第36話 妹

『どうでもいい』


 それが兄の口癖だった。

 兄は自分に自信がなかった。


『名前なんかどうでもいいだろ』


 兄は自分の名前が嫌いだった。

 

 いや、兄が嫌いなのは、多分名前じゃない。

 名前に不釣り合いな自分自身が嫌いだったのだ。


 それを聞き質した訳でもなく、本人が言った訳でもなく、

 私の勝手な想像だ。


 だけど、きっと間違ってはいないと思う。


 兄は死病に侵されていた。


 死病に取りつかれた兄は何をやっても上手く行かず、いつも同じ言葉を口にした。


『どうでもいい』


 言いながら、兄はその度に辛そうな顔をしていた。

 

『どうでもよくない』から、『どうでもいい』を繰り返すのだ。


「――兄さん」


 いつから兄を『兄さん』と呼び始めたのか、明確なきっかけはなく、

 両親から『兄さん』と呼ぶようにと言われたわけではない。


 ただ、兄が時折私を『妹』だと認識しないことがあった。

 変な意味はなく、ただ何故か私のことを、


『魔法使い』


 と呼ぶようになった。


 魔法なんか使えない。

 初めはそう言い返していた。兄もハッと我に返って、


『……悪い』


 とポツリと謝っていた。


 だけど、いくら違うと言っても、兄は私を『魔法使い』だと、

 呼ぶ回数が増えていった。


 それが病気のせいで、現実にいる人間を認識しづらくなっているのだと、

 分かった瞬間、私は兄を、


「兄さん」


 と呼ぶようになった。


「魔法使い」

「違うんだけど、兄さん」


「魔法使い」

「そうじゃないでしょ、兄さん」


「まほ――」

「違うからね、兄さん」


 兄さん、兄さん、兄さんと鬱陶しいぐらいに連呼した。


「魔法なんか使えないでしょ、兄さん」


 使いたいとも思わない。


「いるとしてもそれは別人よ、兄さん」


 効果があるかどうかは分からない。


「私はただの、」


 それでも、私は兄に、


「兄さんの妹でしょ」


 忘れられたくなかったのだ。


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