第3話 “リビングデッド”
前触れもなく急に事件に巻き込まれる。前もって情報があっても、だからとしてすぐに体が反応を示すかと言われれば、無理な話だ。“怪物”はいつどこに潜んでいるのかわからない。僕はそれをその日に知った。
僕は
リビングデットという言葉を聞くと、ゾンビ等の映画を思い浮かぶような言葉だと思われるだろう。
リビングデットとは「死後再び活動を始めた死体」を意味する言葉で、生きた死体、生ける屍などといった表現とは少し異なる。「生気に欠けた人」のような意味合いで用いられる言葉だ。生気に欠けた人となるとゾンビがぴったりの言葉だろう。
さて、ではこんな話はどうだろうか。
最近ニュースで報じられた一つの死体。それの死亡推定時刻と死亡時刻の差が大きく、合わないのだという。
死亡推定時刻と死亡時刻について説明すると、まず「死亡推定時刻」は周囲の目撃情報や、知人や親族からの証言などで、被害者が第三者の視界に入らなくなった時間から遺体として発見されるまでの時間で死亡した時間を大まかに出すものである。
次に「死亡時刻」は遺体を司法解剖した上で、腐敗状況等から死亡した時間を正確に割り出すものだ。
それが大幅なズレが生じるということはどういうことか。簡単に例えるとするならば、被害者はすでに死亡している時間に全く違う場所で何かしらの活動をしているというところを第三者に目撃されているということだ。
それは一体どういうことなのか。それがもし司法解剖の際に用いられる医学や警察の捜査等のミスなどではないのだとしたら?死後、再び活動を始めた死体、リビングデットという言葉がぴったりだろう。
あなた方の近くにもリビングデットがいるのかもしれない。
――――――――――――――――――――(月間オカルトタイムズ、
職場に着いた途端、通されたのはいつものミーティングルームではなく、病院にあるような設備が揃った部屋だった。その部屋には書類らしいファイルを抱えた君原と、無機質な金属の長いテーブルに寝かせられている見知らぬ男の体。体は緑色の布を被せられていて、見えるのは顔だけだった。
「……これ何?」
先に口を開いたのはロギだった。いつも着けている黒色のマスク越しに聞こえる声は少しくぐもっていた。今日は少し機嫌が悪いらしい。いつものことだろうが。
「“歩く死体”……だったものです」
ロギの問いに君原は簡潔に答えた。
「歩く死体ですか?」
ゾンビか何かと予想しながら僕が聞けば、君原は持っていたファイルを開き、詳しい内容を話し出す。
「四日前の朝方、この遺体を通行人が発見しました。警察に連絡している時に急に起き上がって、どこかへと歩いたそうです。偶然居合わせた番犬がそれを追跡した結果、遺体は最初の発見現場から数十キロ歩いて遺体の自宅と思われるアパートの前までところでまた倒れました。それから現在に至るまでは動いていません」
君原の話が本当なら、この男は本当に歩く死体だ。でも、ただ歩いただけで人を襲うようなことはなかった。ただ歩いて、自分の家に帰ろうとしただけ、だとするなら、これは“怪物”なのかと判断しきれないところにある。
「……身元の特定は?」
「それは、この遺体が自殺か他殺なのかも含めて現在調査中です。わかり次第報告します」
「あの……君原さん」
君原とロギだけで淡々と進む会話についていけなくて困惑していたけど、どうしても気になったことがあり、僕も声を掛ける。
「さっき歩く死体って言ってましたけど、どうして死体だって言い切れるんですか?」
僕の問いかけにロギと君原は少し互いを見合わせてから、ロギが横たわっている遺体に掛けてある布をゆっくりと剥いだ。それに僕は驚いて慌ててロギの後ろに隠れてしまった。彼に呆れたように溜息を吐かれてから「ちゃんと見ろ」と言われて、少し息を吐いて心の準備をしてから横たわっている男を観察するように眺める。
裸体である男性の首には青紫色の細長いものが巻き付いたような痕があり、足の裏から膝下にかけて擦り傷のようなものがいくつもあった。裸足で外を歩いていたのだろうか、足の裏は皮が剥けている部分もある。
「この遺体は首を絞められての殺害、もしくは自殺が主な死因と予測されています。そして足の傷は素足で歩いた際にできたものとされています。ですがそれに生活反応が出ていません」
「生活反応?」
「人間が生きている限り体に発生する変化のことだ。怪我をすれば、生きている奴なら炎症や化膿が起こるが、死体はそれが決して起こらない。傷がついても血が出ることはほとんどない。それが生活反応。こいつの場合、首の
ロギの説明に理解すれば、改めて男の遺体を見た。首の赤黒い痣はは君原さんの言った通り紐か何かで絞められた時にできたものなんだろう。次に足を見る。擦り傷や皮が剥がれた個所もある、でも素人以下の僕じゃ、見てわかるような変化はわからなかった。
これ以上の観察はやめてロギの後ろに下がると、深く息を吐いた。それから君原へと視線を移す。
「……君原さんは、これから何かが起こるって予想していますか?」
僕の問いに君原は少し考えるような仕草をしてからぱたんとファイルを閉じた。それから口を開く。
「そうなるかもしれない。という曖昧な返答しかできませんが、いずれは危害を加えるものになるのだと想定して行動しなければなりません。ですからこうしてあなた方を含めた猟犬に報告しているんです」
危険かそうでないかはわからない。でも危険な存在である“怪物”と同類なら討伐対象であることに変わりはない。それが君原の言い分。僕は時々、君原の“怪物”に対する憎悪に似た感情を肌に感じる時、彼女が“怪物”なんじゃないかと錯覚していしまう時がある。そしてロギに対しても似た思考を持ってしまう。
「支部長との話し合いの結果、今回説明した現象がもし起こった場合、この現象を“怪物”によるものと判断します。そして猟犬はその場に居合わせた場合は討伐を行ってください」
君原が説明を終えれば、僕とロギは部屋を出る。入れ替わるように作業着らしいつなぎ服を着た男性が3人部屋に入っていった。
