第10話 “不幸の手紙”
よくないものが集まりつつある。
僕の元に訪れた怪物はその始まりだった。
僕は
「あれ?」
今日もいつも通り登校し、昇降口で上靴に履き替えようと自分のロッカーを開けた時だった。中に見覚えのないものが入っていた。
封が閉じられた白い封筒が入っていた。
「何これ……?」
とりあえず手に取ってみると、「真宮深偽様」と僕の名前が宛名として書いてあった。でも差出人の名前は書いていない。
「しーんぎ!」
「青葉おはよう。朝練終わったの?」
「おはよっ。朝練終わったばっかりだ。……なんだそれ?」
僕がロッカーから取り出した封筒を見れば彼は首を傾げる。それからすぐにはっと何かに気づいたように目を見開く。
「ラブレターか!?」
「青葉うるさい」
思春期の高校生か。とツッコミを入れようとしたところで自分も青葉も高校生だと気づいてやめた。
「でも誰からかは書いてないし……」
「そりゃあ中に書いてんだろ。間違って他の人に見られたら恥ずかしいとかで」
遠回しに早く中身を見ろと言っている気がする。最近の青葉はわかりやすくてなんとなく楽しい。
「とりあえず教室入ってからね」
「おう。早く行こうぜ」
青葉が上靴に履き替える僕を急かすように背中を押してきて、若干うっとおしい。とりあえず教室に移動して、席に着けばようやく封筒の封を切った。中に入っていたのは一枚の用紙。封筒のサイズに合うように二つに折り畳まれていた。
それを取り出して中を見るために開く。
「……」
「……」
中身を見た途端、ラブレターだと意気込んで楽しそうにしていた青葉がすぐに表情を失った。たぶん僕も真顔だ。
『この手紙を三日以内に貴方以外の誰かに送ってください。
そうしなければ、三日後に貴方が最も恐れる怪物が殺しに訪れるでしょう』
なんだこれ?
よくわからない手紙を眺めて数秒。僕は一旦その手紙を封筒に入っていた時のように折り畳む。
「これ、何だと思う?」
「よくわかんない」
僕の問いに青葉はすぐに答えた。僕も青葉も真顔である。
「ラブレターじゃないことはすぐにわかったけど……もしかして、これがよくないものってやつなのかも……?」
「まあ只事じゃないよね」
たった二行。悪ふざけのようにも思えるけれど、“怪物”と一言がその一文に入っていることが僕達がそれをただの悪ふざけだと断言できない原因だった。
「……なあシンギ」
「何?」
「これさ、
「うん。僕もそう思う」
というかそうしないとダメだこれは。僕じゃ手に負えない。
担任が教室に入ってきたため、この話は昼休みに持ち越そうと青葉と決めて、授業を受けることになった。
「チェーンメール」という言葉は最近は聞かないだろうか。
要は何かの宣伝等が書かれたメールが知らないアドレスから送られてくるのだが、その最後に「このメールを〇人の人に送ってください」と書かれているのが特徴であり、「送るのを止めると殺される」等の脅し文句や、「~のために」等の積極的な流布が社会に貢献するかのような文句が付けれれていることもある。
これは電子メールの登場とともにチェーンメールは迷惑メールの一類として問題化することになった。
さて、このチェーンメールは意外と昔から存在する。もちろんメールではない。手紙でだ。
例を挙げるとするならば、西暦454年、中国がまだ
日本では大正時代の「幸福の手紙」が発祥とされ、「不幸の手紙」は昭和40年頃に大流行したらしい。
不幸の手紙とは「この手紙と同じ文章で、貴方の友人〇人以上に出さないと不幸になる」というものだ。
今時そういう話を聞くことは少ないが、何か事件が起こればそれに関連するチェーンメールが発生することは今でもよくある。
例えば殺人事件が実際にあったものや、架空のものでも問わずに「犯人を捜しているのでこのメールを他の人にも送ってほしい」といった内容のものや、大きな自然災害によるもので拡散される信憑性のない二次災害に注意せよとする書き込みなどだ。
こういうタイプのものはメールを送る側や、受け取ってしまった側ではなく、そのメールの内容に書かれてしまった人物や企業が被害を被ることが多い。
どちらにしろ、「幸福の手紙」も「不幸の手紙」も迷惑であることには変わりない。
さて、長々と話したところで、これがオカルトの話に分類されるかという話なのだが。「不幸の手紙」を怪談話として語られることがある。内容はもちろん「この手紙を誰かに回さないと不幸になる」というものだ。その手紙を受け取った人は信じて他の人に手紙を送ることで不幸を回避するか、その話を信じず送らないことで不幸な目に遭うか。その二択を迫られるわけだ。
人為的な要素を霊的なものに置き換えてしまい、そしてそれを語って広げてしまうのだから、ある意味都市伝説と言えるだろう。
――――――――――――――――――――(月間オカルトタイムズ、
「“不幸の手紙”」
授業を終えた昼休み。僕と青葉は売店でパンを買って中庭のベンチで昼食を摂りながらロギに電話をかけた。手紙のことを話すと、ロギはすぐに答えらしい一言を告げた。
「
青葉にも聞こえるようにスピーカーの音量を上げて聞こえるロギの話に僕と青葉は首を傾げた。
「チェーンメール……迷惑メールってやつだっけ?」
「そう。“不幸の手紙”はそのチェーンメールの手紙版。そんな手紙を送るのは、人が誰かに本当の悪意を向けるか、それとも手紙そのものに脅されてか、はたまたただの悪ふざけか……まあそのどれかだな」
「人が人に送りつける迷惑な手紙……」
そこまで話を聞いて、僕はまた手紙に目を落とす。ロギは話だけでこれを“不幸の手紙”と判断した。
「ロギはさ、この内容についてどう思う?」
「“怪物”……となるとあまり無視できない状況だな」
「だよね。でも、もしこれを『人』が送ってるんだとしたら、“怪物”が出るとは思えないんだけど」
僕の思っていたことを話すと、ロギは考えているのか黙ってしまった。
「……怪談話をすると霊が寄ってくるって話は知ってるか?」
それから始まるロギの唐突な話に僕と青葉はまた首を傾げた。
「それって、心霊番組なんかでよくあるやつですよね。変なの映ってたりマイク壊れたり」
「そういうやつな。あれが本当なのかまでは知らんけど」
青葉の答えにロギは否定しないでそう言う。どうやら合っているらしい。
「こうも怪物絡みの一件が続くとなると、“こっくりさん”が呼び込んだ可能性もあるだろうな」
「“怪物”が“怪物”を呼んだってこと?」
「あくまで可能性の話だ。それが本物かを確かめないと話が進まない」
確かに。この手紙が本物なのかを確かめないといけない。
「どうすればいい?」
「とりあえず、それを持って帰ってこい。誰にも渡すなよ」
「わかった」
「それと青葉君」
「ふぁい!?」
唐突に青葉が呼ばれ、彼は慌てて食べていたサンドイッチを呑み込んでから返事をする。妙に背筋も伸びている。
「このこと誰にも言うなよ」
「言わないっすよ!?」
「お前声デカいから」
「気を付けます……」
「もうこの件に、青葉君は関わるな」
それからロギは一方的に通話を切った。要件を言い終えたわけだし、多分昼寝のためにだ。僕が帰ってくるまでに起きていてほしいんだけど……。通話終了の文字が表示されているスマートフォンを操作してホーム画面に戻すと、青葉がため息を吐いて項垂れていた。
「
「あの人、そもそも
「知ってるけどさー……」
あれだけの捨て身の説得でロギから殺されることを免れた青葉のことだから、信用されていないことがかなりショックだったんだろうな。
「青葉、あまり気にしないほうがいいよ。ロギは最初からああいう感じだったし、気にしてても仕方ないよ?」
「それもわかるけどさ……こういうの知ってて、シンギが危ない目に遭うかもしれねーのに、『何もするな』ってのがなんか歯痒くてさ……」
