第23話
23話
今日は旅行の当日。
天気は良すぎるほどで、朝からすでに汗ばむ気温になっていた。
駅まで歩いていく予定だったが、タクシーを呼ぼうと電話をするけれど、近くにはいないようで来てくれるところはなかった。皆、暑さから同じ考えなんだろうかと葵音は思った。
出発の時間の数分前になっても、黒葉は部屋から出てこなかった。
女性が出掛ける仕度に時間がかかるというのは理解している。
けれど黒葉はいつも時間より早すぎるぐらいに準備していたし、メイクも薄かった。
旅行だと、少し気合いが入るのだろうか?とも思ったので、時間を少し過ぎても待っていようと葵音は思っていた。
だが、出発の時間ピッタリになると、黒葉の部屋のドアが開いた。
「す、すみません。お待たせしました。」
「あぁ………。」
部屋から出てきたのは、葵音がプレゼントした白のワンピースに、肩からカーディガンを掛けている、黒葉だった。
いつも必ず黒や紺を着ていた黒葉だったので、白の服を着て着飾っている彼女を見るのは初めてだった。
いつも下ろしているか、ポニーテールにしている黒髪は編み込みをしてアップにしており、とても華やかで清潔感があった。そして、いつよりメイクをしているのか、唇はピンク色で目元もゴールドに光っていた。長めの睫毛は更に長くなり、とても色気がある。
綺麗だった彼女が、化粧や服で更に美しくなっており、葵音は反応も出来ずに黒葉の事を見つめるしかできなかった。
「あの……葵音さん?」
「……悪い、いつもと違うから驚いただけだよ。似合ってるな。」
「本当ですかっ!?……よかったです。」
恥ずかしがりながらも、自分の服を見つめてニッコリと微笑んだ。
葵音はゆっくりと近づいて、小さく唇に短いキスをしてから耳元で囁いた。
「すごく可愛い。着てくれてよかった。」
「っっ………そんな事、耳元で言わないでください!恥ずかしいです!」
「俺も旅行でテンション上がってるのかもな。いつもよりおしゃれしてくれてる黒葉見て、すごく嬉しくなった。」
「………楽しみだったんですよ?」
「あぁ……俺もだよ。」
赤くなってしまった黒葉を微笑みながら見つめていたけれど、葵音は電車の時間の事を思い出してた。
彼女の手を握って、「時間もないし、行くぞ。」と、黒葉を軽く引っ張ると、黒葉は「はい!」と返事をしてから、反対の手で小さな旅行バックを持って、家を出た。
新しいサンダルもサイズが合っていたようで、歩いている時も「可愛いです!歩きやすいです!」と、跳び跳ねんばかりに歩いていた。
暑い日の中、手を繋いで歩く。
しかし、少しずつ彼女の顔が、少し強ばっているのを感じた。
必死に笑顔を作っていたけれど、足取りも重くなっている。
「黒葉?どうした……?」
「足、痛くなったか?」
「いえ!旅行なんて初めてなので、少し緊張してしまって。」
「そうか。でも、楽しいことなんだから、緊張しなくてもいいんだぞ?」
「そうですよね……。」
葵音の言葉を聞いても、彼女の顔は柔らかくならなかった。
それがどうしてなのかもわからず、葵音はただ彼女を心配そうに見つめ、強く手を握るしか出来なかった。
きっと、プラネタリウムへ行けば、黒葉もいつもの笑顔に戻るだろう。
そう思っていた。
2人で歩いていくうちに、黒葉と初めて会ったコーヒーショップが見えてきた。
その先には初めて会話を交わした交差点もある。
まだ数ヵ月しか経ってないのに、とても懐かしく感じてしまうのは、その間の毎日がとても充実していたからだろうと、葵音はわかっていた。
彼女が来てからは、毎日が色鮮やかになり、心が落ち着いていた気がした。
出会ったばかりの頃は、こんな関係になるなど思ってもいなかった。
けれど、こうして一緒に暮らし、手を繋いで歩く恋人同士になってから思うと、彼女に会えた事は奇跡であり、運命なのかもしれない。
そんなバカげた事まで思ってしまう。
それぐらいに、葵音の中では彼女の存在は大きくなっていった。
昔に人間関係を壊されてしまった葵音は、きっと結婚もしないで一生を仕事をして終えていくのだろうとさえ思っていた。
けれど、彼女に会ってからは違った。
恋人同士になってから、いつまでも一緒にいたい、そして自分のものにしたいと思っていたのだ。
だからこそ、彼女との未来も真剣に考えるようになっていた。
そんな自分が葵音には信じられなかったけれど、それでも彼女との未来を、一緒に考えていきたいと思っていた。
そう思うと、この出会いの交差点は大切な場所になるだろうな、と葵音は思った。
2人手を繋いで、ゆっくりと道を歩く。
コーヒーショップを過ぎ、もう少しで交差点に着きそうな時だった。
黒葉がぎゅっとして強く手を握った。そして、「葵音さん。」と、雑踏で消えてしまいそうな声で、葵音を呼んだ。
そして、ゆっくりと歩きながら葵音の瞳をまっすぐに見つめていた。
「私、葵音さんに会えて本当に幸せでした。この人が私の好きな人なんだって、会えた瞬間に恋をしました。だから、葵音さんと一緒に暮らせて、本当幸せで………恋人にもしてもらえて、嬉しくかったです。」
「……黒葉、おまえ何言って………。」
「私に恋を教えてくれて、ありがとうございました。」
「……黒葉。なんで、そんな終わりみたいな言い方をするんだよ。」
「…………。」
葵音はその場に立ち止まり、彼女の手を引いた。けれど、黒葉は繋いだ手を離してしまった。
そして、向かい合うように黒葉と葵音が立っている。
彼女の目には涙が流れていたのに、黒葉は必死に口元を上げて、笑顔を見せようとしていた。
なんで、そんな悲しい笑顔で、そんな事を言うんだよ。
終わりみたいな言葉、聞きたくなんかない。
そんな言葉を彼女へ向けて伝えようとした。
けれど、それは叶わなかった。
「葵音さん…………大好きです……。」
呟くような愛の言葉は、とても切なくて消えてしまいそうなぐらい儚かった。
彼女を抱き締めて、涙を拭ってやらなきゃいけない。
葵音はそう思って、右腕を黒葉に向けて伸ばした。しかし、その手は寸前のところで届かなかった。
葵音が距離感を間違えた訳ではなかった。
強い力で押されて、体が後ろに倒れたていったのだ。
押したのは誰だ?
そんなのは考えなくてもわかる事だった。
目の前の黒葉が、両手で力一杯葵音の体を突き飛ばしたのだ。
その顔には悲しみと微笑みが混じった不思議な顔をしていた。
どうして、俺は突き飛ばすんだ?
体が倒れるまで、スローモーションの用に感じる。彼女の動きや車や人の動きがゆっくりだ。
ふっ、と視線を横にすると、目の前にゆっくりと走る原付きバイクがこちらに向かってくるのがわかった。
あぁ、俺はこのバイクに跳ねられるのか……。
黒葉に突き飛ばされて……。
どうして、俺を突き飛ばしたんだ?
どうして………手を離したんだ?
別れの言葉はこういう意味だったのか?
黒葉、どうして………?
最後に黒葉を見ようとして視線を戻した瞬間。
体に強い衝撃を感じた。
そして、葵音は意識を失った。
その時、葵音は真っ暗闇に落ちていくような感覚だった。
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