「今の人たちは?」
「さっきの死体を片付けてくれる作業員。ずっと置いとくわけにもいかないだろ」
「ふーん……」
「シンギ」
ロビーに出る少し前でロギが立ち止まると、振り返って僕の方を向く。
「お前、今結構キツいだろ」
「……」
「煙草吸ってるから、その間にトイレ行ってこい」
「うん……ごめん」
見慣れない死体のせいで僕は吐き気を催していた。どうにか周囲に知られないように平然を装っていたけど、ロギには意味がなかったらしい。彼に「行ってくる」と改めて声をかけてからトイレに行った。
トイレに駆け込んでも、結局吐き気がするだけで、実際に嘔吐するようなことはなかった。でも未だに腹から何かが圧し上がってくるような感覚がしてえずいてしまう。
いい加減個室に籠るのをやめて、手洗い場に移動すれば、蛇口をひねって水を流す。何度かうがいをして幾分か気が楽になるかと思ったが、ほとんど変わらなかった。
ふと、鏡に映る自分の姿を見た。白銀の長い髪を一つに纏めていて、赤い双眸が目立つ。そう、まるでアルビノのようだ。本来、僕は他の人と変わらない黒髪黒目の人間だったのに。
それに加えて今回はこの吐き気のせいなのか、顔色が悪い。蒼白に近い顔色だ。
「ひどい顔してる……」
自分の容姿についてほとんど触れることはなかったが、今回ばかりはそう口に出して言ってしまう。思い出したくもないが、先程見た遺体の顔よりも酷い顔付きをしている。それこそまるで死人のような。
深く溜息を吐くと、流したままだった水道の蛇口をひねって止める。口元に残っていた水分を拭い取って、どうにか吐き気を堪えながら、トイレを出た。
トイレを出てすぐの廊下で、ロギはいつもの黒色のマスクを片手に持ったまま煙草を吸って壁に寄りかかっていた。僕のことが彼の視界に入れば、まだ火を点けて間もないだろう長さの煙草を備え付けの灰皿に捨ててマスクを着けながら近寄ってくる。
「終わったか?」
「うん。これからどうするの?」
「仕事もないし帰るぞ。この一件のせいで、しばらく仕事もなさそうだしな」
少し面倒くさそうにしながら歩き始めたロギについていきながら、僕はなるべく平然を保とうとする。ロギにはバレてるかもしれないが、吐き気が治まったわけじゃない。腹の中がぐるぐると渦巻いているような感覚に陥っている。何かが圧し上がりそうでえずいてしまう。
外に出れば涼しい風に当たって少しは気分が晴れた気がする。思いの外、今の僕は結構参っているみたいだ。食欲も湧かないし今日は帰ったらすぐに休もう。
渡された半ヘルメットを被れば、既にバイクに跨っている彼の後ろのシートに跨る。ふわふわしているこの感覚ですでに体調的にまずい。
「ロギ、あのさ……なるべくゆっくりで頼んでもいい?」
「何が?」
「運転。酔いそう」
「えー……」
いつもこうして移動する時に運転が荒いわけではないけど、今日は特にゆっくりでとお願いする。そうしたらロギはさらに面倒くさそうに僕を見た。
「乱暴な運転したらロギの背中に吐くからな」
なんとも微妙な脅迫のようなことを言えば、ロギは溜息を吐いてから「善処する」と頷いて前を向いた。バイクが走り出す。善処すると言ったわりには、いつもよりは幾らか丁寧な運転だったと思う。おかげで乗り物酔いで悪化するようなことはなかった。
いつもよりゆっくりな時間をかけて家に着けば、僕は入浴を早々に済ませてベットに横になった。吐き気が治まる気配がない。そのせいで食欲もないのだ。明日になれば治るだろうか。明日も学校だから治ってくれていないと困る。…そういえば、一緒に見ていたロギは大丈夫だろうか。嫌でも慣れると言っていたことはあったけど、僕は絶対慣れたくない。慣れたら何かが壊れる気がする。死体を見慣れるなんてこと普通はあってはいけないことだから。
何も無いはずなのに腹からこみ上げてくる何かを抑えながら布団を目深に被ると寝ようと目を閉じる。そうすればすぐに意識は深い淵へと落ちていく。
吐き気は治まったけど気分もあまり晴れないまま翌日を迎えて、僕は学校に行くための用意をしていた。気分は晴れないが食欲はそこそこ出てきたのはよかったと思う。ロギはというと、いつもの様子で珈琲を飲んでテレビを見ていた。慣れとは恐ろしいものだ。
登校はロギに学校まで送ってもらう。そのおかげで朝は割とゆっくりと準備ができるのでありがたい。
「ロギ、準備できたよ」
「んー、あと5分待って」
いつものロギはニュースをつまらなそうに眺めて、僕が通学の用意が終わればすぐに出発するはずだったのだが、今日は珍しく待ってほしいと言われた。彼の様子を見てみれば、連絡が着ていたのかスマホの画面を眺めていた。
「何見てるの?」
「昨日の一件の追加情報。まあ、動く死体が増えたって話だけだけど」
「昨日の?」
件の動いた死体。その一件になんの進展があったんだろうか。
「警察の方での処理し切れなくなった死体の数が増えたらしい。あと、昨日の死体は殺された死体らしい。詳しいことは学校終わったら教えるけど――簡潔に言っちゃえば、これは長引きそうな案件になりそうだってことかな」
彼の話を聞く限り、これは簡単に終わるようなことにはならない。それを悟れば僕は溜息を吐きながら教材を詰めたリュックを背負う。
「それって、他の“怪物”みたいに犠牲者出したりするの?」
「可能性はまだ低いとしか言えないな。でも、限りなくゼロに近いわけじゃないから必ずしも人を殺さないなんてことはないだろうな」
「答えが曖昧だね」
「初めての事例ならそんなもんだろう。憶測の域でしかないよ」
「でもそれでもどうして討伐とかそんな指示がでるわけ?」
「……危険なものが出回ってることを知ってる奴らは、どんな些細な異常も敏感に反応するし、そのほとんどを最悪のケースで考えるからだよ」
