第22話 蜘蛛の糸
「アキくん、アキくーん?」
「……え? あ、はい。なんでしょう?」
「もう、またボーッとして。ほら、カメラ目線」
そう言われ、前を向く。すると礎先輩が不思議そうな顔でカメラをこちらに構えていた。
……しまった。また接客中にボーッとしてしまった。クソ……これで何回目だよ……。
「ありがとう〜! 一生大事にするね!」
「写真もいいけど……実物にも会いにきてね?」
「ッ!! ももも勿論!! また来るね!!」
顔を真っ赤に染め上げるお嬢様に対してもう一度トドメとばかりに微笑む。
するとすぐさまノックアウトされたお嬢様。完全にフリーズしちゃったらしく、彼女の友達が溜め息を吐きながら連れ帰っていった。
うん、大丈夫。この調子。
仕事はできてる。
でも油断したらすぐ意識がどこかに行ってしまうこの現状……。
倭人の時もそうだった。
……けれど多分、あの時より動揺している。それは相手があの誠至だからか……。
「ちーあきっ! さっきから大丈夫か? 心ここに在らずって感じだぞ?」
「先輩……近いです」
なんなんだこの人は。何故会話するだけでそんなに顔を近づける必要がある?
まあいつものことだけど。もう慣れちゃってるけど。
「そういや前もおかしな時あったな〜どうかしたのか?」
「っ、いえ。特には」
そう言うと、「ふーん、ならいいけど」とすぐに引き下がった先輩。
先輩のこうやって深入りしないところは気が楽だ。
なんだかんだ一緒にいてわかったこと。先輩は何も考えていないように見えて、おそらく人一倍気を遣っている。
心配はするけど、触れてほしくない部分には踏み入ってこない。
俺の男装を見破ったくせに言及してこなかったしね。
「元気がない千秋には……こうしてやる!」
まあこの暑苦しさはどうにかしてほしいけど。
「こーちょこちょこちょ!」
「ちょ、先輩……! やめっ、」
「ほらほら〜どうだ〜? 元気出てきたか〜?」
言ってる間も俺の脇の下で蠢く先輩の指。
む、無理……! くすぐったくて死ぬ!!
つーか何気に胸当たってない!? え!? 気のせい!?
「わあ見て……アキくんとモトくんがじゃれ合ってる」
「可愛い……尊い……」
何処からか聞こえたお嬢様の声。
なんだよ尊いって。
何故だか最近は俺たちの絡み(自分で言いたくないけど)に騒ぐってよりただ酔いしれてるって感じなんだよね。『きゃー!』ってよりは『ほう……』みたいな。
まあ煩くされないのはいいけど、状況は確実に悪化してる気がする。
けれど、何故だろう。
今はそんなことどうでもいい。俺の身の周りで起きること、全てがどうでもいい。
そうか俺は……私は……酷く、疲れたんだ。
◆◇◆
「みんなー! 良い知らせがあるぞー!」
オーナーのそんなお気楽な声が聞こえてきたのはバイト終わり、お客さんが全員帰った後。オーナーの気まぐれで行う終礼時だ。
無駄に明るいテンションに、いつもなら怒りが込み上がるところだが……今はただ《無》が蔓延している。
「なんとなんと! 一泊二日の温泉旅行が当たりましたー!!」
温泉、旅行……?
「定員は六名! 丁度ここShangri-laの従業員の数と同じ! これはもう神様が俺達に『寛げ』と言っているに違いない!!」
くつろげ……。
「みんなのおかげで客入りが増えたのはいいけど、忙しくて中々善くしてあげられなかっただろ? 身も心もイケメンなオーナーからのご褒美だ!!」
ご、褒美……。
「勿論行くよね!?」
「オーナー、脳みそ機能してます? 千秋がいるんですよ? そんなん行かないに決まって、」
「……行く」
「は!? 千秋!?」
「疲れた……温泉……寛ぐ……ご褒美……。俺は行くぞ……!」
「そう来なくっちゃ!」
「いや待て!! 行っちゃ駄目だから!!」
今の俺に、誠至の焦ったような声なんて聞こえなかった。
全く休まらない心身。追い詰められる精神。心が、体が……全力で休息を欲していた。
そんな時に降ってきた蜘蛛の糸。飴。希望。
ただただ、俺は解放されたかったんだ。
そしてそれが―――希望でも何でもない落とし穴だと気付くのは、まだ先のこと。
心の中で『温泉! 温泉!』と狂喜乱舞していた俺には、やはり『危機感』など微塵もなかったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます