15話「土蜘蛛」
今日の夕食はファミレスで食べることになった。
普通にできるくせに自炊を基本的に面倒くさがるロギはパスタ。人並みにはできる僕はハンバーグセット。ちなみにクロはサイドメニューの唐揚げ。
特に長く続くような会話もなく、食事を進めていた時だ。どかりとロギの隣に誰かが座ったのだ。僕達が座っていたのは4人席。店内が空いていたのでそこを案内されていた。つまりロギの隣に座るということは、僕たちの席に加わるということ。しかも誰の了承もなく、勝手に。
「やっと見つけた」と、勝手に座った男が言う。どうやらロギを探していたようだった。
「……誰?」
ロギは食事を一旦止めると隣に座る男をちらりと見た。その目つきがいつもより一層悪いことに僕は気づいた。夕食の邪魔をされて機嫌が悪いようだ。それもかなり。
「誰って……それはないだろ?同業者だよ。俺もあんたと同じ所属の」
男はそう言いながらメニューを開く。ここで食べるみたいだ。その時に僕のことをちらりと見たようだけど、すぐに視線を外された。僕に興味はないらしい。クロはおそらく最初から見えていないんだろう。
「いちいち顔なんて覚えてるわけないだろ。外で、仕事以外に会いたくもない」
「はん。優秀な同業者サマは言うことが違いますねぇ」
「……」
わざとロギを怒らせるような言い方で男は話を続ける。
「あんたがランクの高い仕事を片付けているせいで、俺達には簡単な仕事しか回ってこない。他の奴らは知らないが、俺は退屈なんだよ」
男の話を聞いて僕はなんとなく察してしまった。ロギと行動を一緒にするようになってから、こうした外だったり職場だったりでこういう出来事がたまにあるのだ。
「あんたの仕事、俺に寄越せ」
人の仕事を横取りすることが。
「簡単な仕事ばかりなのは、お前が恵まれているってことだろ」
「そりゃあ、簡単な役割を与えられて安定していることは有難いさ。でも簡単すぎてつまらないんだよ。ストレス発散にもならねえ。スリルも何も感じない。退屈なんだよ」
「……俺たちは仕事をしてるんだ。遊びじゃない」
ロギは完全に食事の手を止めてしまったようで、煙草をふかし始める。
「これから飯食うってのにふかしてんじゃねーよ」
「ここは喫煙席。嫌なら帰れ」
男が喫煙を咎めたが、ロギは気にした様子もなく構わず煙草をふかしていた。ロギは僕がいる前でも煙草を吸うが、食事の時は絶対に吸わない。これは彼への嫌がらせも兼ねているんだろう。男はそれに舌打ちを漏らすも店員を呼んで注文する。チキンステーキを頼んでいた。
「遊びじゃないのはわかってるよ。でもあれは、スリルを感じる楽しい仕事だ」
「……」
話が通じないとロギは察したのか溜息を吐いていた。
「その横取りをしていた奴が他にもいたわけだけど、そいつらがどうなったか知っているか?」
男はその言葉に豊かだった表情が抜け落ちる。でもそれは僅かな間で、またにやにやとした表情に戻る。「知っているよ」と告げるが、すぐに口を噤む。店員が注文した料理を運んできたからだ。店員が席から離れて少ししてから男は料理に手を付けつつまた話を再開する。
「知ってるよ。あっさりと死んだ馬鹿な奴らだ」
男はそう言う。
「俺はそうならない。上手くやってやる」
自信あり気に言って、最後の一切れの肉を食べて食事を終えると、ロギへと顔を向ける。
「仕事を俺に寄越せ」
改めて男は言う。ロギはというと一本目の煙草を吸い切って灰皿に押し付けると、間も置かずに二本目を口に咥えて火を点けていた。吸った息を煙と一緒に吐き出す。それは溜息を吐くようにも見えた。
「……好きにしたら?」
と、ロギは短く答えた。すると男は気を良くしたようで、席を立つと財布からお金を置いて店を出ていった。男が置いていったお金は僕たちが注文した分を含めても多い金額だった。
「奢ってくれるって」
ロギは男がいなくなった途端、まだ吸いかけだった煙草を灰皿に押し付けながら言う。
「止めないの?」
「……止めて、言う通りにしてくれるような奴らだったか?」
食事を再開したロギの表情は浮かない。
ロギから仕事を横取りする人はたくさんいた。さっきの男のようにスリルを求めたり、危険な仕事であれば相応の手当も出るらしく、金銭面を目的にしていたりと理由は様々だった。でも、横取りしていった人たちは皆怪物に殺された。いつもそこまで危険性の少ない怪物を相手にしていた人たちがいきなり強い怪物を相手にすれば、大抵勝てるはずがない。でも誰もそのことに気づかない。
非日常である職業で、普段であれば持つことのない武器を持つことになる。だから僕たちはどこか感覚がずれてしまっている。日常の感じ方が鈍ってしまっている。
あの男も同じだ。感覚が麻痺していて、非日常を当たり前のように楽しんで更に危険を求め始めている。
「……また、人が死ぬんだね」
「この仕事をゲームか何かと勘違いしている奴は邪魔。いない方がずっとマシ」
「……そうだね」
デザートでも食べようかと僕はメニューを開く。一番高いのを頼むことにした。
それから少し経って、ロギから仕事を横取りした男が死んだことを
これから話すのは今まで横取りされていた仕事を片付ける話。
よく知られる宗教ではなく、地域共同体に機能する
こんな風にややこしく、難しく説明しているが、そこまで複雑なものではない。ざっくりと言ってしまえば、仏教やキリスト教のような深くは知らなくとも名前自体は聞いたことがあるような宗教ではなく、特定の地方にのみに広がっている宗教だ。ホラー映画等でよくある閉鎖的な村でひっそりと行われる儀式。なんてものが想像つくようなものだ。
以前の記事に僕が住む町『
時坂町にはいくつかの民間信仰が存在する。
一つは学生の通学路に置かれている
そしてもう一つ。時坂町の山間部には小さな集落がある。そこに祀られている神。土着神といってもいいだろう。そこに居る神は魑魅魍魎の類に属するがその地域では守り神として今も信仰があるそうだ。
その神の正体は……。
――――――――――――(オカルトタイムズ記者、
ロギが運転する車の助手席に乗った僕は窓の外の景色がだんだんと山道へと変わっていくのをぼおっと眺めていた。僕の膝の上には当たり前のようにクロが座っていて、僕と同じように窓の外の景色を眺めていたけれど、飽きたのか途中で寝てしまった。
僕達が向かっているのはこの山道を抜けた先にある小さな集落らしい。僕はこの町の土地勘がないから君原の説明で初めて知った場所だった。
どうして僕たちがそこに向かっているかというと、今まで周りの猟犬に横取りされていた仕事をようやくロギに処理させようと
「空いてるね」
しばらく車が走っていてほとんど道路が混むことなく、山道の近くになってからはロギが運転する車以外の車をほとんど見ることがない。
「まあ帰省以外でここに来るような奴はほとんどいないだろうな」
「そんな場所なの?」
「いや、ホラーにありそうな閉鎖的というか、あの中で全部成り立ってるような場所じゃないよ。夏場は避暑地として有名だし。今はシーズンじゃないけど」
「ロギは行ったことあるの?」
「仕事で」
あまり話したくない話なのかロギはこれ以上話そうとしはなかった。
それから、もうしばらく走って車の揺れ方が変わったことに気づいて、窓の外を見てみると道路が土を押し固められたものへと変わっていくところが見えた。
「うわっ」
ある程度補装されてはいてもやっぱりデコボコしているようで、車は道路を走っていた時より大きく揺れる。
「んー?」
この揺れにクロもさすがに起きたようだ。
「今すごく揺れたぞ?」
「道が変わったからね」
「もうすぐ着くのか?道が変わるのはそういう前触れじゃ」
「僕はわからないけれど……ロギ?」
「……問題なければあと20分ぐらい」
「だって」
「ふむ……揺れて、寝づらいのう……」
思った以上に揺れる車体に文句を言い始めたクロに僕は苦笑した。もうしばらく走っていると、生い茂った木々の隙間から立ち並ぶ家が見え始めた。
「お忙しいところありがとうございます」
待ち合わせ場所だったのか、駐車場らしい場所に車を停めたら、すぐに近づいてくる人影が見えた。
車から降りたロギにそう話しかける男。僕も続けて車から降りると視線を向けて頭を下げた。それを見た途端僕も釣られて頭を下げる。僕の肩にクロが乗っているけれど、彼には見えていないようだ。
「まずは、起こっている状況から説明します」
男はそう言って、場所を変えるために歩き出した。ロギと僕はそれについて行く。
「この集落は、所謂土着信仰が根強く残っている土地です」
「土着信仰……」
クロみたいに何かを神様として崇めているのだろうか。ホラー映画なんかでよくありそうな展開だ。
「知ってる。だからって別に閉鎖的な場所じゃない。避暑地として観光客入れるぐらいには力入れてるし、土着信仰に則った祭りも別に変なものじゃないしな」
運転中もロギは似たようなことは言っていた。別に怪しい場所ではないらしい。
「はい。ですから怪物が現れるような状況なんてなかったはずなんです」
男は一軒の家の前で立ち止まる。どうやらここが目的地のようだ。
「詳細については中で話しましょう。どうにも、今回の件で住民たちも気が気でないようですから」
居間に通された僕とロギに男はお茶を出してくれた。
「むう……」
どうやら彼にはクロの姿が見えていないらしい。クロは自分の分が無いことに少し不満気だ。あとで持ってきたお菓子でも渡しておこう。
「改めまして、番犬を担当しています。佐山と申します」
テーブルを挟んで向かい側に座った男、佐山は改めて頭を下げた。彼はこの集落周辺で情報収集をしては報告をしているらしい。
「事の発端はだいたい半年ほど前です」
佐山の話によると、この集落では土着信仰という独特な文化がありながらも、怪物が出現するような話は一切なかった。それが半年ぐらい前から状況が一変する。住民が山中で奇妙な影を昼夜問わず目撃する話がちらほらと出てきたことから始まった。当初は、熊や猪じゃないかと大した話題にも上がらない……というよりは熊や猪が出たとするなら住民、特に子供に危害が及ぶと考え、念のため調べようと住民が数人調べるために山中に入ったという。