ロギがソファーから立ってスマホをジーンズのポケットにしまえば、いつものロングカーディガンを羽織る。「行くか」と玄関へと足を進めれば、僕もそれについていく。ロギについていきながら、少し考える。ロギの言った通り、この案件が長引くとしたら、定期的に湧いて出てくる“口裂け女”や“テケテケ”みたいに終わりの見えないものになんてしまうんだろうか。ロギからの新しい情報を貰わないとまだ僕の考えもまとまらない。情報が足りない。憶測の域でしか動けない。わからないことが多いことは恐ろしいことだと思う。
そしてそれ以上に恐ろしいのは……。
「あのな、昨日駅の近くでゾンビ見たんだよ。すっごい騒がしかったぜ。野次馬が写真撮ったりしてさ」
僕が通う学校の友人から、気になっている案件に似た話を聞くこと。
「……ゾンビ?」
「そうそう。昨日部活の先輩と飲み物の買い出しに行ってたんだけど、なんかやたらと騒がしい集団を見たんだよね。それで先輩が気になってそっちに行ってさ、俺も流れで行くことにしたんだよ。そしたらさ、いたんだよ。ゾンビが」
どうしてそれがゾンビだと言い切れるのか聞けば、「頭からたくさんの血が流れていて、脚や腕が変な方向に曲がっていて、引き摺るように歩いていたから」らしい。
青葉の話を聞くと、昨日の動く死体の話を思い出す。あの動くことのなかった体が動き出したように、青葉の目の前で誰かの死体が動いたのだろうか。それが今朝ロギが言っていた増えた死体なのだろうか。
「……コスプレとかじゃないの?」
それでも、それが僕のよく知る“怪物”だと信じたくないのは、青葉のためを思ってのことだ。
「それはないよ。だって、そのあとそのゾンビ、バスに轢かれたんだ。それでも動こうとしてて、少し動いて終わったかな……」
青葉がさらりと言ったその言葉を聞いた途端、背筋がぞっとする感覚に浸った。呆気なく打ち砕かれる僕の心の余裕。これは、まずいことになった。
青葉が、被害に遭うことはなかったとはいえ巻き込まれている。こうなると今後も何か異常なことに巻き込まれる危険性がある。縁とはそういうものだとロギが言っていたし、あの職場に勤務している人たちも大半は異形に巻き込まれたことが原因で日常から離れた生活を余儀なくされている。僕も実際、仕事でもないのに巻き込まれたことだってある。それを考えれば青葉は今後、非日常的な危険なことに巻き込まれる。それは何としても避けなければいけないことだったのに。
「……シンギ?」
青葉に呼ばれてはっとなって顔を上げれば、彼は心配そうに僕を見ていた。考え込んで周りが見えなくなっていたようだった。心配そうにこちらを見てくる青葉に大丈夫だと告げれば、安心させようと笑って見せる。
「……あのさ、今日一緒に帰ろうよ。確か今日は部活休みでしょ?」
とりあえず青葉を一人にさせてはいけないと考えれば、そう言って話を逸らそうとする。青葉は少し疑うように僕を見ていたがすぐに頷いてくれた。
「ならさ、駅前でご飯食べようよ。今日午前で終わるし」
「うん。いいよ。どこで食べようか」
「アーケード街にサンドイッチ食べれるところあったじゃん。そこにしようよ」
青葉の言う店はおそらくファーストフード店。僕も行ったことのない場所だし、気になっていた店だ。とりあえず、この事は一旦忘れて、青葉との昼食を楽しもう。変に意識し過ぎれば、彼に怪しまれる。これ以上、巻き込みたくないんだ。
「僕もそこ気になってたんだよね。授業終わったらすぐに行こうよ」
無理矢理にでも笑って、話を続ける。
地を這いずる音が聞こえ始めるのを、気にしないふりをしながら。
忘れようにも忘れられなかった考え事のせいで、サンドイッチの味がほとんどわからなかった。昨日のせいで肉を食べる気になれなかったから野菜重視のサンドイッチを注文した気がする。青葉はハムサンドとか三種類くらい頼んでいた気がする。運動部だからなのかわからないけど、よくそんなに腹に収まるなと思う。
「シンギあれだけで足りるの?」
「むしろそんなに食べてお腹破裂しない?」
そんな軽口を叩きながらどこへ行くわけでもなく、だからといって帰るような雰囲気にもならず、アーケード街を歩いていた。平日は休日と違って人混みの量は少ない。仕事中なのかスーツを着ている人もいる。日常が目の前にある。
そんな中に、どこか見慣れた後姿がいた。
「……ロギ?」
「……シンギ?どうした?」
「あ、いや……なんでもないよ。知り合いがいた気がしたんだよ」
そう。黒髪に長身で深緑色のロングカーディガンを羽織る男性の後姿は僕の知っている人物。僕一人だったら確かめに行っていたかもしれないけど、今は青葉がいるから無理に動く必要はないだろう。家に帰ったら本人に聞けばいい。
そう思っていたら、青葉は僕の手を掴んで引っ張りだした。
「え?え、っと……青葉?」
「知り合いって誰?会いに行こうぜ?」
「はあ!?なんで?」
青葉の突然の思いつきに僕は慌てて実行しなくていいと首を横に振る。
「お前の知り合いとか見たことないし、丁度いいから見てやる」
そう言いながら青葉は楽しそうにしているが、僕は本音を言うなら興味本位でそんなことしなくていいと叫びたかった。ここじゃなくて、別の機会でもいいだろうと。正直紹介はしておこうと思ってはいたが、今じゃなくてもいいだろうと。必死に頭の中で青葉を止める言葉を考えていたが、少し離れた所から見える見慣れた後姿はその歩みを止めて、こちらを振り向いた。
「――シンギ?」
その後ろ姿の男はやはりロギで、いつも黒色のマスクを着けていた。服装を見る限り、深緑のロングカーディガンを羽織っているということはいつものククリナイフも携帯しているんだろう。
ロギは僕と青葉を見てから首を傾げる。どうしてここにいるのかと尋ねたいのかもしれない。
「……友達?」
「う、うん……クラスメイトの青葉っていうんだ」
「こんにちは!俺、シンギの友達の稲瀬青葉っていいます」
人懐っこい笑顔で挨拶をする青葉にロギはずいぶんと落ち着いた
「ふうん?……青葉君。僕は
い、一人称が「俺」じゃなくて「僕」になってる。初対面相手だから猫を被っているのはわかるけど、僕たちの上司である龍御寺にですらいつもの調子でしか話さないのに、この差はなんだ?こいつは本当にロギか?別人か?
