第2話 “てけてけ”

 都市伝説や人々の噂から生まれる怪物が見えない闇の中で存在する。

 その怪物を殺す組織が人知れず存在する。

 僕は真宮深偽まみやしんぎ。嘘みたいな名前だけど本名で、両親から名付けてもらったものだ。

 僕の両親も平和な人生も何もかも失って、それを奪った怪物を探すために僕か彼らのいる世界に足を踏み入れた、高校一年生だ。



“テケテケ”というものをご存じだろうか?

 踏切で女子高生が列車に撥ねられ、上半身とか下半身にと切断された。しかしその女子高生は即死することはなく、切断された痛みに苦しみながら死んでいった。その遺体の下半身だけが見つからず、彼女は自分の足を探して彷徨っているのだという。

 どうしてこの話題を出したのか、仙台市の某所にある踏切で女子高生が電車に撥ねられて死亡する事故が起こったのだ。

 死亡した女子高生は遺書が見つかっていることから自殺と判断されている。しかし、遺書にはいじめ等のトラブルについては書かれておらず、身勝手な理由で死んでしまうことへの謝罪が書かれているだけで、実際、その女子高生にはいじめ等のトラブルは確認されていないため、どういった経緯で自殺に及んだのかはわかっていない。

 ただ彼女がそのことを隠しているのか、それとも周囲も隠しているのかという可能性も捨てきれず、捜査は難航している。

 さらには、その遺体には違和感が生じているのだという。下半身が見つかっていないのだ。

 それこそまるで“テケテケ”のようである。

 彼女がそのような存在にならないことを祈るしかないだろう。

 ――――――――――――――――――――(月間オカルトタイムズ、岸谷拓真きしたにたくまの記事より)



 沈みかけていた思考が自分を呼ぶ声に反応して浮上する。

 周辺の声を聴いて、僕が今どこにいたのか思い出す。僕は現在通っている学校の教室にいて、ちょうど古典を受けているところだった。その教科の担当教諭の声が子守唄のように心地良過ぎたためにうとうとと眠りそうになっていた。竹取物語は個人的にかなり眠くなる

「シンギ。そろそろ起きないと、先生に見つかるぞ」

 さっきから僕を呼んでいたのは僕の後ろの席に座っている友人。稲瀬青葉いなせあおばという男子高校生。この学校に入学した時に初めてできた友達である。

「うん。ありがと」と青葉にお礼を言って、軽く伸びをする。まだ眠気が残っているものの残りの時間は起きていなければと、黒板に視線を移して大して書き込みがされていないことがわかれば、今度は黒板の真上にある時計を見た。11時半過ぎ。授業終了まであと30分程。その時間だけはどうにか乗り切ろうと、書き途中だったノートに向き直った。先生の声が心地良くて瞼が重い……。

 眠気との戦いは見事に勝利を収めて授業を終えて、昼食の時間になった。僕は断じて寝ていない。何度か記憶が飛んだ気がするが寝ていない。

 弁当を持ってこない僕はいつも学校内にある食堂を利用している。三百円前後で十分腹が満たされるんだからかなりお得に感じる。

「また夜更かしでもしてたのか?」

 そう言いながら僕に後ろから寄りかかってくる青葉も僕と同じように食堂を利用しているのもあり、自然と一緒に食堂へと行って昼食を摂るようになっていた。

「夜更かししてないよ。先生の声が本当に眠くなるんだ」

 青葉にはそう言い訳しているが、実際のところ仕事の時間が夕方から深夜に掛けてであることが多いため自然と夜更かしになってしまう。仕事と学業の両立はなかなかに難しかった。

 しかし、そんなことを無関係である青葉に話せることはなく、それっぽい言い訳をする。古典を担当している教師の声は眠くなることだけは事実ではあるから、青葉も納得していた。

「俺もあれは眠くなるわ。でも耐えしのいだぜ」

「なんで誇らしげなのさ」

 授業は眠らずに受けるのが通常なはずなのだが、僕は居眠りをしてしまったから正論など言えるはずもなく、苦笑しながら彼の誇らしげな表情を見ることしかできなかった。

 食堂はやはり昼休み時間ということもあり、そこそこに混雑していた。券売機で食券を買うと、カウンター前で並んでいる生徒たちの列に加わる。僕は日替わりランチ。青葉は運動部御用達の大盛りランチ。並んではいたものの、大した時間もかからずに食堂のおばちゃんに食券を渡して番号札を受け取れば席を取りに行く。

 程よく空いた席を見つけて青葉と場所を取ると、呼ばれるのを待つ間に向かいの席に座った彼は愚痴るように僕に話しかけてきた。

「今日電車遅れてさ、朝練見事に遅刻したんだ」

「電車?」

 青葉の言葉に僕は首を傾げる。青葉が電車で通学していることは知っていたけど、今日はニュースを見なかったのでそういった事故とかが起こったのかは把握していない。

「踏切で事故ったらしくてさ、急ブレーキで思いっきり揺れるわ、それで転びかけたりして……」

 紙パックのジュースを飲みながら思い出したように言う。

「悲鳴も聞こえてさ、思いの外すごい事故だったんだろうな。止まってる時間も長くてさ。最終的に代行バスで学校来たんだ」

「学校に遅刻しなかっただけマシだけど……」と疲れたようにテーブルに突っ伏す青葉を視界の端に入れながら、スマートフォンで踏切事故のニュースが出ていないかと検索を始める。

 青葉曰く、思いのほかすごい事故だったらしく、ニュースアプリの記事のトップにその詳細が記載されていた。

 今日の7時頃にN駅近くの踏切で女子高生が電車に撥ねられる事故があった。

 女子高生が持っていたカバンから遺書が見つかったため、自殺と判断されていたが、家庭生活、学校生活ともにトラブルがなく、いじめを受けたわけでもないらしい。遺書にもいじめなどには触れておらず、突然死んでしまうことへの謝罪しか書かれておらず、理由もわからないまま自殺してしまったのだとか。そしてそれ以上に気になるのは。

「――――い?」

 ニュースの内容をつい口に出してしまったが、聞いていたのは青葉だけだった。青葉もその内容が気になったのか、向かいの席から僕の隣の席に移ると僕のスマートフォンを覗き見る。記載されている内容をある程度読み終えると、彼が乗っていた電車がニュースになるほどの事故を起こしていたんだと改めて実感したのか「おお…」と声を漏らしていた。

「本当にすごい事故だったんだな」

「みたいだね」

 もう少し調べようかと悩んでいたが、僕たちの昼食が完成したことを告げる呼び出しがあったため中断して、それで終わってしまった。今日の日替わりランチは豚肉の生姜焼き定食だった。昼食を食べながら、僕と青葉は午後からの授業が英語で単語テストがあることについての不満を言い合っていた。



 授業を終えて帰宅部である僕は特に居残りも寄り道もすることなく自宅に帰ると、今日は珍しくロギが「おかえり」とリビングで出迎えてくれた。一時間前に起きたんだとか。さらに珍しく、いつも身に着けている黒いマスクを外していた。珈琲を飲んでいたらしい。マスクを外せば短すぎない黒髪に似合う整った顔立ちが見られる。どう見ても同じ人物だとは思えない。

「ねえ、今朝の踏切事故のこと知ってる?」

 昼休みにネットニュースで見たことをロギに知っているかどうかと問いかけてみる。するとロギはすっとテレビを指差した。テレビを見ればちょうど今の時間に放送されているニュース番組が報道している内容が今まさにその踏切事故の話だった。

