第35話 理由

「何言ってるの、兄さん」


 呆れた顔で、妹がそう言った。



* * *



『君に聖女様が殺せるのかい?』

『勇人の好きは誰のもの?』


 何も答えられなかった。

 鬼頭先生の言葉にも、梓の言葉にも。


 何も答えを返せなかった。


 俺自身、答えを知らなかった。


 聖女様を勇者として守りたいと思い、如月勇人として九条梓に想いを寄せていた。

 どちらが本物で、どちらが偽物なのか。


 それとも両方、本物なのか。


(――だとしたら、最低だ)


 どちらかに面影を重ねるのも、二人の相手に同時に想いを寄せていたのも。

 最低じゃないのか。


 もっとも嫌なのは、梓の為に聖女様を殺すのを躊躇してしまう自分だった。

 あの世界も、聖女様も、存在しない存在で、

 ましてや病原菌そのものなのに。


(それとも……)


 記憶があれば、こんな感情にならないのだろうか。

 病気に侵された俺の脳は、未だに殆どの記憶を取り戻せていない。


 あの世界だけじゃなくて、こちら側の記憶があれば、

 あの時あの瞬間、躊躇なく答えられただろうか。


「俺は……」

「何やってるの、兄さん」


 自宅のソファで、寝転んでいると、声が降ってきた。

 見上げれば、呆れた顔が俺を見下ろしていた。

 

 妹の和葉だった。


「別に何も」

「梓さんと喧嘩でもしたの?」


 起き上がれば、妹が再度言葉を投げかけてくる。

 和葉の言葉に何も答えない。


 答えたくない。

 そんな考えが過ぎったが、同時に、


「なぁ、和葉」

「何? 兄さん」

「俺って、誰が好きだった?」

「はぁ?」


 和葉は間抜けな顔をした。


「何言ってるの、兄さん」

「別にいいだろ、なんだって」

「答えになってないんだけど」

「……聞きたくなったから」


 追及をやめない妹に、俺はポツリと呟いた。


「聞きたくなったから、聞いたんだ」


 記憶になくとも、身近な人なら、

 答えを知っているんじゃないのか。


 そんな弱い自分が顔を出す。


「……」


 和葉はじっと俺を見ていた。


「何言ってるの、兄さん」


 やがて、呆れを隠さないため息を吐いて、

 和葉は言った。


「兄さんが好きなのは、梓さんでしょ」


 冷やかしでも推測でもなく、

 事実を口にしている。


 そんな様子だった。


「私、知ってるんだから」

「何をだよ」

「兄さんがどれだけ梓さんのことを好きかってこと」

「なんだよ、それ……」


 言葉だけ切り取れば、とても恥ずかしい内容だった。


「だって、兄さん……」

「なんだよ」

「高校行ったじゃない」

「は?」


 思わず間抜けな声が出た。


「梓と関係ないだろ」

「関係ありまくりよ、兄さん」


 否定に否定を返された。


「兄さん、高校行く気なかったじゃない」

「……そうなのか?」

「そうよ。行っても意味がないからって」


 そもそも、今通っている高校は、偏差値が高いことで有名だった。

 梓や勝行、妹の和葉はともかく、病気とはいえ、寝てばかりで、成績が芳しくなかった当時の俺が決して入れるような高校ではなかった。


「なのに、兄さん突然高校行くとか言い出して……」


 薬の量を増やし、起きている時間は勉強に当てていた。

 何事にも無気力な兄しか見たことがない。

 だからこそ、和葉や両親は驚き、俺の姿を見守っていた。


「結果、兄さんは今、高校に通ってる」

「……それと梓が何の関係があるんだよ」

「関係ありまくりよ、兄さん」


 俺とよく似た、だけど自分とは違う意思のはっきりした瞳。

 

「だって、梓さんが通ってるんだから」

「だから……」


 脈絡もない答えに対し、どういう意味かと聞き返そうとして、

 はっとした。


「まさかとは思うが……」

「そのまさかよ、兄さん」


 頭を抱えた。

 

 つまり、高校受験の際、梓と同じ高校に通いたいがあまり、

 無理をしてでも、受験勉強に励み、


 結果梓と同じ高校に通うことに成功したのだ。


「…………」


 一途と言えば聞こえはいいが、はっきり言って、


「重くないか?」

「否定はしない」

「ついでに不純じゃないか?」

「それも否定しない」


 当時の自分に頭を抱えながら、割と悪し様に言い合いながら、

 妹は肩をすくめた。


「確かに兄さんは重いし、不純だし」

「…………」

「うじうじしてるし、よく悩むし」

「…………」

「好きな人に告白のこの字をできない甲斐性なしだけど……」

「おい、和葉……」


 言い出したのは俺だが、流石に傷つく。

 

「それでも」


 言いかけた言葉を遮って、和葉は言った。


「『どうでもいい』」

「え?」

「そんな口癖ばかり口にする兄さんより、何倍もいいと思うの」


 言い切って、和葉は俺にびしりと指を差した。


「!」

「だから、さっさと梓さんと仲直りしてよね、兄さん」


 言うだけ言ってすっきりしたのか。

 俺の答えなんか聞かずに、和葉はさっさとリビングから出て行った。

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