第34話 可能性
「先生、梓が助かる見込みはないんですか」
制服のズボンにしわが寄っていく。
無意識に握り締める拳をただじっと見下ろしていた。
「…………」
先生は何も言わない。それが肯定なのか、否定なのか。
俺には分からなかった。
分からないなりに、俺は言った。
「あれは俺の病気だったんです」
「…………」
「俺が死ぬならともかく、梓が死ぬ必要なんてないんです」
「…………」
「教えてください、先生」
まっすぐに見られない。それでも言わずにいられなかった。
「俺の病気、梓から取り除かせることはできますか?」
「……それは無理だ」
先生はゆっくりと頭を振った。
「確かにあれは君の病気で、そのせいで九条君の進行のスピードは遅い」
近しいとはいえ、完全に同じ価値観である筈もなく。
新しい宿主の価値観、交友関係を把握し、世界観を組み直す必要がある。
「だけど、一時的とはいえ、彼女は君の世界を共有した」
共有した世界に、彼女の価値観や記憶が重なる部分があれば、
睡眠過剰症候群がその部分を見つければ、
「おそらく、進行のスピードは速くなる」
そうなれば、九条梓の睡眠の頻度は日増しに酷くなっていく。
点滴も薬も、全て付け焼刃と化していく。
「あれはもう、君の病気じゃない」
先生はそう言った後、断言した。
「九条君の病気だ」
言い切られても、目の前が真っ暗になる気がしても、
それでも、俺は先生に言った。
「可能性はゼロですか」
「…………」
「ゼロでないなら、教えてください」
いつの間にか、俺は先生の顔を見ていた。
先生も俺を見返していて、黙ったままだった。
睨み合うような、息苦しい時間がどれだけ続いただろうか。
先に折れたのは、先生の方だった。
「方法は、あるにはある」
言いながらも、先生は難しい顔をしていた。
「だけど、極めて危険だ」
「…………」
「下手すれば、二人とも命を落としてしまう」
「構いません」
考えるより先に、俺は口に出していた。
「梓を助けられるなら、」
「君に聖女様が殺せるのかい?」
「…………え?」
冷や水をかけられたような感覚だった。
「なんで、聖女様が出てくるんですか」
「九条君を助けるためには聖女様を殺す必要があるからだ」
そもそも、何故、睡眠過剰症候群が死に至る病とされているのか?
魅力的な世界を患者に見せることも大きな要因の一つだ。
しかし、もっとも、大部分を占めているのは、
睡眠過剰症候群の『大元』を除去しきれないのが最大の問題だった。
病原菌の大半は、言ってしまえば、大元を守るための障壁とも言える。
有象無象を除いても除いても、『大元』を完全に除去できなければ、
『大元』が更なる病原菌を生み出し、増やし、患者の体を蝕んでいく。
逆に言えば、『大元』を除去してしまえば、
患者を蝕む病原菌を一気に死滅させることができてしまう。
だがそれもあくまで机上の空論である。
そうならないために、『大元』を奥深くに閉じ込め、世界を構築し、
患者が逃げられない『魅力』を見せていき、
同時に『大元』は患者にとって最も魅力的な存在の姿になっていく。
患者自身が万が一、病気を治したいと思えないようにするための、
そんな、存在。それが、
「聖女様だよ」
勇者として生きた世界で、最も大切にしていた存在。
それは『聖女』だった。
梓と瓜二つの姿をした『聖女』こそが、
如月勇人にとっての睡眠過剰症候群そのものだったのだ。
魔女となった梓は、多くの病原菌を殺す中、
最終目的は、自分の姿をした『聖女様』を壊すことにあった。
しかし、途中、勇人が重傷を負い、やむをえず睡眠過剰症候群を移植したのだ。
移植し、梓自身の病気になった今でも、『大元』の姿はそう簡単には変わらない。
だからこそ、元々の宿主が新しい宿主の脳とリンクし、『大元』を除去すれば、
「聖女様を殺せば、」
九条梓は助かる。
「君も二度と睡眠過剰症候群には陥らない」
医者として保証してくれた。
「だけど、君にできるのかい?」
先生は問うような眼差しを、俺に向けてきた。
「九条君を助けるために、君は、」
俺は、
「『聖女様』を殺すことができるのかい?」
――結局、勇人の『好き』は、誰のもの?
先生の問いは、
梓にそんなことを尋ねられる、直前だった。
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