その妙な影が怪異だと判明したのはその時だったと佐山は語る。
この集落と交流のあった佐山も、念のため山中の調査に参加したのだという。そこで見つけたのは熊でも猪でもなく、それよりも大きな怪物だった。
幸いにもそれを見つけたのは佐山と集落を取り仕切る村長だけであり、調査をしていた他の数人をすぐに山から引き上げさせ被害は免れたという。
「村長曰く、その怪物の姿はこの集落で信仰しているご神体にそっくりだそうです」
「つまり、その神様が暴れてるってことですか?」
「さあ。そこまでは断言できませんね。私も一応この集落の信仰について知識としては持ってはいますが、村長のように詳しく知っているわけではありませんし。あれがこの集落で信仰している神の皮を被ったただの“怪物”である可能性だって捨てきれません」
「……被害は?」
今まで話を聞いて黙っていたロギがようやく口を開いた。
「現状、集落の住民には目撃があった程度で襲われるとかそういった話はありません。ですが……」
佐山はそこで一度口を閉じた。そこから先は僕でもわかる。
「ここへ派遣された猟犬、全員が討伐を行おうとして、殉職されました」
重々しく語られたことに僕は目を伏せた。別にこれが珍しい話ではない。だけどこれは、この一件だけは話が違う。ここで怪物に殺された猟犬たちのほとんどが、ロギから仕事を勝手に奪っていった人たちだ。
君原からもその話は聞いていた。君原の報告を聞いていたロギは大した反応も見せることなく、むしろ「自分の力量もわからない自業自得な馬鹿」と言っていた。このことに関しては君原も否定することなく頷いていたから、考えていることは一緒らしい。
ロギはその報告に表情も変えることなく、頬杖を突いていた。
「それで、ここの住民にはなんて言ったんだ?」
「当面、安全が確認されるまではあの山には入らないようにと、村長が集落全体に周知していました。それで今のところ落ち着いてはいます」
ロギはその話を聞いてからさっきまで手を付けていなかったお茶を飲み始めた。
「俺らはこれからその山に向かう。案内頼めるか?」
「はい。昼夜問わず現れるそうですが、そう運よく“あれ”と遭遇するかまではわかりませんが……」
少し休んでから行きましょうか。と、佐山は僕に茶菓子を勧めてきた。ちなみにカステラだった。
佐山の案内で僕とロギは件の山中へと来ていた。
「土地神を祀る
佐山が簡単に社の場所を説明すると、ロギは先に歩き始め、僕たちはその後ろをついて行くことになった。人の出入りが頻繁にあるようで、土を押し固めて作られた簡易的に舗装された道があった。簡易的な道だけれど、思ったよりは歩きやすい。クロもついてくるようで、僕が来ているトレーナーのフードに入っている。
「この道を歩いていて、皆は変な影を見たんですか?」
山道を歩きながら、僕は佐山に話しかける。
「それもありますが、住民たちはこの辺りの山菜やキノコなどの採取もしていますから道から外れて、それで見かけることの方が多かったと思います」
彼の話では、今歩いている道の先に土地神を祀る社がある。怪しい影を目撃したのはその社の周辺で、社に近づくにつれて目撃する頻度が多くなっていたらしい。実際、熊か猪かと様子を見に行き、怪異を目撃することになった村長と佐山は山道から外れてはいたが、位置的にはその社に近い場所であったという。
「ただ、この山に入る前にも言いましたが、必ず“あれ”と会えるかはわかりません。目撃するようになったとはいえ、偶然遭遇しなかっただけかもしれませんが、毎日目撃するわけではなかったですから」
「そうなんですね……」
それは運が良かったのだろう。不幸にも目撃した村長も佐山の話ではみんなの前では気丈に振る舞っていたものの、その後は憔悴して寝込んでいたという。
「佐山さんは大丈夫なんですか?」
「私ですか?」
「村長さんはその影を見てショックを受けました。僕達は怪物を殺す立場でさえ、定期的なカウンセリングを受ける必要があります」
怪物と直接的に関わることになる猟犬と番犬。それらの役割に就く僕たちは定期的なカウンセリングを受ける必要がある。ロギは知らないけれど、僕は一月に二回受けているし、不幸にも関わることになってしまった青葉は月に一回、“
それで精神的なショックを回復することが可能なのかは知らないが、そうでもしないと身も心も保たない。
「私はまだ大丈夫ですよ」
彼は苦笑しながら答えてくれた。それから前を向く。
「それより、もうすぐで社に到着します。念のため注意してください」
彼と話している間に山道の奥へと進んでいたらしい。僕とロギに向けて佐山は言う。ロギは特に返事を返すことは無かったけれど、話は聞いていたようでロングカーディガンの裏に隠しているククリナイフに静かに手を伸ばしていた。