「一応?」
「ややこしい話があってね。そこまでは話すことはできない。でもまあ、こいつ自身は普通にいい奴だし、仲良くしてやってほしいな」
保護者としての立場があるから出る言葉なんだろう。僕には彼がどんなお面を被ってそんなことを喋っているのかわからない。元々、ロギの中身を知ること自体が困難なことだ。
立ち話もなんだし、場所を変えようかと移動を始めて、僕たちはアーケード街を歩き始める。青葉は興味津々にロギを見ていた。
「ところで、二人はどうしてここに?学校は午前で終わるのは知ってたけど」
たぶん、保護者として一応やっておかねばならない会話を終えたんだろう。次の話題は僕たちがここにいることになった。
「あ、午前で終わるから青葉とご飯食べようってなって、さっきまで店にいたんだ。……ロギは、どうしてここに?」
だから僕が簡潔に訳を話して、今度は僕がロギがどうしてここにいるのかを聞く。
「君原に呼び出されて、見回りやれって怒られた」
「君原さんに?」
「……獅琉さんって、警察かなんかっすか?」
「ん?……ああ、警察関係者ってやつだよ。上司にパトロールしろって言われてね。あまり気乗りしないけど」
ロギはいつも通りの表情で誤魔化す言葉を言っているが、僕は内心かなり焦っていた。こうもすんなりと誤魔化せるんだからすごいと思う。僕もいつかはそうやって青葉に嘘を何度も吐くんだろうか。
しばらく近くの喫茶店に入れば、禁煙席の空いている席を探して座る。
ロギが喫煙所を見つければ一服してくるとそっちに行ってしまう。先に注文していいと言っていたので、僕と青葉とでメニュー表を見る。
「青葉、なんか楽しそうだったね」
「そう見えた?」
「うん。ロギと話してるとき楽しそうだった」
青葉は人見知りをするような人ではないし、誰とでも仲良くなれる性格だ。だからすぐにロギと打ち解けるだろうけど、あの表情は普段よりかなり楽しそうにしている時の顔だ。
「シンギの知り合いが見れたのが、うれしかったんだと思うよ。お前、あまり自分の話しないしさ」
「そうかな。してると思うけど」
自分のことは不自然のない程度に話しているはずなんだけどと首を傾げていると、青葉は呆れたように僕を見ていた。
「寝不足の話しか聞いた覚えがないぞ?」
「そうだっけ?まあ、知り合いの話はした記憶はないけどさ」
「だろ?だからお前の知り合いを見れたのはかなりの収穫だと思うぜ?」
「なかなか見れない一面が見れた気がする」と青葉は口角を上げてそう言った。僕もそんな青葉の新しい顔を見た気がする。
その後ロギが戻ってきて、欲しい飲み物を注文して、他愛ない話をした。ロギの話を聞こうと必死に青葉が話しかけていたり、仕事のこととか、とにかくロギのことを聞こうとしていた気がする。返ってきたのは大半が嘘の話だったけど。それから続いた話題は、僕が家で何をしているのか、だった。ロギはちらりと僕を見てから「勉強と読書とか」とあまり違和感のない話をしてくれた。
一時間くらい話して、僕たちは解散することになった。こっそりロギに僕も見回りをしたほうがいいかと聞いたら遊んでいいと言われたので、もう少し青葉と遊ぶ予定だ。
「じゃあ僕は仕事に戻るから、君たちは危なくない程度に遊んでね」
「珍しく大人っぽいこと言ってる」
ロギの猫かぶりにも慣れてきたので嫌味も言えるようになってきた。
「俺だって仕事はしますから」
あー……仕事ですもんねー。スイッチ入ると人が変わるもんねー。青葉が少し不思議そうにしているが、追求をするようなするようなことはなかった。それに少しありがたいと思いながらロギと別れようと足を動かし始めた時だ。
スンとにおいを嗅ぐ動作が聞こえた。
僕が振り向いてロギを見れば、彼は表情を変えてどこか探すように周囲を見ていたのだ。大袈裟な動きじゃなくて視線を動かしているだけだったが。まさか、こんなタイミングで?