「さっきからほとんどこの話しかしてないぞ。ニュース始まった途端に『内容を一部変更して放送します』とか言ってたしな」

「それほどすごい事故だったってこと?」

「いや、下半身が見つかってないのが、報道陣にとって話のネタになるんだ。人の生死に関わる事件や事故がよほど大きいものでなければ大して報道されないのは、そういう事件や事故が日常茶飯事みたいによくある出来事のせいで、面白味がないからだってよく言わてる。まあ事件の件数が減ったからって説もあるんだけどな」

 もし、その女子高生がただの自殺だったら他のニュースと纏めて簡単に報じられていたのだろうか。ロギの話を聞いてから見るニュース。女子高生の消えた下半身はどこなのかと予想するアナウンサーや専門家が物議を醸している様子が、彼女を面白おかしく語っているようにしか見えなくなってくる。

「なんか、純粋にニュースが見れなくなった」

「お前も一つ大人になったんだよ」

「ロギはいつまでも子供に思えるけどね」

「おじさん泣きそう」

 しばらく二人でソファーに座って、なかなか終わらないアナウンサーと専門家の物議を眺めて、ロギが飽きてテレビの電源を落とした。

「ずっとこの内容は飽きるわ」

「……そうだね」

 他にも報じるニュースはあるだろうが、大々的に取り上げている内容の合間に4、5分程度報道して、話題を戻してくるのだからいい加減飽きてくる。ロギの意見に賛同すると、夕食でも食べに行こうかと彼はソファーを立つ。彼は自炊できるらしいが面倒くさがって外食に行くことが多い。僕もできないことはないが、彼に頼っているところもあり、外食に一緒に行くことがほどんどだ。

 今日は何を食べに行くのだろうか。楽しみだ。



 女子高生の一件は不幸ではあったものの、その程度にしか思っていなかったのも事実だったせいか、印象の薄い出来事と一緒に記憶の片隅に追いやっていた。

 それから2週間程経った頃である。

 女子高生の自殺事故も未だに下半身が見つかってはいないものの、報道は新しい話題を見つけるや否やあっという間に落ち着いていた。仕事のほうも、他の職員に任せられるほど簡単なものしかなく、少し長い休暇状態だった。

 それ故に僕は学生として学業を勤しんでいたのだが、昼休み自分のスマートフォンにロギからのメールが届いているという通知が着ていたことに気づいた。要約すると、今日の授業を終えたら彼が学校に迎えに来てそのまま直接職場に行く。というメール内容だった。どうやら仕事の話らしい。

「どうしたんだ?」

 考え事をしていてスマートフォンを凝視していた僕を不審に思ったのか青葉が声をかけてくる。

「えっと……ちょっとメール着ててね」

 了解と返信のメールをロギに送信すると、それをポケットにしまって食事を再開する。今日の日替わりランチはエビフライ定食だ。青葉は安定の運動部御用達、大盛り定食。まあ、日替わりランチの内容が二倍に増えている程度の違いなのだが。よく食べるなあと思う。

「……シンギってさ、普段家で何してんの?」

 青葉からの何気ない質問に、僕はふと動かしていた箸を止めた。なんて答えるべきか、僕の思考は一瞬止まってしまったのだ。仕事の話などできるはずもないのだから。

「何って……勉強とかさ、追い付くの大変なんだよ」

「授業中寝たりしてっけど?」

「それはほら、先生の声が眠くなるからさ」

「それはわかるけどさ……まあいいや」

 青葉はどこか納得しきれていないような表情を見せているものの、これ以上の追求はすることなく目の前の食事に食らいた。僕は安堵してこちらも止まっていた箸を動かす。その後、気まずい雰囲気にならなかった。そのことに感謝しつつ、午後の授業に励むことにした。午後からは数学だ。数字を見ているだけで眠くなる。



 眠くなりながらも授業を終え、帰り支度をさっさと済ませると青葉へ帰ることを告げて校門へと向かう。今日は珍しくロギが所有しているバイクに跨ったままスマートフォンをいじって待機していた。ヘルメットを被っていたが、ロギだとすぐにわかった。雨でも降るんじゃないだろうか、もしくは6月なのに季節外れの雪とか。