「あ……」
社らしい小さな建物が遠くに見えてきた。木で建てられた社はクロが居た社より一回り大きい。それに人が余裕で潜れる程の鳥居も建てられていた。
「随分と立派なものじゃのう……」
それまで黙っていたクロも社を見たかったのか僕の頭の上に移動していた。
「シンギ」
ロギが社から少し離れた場所で立ち止まっていた。
「佐山と下がれ」
「ロギ?」
何かあったのかと聞き返そうとしたが、彼はそれを手で制した。
それから奥の方からガサガサと大きな音が聞こえ始めていることに気づいた。
「佐山」
「はい」
荒々しい音が近づく方向へと顔を向けたままロギは佐山を呼んだ。
「この集落で祀ってる神は?」
それは根本的な質問だった。
説明を聞くだけで、怪物らしい正体を突き止めるだけで、僕たちは信仰対象であるそれが何なのかを確認していなかった。
だけど僕はこの
ガサガサと草木を分けて歩くような音の中から関節が軋むような音が聞こえ始めたのだ。それからその音のペースは二本脚じゃない。
だけどそれを否定したくて、僕は佐山の答えを待った。
「この集落で信仰している土地神は……」
佐山が答えるより早いか、それと同時か、それは僕たちの目の前へと現れた。
それは、多少見慣れたものが異常なまでに大きくなった姿。
「土蜘蛛です」
あまりにも大きな蜘蛛を見て、佐山の答えを聞いた僕は、この時ばかりは気絶していたかったと心から思った。
“土蜘蛛”
それがこの集落で祀られている土地神だという。
“土蜘蛛”は元々は妖怪。さらに遡れば、それは朝廷や天皇に対して従う姿勢を見せない者たちの集まりを示す言葉として用いられていたそうだ。
この集落での信仰も元を辿れば“土蜘蛛”という一団がこの集落に隠れ住んでいたことの名残であり、それを周囲に悟られないため、妖怪の土蜘蛛が棲む地域と偽っていた。それが右往左往して“土蜘蛛”という土地神を信仰している地域に発展したらしい。
それが佐山の説明でわかったことだった。
その事実をしっかりと把握しているのは、代々歴史を継承している村長ぐらいで、それ以外の住民は“土蜘蛛”という妖怪を土地神として信仰していると思っているのだろうと佐山は語る。
といっても、これはあの山から逃げ帰ってから聞いた話だ。そう逃げ帰ったのだ。
回想の話になってしまうのは申し訳ないが、何せロギが一時撤退を佐山に言って実行に移した。その間に僕は何をしていたのか?正直に言うと何もしていない。だって相手が蜘蛛だったから。
「シンギ!意識を飛ばしている場合ではないぞ!」
クロが僕の耳元で大声を上げてくれたおかげで僕は気絶することを免れ、力が抜けかけていた足に力を入れ直して膝が居れるのを踏ん張って耐え、トレーナーのポケットに忍ばせていた拳銃を抜いた。癖でできた行動だったが、正直言うと気絶したかった。
佐山から信仰対象が“土蜘蛛”と言い、何かの聞き間違いかと問い直そうとする前にその姿を目の当たりにしたのだ。
蜘蛛と呼ぶにはそれはあまりにも大きすぎる。車ぐらいの大きさは余裕であるような巨体だ。
「“土蜘蛛”……」
「はい。あれが村長と私とで確認した影の正体です!」
ロギがククリナイフを抜く。
「これは無理だろ」
そんな呟きが聞こえた後、先に動いたのは“土蜘蛛”だ。鋭利な足がロギを捉えて刺そうとしていた。彼はそれを難なく避け、その足は地面へと突き刺さった。ロギはすぐに一時的に動かなくなった足の関節を狙ってククリナイフを振り上げた。
「――――――!」
音もなく足が切断されると“土蜘蛛”は痛みからなのか、悲鳴のような叫び声をあげた。それがあまりにも耳障りな音に僕は思わず両耳を塞いだ。
「なんという声じゃ!」
クロも同じことを思っていたようだ。隣を見れば佐山も険しい表情を浮かべていた。
「佐山さん、とりあえずもう少し下がりましょう」
これ以上はロギの邪魔になると思い、僕と佐山はゆっくりと後ろへと下がる。その間にもロギへと攻撃を仕掛ける“土蜘蛛”へ視線を向けていたが、こちらへは視線を向けるような素振りはない。もしかしたら眼中にないのかもしれない。
尚も足を使い、ロギを串刺しにでもするつもりなのか攻撃を止めない。ロギはその攻撃に対し反撃できないのか、その足を避けるか、ククリナイフで逸らすかばかりしていた。
「僕も加勢したほうが……」
拳銃のセーフティを外してスライドを引く。初弾がしっかりと装填されているのを確認してから両手で構えた。さすがにサプレッサーを取り付ける余裕まではないから仕方ないがこのまま撃つしかない。
“土蜘蛛”は攻撃のために動いているが幸いにも体は大きいし、大して距離も離れていないから体の何処かには致命傷には至らなくても当たるはず。それで隙ができればロギが止めを刺すだろう。
「シンギやめるのじゃ!」
拳銃の引き金に指を掛けたところで、それを止めたのはクロだった。
「え?どうして……?」
「あれは“よくないもの”ではない!本当の“神”そのものじゃ!」
あれが、神様?
