第7話 side 少女A
『赤の日』のことは瞬く間に大学中に広まった。その日たまたま喫茶店にうちの大学の女子生徒がいたらしい。
羨ましいな……私も行けばよかった……。
と誰もが思ったことだろう。しかしなんとナイスなことに目撃者の女子学生は一部始終をビデオに収めていたのだ。それは『赤の動画』と呼ばれ人の手から人の手へと……徐々に拡散していった。
「『赤の動画』見たー?」
「見た見た! 最早恐怖映像だよね!!」
そう、目撃者は録画したはいいのだが一番盛り上がる最高にオイシイところで鼻血を吹いてしまい以後の映像は血で真っ赤に染まってしまったのだ。
それを視聴する人達も視線が最も集中する時に血飛沫が飛んできたので一溜まりもない。
したがって恐怖映像として出回ったのだが、一人血飛沫にも負けず最後まで視聴した者がいた。その生徒曰く『音声がやばい』らしく見えない分想像が膨らむのだという。
それを歯切りに《恐怖映像》は《妄想動画》と名前を変え再度広まったらしい……。
「アケミー?」
「あ、はーい」
丁度今『赤の動画』を見終わったところで友人に話しかけられた。
いやーやばかっためっちゃ妄想膨らんだ。
蘇芳くんが千秋くんに何か言ったところで真っ赤に染まったからその後のことはよくわからない。でも瞬間他の人達が一斉に動き出したところは見れた。
あの後どうなったことやら……。
「あ、なんだアケミもそれ見てたのね」
「うん。最高だった」
「それなー違う大学の友達に見せたら食い気味に『誰か一人紹介して!!』って言われたわ。あんなイケメンとお近づきになれるわけねえだろ。なってたら誰にも紹介せず独り占めするわ」
そんな本音ダダ漏れの友人には思わず苦笑する。全くもってその通りだけど……超が付くイケメンに近付けたところで独り占めするのは無理だよ。
私はそれを身を以て知っている。
―――スマホの手帳型ケースのカードポケットに入れている一枚の写真を取り出すと、そこにはついこの間まで見慣れていたはずの麗しい姿が。
藍色の髪は無造作に遊ばせていて、垂れ目がちの瞳は見る者全てを惑わす。目元にあるホクロもまた彼の色気と美麗さを助長させていた。
「千秋くん……」
―――私は千秋くんが好きだった。もちろん恋愛感情で。
あの少し意地悪そうに細められる目が大好き。ブラックホールみたいな瞳に見つめられて惚れない方が無理な話だ。
お菓子をあげると毎回嬉しそうに破顔する顔はいつものいたずらな笑みとは違ってまた最高だった。
……でもいつからだろう。ただ笑いかけられるだけでは満足できなくなったのは。
他の女の子にも全く同じ態度の千秋くん。……そりゃそうだ。千秋くんからしたら私なんか自分に群がる大勢の女子のうちの一人でしかないんだから。
そうわかっていても欲望というのは際限なく湧き出てくる。
―――他の子なんか見ないで、私だけを見て。
そう何度も口をついては出てしまいそうになり、食い止めるのに必死だった。だってそんなこと言ったら困った笑みを返されるに決まってる。別に困らせたいわけじゃない。困った顔なんて見たくない。
でもそんな感情を抱えたまま千秋くんのそばにいるのは辛くて……自然と距離を開けるようになった。
いつも話しかけるのは私からだったからそれからは全然喋らなくなり。そのことが千秋くんの気持ちを顕著に表しているようで……。
相変わらず女の子に囲まれて優しい……ときに妖艶に笑う様は私の心臓を抉るには十分だった。
「うう……っ」
人知れず空き教室で泣くのはよくあること。その日もまた嬉しそうな顔で女の子からマフィンを受け取る千秋くんを目撃し、堪らず駆け込んだのだ。
絶対私が作った方が美味しいのに……! 中高ずっと調理部だったんだから!!
「んだよ、先客か」
「……っ」
その時、入口の方から男の人の声が聞こえてハッとする。
え、次この教室使わないはずだよね!? なんでここに!? って考えるも自分だってたった今ここにいるのだから人のこと言えない。
どうしよう、こんな暗い中一人で泣いてるとか痛すぎる!!
途端に恥ずかしくなって全力で誤魔化そうとその人を視界に入れると。
「蘇芳くん……?」
その人はよく知る人物だった。といってもこちらが一方的に知っているだけで、特別親しいわけではない。そんなこと言ったら最後、その人のファンである女の子達に血祭りにあげられるのがオチだ。
この大学には飛び抜けて美形なメンズが四人いて、女子なら必ずと言っていいほどそのうちの誰かのファンだろう。
そしてたった今私のことをガン見して教室に入ろうとしている人は、その四人のうちの一人、蘇芳倭人くんだった。
───ってこっちに近付いてる?なんで!?