「今日は来たんだ?」

「……まあ、今日は昼寝する気になれなくて」

 槍でも降るんじゃないだろうか。

 職場に着くなりミーティングルームに来るように受付の人に言われた。ロギと一緒に簡易的な仕切り板で作られたミーティングルームに入いれば、支部長の龍御寺と秘書の君原はすでに中でソファーに座って待っていた。龍御寺に座るように促されて座ると、君原が新聞をテーブルに置いた。内容はN駅近くの踏切で女子高生が自殺した記事が掲載されていた。これが資料として出されたんだとしたら、この事件に関わりのあることが起こったんだろうか。

「シンギ君は“テケテケ”を知ってましたっけ?」

 話が始まる前に君原からそう聞かれた。“テケテケ”それを聞いて知らない人は少ないと思う。下半身がなく、腕を使って移動する怪物。と一般的に語られていそうな基本的な内容ならある程度把握していた。僕がその意味を込めて頷いて見せれば、君原は説明は不要であると判断したようで今回の仕事の内容を説明し始める。

「駅付近の踏切で起こった、女子高生の自殺事故はご存知ですよね。ニュースにも報道されて話題にもなりました。……下半身が未だに見つかっていないそうです」

 事故が起きてから2週間も経つと、ニュースでの報道や新聞の記載も少なくなり小さくなる。そのためか、一般では入手できる情報は少ない。君原の話を聞くことで、未だに下半身が見つかっていないことを今初めて知ったのだ。

「念のため、番犬にその周囲を警戒させていました。事故発生から一週間後に踏切近くで怪物の存在を目視で確認したそうです。それが“テケテケ”に酷似ていると報告もありました。幸い、まだ誰も襲っていないようです」

 彼女が言った番犬と呼ばれる怪物による事件の調査等、情報収集を行うグループのことで、ケルベロスの職員の大半がこのグループに属している。僕とロギのような怪物の討伐・討滅を行うのは猟犬というグループに属する。

「“テケテケ”……」

 ロギが僕の隣で考え事をするように呟くと、君原から渡された資料の書面を眺めてトントンと自分が被っているマスク越しに右頬を指先で叩く。考え事をする時の癖らしい。何か思いついたのだろうか。仕事中に聞けるだろうか。

「今回の仕事は“テケテケ”の討伐にあたってください。被害者はまだ出ていませんが、今後危険な存在となるでしょうから」

「……被害が出ていないのに?」

「被害が出ていないからこそですよ。なるべく秘密裏に問題ごとは処理したいのがこちらの考えです。今後危険因子となるものは実害を出してしまう前に排除してしまうのが合理的でしょう?」

 こういう時、君原の表情も言葉もとても冷たく感じる。事務的に淡々とした様子で僕たちを相手にする時以上に冷たい印象がある。

「まあ、それもそうだな」

 ロギもそれに同意すると、考え事も片付いたのか資料をテーブルに置いた。

「その駅の踏切に限定されるなら、時間もそんなにかからない。人の少ない深夜に片付けることにする」

 彼がそう提案すると龍御寺と君原はそれに同意してその場のミーティングは問題なく終わった。また深夜の活動だ。時間的に余裕もあるし、学校の課題でも終わらせていようか。

「じゃあ、そちらのほうはお任せるよ。何かあったら君原に連絡するようにね」

 龍御寺がそう言って、本来の持ち場に二人が戻るために簡易ミーティングルームから出て行く。僕とロギが残ると、ロギは龍御寺が座っていた二人掛けのソファーにすぐに移ってあっという間に横になる。時間まで寝るらしい。僕は学校に通うのに使っているリュックから数学の教科書とノートを出すと、課題を片付けようとテーブルに広げた。