集落の言い伝えが具現化した“紛い
無意識に僕は銃を降ろしていた。
「真宮さん?」
佐山にも心配そうに声をかけられた。だけれど、僕にはもう“あれ”に銃口を向けていいのかわからなくなっていた。
それから硬いもの同士が激しくぶつかり合う音がして僕は弾かれるように俯いていた顔を上げた。ロギが“土蜘蛛”の攻撃をククリナイフで防いだようで、その勢いで僕達の目の前まで下がってきた。
「ロギ!」
「問題ないから騒ぐな」
どうやら怪我はしていないらしく、すぐに体勢を立て直した。かと思えば、ククリナイフを背中に背負っているケースへと納めたのだ。
「撤収」
「……は?」
ロギがまるでやる気を失くしたかのようにそう言うと、踵を返して山道を戻り始める。その間、“土蜘蛛”僕たちを襲うような行動はなく、ただ僕達を見ているだけだった。
僕と佐山はロギの後ろ姿を呆然を見ていたが、慌ててその後を追う。“土蜘蛛”が追ってくる気配もなかった。
「待って!撤収って……それってどういうこと?」
「そのまんまの意味だよ。あの“蜘蛛”は殺せない」
「それはあの“土蜘蛛”が強いからですか?」
「違う。純粋に強さだけなら殺すだけだったんだが……状況が変わった」
彼は佐山の言葉を否定しつつ、一度立ち止まり、社がある方角を振り向く。僕も釣られてその方角を見ると“土蜘蛛”の姿はなかった。また山中を徘徊しているのだろうか。“土蜘蛛”の姿が無いことを確認したロギはまた歩き出す。
「他の住民に危害を加えず、逆に俺達猟犬が殺しに行こうとして返り討ちに遭った。あいつから何かを仕掛けているわけじゃないってことだけは確かだ。俺が殺す意思がないって行動で見せた時点で、あれも攻撃止めたし」
「それでは、これからどうされるんです?」
「……あれが、もし“怪物”じゃなく、本当の土地神としての信仰対象である“神様”なんだとしたら、姿まで現して動き回る理由を探さないといけないな」
深いため息を吐いてロギは山道を下った。
佐山が最初に案内してくれた家まで戻って、信仰対象である“土蜘蛛”を説明した後、村長に現状の報告をするからと、彼は出ていった。
居間に残った僕とロギは佐山を見送って、それから僕はテーブルで茶菓子を頬張るクロへと視線を移す。
「クロ。あれが神様って本当?」
「嘘ではない。あれは正真正銘の神じゃ。と言っても系統はわしと似たようなものじゃがの」
「妖怪を神として扱うってやつだっけ?」
送り狼であるクロを帰り道を見守ってくれる神として通学路に社を作って祀るように、土蜘蛛という妖怪をこの土地は祀っている。
「そうじゃ。あの“土蜘蛛”を神として扱うなど、珍しい話ではあるが、蜘蛛を神として扱う話はいくらでもあるからの、不思議な話ではないの」
口の周りにカステラの屑が付いていても気にした様子を見せずにクロは語る。
「信奉もわしよりあるからあの偉大なお姿じゃった。それはここの住民に存在を認知されているからじゃ」
「でも、今まで姿を見せなかったのに、今になって姿を見せる理由って何なの?」
「ふむ……」
僕の問いにクロは考える素振りを見せる。
「神は、人間へ自ら姿を見せることは少ない。わざわざ姿を見せるのは警告や何かを伝えたいことがあるからじゃ」
「伝えたいこと?」
「危険を伝えるとかいろいろとな。じゃが、あの“土蜘蛛”はそれには当て嵌まらん」
クロはようやくティッシュで口を拭き始め、それから言葉を続けた。
「意味なく姿を現すことはまずない。あれが何かを伝えるために現れたのではないとすれば、他に理由はちゃんとあるはずじゃ」
「……理由はこれから探るとして、クロは“土蜘蛛”がどんな様子だったかはわかる?」
「そうじゃな、強いて言うのであれば、あれは相当なお怒りじゃ」
「怒ってる?」
僕が聞き返したところで、クロは立ち上がる。それからテーブルを挟んで向かい側でいつの間にか横になって休んでいたロギの腹部へと飛び降りた。
「おい小童!わしをもう一度あの社へと連れてい……むぎゃ!」
ロギの腹へと着地する前に彼に片手で捕まえられた。その時に空気が抜けるような悲鳴を上げていたが。
「何をするんじゃ!」
「うるさい。わざわざこっちに来なくても聞こえてた」
「途中で寝るようなことをしているからじゃ!とにかく!わしをもう一度連れていけ!」
「騒ぐなっての……どうせもう一回行く予定だったんだから」
寝るのを諦めたのかロギは体を起こすと、クロを僕の方へと投げて寄越した。慌てて受け止めるとクロはなおもロギに文句を言っていた。
「クロ、大丈夫?」
「うむ!体は問題ないぞ!」
掌の上で元気に答えるクロに僕は苦笑した。
「もう一度、あの社に行くの?」
「そう。結局は“あれ”が出てきた原因を調べないといけないわけだし、それが分からない以上は手出しも安易にできない」
「“土蜘蛛”を殺して、それで終わりにはならない」
「というよりは、殺せないが正しい」
「神様だから?」
「そう。神様を殺せるのは英雄だけだから」
「?」
ロギの言いたいことがよくわからず僕は首を傾げていたが、彼は詳しく語ることは無く、テーブルへと突っ伏す。どうやら寝直すらしい。
「クロ」
「なんじゃ?」
「“土蜘蛛”はどうして怒ったんだと思う?」
「それは、わしにもわからんよ。神が怒る理由など、ほんの些細な事であったりもするからな」