青葉の言いたいこともなんとなくわかる。青葉は正義感が強い。悪いことを悪いことだと口に出して言ってしまうくらいには。仕事をしている僕の手伝いをしたいと言いたがるのもわかる。でも僕としてはこれ以上は巻き込みたくない。特に今回みたいによくわかっていないものに関しては。
「青葉だって、アドバイス貰おうって
「……まあ。できればあまり危ないことには関わってほしくないよな」
「うん。僕だって、できれば青葉にも関わってほしくないんだ。僕はロギみたいに強くないから、いざという時は自分のことを守るので精一杯だし」
夏休み、“NNN臨時放送”で青葉が巻き込まれた時、現れた“口裂け女”を僕は無我夢中で倒しはしたものの、冷静な判断だってできていなかった。あの時青葉に「逃げろ」とかそういうことを言う暇もなかった。
だから、今回のこの“不幸の手紙”が本物だとして、その内容にある“貴方の最も恐れる怪物”が何なのかわからない以上、僕は青葉をちゃんと守れるはずもない。
「僕がロギみたいに強かったら、青葉にも手伝いを頼めるのかもしれないけど……」
「……」
ちょっと自虐的になってしまったなと、言ってて思った。
「シンギはさ」
僕の話を聞いていた青葉が口を開く。
「獅琉さんみたいに強くなる必要ないと思うんだけどな」
「え?」
青葉は険しい表情を僕に向けていた。
「俺はあまりその仕事の大変さとかわかってないんだけどさ、獅琉さんがあの時“ゾンビ”を殺した時、最初はすげーなって思った」
今も片付いていない“リビングデッド”のことだろう。事件や事故で死んでしまった遺体が急に起き上がり何処かへと向かうために彷徨う。君原からは時折その目撃談を聞いている。結局、今に至るまで原因が分かっていない。
僕と青葉がロギを尾行した末に目撃してしまった“動く死体”をロギは止めるために首と胴体を切り離した。僕と青葉の目の前で。
「でもさ、シンギが“口裂け女”を撃ったのを見た時から、何の躊躇いもなくそれができる獅琉さんがおかしいって思い始めたんだ。おかしいというか怖いというか……」
「……」
青葉の言葉に僕は思い当たることはある。
「……僕も、時々ロギが怖いと思うことがあるよ」
簡単に怪物も人間も殺してしまう彼が。
放課後。僕が居候しているロギの自宅に足早に戻れば、案の定リビングのソファーで寝ていたロギを叩き起こして、手紙を渡す。欠伸をしながらロギはその手紙を眺め、眠たげな表情を変えることもなかった。
「……どう?」
「……わかんねえ」
手紙を見終えて顔を上げたロギに僕は問いかけると、彼は口を開いた。
「え?」
それは僕も予想していなかった回答だった。
「もしこれ自体が“怪物”なんだとしたら、わかるはずなんだけど……これからは何も……ただの紙とインクのにおいだけ」
手紙を近くのテーブルに放り投げると、ソファーに座り直して背凭れに寄り掛かる。
「ただの
「どうだろうな。なら、どうして悪戯でこんな手紙を寄越してきたのかだ」
ロギはため息を吐きながら口を開く。
「今時こんな悪戯、小学生ですらやるわけないだろ。かなり古いし、似たようなチェーンメールだって出回ってることはないし……」
「どうしたらいい?」
「……」
僕の問いにロギは考えるように視線を手紙に向けていたが、それをすぐに何処かへと逸らした。
「……あのオカルト記者に渡せば?」
「……
唐突に出てきた人物に僕は思わず聞き返した。
「この手紙の内容の通り、三日後に“怪物”が出るっていうなら、あいつが一番恐れる怪物が現れれば、これは本物だと証明される。何もなければただの悪戯。それにあいつなら、怪物に殺されるなら本望だろ?」
つまりは
青葉に他の人を巻き込めないとか言っておきながら、僕もどうしたらいいかわからなくて結局ロギの言う通りにしてしまうのだった。
次の日の放課後、僕は
「……」
「なんで青葉がいるわけ?」
「いや、俺も気になるし」
僕の隣に座ってのんびりとカフェオレを飲む青葉に僕は思わずため息を吐いた。
「ロギにこれ以上関わるなって言われてるくせに」