「シンギ、そろそろ起きろ」

 課題を早々に片付けると、ソファーに横になって僕も時間になるまで仮眠をとっていた。ロギに起こされたのは深夜0時過ぎ。起こされて早々これかN駅の踏切に向かうと言っていた。彼が深緑色のロングカーディガンを羽織り直しながら駐車場へと歩くのを追いかけて、地下駐車場の空調の寒さで目が覚めて、彼の所有しているバイクへと歩く。

「その駅に行って、どうするの?」

「そのまま踏切に行って出てくるのを待つ。そしたら仕事だ」

 ロギがバイクのエンジンをかけながら説明すると、バイクに跨って僕に早く後ろに乗るよう促されて僕も半ヘルメットを被って後ろに乗る。僕がちゃんと乗ったことを確認してからバイクが走り出す。深夜なため道路の混雑もなく、30分程でN駅に到着して、バイクのまま女子高生が自殺を起こした踏切へと向かう。

 深夜になっても周辺の道路は車通りはあるものの、この踏切の周辺は変に静けさを感じる。青葉の話によれば、この踏切は通勤通学なんかで車や人の行き交い混雑することが多い通りなのだという。

「静かだね」

「夜中だけど、少なからず誰かは通るはずだよ。ここはもともと交通量はおおいんだから」

 彼の言う通り、まったく人や車が通らないというのはおかしいと感じる。駅や店が近いから、少なからず人か車は通るはずだ。

 踏切前に来てバイクを止めると、ロギはエンジンを切った。どうやらここで降りるらしい。ロギがバイクを邪魔にならないところに停めている間に、僕は背負っていたリュックを地面に降ろす。その中から拳銃と銃声の音を抑える減音器と呼ばれているサプレッサーを取り出す。サプレッサーを拳銃の銃口にくるくると回しながら取り付ければ、軽く照準を合わせるように構える。サプレッサーが曲がっていないのを確認すれば一応隠すためにリュックに戻す。

 ロギも戻ってきて、踏切を中心に周囲を見ているようだった。

「何かいる?」

「……いや……何か出てくるような様子はないな」

 確かに何か出てくるなら、僕の耳でも十分に聞こえてくるはずだ。だけど何も聞こえないとするなら、何も起こっていないということなんだろう。

 踏切を見れば、女子高生に向けられたものなのか花束や菓子類が添えられていた。一応手を合わせてから、僕も周囲を見渡して異変がないか探す。

「今日はいないのかな」

「どうだろうな。もしかしたら出てくる時間があるのか…とりあえず、いつでも用意できるようにしとけよ」

 ロギに指摘されて、僕は改めてリュックの中にしまっているサプレッサー付きの拳銃にリュックの外側から触った。いつもは学校で使う教材と筆記用具しか入っていないはずなのに、これが入っているとなると意識してしまうからか、重く感じる。

「……ロギ」

「なんだ?」

「ロギは怪物を殺す時、何か考えてる?」

「…………何も」

 ロギは仕事に関して詳しいこともあっていろいろと教えてくれることが多いけど、自分のことに関してはほとんど教えてくれない。少し間を置いた後に適当にあしらって何も答えてくれないのだ。僕もこれ以上聞いても答えてくれないのを分かっているから追求することもなかった。

「……じゃあ、“テケテケ”が出てくるような条件が今回はあったの?」

「……いや、今回はニュースで話題になったのと、ネットでの掲示板に多少の書き込みはあったけど、そっちのほうでは大して話題にならなかったらしい」

 君原から説明を受けている間にロギは一人で資料を見ていた。その内容をいくつか話してくれた。ロギが説明してくれたように、“テケテケ”に対しての噂話は大してされていないこと。それでも顕現されて“テケテケ”の姿として番犬に確認されていることは確認はされているが、被害等は出ていないこと。