テーブルへと降りたクロは僕を見上げる。
「神は案外短気じゃからの」
「……クロみたいに?」
「それはわしを馬鹿にするからじゃ!」
クロの言う通り神様は短気らしい。
その日の夕方、僕とロギでもう一度あの社へ行くことにした。佐山は一旦家に残り、もし集落に異変が起きたらすぐ知らせに来てくれるように準備をしてもらっている。
「クロ、あの社に行ったら今回の原因とか……何かがわかるの?」
山道を歩きながら、自分の肩に乗っているクロに僕は話しかける。
「あくまで可能性の話じゃ。佐山と言ったかの?あやつの話じゃ、この集落では信仰はそれなりにあったらしい。社は小さいが手入れはされていたし、あのお姿を見れば、わしよりずっと信仰心はあるようじゃった」
「……」
少し前に初めて見た“土蜘蛛”の容姿を思い出す。神様なんてそうそう見れるものじゃないらしいから、比較対象なんてクロぐらいだけれど、その姿だけを言えば比べ物にならないくらいに大きかった。
「それを考えれば、信仰を失ったからという理由で怒り狂っているとはならんだろうな」
「信仰を失う……」
「信仰を失い、忘れ去られた神ほど、怒り狂うと恐ろしいものじゃ」
「……もし、信仰を失っての暴走だったら?」
「集落なんぞ当の昔に消えておるじゃろうな」
なんてことないように言うクロに僕は背筋が冷えた気がした。
「しかしまあ、今回はそれ以外の理由じゃ。そこまで気負う必要はない」
一回目よりも早く社へと到着する。そこには待ち構えていたのか“土蜘蛛”の姿があった。
「……っ」
思わず身構えてしまったが、クロに「大丈夫じゃ」と声をかけられ、どうにか肩の力を抜く。ロギも特に身構える様子はないようだった。
「まずは、わしが対話してみよう。話は通じるはずじゃ」
クロが僕の肩から飛び降りて“土蜘蛛”へと駆け寄る。その間も“土蜘蛛”は僕たちを見ているだけで、動く様子はない。
「
「――――」
クロの呼びかけに“土蜘蛛”も何か答えてるようだった。それから社から静かに距離を取るように後ろへと下がる。
「うむ」
「クロ?」
「大丈夫じゃ。シンギ達のことは怒っておらんようじゃ」
「姿を見せた理由については?」
「社に理由があるらしい。わしらが見ても問題ない」
その言葉を聞くとロギは躊躇いなく社へと近づく。僕もそれに続いて、その途中でクロを持ち上げる。
ロギが閉じられていた社の扉を開ける。
「……ない」
「え?」
「祀られているものがない」
僕も社の中を覗く。そこには神仏の装飾らしいものはあるが、ロギの言う祀られているものが見当たらないらしい。僕にはわからず首を傾げていたが、ロギはすぐにそれを指し示してくれた。社の中にある紫色のクッションに何も置かれていないのだという。
「本来、社の中に信仰対象の神の御神体が納められてる。持ち出しなんて、それなりの理由でもないとあり得ない。となると……」
「誰かが、勝手に持って行った?」
それはさすがに僕でもわかった。この社に祀られている物が誰かに盗まれた。確かにそれは神様だって怒るはずだ。
「誰が持って行ったのかわかるの?」
「……いろんな人のにおいが混じって特定できない」
社の扉を閉めるロギは情報が取れないと溜息を吐きながら首を横に振る。
「“土蜘蛛”は、持って行った奴が誰かはわかんないのか?」
僕の掌に収まっているクロはロギの視線に気づいてから“土蜘蛛”を見る。だけれど、クロはすぐに首を横に振った。
「神に人間の区別などつかんよ。区別をつける必要がないからの。辛うじてわかるのは、子供ということじゃな」
「子供……」
これ以上語ることもないのか“土蜘蛛”はどこかへと去ってしまう。僕とロギはそれを静かに見つめていたが、少しの間の後、ロギは踵を返して山を下りる。僕はまたクロを拾い上げて彼を追いかける。
「ロギ……何かわかったの?」
「いや、あの“土蜘蛛”が『子供が持って行った』と言ったんだろう?それなら特定はできなくても探す範囲は限られてくる。あとはこの集落に子供がどれだけいるか、佐山に確認して、そこから特定する」
そう言いながら、ロギはジーパンのポケットからスマートフォンを取り出して、簡単に操作をすると耳へと当てる。
「佐山、今この集落にいる子供全員の情報を寄こせ」
ロギの言葉に佐山は何か言っている。電話越しで僕の耳で辛うじて拾えたのは、うろたえた様子で何かを言い返して、少しの間の後に了承の言葉が聞こえた。
「子供を調べて、誰が御神体を持って行ったかわかるの?」
「……」
「ロギ?」
佐山との電話を終えたらしいロギは僕を睨む。別に僕は狼狽えたりはしない。いつものことだ。
「子供……相手にすんの嫌なんだよね」
「子供嫌い?」
「大っ嫌い」
躊躇いなく答えるロギに僕は思わず笑ってしまう。でも彼は「それに」と言葉を続ける。
「今回は殺して終わりとかじゃない。というよりは殺せない」
土地神である“土蜘蛛”も今回の原因となっただろう子供もロギは殺すことができない。殺して解決する話ではないのだ。
「子供は、殺したくない?」
「……」
ロギはそれから僕の問いに答えることはなかった。
佐山の話だと、この集落には子供はいる。数える程度ではあるが。小学生に通える年齢になれば、小中高一貫のグレモリー学園に入学するため、その間は引っ越すらしい。