「獅琉さんはここに来ないんだろ?バレなきゃ問題ないって」
「すぐにばれると思うけど……」
ロギの嗅覚ならすぐにバレる。それならいっそのこと正直に話したほうがいい。
「……岸谷さんが来るんだっけ?」
「そうだよ。ロギがこの手紙をそのまま岸谷さんに渡せって」
「それで三日後どうなるか確認するってこと?」
「まあ……そういうことだよね」
「……ん?なんでシンギで確かめないんだ?」
「……」
それは僕も感じていた疑問だった。確かめるなら、僕かロギが手紙を持っているだけでいいはずなのに、どうして岸谷に渡さないといけないんだろうかと。
「僕もわからない。でも、僕が持ってたら危ないから、ロギは岸谷さんに渡せって言ったんだと思う」
「それはまだわかるけど。だったら
「……ロギは何も言ってくれなかった」
何か知っていそうなのに、ロギは何も僕に言わなかったのだ。ただ僕にこの手紙を岸谷に渡すように言った。それだけだった。
「……まあ、獅琉さんなりの考えがあるんだと思うぜ?」
青葉が誤魔化すようにそう言う。僕も何か言えるわけじゃないから、それに同意するように頷いた。
カフェのドアが開く音が聞こえて、僕と青葉が出入り口を見ると、そこには周囲を見渡しながら入ってくる岸谷の姿があった。
「岸谷さん」
僕が席を立って呼ぶと、岸谷はすぐに気づいたようでカウンターにいる店員に飲み物を注文してから、僕たちがいる席へとすぐに歩み寄ってきた。
「いやあ、遅くなって悪いね」
「大丈夫です……仕事中にすみません」
「構わないよ。それに面白い話だと思ったしね」
岸谷は席に座れば楽しそうに僕たちを見てきた。相変わらずのオカルトマニアだ。仕事柄もあるだろうけど。
「えっと……これなんですけど」
リュックから出した封筒をテーブルの上に置く。岸谷はそれを丁寧に拾い上げると、手紙を封筒から出して読み始める。その間に店員が岸谷が頼んだ飲み物が運んできた。岸谷が頼んだのはブレンドコーヒーだった。
「……これって“不幸の手紙”?」
手紙を読み終えたらしく、顔を上げた彼はそう言った。僕はただ手紙を見せただけで何も言っていないのに、それが何なのかを当てて見せた。
「はい。ロギも同じこと言ってました」
「今時珍しいね。調べたりしてたけど、こうして実物を見るのは初めてだよ」
彼はそう言って手紙を封筒に戻すと僕たちを見る。
「それで?俺はどうしたらいいわけ?」
岸谷が首を傾げたそう聞いてきて、僕はどうしたものかと青葉を見た。青葉は僕の視線に気づいたようで苦笑いを浮かべている。
「シンギがやるんだろ?」
「そうだけどさ……」
「ほれ、さっさと獅琉さんに言われたこと言ってやれ」
「獅琉に……?」
ロギの名前を聞けば岸谷は怪訝な表情を僕たちに向ける。
「えっと……その……ロギがこの手紙を岸谷さんに渡せって」
「俺に?」
「はい……この手紙、本当に“不幸の手紙”なのか判別できなくて、それで確かめる方法がこれしかなくて」
「実際に誰かが持って、手紙の内容の通りになるかで本物かを判別するってことか……」
「そうなりますね」
「……いろいろと聞きたいことはあるけど、まあいいよ。俺が持ってる」
「いいんですか?」
「いいよ。こうして巻き込まれたんなら、この手紙の真相を知ってやろうかと思ってね。それに……」
岸谷はにやりと笑みを浮かべる。
「ちょっと気になっていたんだ。俺の『最も恐れる怪物』ってやつがさ」
囮にされることよりも好奇心が勝っているのだろう。僕は少し彼が羨ましいと思ってしまった。
「手紙の通りだと、怪物が来るのが三日後だから……その日に岸谷さんと合流できればと思うんですけど」
「そうだね。俺も死にたくないし」
僕の提案に岸谷は頷いてくれたことを、僕は安心してしまった。
それからさらに三日後。学校は休みだった。
お昼頃に岸谷から連絡があって、僕はロギに彼に会うことを伝えてから家を出た。ロギはそのことに何も言わず、一緒に来るようなことはなかった。さすがに青葉には言わなかった。危ないだろうし。