「……ロギ?」
「――シンギ。青葉君連れてどこか行って。昼間だっていうのに場所も考えずに出てきやがって」
ぶつぶつと文句を言いながら場所を特定できたのか僕にそう指示すると、僕らを置いてどこかへと歩き出してしまう。
「……シンギ?獅琉さんどうしたんだ?」
「あー……えっと、仕事みたい。僕らは邪魔しないようにどこか行こうか」
「……」
青葉に仕事だからと話を逸らさせようとした。けど彼の表情はどう見ても何かを企んでいるような表情で。にやりと笑いながら僕を見た。
「ついていこうか」
やめてくれ。割と本気で。
青葉は変なところで探求心のスイッチが入る。それは高校に入学してからではあるがそこそこの付き合いを持っている僕でもスイッチが入るタイミングが全く分からない程に。それがロギの仕事を覗こうだなんて誰が予想がつく?誰もつかないよ。きっと。
「やめておこうよ。邪魔になったらロギも怒るよ」
「大丈夫だって。邪魔にならないように離れた所で見ればいいんだからさ」
こうなったときの青葉は何をしても止まらない。それが例え他人の迷惑になるようなことになったとしても。最低限邪魔にならなければ問題ないだろうという、軽い気持ちを持って。
どこへ行くのわからないロギを少し離れた所からついていく。何度かやめさせようと説得をしたけど結局ダメで、だからせめて彼の最低限のストッパーになろうと一緒についていくことにした。もし巻き込まれた時に守れるようにも。
ロギに気づかれないように追いかけながら僕は背負っているリュックの上からいつも入れている拳銃を触る。普段は仕事以外の時は持ち歩かないが、今回の一件のせいで、万が一“怪物”が現れたときは討伐するようにとロギに言われ、渋々だが持ち歩くようになったのだ。
「何かあったら、助けてあげるから」
「ん?……シンギ、何か言った?」
「なんでもないよ。早く行かないと、見失うんじゃない?」
「近づき過ぎたらばれるだろ?こういうのは加減が難しんだよ」
まるでストーカーのような発言だ。危うく呟いた言葉が聞こえそうになったがすんなり誤魔化せたので、ロギの追跡を続ける。おそらくロギは何かのにおいを嗅ぎ取った。それが“怪物”に関係することなのはわかるけど、今問題になっている“動く死体”なのかまではわからない。でもこんな昼間で起こるならそれなんだろうな。
ロギが人通りの多い道から逸れて全く人のいない路地へと入る。
「獅琉さん、見回りの仕事って言ってたけどここって……」
「……」
青葉がロギが入った道の手前で隠れながら呟く。僕もそれと一緒に覗いて異常がないか確認する。人はいない。ロギ以外に生きている人は。
「……あれって……」
「うん……死んでると、思う」
ロギが道に入って少し歩いたところで立ち止まった。その先にあるのはうつ伏せに倒れている男性と思われる人物。動く様子が見られないから死んでるんだろう。ロギはさっきいたアーケード街から離れたこの誰も入らなそうな道にいる死体のにおいを嗅ぎ取ったのだろうか。
「……」
僕と青葉で様子を見守っていると、ロギはその死体と思しき男性の体の手前で屈む。男の腕を掴んで、脈を測っている様子だった。それで何かがわかったのかすんなりと手を離すと、立ち上がって振り向いて僕たちの方に向かって足を動かし始めた。
「や、やばっ……シンギどこか隠れる場所」
「ないよ……諦めて怒られようよ」
どうせ、においでばれているだろうと思考のどこかで察していた僕は溜息を吐きながら逃げようとする青葉を止める。そうしているうちにロギは僕たちの目の前まで来て僕たちを見下ろしていた。
「……何やってんだよ。遊ぶんじゃなかったのか?」
「いや……えっと……」
ロギの問いかけに青葉が言葉を詰まらせる。言い訳を考えようにもあの死体のせいで考えなんてまとまらないだろう。僕も言い訳のしようがないから黙っている。
「……まあ、いい。二人ともこっちこい」
ロギは僕たちの様子を見て何を思ったのか、彼は僕たちを手招きしながらまた路地へと入っていく。さっきみたいに猫を被った様子もない。青葉が少し戸惑いながらついていったのを見てから僕はその後をついていく。未だに倒れたまま動かない男を近くに来て観察すれば、血生臭いにおいが漂い始める。そのにおいに僕は思わず鼻と口を手で覆った。
「ひっくり返さないほうがいいな。自殺と仮定すれば飛び降り。ここの建物は5階だから潰れてぐちゃぐちゃみたいな大きな外傷は少ないだろうけど、運良く首は折れてるな。おおよそ死因はこれだろうな」
ロギがまた死体の前に屈んで調べ始める。青葉はそれに目を背けながら僕の隣に立っていた。
「……獅琉さんってこういうのいつも?」
「……いつもじゃないよ。こういうのは別の人にやってもらって、その結果を教えてもらってから調べてるみたい」
青葉が僕を見てそう聞いてきた。死体は見たくないだろうけど、やっぱり気にはなるんだろう。だから普段の活動を教えてあげた。それくらいなら大丈夫だと思って。
ロギは調べ終えたようでスマートフォンをジーンズのポケットから取り出してそれを操作してから耳に当てる。おそらく君原に連絡しているんだろう。すぐに電話越しに君原の声が聞こえた。
「青葉、大丈夫?」
僕もあまり大丈夫じゃないが、そうそうこういうことに出くわすことがないだろう一般人を巻き込んでいるんだ。それを考えればいくらか我慢はできる。
青葉は顔色を悪くするわけでもなく、何故か慣れたのかロギの様子を興味深そうに見ていたのだ。
「青葉?」
「……え?」
不思議そうにこちらを見ている青葉に僕は溜息を吐いた。死体を前にしてなんで平気でいられるんだ。
「平気なの?」
「んー……わりと」