「今、この集落に残っている子供たちにも外出は控えるように言い聞かせてはいますが、その言いつけを守っているかどうかは……」
家に戻った僕たちは佐山から集落の話を聞く。この集落での子供たちの事情を聞き、ここに残っている子供たちの話をしたところで、彼は言葉を濁した。
大人はともかく、事情をよく把握できないだろう子供たちは大人の話しをうまく理解できず、行動の制限をされることになる。当然、その言いつけを守る子は少ないだろう。
「――――仮に……仮に、その子供が遊びに行くとしたら?」
話を聞いていたロギは佐山を静かに見据えている。
「……託児所のような場所があります。そこには多少は遊具もありますから」
ロギは自分のスマートフォンで時間を確認する。山を下る頃にはもう日も落ちていた。
「とりあえず、明日か」
少なくとも、日が落ちれば子供は自ずと帰るだろうし、親が引き取りに来るだろう。佐山は「今日はここで休んでください」と、客間に布団を持ってきてくれた。
次の日の昼頃、佐山から子供たちが集まる託児所の場所を教えてもらい、ロギと僕はそこへ向かうことになった。クロは寝てて起きなかったから、仕方なく佐山の家に置いてきた。
向かった先にあったのは木造の建物とそれを囲う、少し錆びつつある緑色のフェンス。庭らしい敷地には公園にあるような、滑り台やブランコなんかの遊具が設置されていた。そこで遊ぶ数人の男女の子供たちの姿。
「この中に、御神体を盗んだ子がいるの?」
「その盗んだ奴が他所から来た子供だったらもうお手上げなんだが……」
子供達を眺めながら、ロギはマスクを外した。すんすんと鼻を鳴らす。
「あー……」
何かに気づいたようで彼はすぐにマスクを基の位置に戻した。
「何かわかった?」
「御神体を盗んだ奴がここにいる」
かしゃんと何かが落ちる音がした。僕は反射的に音がした方向へと目を向ける。そこには自分の玩具を落としたらしい男の子が僕たちを凝視していた。僕たちの話を聞いていたのだろうか。
「ロギ……」
「あいつが犯人か……それともそれに関わりのある奴かだな」
「とりあえず、話聞くところからだね」
今にも逃げだしそうな子に、僕は一先ず歩み寄る。
「こんにちは」
庭の中に入り、男の子が落としたままだった玩具を拾う。同じ視線になるように屈んで軽く挨拶をする。男の子は困惑した様子で僕を見ていたが、差し出された玩具に視線を移してしばらくの間を置いて、それを奪うように僕の手から取った。
「お話、聞かせてほしい」
「僕のせいじゃない」
聞かせてほしいんだけど。と言いかけたところで男の子はその言葉を挟んで、否定した。「僕のせいじゃない」と彼は言う。それは何に対しての言葉なのか。
「あの
「……」
「それとも誰かがそこに行ったか知ってる?」
「……」
僕の問いに男の子は答えない。黙って俯いて口を開こうとしない。無理矢理話を聞くこともできず、僕は困ってロギへと振り返る。ロギは面倒くさそうに溜息を吐いていたけれど、庭の中に入って男の子の前でしゃがむ。
「お前が何を知っているのか、俺たちは知らない。それがやってはいけない事だっていうことは、お前はなんとなく分かっているんじゃないのか?」
「……」
「別にお前が悪いことをしていたとしても、それをお母さんやお父さんに言うことはしないよ」
彼にしてはずいぶんと声色の優しいそれ。まるで慣れているような、そんな言い方。だけれど、そんな言葉に男の子は反応して、俯いていた頭を上げた。
「……じいちゃんにも?」
自分のやったことに怒られると思ったから話すことを拒んでいたのだろう。そして何より、怒ったら怖いのは祖父らしい。おずおずと男の子は口を開く。
「ふふふ……」
僕は思わず笑ってしまった。口元を隠して、なるべく声を抑えたこともあって、少なくとも、男の子には気づかれなかった。些細なことかもしれないが、この子からしてみれば重要なことなんだろう。
「……言わないよ」
ずいぶんと呆れたような表情をロギは浮かべていたけれど、保護者には公言しないと約束をしていた。そうした途端、男の子は安堵したのか暗い表情はずいぶんと消えていた。それから男の子、ユウキと名乗った。
結論から言うと、社で“土蜘蛛”の御神体を盗んだのはユウキだった。どうしてこんなことをしたのか問うと、彼は所謂度胸試しを行ったらしい。この託児所に通う友人に怖がりなことをからかわれていた。それを脱却したければ山の社に行き、社の中の何かを持ってくるように言われたのだとか。それから迷子にならないよう、友人との3人で社まで向かい、2人に見守られながら社の中から御神体を持ち出した。これまでが一連の流れだった。
「その盗んだ物はどこにある?」
「あっち」
ユウキは駆け出す。僕は慌ててそれに続く。託児所の建物の裏。廃材やパイプ椅子と普段使わない物が纏められた場所らしい。その角、廃材で死角になった場所でユウキは立ち止まる。その場でしゃがんで手を伸ばす。そこから引っ張り出したのは、随分と青錆びた……。
「
それは歴史の教科書に載っているような、小振りの矛だった。
「これが入ってた?」
「うん」
ユウキから受け取ったそれは自分の両手に収まるサイズだけれど、見た目より少し重い。これが“土蜘蛛”の御神体か。
「とりあえず、これは社に返すよ」
「うん」
反対されることなくすんなりと受け入れてくれた。持っていてはいけない物だとなんとなくわかっていたのだろうか。