「やあ」
待ち合わせにしていたいつものカフェで僕は待っていると、岸谷は小型の一眼レフカメラを首から下げた状態で僕に話しかけてきた。
「岸谷さん。大丈夫ですか?」
「ああ問題ないよ。特別視線を感じるなんてこともなかったし」
注文したブラックコーヒーを飲みながら岸谷は話す。電話でも岸谷に変わった様子は伺えなかったし、本当に大丈夫だったんだろう。
「俺はどうしたらいい?」
「えっと……今日は僕と一緒に適当に回ってもらうって感じです。仕事があるなら僕も一緒に行くことになります。もちろんなるべく邪魔はしないので」
「それは構わないよ。どこかに行って取材ってわけでもないし。適当に写真を撮りに行くくらいだからね」
「はい」
「それにしても……。真宮君は来るのに獅琉は来ないんだ?」
「そうなんですよね。でも僕がこうやって岸谷さんに会いに行くことはダメだって言わなかったし」
ロギが何も言わなかったのは僕もかなり気にかかっている。彼のことだから「結果がわかるまで放置してろ」と言ってくると思っていたからだ。だけど、以前“NNN臨時放送”で青葉の名前が挙がった時、ロギは青葉の傍にいるように言ったのだ。もしかしたらなのだが、ロギは僕にある程度自由に行動させているんじゃないだろうか。
「獅琉が何考えてるのかはわからないけど、真宮君をここに来ることを許してるってことは、あの手紙が偽物だとでも思っているのかな」
「そういえば、持ってきてるんですか?」
「持ってきてるよ。誰かが手に取ったりして、それが『誰かに送った』ってことになるんだったら危ないからね」
岸谷はそう言ってリュックから取り出した件の手紙は封筒から出され、折れたり破れたりしないようにするためかクリアファイルに入れられていた。
「岸谷さんは、この手紙が本物だと思いますか?」
「どうだろうね……本物であってほしいっていうのはある意味希望ではあるんだけど……獅琉がこれを本物だとわからない限りは何とも言えないのが本音かな」
本物かわからないのはロギがそれを判別できなかったからだ。見ればすぐにわかるというか、においでわかるらしい。そのにおいを感じ取ることができなかったから本物かわからなかったらしい。
「ロギがわからないものは僕にもわからないです」
「そうだよね。ああいうのをすぐにわかるようになるのは危ない気がするし、あいつと同じになろうとか考えてるならやめた方がいいかもしれないよ?」
「……」
青葉と同じようなことを言っていることに気づいた。どうも青葉も岸谷もロギを危険視しているらしい。僕も似たようなことを考えることはあるのだが。
「ロギは
「…………。思うんだけどさ」
岸谷は僕の言葉を聞いて、少し間を置いてから口を開く。
「獅琉が
「……えっと?」
「ほら、仕事柄っていうのもあるだろうけど、あいつがここまで誰も信用しないで冷たく接して突き放してっていうのを徹底してやってるってなると、何かしらの理由があるって思わないか?」
ロギがここまで徹底することに何かしらの理由があるんだとしたら、過去に何かあった可能性があると考えるのが普通なのかもしれない。岸谷はそう考えているのだろう。
「今はこの手紙の真相を知るのが先だからこの話はここまでだけど、いつかは真宮君が直面することになるかもしれないよね?獅琉とこれからも一緒に居るんだとしたら、それなりの覚悟が必要になるかもしれないよ」
それから少しして僕は岸谷の仕事に少しの間だけ付き合うことになった。
岸谷の仕事は、彼の言った通り写真を撮りに行くだけだった。
都市伝説なんかに関係のある土地や風景の写真を撮って回る。移動中、岸谷が運転する車で彼からその土地に関するオカルト話を聞いていた。
「そういう写真撮ってて、心霊写真とかにならないんですか?」
「心霊写真ねえ……オーブっていうのかな?そういうのは撮れたことはあるんだけど、肝心の幽霊なんて映ったことは一度もないね」