「自殺した女子高生の話題がいっぱいだったから、“テケテケ”の話題は少なかった?」

「そういうことになるな……シンギ、少し下がっとけ」

 ロギにそう指摘されて言われるまま立ち止まると、びしゃりと水溜まりを踏んだような音が踏切から聞こえた。それと一緒に、鼻がおかしくなるんじゃないかというぐらいに血生臭いにおいが僕たちの周りを囲むように漂い始めた。そのにおいを辿って振り向けば踏切が視界に入った。踏切の真ん中辺りが街路灯に照らされて、黒い液体のようなものが、バケツの中身をぶちまけるように広がっていた。

 あんなの、さっき見た時にあっただろうか?いや、なかったはずだ。まるでホラーゲームでも見ているようだ。そんなことを呑気に思っていたが、その水溜まりから枝のような何かが伸びて、途中で折れ曲がって、びちゃっと水溜まりに小さな飛沫(しぶき)を立てた。それが枝ではなく腕なのだとわかり、水溜まりから這い出てきたのが上半身だけだとわかって、あれが“テケテケ”気づいた時には、僕は自然とリュックから拳銃を取り出して“テケテケ”へと構えて銃口を向けていた。体が勝手に反応して動いてしまうのを職業病というらしいが、これもそうなのだろうか。

「体が自然に動くなら、十分成長しただろうね」

 僕の意思を読み取ったのか、いつの間にかガスマスクを被っているロギはそう言っていた。

「僕の心でも読んだ?」

「『これって職業病かな?』って自分で声出してたぞ?」

 読み取ってくれたわけじゃないらしい。というか、無意識に喋っていたのか。ロギは武器を構えている様子はないが、もしかしたらすぐに動けるようにしているのかもしれない。

“テケテケ”はゆっくりとこちらへ近づいているようだった。踏切を出てすぐの街路灯に照らされて、その姿が鮮明に見えるようになった。長い黒髪に、ブレザータイプの制服。上半身だけで移動するために使われている両手は爪が剝がれかけている指がいくつかあり、既に剥がれている指も見えた。あの異様な光景がなければ、あの“テケテケ”はただの女子学生なんだろう。

「……あ゛……あ゛ー――――――」

 苦しそうに呻きながら“テケテケ”が近づいてくる。しかし、都市伝説の一説にある高速で移動するような様子はなく、そう…それはまるでゾンビのような。僕はそれに照準を合わせる。もしこのまま近づいてきて襲い掛かってくるようなら自衛のために、もしくは反射的に迷わず引き金を引くかもしれないが、姿を見たからすぐに討伐という考えはまだ持つことができず、独断で引き金を引けないでいた。

「ロギ、どうしたらいい?」

「……」

 僕が呼んだことに何も返事がない。拳銃を構えるのをやめずにロギを見れば、職場で見た考え事をする仕草をしていた。

“テケテケ”はゆっくりとこちらに近づいてくる。でも今すぐ襲ってくる様子がなかったからまだ余裕はあるのかもしれないが、襲ってこないとは限らないのだから危険なのには変わりないはずだ。

「ロギ!」

 緊張感のせいか居ても立っても居られず、僕は叫ぶように彼の名前を呼ぶ。最初から気づいていたのか、彼は落ち着いた様子で僕のほうに振り向いたのだった。

「そんな叫ばなくても聞こえてる。……シンギ、一つお前に聞こうか。“あれ”はどうしてすぐに俺たちを?」

 ロギの言う言葉の意味を理解できなくてただ何も答えずに首を傾げた。“テケテケ”のほうを向き直れば、あの存在は未だにゆっくりと自分の体を引き摺ってこちらに近づいてくるだけだった。僕は今回の一件で“テケテケ”と遭遇するのが初めてだから、“あれ”がどんな風に襲ってくるのかわからない。ああやって近づいてくるのはなんとなく想像できても、あれが正しいことなのかすらわかっていないのだ。