自分でも不思議なのか首を傾げながら彼はそう答えた。僕もどうして平気なのかと不思議に思って青葉を見ていたが、ロギが連絡も終えて僕たちのところに戻ってきた。
「ロギ?」
「君原と連絡とって、この死体を回収してもらう。前例があるから動き出すことも考えられるから、念のため経過観察も兼ねるってことになった」
「もし動いたら?」
「何か細工がされているのか調べるために解剖されるだろうな」
解剖という言葉を聞けば、僕は死体を見た。あの死体が解剖されて何か解決策が出てくれれば、いいほうなんだろう。でもなんとなく解決策が出るような結果が出る気がしない。
「……シンギも、獅琉さんと同じ仕事してるのか?」
「……うん」
ついいつもの癖でロギの話を聞いてしまった。ロギは青葉を見て小さく溜息を吐いていた。僕はこれ以上言いくるめても意味がないと諦めて素直に頷いた。
「ごめん。こういうの人に言えないし」
「まあ、言えないよな。こういうの人に信じてもらえないだろうし」
「それもだけど……その……こういうの人に言えないって理由がちょっと違うんだ」
「違うって?」
「これこそ信じてもらえないだろう……けど……」
だろうけどと言い切る前に僕の後ろでずるずると重たいものを引き摺るような音が聞こえてきた。その音が鮮明に聞こえてぞわぞわと危険を知らせるように鳥肌が立っていく。振り向けば、ロギが死んだと判別していた男の死体がずるずると何度も倒れながら起き上がろうとしていたのだ。
「ろ、ロギ!?あれって死んでたんじゃ……」
「な、なんだよ、あれ……昨日見たゾンビ!?」
「青葉、行こう!? 危ないから」
死体が置き上がってどうにか歩けるような体勢になったのかずりずりと足を引き摺りながら僕たちのほうへと歩み寄ってきたのだ。ロギは大丈夫だろうけど青葉に危険が及ぶのはまずいと考えて彼の腕を引っ張ってここから離れようと言う。
それなのにだ。ロギは青葉がまだ動けないでいるのに羽織っていたロングカーディガンの中に手を入れ、するりとククリナイフを抜き身のまま一本取り出したのだ。ここで片付ける気でいる。それがすぐにわかった。
「ロギ!待ってまだ青葉が……」
「手間が増えるのは面倒だ」
その一言で片づけて、ロギは僕らへと近づいてくる死体の首へとククリナイフを振るう。少ししてごとりと頭が落ちて、それから体が糸が切れたように倒れた。隣で青葉の引き攣った悲鳴が聞こえた。でもその声は小さく、すぐに周りの車や行き交う人たちの騒音に掻き消されるようなものだった。
ロギがしばらく倒れた首を切り落とされた死体を見ていたが、問題ないと確信したのか僕たちのほうへと改めて振り向いた。それだけで僕と青葉の肩が驚いた時のように跳ねる
「――青葉君」
「は、はい?」
「ここで一つ約束してもらおうか。ここで見たこと聞いたことは他の誰にも言わないって」
「え……えっと……」
「でないと、次は君があれと同じようになって被害者として隠蔽して処理されることになるよ。……もう少しわかりやすく言えば、誰かにこのこと話したら殺す」
「こ、殺す!?」
突然の連続で何も言えないのに、ロギは構わず話を続けてしまう。血で汚れたククリナイフを隠すことなく。しかもかなりドストレートに。
「ま、待ってロギ、青葉にちゃんと説明しないと余計に混乱するだけだから……」
「……」
困惑して何も言えない状態である青葉を助けようと、僕は二人の間に割って入った。どうにかそう話してロギから離れさせると、僕は青葉の腕を引っ張って路地を走って出て大通りへと走る。ロギは報告もしないといけないだろうから、そこを動けないはずだ。
後ろを振り向けば、ロギの姿は見えなかった。追いかけてきていないようだった。それがわかれば安心して走るのをやめて、このまま家へと帰るルートを歩き始める。
「青葉、とりあえず僕の家に行こう。そしたらちゃんと話すから」
「ああ。さすがにちゃんと説明してもらわないとわからないしな……」
青葉の返事を聞いて、落ち着いたのだとわかれば、そこで僕はようやく引っ張っていた彼の手を離した。
「ごめん。あの人仕事となるとこうして簡単に冗談抜きで人殺そうとするから」
「うん。さっきのアレを見れば何となくわかる」
しばらく歩いて自宅のマンションに着けば、セキュリティを認証キーで解除して中に入る。エレベータに入れば12階のボタンを押す。大した時間もかからずに目的の階に着けば自宅の玄関の鍵を開けて中に入る。友人と一緒に。
今回で初めて友人を自宅に入れた。今回の一件でなければ嬉しいことなのに。
青葉をリビングに通して、僕はキッチンに向かう。冷蔵庫から冷えたお茶が入ったペットボトルを出してコップに二人分注いで、リビングに戻った。三人掛けのソファーに座っていた青葉の隣に座って、コップをローテーブルに置く。
「ありがと」
「うん……えっと……」
自分の分のお茶を飲みながら、どこから話そうかと考え始める。
僕自身、仕事についての理解はある程度しているが、だからといって説明できるかと言われれば別で、誰かに説明などしたこともなかったからうまく言えるかわからなかった。でも、自分が説明すると言った手前、言わなければならない。ロギに任せたくないと思ってしまうから。
「ごめん。どこから話そう……」
「じゃあ、俺が質問するからそれに答えるってのは?」
「そ、それなら……なんとか」
うまく説明できる気がしなくて、説明しなきゃいけない相手に助けを求める事態。僕を見て青葉はどう思ったのか、そう提案してくれて助けてくれた。それなら何とか説明できそうだ。
「じゃあまず……あれは何?」