「オーブだけでもすごいと思うんですけど……」
「でも写真だからね。フラッシュとか、その場所での埃とかでの影響がないとは言い切れないからさ。そういうのを『これは心霊写真だ』だなんて大きな口で言えないんだよ。動画なら、多少は信用を得られるかもしれないけどさ」
「岸谷さんは心霊写真は信じるんですか?」
「……正直なところ、昔の白黒写真以外は信じてないね」
「そうなんですか?」
オカルトマニアだからそういうのも信じているんだと思っていたのだが、意外な回答を彼はする。
「最近のものは加工すればそれっぽいのが出来上がるからね。幽霊は普段は見えないものだから『いない』なんて言えないし、証明が難しいだけで、本物の心霊写真だってあるのかもしれないけど、俺自身がその写真を撮れていないから信じ切れていないのかもね」
否定すわけでもなく、だからといって肯定しているわけでもないらしい。実物を、自分で撮った写真が心霊写真であれば、信じるのかもしれない。そんな心境でいるらしい。
「……さてと。ここで最後だよ」
あちこちと移動していて夕方。岸谷が車を有料駐車場に停めるとエンジンを切った。ここは住宅街の中。土地勘のない僕はここがどこなのかはわからなかった。
「ここは?」
「……俺の実家の近くだよ」
車を降りる岸谷は僕の問いにそう答えた。
「今は廃校になったんだけど小学校が近くにあってね。かなり古いわりに今も取り壊しの予定がなくて校舎自体、まだ残ってるんだ。そのせいかオカルト話は今も続いているんだよね」
目的地へと歩いているらしい岸谷について行きながら僕は話を聞く。岸谷の母校が近くにあるらしい。今は廃校になってしまっているのは、たぶん僕が通っている学校と統合してしまっているからだ。
「校舎は今はこの辺りでは有名な心霊スポットだよ」
「……なんかすごいですね」
「そうでもないよ。オカルト話も心霊スポットも、僕の友達が死んだことで生まれて、余計な噂が尾ひれを付けて勝手に独り歩きしているだけなんだから」
岸谷の後ろをついて歩く僕は、彼の表情を見ることはできなかった。でもきっと複雑な感情を抱いているんだろうということはすぐにわかった。岸谷の友人の死が周囲にとって面白可笑しく作り替えられているんだろう。何しろ、事実を知っているのは当事者である彼だけなのだから。
それからまたしばらく歩いて、岸谷が立ち止まる。視線の先には立ち入り禁止と書かれた札が鎖で繋がれている、固く閉ざされた鉄製の門があった。その先に広がるのは校庭と古い校舎。これが岸谷の言っていた廃校になった小学校なんだろう。
「岸谷さん。ここで何の写真を撮るんですか?」
「んー……ここは何の話もないからね。たまに来るけど、写真を撮ることはしないよ」
閉ざされた門の先にある校舎を眺めてから、岸谷はまた歩き出す。
「でも、ここにはしょっちゅう来てるんだ。こうして写真を撮ったりした時とかにね。あいつを殺した“ドッペルゲンガー”にまた会えるかなって」
「……」
こうまでして都市伝説なんかのオカルトにのめり込むのは友達の死からだろうか。ここまで執着していると、この人はいつか本当に“怪物”に殺されてしまう。そんな気がしてならない。
夕日がかなり傾いて、僕と岸谷の影が道に伸びる。その僕たちの後ろで足音が聞こえた気がした。
「……?」
立ち止まって振り返ると、夕日が逆光になってシルエットしか見えないがそこに誰かがいた。それがこちらへと近づいているのに気づいた。普段なら誰かを直視するようなことはないんだけど、どうしてか僕たちの後ろにいた人物に僕は視線を外すことはできなかった。
「真宮君?」
僕が立ち止まっていることに遅れて気づいた岸谷が振り向くと、僕の視線の先の存在に気づいた。
「あれって……」
夕日がさらに傾いて、シルエットでしか見えなかった人物がはっきりとわかるようになった。そこにいたのはもう一人の岸谷拓真だった。
「……え?」