「ただ『脚を返せ』と無差別に襲ってくるならもう俺たちは殺されてる。“テケテケ”は動きが早いから。じゃあ…“”はなんだ?」

 彼が何を言いたいのかはなんとなくわかる。でもその核心に触れられない。あれが“テケテケ”じゃあないのだとしたら?見た目だけがああなってしまったのだとしたら思い当たることは一つしかない。

「もしかして、自殺した女子高生?」

「シンギも少しはわかってきたみたいで何より」

 僕へとロギが近づいて、未だに構えていた拳銃を持つ手を握ってゆっくりと下ろさせたのだ。“テケテケ”は僕らから1mほどのところでその歩みを止めた。それだけで何もしてこなかった。

「……返シテ……ア、タシ、ノ……脚、返シテ……」

 今までの怪物より聞き取りやすい声だった。その声が、ただ事務的に喋っている怪物と違って、しっかりと意思のあるものに聞こえた気がした。それが逆に怖いと感じてしまって、気づけば数歩、後ろに下がっていた。

「……シンギ、落ち着け」

 ロギが僕の肩を掴んで落ち着かせるために声をかけてくれる。そしてそのまま前に出ると、武器も構えないまま“テケテケ”から2、3歩離れた所で屈んだ。

「――――自分の足が見つからずに死んだんじゃ、そらテケテケにもなるわな」

 その一言に一瞬、理解ができなかった。だが、ロギのその言葉に“テケテケ”は反応するかのように長い髪のせいでよく見えない顔をこちらへと向ける。きっと、直視してはいけないものだろう。

「どういうこと?」

「高速で走る電車にぶつかって体の一部がどこかに飛んで紛失することはよくある。忘れたころにどこかの屋根から干乾びた腕や脚が出てきたり……とかな」

 彼の話が本当なら、彼女の足もどこかに飛んで行ったのだろうか?だとしても下半身という大きなものがそう簡単に紛失するとは思えない。彼だってそれを分かっていながら話しているはずだ。

「今回失くしたのはこの女の下半身。?」

 僕に問いかけているのかはわからないが、一応否を示すために首を横に振った。

「仮に自殺した時が人気が少ないとはいえ、見晴らしのそこそこ良い道で三階以上の建物が多いから屋上だとか屋根にあるはずはない。どこかに飛んで行ったんならそんなデカい物はすぐに見つかる。それでも見つからない。だとしたら、だ……“お前”の脚は誰に盗られた?“自殺をしてしまった女子高生さん”」

 ロギが問いかける先は“テケテケ”の姿を模した、この踏切で自ら命を捨てた女子高生だった。

「……」

 彼女がまっすぐロギを見つめているのがわかる。本当に彼女は女子高生なんだろう。

「……知らナイ……知ラナイ人……男ノ人。アタシノ後ロ、ズットツイテクル……アイツニ、持ッテイカレタ」

 その話を聞く限りで思いつくのはストーカーという単語だった。

「なるほどね。それだけ聞ければ十分か……。シンギ、これの始末して」

「えっ……?」

 さっきまで女子高生の話を聞いていたロギが、僕の方を振り向くや否や、そう言いだしたのだ。黒色のマスクのせいで、顔全体の表情が完全にわかるわけではないが、彼は女子高生から聞いた話に満足そうにしているようだった。

 ロギの表情と言葉に僕が驚いて動けずにいると、彼は溜息を吐いた。

「こいつからは十分に話を聞けた。あとはちゃんと処理もしないとこいつは自分の今の姿を受け入れきれずに自我を失う。そうしたら、本来“テケテケ”が生まれて、無差別に人を襲うだろうな」