「えっと、あの……」
「泣いてる原因は“朝比奈千秋”か?」
「……ッ」
その名前を聞いて面白いくらい肩が跳ねる。
「図星か。たまにいんだよな〜こういう女」
すると蘇芳くんはにやりと笑みを浮かべて何の前触れもなく私に口付けた。
「まあ俺にとっては格好な餌だけど」
「……っ」
思い出した。蘇芳倭人といえば手が早いことで有名だった。誰一人とも特別な関係にならない千秋くんとは真逆の人。
千秋くんファンには私みたいに恋心を抱く子が多いのに対し、蘇芳くんファンはほとんどの子が割り切ってる。
まあ中には蘇芳くんのことを本気で好きな子もいるんだろうけど。だからといって蘇芳くんがいろんな女の子と“そういう関係”になっていても、口出す子はいないらしい。
私だって千秋くんに“そういうこと”されたいって何度も思ったことある。でも恋人でもないのにされたって虚しいだけだ。
……今、目の前で不敵な笑みを浮かべる蘇芳くんにされて改めて思った。
「やめて……! 私は、」
「“千秋くんが好き”?」
「……っ」
「まあ俺にとってはそんなことどうでもいい。……それより泣きたいなら泣けよ」
“女の泣き顔って最高にソソる”。
そうねっとりとした口調で言う蘇芳くんには思わず絶句。言われたことは酷い言葉なのに、その魅惑的な瞳から目が離せない。
私が惚けてる間もひっきりなしに口付けてきて、なんなら服脱がしにかかってきてるし……! キスも触り方も最高にイヤらしく、いつの間にかはだけたシャツから覗く胸板はフェロモンの塊。
このままじゃ確実に流される……!!
と、人生で初めてイケメンに襲われるというなんともオイシイピンチを迎え必死に抵抗しようとするも、驚くほど手に力が入らない。
代わりにさっきからやけに甘ったるい声が聞こえ、自分のものとは思えないソレにカッと顔が熱くなった。
……もう、流されてもいいかな。どうせ千秋くんが私だけ見てくれることなんてないし、快楽に溺れて辛いことを忘れられるなら……。
そう、愚かにも諦めて目を瞑ろうとした時だった。
「おい、そこに誰かいんだろ」
目の前から低い声が聞こえ、はっと我に返る。私、今何考えてた……?
血迷うにもほどがある。そんなことしたって余計辛くなるだけなのはわかりきってるはずなのに。そう後悔しても神様は許してくれないらしい。
ドアの陰からひょっこり出てきたのは私が焦がれてやまないヒトで。蘇芳くんを睨んでいる様子の千秋くんに対し、私の口からはなんともみっともない言い訳がましい言葉が吐き出される。
慌てて身なりを整えて教室から駆け出すも、千秋くんが追いかけてくる気配はなし。
そりゃそうだよね……何期待してんだか……。と自嘲的な笑みがこぼれる。
でも、さっきの千秋くんはいつもと違ってピリピリした空気を纏ってたな……。そんな姿も一段と麗しかったけど。
……ほんの少しでも、ヤキモチ焼いてくれてたら嬉しいな。
───なんて思った日のことが遠い昔のようだ。
千秋くんの正体なんて知るはずもない私はあの時完全に恋する乙女だった。
あの時はただ苦しくて、辛くて……。
でも今は少し違う。千秋くんへの恋心が完全に消えたわけではないけれど、あの時と比べてすごく晴れやかな気持ちになれた。
―――それは勿論『赤の動画』のおかげ。
「千秋くーん!!」
「え? あ、君は……」
あんなに話しかけるのが難しかったのに、今となっては笑顔でそれができてる。
一方千秋くんはあの時のことを思い出したのか少し気まずそうに頬をかいた。
「あの時はごめんね? 私ずっと勘違いしてて……」
「うん?」
「でも今はもう大丈夫!! 千秋くんのことはすごく好きだけど、誰と結ばれても応援する!!」
「……は?」
私がキラキラした笑みで言うと、素っ頓狂な声を出して固まる千秋くん。
そりゃあ特定の彼女を作らないわけだよね!! だって千秋くんは元々《女》に興味なかったんだから!!
でも誰にでも優しくするのはやめたほうがいいと思うよ? 私みたいにうっかり好きになっちゃうもん!!
まあさすがにもう分を弁えてるけどね!!
“そういうこと”なら諦めがつくってもんだ。
「動画見たよ! 知らない人二人いたけど、二人とも負けず劣らずイケメンさんだったねぇ」
「え? 動画……?」
「大丈夫! 何があっても私は千秋くんの味方だから!」
「ちょ、さっきから何を言って、」
「そうだ! フォンダンショコラ作ってきたの! はい、どうぞ」
「……、」
「あ、今日お店にも寄るね!! じゃあまた後で〜」
と、戸惑う千秋くんに対し言い逃げ感が若干あるがまあいいだろう。
フォンダンショコラやっと渡せた。今までずっと渡せずじまいで作っては自分で食べの繰り返しだったからなぁ。ちょっと太っちゃった気もするけど大目に見てほしい。
そういえば今日の千秋くんはどことなく顔色が悪かったような? 隈もできてたみたいだし。
まあどんな姿でも相変わらず溜息が出るほどかっこいいんだけどね!!
「千秋くんの執事姿楽しみだな〜」
なんてルンルン気分で独り言を吐く。
その後ろで私が押し付けたフォンダンショコラを眺めながら、
「クッソ……あいつらのせいで……! てか動画ってなんのこと!?」
と絶望的な顔をする千秋くんを、スキップして次の授業に向かった私は知る由も無かった。
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