僕は一度、自分の後ろにいるはずの岸谷を見た。彼は変わらずそこにいて僕が見ていたもう一人の岸谷を見ていた。改めてもう一人の岸谷を見る。顔も服装も、首から下げた小型の一眼レフカメラも何もかも一致する。もう一人の岸谷は穏やかな表情を浮かべてこちらへとゆっくりと歩み寄ってきていた。
これがもしかしたら岸谷がさっきまで言っていた“ドッペルゲンガー”というものなんだろうか。もしあれを“ドッペルゲンガー”と仮定するなら、出会ってしまったこの時点で岸谷が殺されてしまう。彼の友人のように。
それだけはダメだ。
僕は後ろにいる岸谷の腕を掴んで、“ドッペルゲンガー”からなるべく距離を取ろうと彼を引っ張りながら走り始める。
「岸谷さん、とりあえず逃げましょう!」
「あ、ああ!」
放心していたのか我に返ったらしい岸谷はしっかりと足を動かしている。
「真宮君、手を離した方がいいんじゃないか?」
「そうしたいけど……」
その方が走りやすいし、土地勘のある岸谷を先に行かせた方がいいかもしれないが、どこで彼が死んでしまうのかわからない。
「岸谷さんがどこで死ぬかわからないので、もうしばらくこうします!」
「……わかった」
一番近い路地に入って、後ろからの足音が聞こえなくなるまで走ると僕は後ろを振り向いた。“ドッペルゲンガー”の姿はなかった。
「……」
ただ立ち止まっていはいけない気がして、僕はもう少し岸谷の腕を引っ張って走ることにした。
「逃げるのはいいけど、あてはあるのかい?」
「ないですよ。僕ここの土地勘なってないですから」
逃げながらポケットからスマートフォンを出すと、ロギに電話を掛ける。5コールを過ぎても彼は通話に出ない。
「……出ない」
別に何かあったら電話をしろと言われていたわけじゃないが、ここで“ドッペルゲンガー”を倒すために拳銃を使っていいのか僕一人じゃ決められない。何故ならここは人の多い住宅地で、僕の持っている拳銃は音を抑えるためのサプレッサーをまだ取り付けていなかったのだ。
「どうしよう……」
「どこかに隠れるか?」
「そうしたいですけど、この辺りで隠れられそうな場所は……」
「うーん……ちょっと難しいな。この辺りは俺も詳しくない」
どうやら岸谷ですら把握しきれていない場所まで走ってしまっていたようで、周囲を見渡した彼は困ったようにそう言っていた。
「でも、ずっと走ってるわけにもいかないし……そうだな……その路地に入ろう」
彼が指差す細い路地に入って中程まで進むと、そこでようやく足を止めた。肩で息をする僕の後ろで岸谷は多少荒い息を整えるだけだった。
「あれが“ドッペルゲンガー”ってやつかな。俺とそっくりだった」
「僕も……
「あれが手紙の内容にあった『恐れる怪物』ってことかな」
「そこまでは……でもああして現れたのなら、タイミングとか考えるとそうかもしれないです」
僕の耳からは足音が絶えず聞こえてくる。それがこちらへと近づいてくることも。
「……岸谷さん、僕の後ろにいてください」
もうなりふり構っていられない。僕はリュックから拳銃を取り出す。サプレッサーを着ける余裕はない。大きな音が出てしまうかもしれないが今は仕方がない。セーフティを外してスライドを引いた。
岸谷は僕の後ろにいる。僕たちを追う足音は着実にこちらへと近づいてきている。僕の中でその情報だけわかれば後はどうにでもなる。青葉を守った時のように、岸谷を守ればいいんだ。
「……」
僕たちが入った路地の入口をじっと見る。
「……。……?」
足音は聞こえているはずなのに、一向に“ドッペルゲンガー”は姿を見せない。もうこの路地に入ってきてもいいくらいなのに。
「ま、みや、く……」
後ろから岸谷の声が聞こえた。それはあまりにも引き攣った声。まさかと思って振り返る。
岸谷が“もう一人の岸谷”に首を絞められていた。
「……っ」
苦しそうに呻いている岸谷を見て僕は慌てて“もう一人の岸谷”に銃口を向けて引き金に指を掛ける。そこで、“もう一人の彼”がこっちを向いた。
