第15話 side 誠至①
おかしい。
千秋の様子が、“あの日”を境に明らかにおかしい。
そう、“あの日”――――。
思ったよりも実験が長引いてしまって、俺はバイトに遅れてしまった。急いで従業員口から入ろうとしたら、丁度入れ違いで中から出てきた蘇芳倭人。
あれ、コイツ今日は休みのはずじゃ……と訝しんだ視線を送ったら、ソレに気付いた蘇芳がニヤリと口角を上げた。
「忘れ物をしたんでね」
そう言って水色の箱を見せつける蘇芳。どっからどう見てもソレは性行為を行う為のモノ。
さすが、千秋が常日頃から“性欲魔人”だなんだと騒いでいるだけのことはある。
一気にどうでも良くなりシカトして中に入ろうとした俺に、すれ違いざまに届いた声。
「―――思わぬ収穫もあったが」
は? と振り返ったと同時に、バタンと扉が閉まる。
何言ってんだアイツ、と何処か愉悦を含んだような苛立たしい声が気にはなったが、それよりバイトが優先だと頭を切り替えて更衣室へ急いだ。
オーナーには一応遅刻の電話をしたが、直接深い謝罪をした。実験の日は長引く恐れがあるからいつもよりシフトの時間を遅らせているのだが、今日は想定時間よりも遅れやがった。
謝罪をする俺に対し、オーナーは少し困惑したような顔をしていた。
「それよりさ……今日は千秋ちゃんのフォローに回ってもらっていい? なんか調子悪いみたいで……」
アイツが調子悪い? 具合でも悪いのか?
そう思いホールで動き回っている千秋に目を向ける。
頻りに物を落としたり、ぶつかったり、注文を聞き間違えたり……。普段なら絶対しないようなミスを連発する千秋。いつもの流れるような仕事ぶりは欠片もなく、動きに無駄が多い。
全くもって仕事に集中できていない。
普段から計算高いクセに何処か抜けてるアイツだが、仕事中にこんな姿を見るのは初めてだった。
――――しかし、そんなおかしな様子が何日も続けばさすがに気になる。体調が悪いわけじゃないなら一体どうしたんだ?
千秋の様子が変になり始めた“あの日”のことを思い返してみる。
あの日、俺は遅刻をして、急いで店に入ろうとしたら休みのはずの蘇芳がいて――……そうだ、すっかり忘れていたが、蘇芳がいた。
なんだか意味深な発言もしていたし、明らかにアイツが怪しい。
そう思って今日一日は千秋と蘇芳を注意深く観察することにした。すると、どうやら千秋は蘇芳のことを一方的に避けているようで。
まあ警戒心剥き出しなのは普段通りだが、いつもと違ってどこか怯えている様に感じた。
――――これは絶対、何かがあったな。
そう確信できたので、シフト終わり、千秋が着替えるのを待ち伏せすることにした。従業員専用の出入口を物陰から見張っていると、恐る恐るといった様子の千秋が周囲をきょろきょろと見渡しながら出てきた。
すかさず、腕を引っ張り壁際に追い込む。
「うわっ!? 誠至!? ど、どどどどうした?? てか倭人もういない? もう帰った??」
「……アイツと何かあったのか?」
「え!? いや別に!? なんもないけど!?」
「……」
コイツは昔から誤魔化すのが下手クソすぎる。まあ演技している最中はそうでもないだろうが、今は完全に《素》みたいだしな。
「仕事中なのに上の空、蘇芳に対して過剰なまでの怯え、謎の百面相……これを見ておかしいと思わないわけないだろ?」
「うぐ……、」
ぐうの音も出ないとばかりにバツが悪そうな顔をする千秋。
どんだけ付き合い長いと思ってるんだ。いつもいつも楽観的でナルシストでアホでマヌケな千秋を見てきたんだから異変に気付かないわけないだろ。
するとようやく観念したように千秋が口を開いた。
「実は……倭人に正体バレました」
「っ、……マジか?」
「マジです」
千秋のこの世の終わりみたいな顔はそれが事実だと顕著に物語っている。
ついにか……まあいつかやらかすとは思っていたが。
本当にこの女は考えがなさすぎる。頭に花が咲いているのかと思うくらいだ。
久しぶりの再会を果たした時、『大学では男装することにした』とかほざきやがった千秋に眩暈がしたのは言うまでもないだろう。
……いや、本音は少し違う。
どこまでも馬鹿で刹那主義な千秋に呆れ果てたと同時に――――心の何処かで安心したのだ。
高校時代、千秋はアホみたいにモテてた。
告白なんて当たり前。ファンクラブがあったのも知っている。容姿、色気、雰囲気―――全てにおいて男が群がる要素を兼ね備えた女だった。
そしてこの女の問題点。それは貞操観念が低いことだ。よく言えばこれ以上ないくらいの恋愛脳。
告白されれば、よっぽどのことがない限り付き合っていた。まあ本人曰く『ちゃんと顔見て選んでるから!』らしいが。
俺からしたら来る者拒まず、手当たり次第といった感じだ。
───そして、そんな女の唯一の男友達として長年居座り続けた俺。
勿論、誰もが下心ありきでアイツに近付いたわけではなかった。中には真面目なヤツ、硬派なヤツだっていた。
しかし何かのきっかけでアイツと接点を持ったら最後、みんながみんなあの女の虜になっていた。
もう俺からしたら恐怖でしかなかったな。女に一切興味ありませんって感じの奴等が最終的には『君なしでは生きていけない』とか言い出すんだぞ?お前一体何したんだよって話だ。
実際に聞いてみたら、『さあ……テクかな、テク。誠至も試してみる?』とおどけた笑みで返されたからそれ以上は追究しなかった。
言葉では誘うようなことを言っておいて、瞳には子どものような無邪気さを滲ませる。
……人の気も知らないで。
千秋のことだ。どうせ俺がお前に手を出すことはないとタカを括っているのだろう。
―――確かに最初は、あの女に対し“そのような感情”なぞ抱いてはいなかった。
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