさ』


 辛そうな顔で、無理にして笑う『あいつ』は『オレ』に聞いてきた。


『本当か? こんな体で、病気持ちで、』


 いなくなってしまえばいい。いい気味だと思っていた。


 だけど、だからと言って、


『好きな奴に好きだって言えない』


 オレは本当に『こいつ』に、


『そんな俺でも、本当に羨ましいか?』


 死んでほしいわけじゃなかった。



* * *


 それから、『あいつ』――『如月勇人』は昏睡状態に陥った。

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