 ロギのその一言に女子高生は頭を垂れる。自分の今の状況を知っているからこそ、なのだろうか。

「シンギ……処理、できるよね?」

 ロギに改めて言われると、僕はやるせない気持ちのまま彼の隣に立って女子高生へと改めて拳銃の照準を合わせた。でもすぐに引き金を引けず、僕は視線だけをロギへと向ける。

「……ロギ、これが終わったら、警察に言うんだよね?」

「……。匿名での情報提供。そこからは警察の仕事だから、望むような結果がくるかまではわからないよ」

 僕たちは警察に属しているけど、あくまでそれは表向きなだけで実際に警察に属しているわけじゃないから、真相に迫るための捜査に参加できない。怪物を相手にしている以外は、僕たちは一般人だ。

「……」

 彼女はそれで納得しているのか、髪で隠れた顔からでは表情を伺うことはできなかった。せめてもうこれ以上の痛みがないように祈りながら、僕は拳銃のグリップを握り直すと引き金を引いた。

 最小限にまで抑制された銃声が聞こえたのと同時に、“テケテケ”の姿を模した女子高生は銃弾の衝撃に頭を道路に叩きつけた。そしてそのまま動かなくなる。その体が黒いシルエットのような見た目に変わってから、その形すら崩れて消えていく。

 僕自身、こうやって怪物を自分の手で殺すことはまだ指で数えるには十分な数でしかやったことがない。ロギが代わりにやってくれている時も、自分でやらなくちゃいけない時も、言い表す言葉が思いつかない感情に自分が圧し潰されてしまいそうな感覚を覚える。

 彼女を形作っていた言葉たちが消えていくのを見ながら、右手で握る拳銃が今にも力が抜けて落としそうになってしまうのをどうにか堪えていた。さっさと慣れるしかない。ロギに何度も言われるが、こんなことに慣れるとは到底思えない。この感覚にいつか慣れる日が来るのかもしれないが、慣れてしまったら、それこそ自分が怪物になってしまうのではないかと思ってしまうのだ。



 後にニュース等で女子高生の消えた下半身が発見されたという報道がされた。

 女子高生にはストーカー被害に遭っていたことが発覚する。匿名で「彼女らしき人物が不審な男性に付き纏われているのを見たことがある」と情報提供があったのだ。そこからは然程時間もかからずに警察の捜査は進み、女子高生に対してストーカー行為を行っていた男性が逮捕され、その男性の家から今まで見つかることがなかった自殺した女子高生のものと思われる下半身が発見された。

 女子高生はストーカー被害に遭っていたものの、家族や友人に相談することはなかったらしい。それが彼女の精神を蝕み、自殺に追い込まれた。それ故に警察の捜査が難航したともいえる。

 ストーカー行為を行っていた男性は最終的には彼女の殺害を目論んでいることを供述していて、自殺した日もストーキングを行い、自殺する瞬間も目撃していたらしい。彼女の殺害が未達成に終わるも、彼女の遺体をどうにか自分のものにできないかと考えた。しかし、上半身が残った踏切近くでは野次馬等の目撃者が多く、不可能と判断したために踏切から遠く離れた場所に切り離された下半身を回収し自宅に持ち帰ったという。踏切での自殺があまりにもインパクトが大きく、下半身を回収する際に目撃者がいなかったとも供述しているそうだ。ストーカ犯が持ち帰った下半身は破損した部分を自分で縫い合わせて、自宅の冷凍庫に保存し、鑑賞していたらしい。しかし、どうして下半身だけで満足したのか。フェティシズム等の結果が出るだけでも気味の悪い話でしかないし、理解したくもないことだ。そしてまたしばらくは報道陣達の答えの出ることのない討論会が続くことだろう。

 怪物は稀に、たった一人の強い思いからも生まれてしまうことがある。とロギから教えてもらったことがある。今回の一件は自殺した女子高生の話が大々的に持ち上がったこともあったが、彼女のストーカーに対する恐怖と自分の脚を返してほしかったという強い思いによるものではないかと僕は思う。

 被害に遭った女子高生が下半身が発見されたことでまた“テケテケ”として顕現しないで成仏してくれることを僕は祈るばかりだ。

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