「真宮君」
いつも通りのような声で“彼”は僕を呼ぶ。
「君は俺を撃つのか?」
そう言われた途端、僕の体がまるで石にでもなったかのように動かなくなった。
今目の前にいるのは明らかに“怪物である岸谷”だ。“ドッペルゲンガーである彼”が岸谷の首を絞めている。それを理解しているはずなのに、銃口だって“彼”に向け、外すはずのない距離だというのに、引き金に掛けた指は全く動かない。頭が真っ白になっていく。
「何やってんだよ……」
後ろから呆れるような呟く声が聞こえて、ビュンっと僕の真横を何かが通るような音が聞こえて……。
「……え?」
“ドッペルゲンガーである岸谷”の頭へと深々に刺さるククリナイフ。“ドッペルゲンガー”の体はバランスを崩して岸谷から手を離した。岸谷がコンクリートに蹲り、咳き込んで止まっていた呼吸を無理矢理再開しようとしているのが視界に入った。
“ドッペルゲンガー”の形が崩れて消えてしまうと、ククリナイフはカランと音を立ててコンクリートに落ちる。
「……ロギ?」
いつの間にか僕の後ろに立っていたロギは何も答えず、溜息を吐きながら僕の横を通り過ぎてククリナイフを拾う。それからようやく口を開いた。
「“怪物”なら殺せ。そういう仕事だろ」
「……」
「まあその話は後だ。とりあえず……」
ロギはちらりと岸谷を見る。どうにか落ち着いてきたのか、まだ肩を上下させながらもロギを見上げていた。
「その手紙をどうにかしないとな」
ロギがジーンズの後ろポケットから煙草を吸うときに浸かっているジッポライターを取り出して岸谷に投げ渡す。
ようやく呼吸を整えた岸谷は慌てて両手でライターを受け取ると、訳が分からないと言いたげにロギを見ていた。
「その“手紙”……手渡すだけで『送った』ことになるならもう誰にも手渡せない。形的には『恐れる怪物に殺される』という未来をたった今壊したんだし、あとはそれを処分しないとな」
「だから、自分で燃やせと?」
「俺が受け取ったら、それで『送った』と判断される。それに、適当にゴミ箱に捨てたら、誰が拾うかわからないからな。あんたの“ドッペルゲンガー”なら対処できるだろうが、他の誰かの“恐れる怪物”がもし対処するのに面倒なやつだったら……?そうなった場合の被害はさすがのあんたでもわかるだろ?」
彼の言葉に岸谷は複雑な表情を見せながらもリュックからクリアファイルに入った手紙を封筒と一緒に取り出す。ロギに渡されたライターの回転ドラムを回して火を点けると、手紙を封筒と一緒に燃やす。火が広がり切る前に手を離してコンクリートへと落とす。二人は燃える手紙から少し距離を置き、燃え切るのを見守っていた。
「……真宮君」
燃える手紙を見守っていた岸谷が僕に言う。
「僕にとって“あれ”が“恐れる怪物”だったよ」
この手紙が“不幸の手紙”だったのか、確かめることはもうできない。ロギ曰く、
岸谷の“恐れる怪物”が“ドッペルゲンガー”だったこと。彼は未だに痣の残る首をハイネックの服で隠しながら改めて語った。
彼がオカルトに足を踏み入れたきっかけとなり、友人を死なせたのが“ドッペルゲンガー”だ。その“ドッペルゲンガー”が友人を死なせた事実が彼の中で無意識にトラウマとして記憶に残っていた。だから“手紙”を受け取った時に現れた“恐れる怪物”が“ドッペルゲンガー”だったのだ、と。
そして疑問でもあったロギが受け取らなかった理由。そして僕にも受け取らせなかった理由。
岸谷の言う、もし“恐れる怪物”が彼のように何かしらトラウマを持つものなのだとしたら……。僕だったら両親を殺した“怪物”が現れるのだろうか。だとしたら、愚かにも見てみたいと思ってしまった。
ロギには一体どんな“怪物”が現れるというんだろうか。彼に聞いても、何も答えてはくれない。
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