「うん。青葉も見たと思うけど、あれは文字通り“怪物”って呼ばれてるもの。さっきのあれが“怪物”になるのかは調べてみないとわからないけど、ああいうのがたくさんいて、僕たちはそれを倒すのが仕事なんだ」
「……あまり信じられないけど、さっきの見たら嫌でも信じなくちゃいけないもんな……信じるよ。で?獅琉さんはともかく、なんでシンギまでその仕事をしてるわけ?巻き込まれたってこと?」
「それは……僕も、“怪物”に出会ったんだ。僕の親を殺した“怪物”に……」
僕は中学を卒業したその日に自宅で両親の死を目の当たりにした。
卒業式を終えて、帰宅した僕がすぐに気づいたのは今まで嗅いだことのない生臭いにおい。その臭いを辿って台所に入ってすぐに気づく、食い散らかされた両親の死体。わけがわからなくなって、その場から動くことができなくて、両親を食っていた“怪物”がすぐに僕に気づくと次の標的を僕に変えたのか襲い掛かってきた。
そこからは何も覚えていない。
殺されたんだと思った。
それなのに僕は目を覚ました。凄惨で真っ赤な台所ではなく、清潔で真っ白な病室のベッドの上で。
「でも、どうして僕が生き残ったのかわからない。あの日、僕は殺されたんだと思った。だけど、僕はこうして生きてる」
ずっとわからなかったのだ。どうしてこうしてここに生きているのか。
黒かった髪の毛が白銀になって、黒かった目が赤く染まって。別人ようになってまで。そして、その時の記憶がぽっかりと穴が開いたように無くなっているのだ。
「その見た目が病気のせいだっていうのは嘘だったんだな?」
僕はそれに肯定の意味を込めてゆっくりと頷いた。
学校では僕の見た目のことを重度の病気にかかった末に負った後遺症だと偽っている。本当は両親の死を目の当たりにしたことによる過度のストレスではないかと思われている。
「“怪物”に関わったら、今の青葉みたいに誰にも言わないようにさせるか、僕たちみたいに仕事をしなくちゃいけない。……僕は“怪物”に出会って襲われたはずなのに何故か生きてた。だから、監視も兼ねて一緒にいるんだ」
「……監視って?」
「僕が――“怪物”かもしれないから」
僕の過去も話した上で、仕事に協力している理由を話す。
僕は彼らに監視されているのだ。“怪物”を目撃して襲われたはずなのに何故か生きている僕のことを。
それを話したら、青葉は目を見開く。当然のリアクションだ。さっきまで黙って僕の昔話を聞いてくれただけですごかったけど。でもそれから少しの間も経たないうちに僕の両肩を強く掴んで叫んだ。
「お前があんな“怪物”なわけねーだろっ!」
予想外の言葉に僕は唖然と青葉を見つめていた。僕だって自分が“怪物”かもしれないという可能性を信じたくはないが、あの日の記憶が曖昧ででしか覚えていないことで、僕が“怪物”じゃないという信憑性がないのだ。
「それに、キッチンの血の量は両親だけで僕は怪我なんてしてなかった。だから、あの人たちは僕を疑ってる」
「でも、お前は“怪物”なんかじゃないよ。絶対に」
「……何を根拠に?」
「それは……俺にもわかんない」
そう言い切った青葉に僕は思わず笑ってしまう。可笑しい。本当に。でも、救われた気がする。抱えているものを誰かと共有して、それを否定してくれたのが嬉しかったのだ。なんの根拠もないのに。
二人で笑いあってから、これからのことを話す。
「青葉がこのことを誰にも言わないなら、今まで通りの生活ができるよ。何も変わらない。でもたぶん青葉にも協力してほしいって言われるかもしれないんだ」
「協力って?」
「うーん……僕もまだよくわかってないんだけど、縁って不思議なもので。こうして何かおかしなことに巻き込まれれば、今後またそういうのに出会うことが多くなるかもしれないんだ。僕も実際そうだし」
「ああいうゾンビみたいな?」
「それもだし、都市伝説とか怪談話で出るような化け物とか」
「うわー……」
「……それで、そういうのを見たりしたら、どんな小さなことでもいいからそのことを教えてほしいんだ。情報は大切なものだから」
僕がそう言うと、青葉は少し考えこんでから口を開く。
「まるで漫画の世界だな」
「……そうだね」
「でも、いいよ。それぐらいなら。そうしたら今まで通りでいられるんだろ?」
「うん」
「でも、他の大人に話すのはちょっと嫌だから、全部お前に話すからな?それが条件。信用できる相手としか話さない」
それぐらいなら、大丈夫だろう。僕はそう思ってその言葉に頷いた。
それからロギが帰ってきたのは、夕方のことだった。
青葉が彼を見た途端警戒したが、ロギはそれを一瞥しただけで、疲れたように一人掛けのソファーに座って溜息を吐くだけだった。
「君原に怒られた」
ロギはそう言った。
「怒られた?」
「今回の“怪物”を片付けたことはともかく、巻き込んだ一般人の口封じを恐喝紛いのやり方でやるなって」
「……」
「……」
だから遅かったのか。君原の説教長いから。でもあれは、恐喝というより殺人未遂だと思う。
青葉もそれを聞くと警戒を解いたのか、いつも通りの様子でいた。
「ロギ、青葉に全部話した。誰にも言わないって約束してくれた。情報も、もしあったら話してくれるって」
「……それで?口約束ならいくらでもできるよ?口約束も契約書にサインしたのと同じ効果を持つけど」
「信じられないってこと?」
「二人には悪いけど、こっちとしては情報の流出は何よりも怖いものだ。俺たちは噂の中だけでしか存在しないものを狩る存在。いわば、俺たちだって存在しないものだ。情報の提供をしてくれるかもしれないけど、俺たちの情報を友達に怪談話するみたいに話す可能性だってある。『うっかり口を滑らせた』じゃ取り返しがつかない」