「そういえば、これを持ってこいって言ってきた友達は?」
「……あそこ」
彼が指差した方向を見た。そこにはロギに軽々と押さえられた子供が二人。
「みっくんとあきくん」
どうやらあの二人がユウキをからかった子供らしい。何やら一悶着しているらしい3人へと近づくと、子供が一人、こちらに気づいたようで。
「なんで勝手に持っていこうとすんだよ!」
「ブーメランって言葉知ってる?」
思わず即座に言い返してしまうと、ロギが笑った。
「ロギ、この子達どうしたの?」
「お前が御神体回収しに行ったのに気づいて慌てて追いかけようとしてたのを取り押さえた」
「ああ……」
「御神体は?」
ロギに問われて「これ」とユウキから渡された矛を見せる。彼は子供を離し、矛を手に取る。
「これはまた……」
思うところがあるのかロギは眉間に皺を寄せている。
「返せ!」
どうやらまだ諦めていないようで子供二人は矛を持つロギへと手を伸ばしている。
「返せって……もともとこれはお前らの物じゃないだろうが」
「うるさいな。いいから返せよ!」
「話通じないね、ユウキくんの方がずっといい子」
ロギは子供二人を見据える。
「友達に盗らせた上に、それを自分のものだって思い込んでる時点で、子供でも許されないよ」
盗んだものは返さないとね?その意味ぐらいわかるでしょ?親にチクられたいの?と子供相手に容赦のない言葉に子供2人は口を閉じ、今にも泣きだしそうだった。
「泣いて許されると思ってる?これは、神様の物なんだよ。人の物を盗んだら当然ダメだし、それが神様のものだったなら……怒られるで済むといいね?」
ロギはもう興味がなくなったのか僕たちに背を向けてしまう。そのまま社に向かうのだろう。僕もその後を追う。そこに足音がもう一人。てっきりさっきの子供が懲りずに取返しに来るのかと思って振り向いたら、ユウキが僕達を小走りで追いかけていた。
「ユウキくん?どうかした?」
「僕も行く」
「うん?」
予想もしなかった申し出に僕は思わず聞き返し、ロギも足を止めていた。
「僕、あやまるよ」
「……そっか」
僕は彼の言い分に納得する。ロギがそれを許すのかは別として。
「ロギ、どうする?」
「知らない」
「……ユウキ君は僕から離れないようにね」
「うん」
僕はユウキの手を引いて、社に向かうロギの後ろを追う。社へと向かう山道は随分と見慣れてきていた。
数分もすれば社に付いた。
「ひっ……」
引き攣った悲鳴を上げたのはユウキだった。確かに目の前で大きな蜘蛛が佇んでいれば誰だって怯えるだろう。
「ユウキ君」
僕にしがみついて隠れるユウキに話しかける。
「あれが“神様”だよ」
「……」
仮にも土地神をあれ呼ばわりしてしまったものの、“土蜘蛛”の正体を話してみれば、ユウキはおずおずとそこを覗き込む。
「えっと……」
ロギが矛を社に戻している間に、ユウキは僕から離れてゆっくりとではあるけれど、“土蜘蛛”へと歩み寄っていた。少し距離を置いて、ユウキと“土蜘蛛”は対峙する。
「……ご、ごめんなさいっ」
“土蜘蛛”に向かって子供ができる精一杯の誠意を見せたのだった。
「随分とあっさりだったよ」
帰り道。ロギが運転する車の中で、事の顛末をクロに話していた。
「ふむふむ。なるほど……」
話を聞いていたクロは頷く。
「『ごめんなさい』の一言で済むものなの?」
僕の疑問はそれに尽きる。神様が案外短気だとするなら、謝ったぐらいで許してくれるんだろうか?と。
「そんなものその時による。というのが正しいかの」
その疑問の答えをクロは教えてくれた。
「誠意として小童は精一杯のことをした。というより、自分が悪いことをして、そのことをしっかり謝ったのだから、神もそれは許すのが筋じゃ。それでも許さないのはそれはもはや神ではない。災いの類に落ちぶれたものじゃ」
「誠意……」
「子供は謝る以外に誠意を見せる方法等知らん。むしろ、自分は悪くないと逃げてもおかしくなかった。だから、こうして謝っただけでも十分なことじゃよ」
僕の膝の上で寛ぐクロはからからと笑う。
「それより、しばらくはあの小童に注意した方がよいじゃろうな」
「どうして?」
「“土蜘蛛”の加護が付いておる。あの誠意と勇気を見せつけたのじゃから、気に入らんわけがない」
クロの何でもないような言い方。いつもの会話をしているはずなのに、背筋に冷たいものが通るような感覚に襲われる。運転席に座るロギが運転したままスマートフォンを操作して耳に当てているのが視界の端に映った。
「数年もしないうちに“神隠し”に遭うかもしれぬな」
ロギが隣で佐山に何か指示を出しているのが聞こえる。耳が良いはずなのに、会話が何も入ってこない。
犬の様に鋭い牙を見せて笑うクロに僕は視線を外すことができずにいる。見慣れたもののはずなのに、それがどうしてか怖く思えてしまうのはどうしてか、僕にはもうわからない。
辛うじて僕にできることは、“土蜘蛛”に魅入られてしまったらしいあの子が無事でいることを願うばかりだった。
「“神隠し”に遭うこと。神の懐に入れてもらえること、光栄に思わないとな」
神様は短気なのではなく、自分勝手なのだと。僕は知りたくなかった。
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