ロギの話も一理ある。僕だってこれまでこのことを話さないように意識しながら青葉や他の友人達と接してきた。僕たちだって、都市伝説の存在。いや、その噂にすら出ることのない存在だ。
青葉も複雑な表情をしながら話を聞いていた。青葉ならそういう約束は守ってくれると信じてはいる。でも、それを言ったところでロギが信じてくれるかは怪しいのだ。
「……俺を監視する。それならどうだ?」
「青葉?」
青葉が突然そう言った。彼は迷いなくロギに提案する。
「俺が誰にも言わないように、監視すればいい。そうすれば、俺は誰にも言えないだろ?」
「……そうしたら、お前はストーカー被害に遭ってる被害者みたいな生活送ることになるけど?」
「それは……仕方ないけど……でも――それなら、シンギとこれからも遊べるんだろ?」
正直、驚いた。信用してもらうために、自分の自由を手放したのだ。普通じゃ考えられない。それでいいのかと思わず青葉に言ってしまいそうになる。ロギもさすがに驚いていて、目を見開いて青葉を見ていた。それから少ししてロギはいつもの表情に戻る。
「……わかった。学校での監視はシンギ、お前がやれ」
「え?僕が?」
それ以上に予想外のことをロギに言われて、僕は吃驚しっぱなしだ。青葉の監視を僕に一部任せられた。友達の監視とは嫌な響きだ。
「それ以外はうちの番犬にやらせる。でも、登下校とかの外出の時と、青葉君がネットを使っている時に限定……俺たちからできる最大の譲歩だ。それでいいならいつも通りに生活してもらってかまわない」
「……わかりました」
「……シンギ、駅まで送ってやれ」
「うん……」
ロギに言われて、僕と青葉は家を出る。
夕方なだけあって、授業を終えた学生や、仕事を終えたのかスーツを着た男女が通りを歩いていて、混みあっていた。
駅まで送る道すがら、僕は青葉に話しかける。
「どうしてあんなこと言ったのさ。自分の生活がしづらくなるって考えなかったの?」
「そりゃそうだけどさ……あのままじゃ、俺、問答無用で殺されてそうだったし」
ロギならやりかねない。あの人はそういう人だ。
「それに、お前の仕事の愚痴を聞けるって思えば、いいかなって」
「仕事の愚痴?」
「お前のことまた知れるんだ。今度は嘘とか吐かないだろ?」
漫画の主人公が目の前にいると錯覚してしまうのはなぜだろう。好奇心旺盛で、友達思いで、そのためなら自分すら簡単に犠牲にしてしまう。そんな少年漫画のキャラクターがそのままここにいるみたいだった。思わず笑ってしまう。
「……青葉が“怪物”に会わないように守るのが僕の仕事」
「じゃあ、俺はそんなシンギのことを支えてやるよ」
面倒見のいい、自慢の友達。
巻き込みたくはなかったけど、おかげで少し、距離が近くなった。
青葉を見送って家に帰ると、煙草のにおいがした。甘ったるいにおい。確かガラムとロギが前に言っていた。
「ただいま」
リビングに入って煙草を吸っている主に言う。
ロギは一人用のソファーに凭れて、煙草を吸っていた。黒いマスクは外されテーブルに置いてあった。
「おかえり」
ロギはそう返事をすれば、吸い切ったらしい煙草を灰皿に押しつぶして火を消す。空だったはずの灰皿に5本、吸い殻があった。僕が青葉を駅まで送っている間に吸っていたんだろう。
「青葉のこと本当に監視するの?」
「……半分は本当」
「……半分?」
ロギの返答の意味がわからず、僕は首を傾げてしまう。
「監視する範囲、さっき言ったよな?登下校含む外出とネットを使っている時、学校ではお前が監視する」
「うん」
「俺たちが監視をするのは、青葉君がネットで何かを書き込んだ時。俺たちに関する情報を掲示板なりSNSなりに書き込まないかを監視する。それ以外は軽い監視で済むよ」
「学校でのは?」
「それはお前が大丈夫だと判断するかどうかだな。誰かと話している時に、口を滑らせるようなことが起きそうな時に止めに入ればいい。お前の耳が活躍するな」
ロギはそう言いながら僕を見た。不満で、納得のいっていない表情だとすぐにわかった。
「なら、どうしてあんなこと言ったの?」
「あいつが本当に言わないと約束できるのか確認したかった。シンギの友達だから多少は信用できるかもしれないけど、仕事をしている者としての建前上、確信が得られないことは危険すぎるからな。……まあ、青葉君のあの提案には驚いたけど」
青葉の捨て身に近いその提案が、ロギの信用を得るための切り札になった。それには僕も驚いている。でも、これで青葉の安全が確保されるのなら、万々歳だ。今まで通りに生活できる。
でも疑問なのは、ロギの表情だ。
一応信用してくれたからこそ、最低限の監視だけで済むはずなのに、ロギはそれに納得がいっていないように思える。本当は信用していないのだろうか。それとも仕事をしている建前、というやつなのだろうか。
「ロギ、本当に青葉のこと信用してるの?」
「してると言われると、ウソになるかな。半信半疑、が丁度いい言葉になる。まあ、しばらくは自由にさせてやる。だけど、喋ったら…殺す。それを知った奴も纏めて殺す。それだけ」
ああ。本当は知られたらすぐに殺してしまいたかったんだな。情報漏洩を防ぐために。
「させないよ。僕がちゃんと見てるから」
「そうなることを祈ってるよ。信じる神なんていないけど」
この殺人鬼は、最初から誰も信じちゃいないんだ。
「……ロギ」
「何?」
「もし僕が本当の“怪物”だったら、どうするの?」
「――殺す。それが俺の仕事だから」
ロギは冷たくそう答えて、また煙草に火を点けて吸い始める。
さっきと同じ、甘いにおいが漂い始めた。
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