第21話






   21話






 夏の暑い日の帰り道。

 普段ならすぐにタクシーに乗って帰っているだろう距離を、葵音は颯爽と歩いた。

 汗も出てくるし、日差しがとても鋭く、肌に刺さるようだった。けれど、葵音の気持ちはとても清々しかった。



 帰ってから、黒葉に何と言ってプレゼントしようか。そんな事を考えていると、暑さも気にならなくなってくるのだ。


 当日サプライズで渡そうか。

 それとも、今日の夜に黒葉が風呂に入っている間に、寝室に置いておくか。

 そんな事を考えていくうちに、あっという間に家の前に着いた。



 額からも背中からも沢山汗をかいていた。

 けれど、この扉を開けたら彼女がパタパタと駆け寄ってくるのだろう。そんな風に思い、汗ばんだ手で持っているショップバックを見つめて、またニヤついてしまう。

 黒葉といると、初めて彼女が出来た男のように、ニヤついてしまったり、一つ一つの出来事がとても新鮮で嬉しくなってしまうから不思議だった。



 

 いつもより緊張した気分で自宅のドアを開けた。その気持ちは、とても気持ちがいいものだ。



 「ただいま。」


 

 いつもより小さめの声。だけれど、パタパタとスリッパを履いて走る彼女の足音が聞こえてきた。



 「葵音さん、おかえりない。」



 ニッコリと微笑むのは、もちろんエプロン姿の彼女だ。

 水仕事をしていたのか、腕や髪が少しだけ濡れていた。


 

 「葵音さん、すごい汗ですよ?もしかして、こんなに暑いのに歩いて来たんですか?」

 「あぁ……なんか、歩きたい気分だったんだよ。」

 「真夏日なんですよ。今、冷たい飲み物準備しますね。葵音さんは、着替えてきてください。」



 心配しながらも、テキパキと動く彼女を見て、新婚のようだなと思い、自分で照れてしまった。頬が赤くなるが、暑さのせいだと思われてバレないだろう。


 自室で服を脱ぎながらも、買ってきた彼女へのプレゼントのショップバックから目が離せなかった。

 もう彼女の前で持っていたし、サプライズをするのも変だと思い、葵音はすぐに黒葉に渡す事を決めた。それに、自分がそれまでに我慢出来なさそうだと感じたのだ。

 服を着替えてから、バックを持ってリビングへと向かった。

 すると、黒葉が氷を沢山入れたアイスコーヒーを持ってきたところだった。



 「あ、丁度よかったです。葵音さん、アイスコーヒーでいいですか?」

 「あぁ、悪いな。」

 「いえ。暑かったので水分補給してくださいね。」



 そう言うと、黒葉は家事に戻るのかキッチンへ行こうとしてしまった。それを、葵音は「黒葉。」と、名前を呼んで引き留めた。

 すると、不思議そうな顔をしながらも、葵音の元へと戻ってきた。



 「どうしました?お腹空きましたか?」

 「違うよ。……これ、黒葉にプレゼントだ。」

 「えっ……。」



 葵音が差し出したショップバックを見つめ、黒葉は目を大きくして驚いていた。

 


 「プレゼントって、私、誕生日はまだですよ?」

 「おまえに似合うと思ったんだ。それに、彼女にプレゼントするのは彼氏の特権だろ?」

 「………そうなんですか……。」



 黒葉はこういう事に慣れていないので少し戸惑っている様子だった。

 受け取っていいのか迷っているようだ。



 「黒葉、貰ってくれない?俺もその方が嬉しい。」

 「………ありがとうございます、葵音さん。」



 黒葉ははにかみながらショップバックを受け取った。

 そして、嬉しそうにそれを見つめていた。

 とりあえずはサプライズを喜んで貰えた事に、葵音は安心した。



 「開けてみてもいいですか?」

 「あぁ。」



 黒葉は、リビングのソファに座って、大切そうに包みをほどいていった。それを見つめる葵音は、きっと彼女よりも緊張している自身があった。



 「わぁ………かわいいサンダル。ヒールも高すぎないので歩きやすそうです。それに、カーディガンですね。色が鮮やかで綺麗です。」

 「よかった。気に入ってもらえて…。これを着て旅行に行って欲しいと思って。」

 「……旅行のために買ってきてくれたんですか?」

 「あぁ。あと1つあるから、それも見てくれ。それが黒葉に似合うと思ったんだ。」


 

 黒葉は、サンダルとカーディガンをソファに置いてから、また袋に手を伸ばした。

 そして、葵音が一目惚れをした白いワンピースを手にして、黒葉がそれを見た瞬間。


 彼女の瞳が揺れた。

 絶句した表情のまま、顔が硬直してしまっている。

 予想外の反応のまま呆然とする黒葉を見て、葵音は驚いてしまった。


 白いワンピースで、そこまで驚かれるとは思ってもいなかったのだ。彼女が苦手なのかもしれないとは思っていたが、これほどまでとは想定外だった。


 

 「黒葉………そんなに白いワンピースが嫌いだったのか?」

 「っっ!!」


 

 葵音が小さな声でそう言うと、ボーッとしていた彼女は、やっと意識を葵音に向けた。

 けれど、その顔は青ざめており、動揺が見られていた。



 「おまえ………どうしたんだ、その顔。そんなに嫌なら、こんなの着なくてもいいんだ。俺のワガママなんだ。」

 「……………このワンピース着たいです。」

 「黒葉………。」



 黒葉は、繊細な白いワンピースを大切そうに抱き締めると、葵音の方をまっすぐ見つめた。



 「葵音さんが選んでくれたワンピースなんですよ。とっても嬉しいです。」

 「………。」



 その言葉自体は、嬉しい幸せを含む言葉かもしれない。

 けれど、黒葉の口調はとても苦しそうで、そして、切なげだった。

 

 そして、黒葉の顔は今にも泣き出してしまいそうだった。















 その日から、黒葉は遅くまで部屋に籠る事が多かった。


 昼間は今まで通りに家事をこなし、夜は葵音が作業を終える頃まで自室にいたのだ。そして、葵音が眠る頃に部屋から出てきて一緒に眠るのだ。


 それ以外は全く普通の日々だった。

 白いワンピースに関しては、とても心配していたけれど、1度黒葉の部屋のドアが開いたときに、壁にあのワンピースがかけられているのを見て「気に入ってくれたんだな。」と葵音は安心した。


 きっと、あの時の表情は驚いただけで、葵音が気にしすぎていただけだろう。そう思うようにしていた。







 そんな日を過ごし、あっという間に旅行の日の前日になった。


 葵音は旅行中は仕事をしないで、黒葉との時間を満喫しようと、いつもよりペースを早めて仕事を終わらせていた。

 そのため、いつもより仕事が早く終わり、葵音も簡単には旅行の準備をしている時だった。


 トントンッと部屋の扉がノックされた。

 もちろん、黒葉だ。


 「どうぞ。」と彼女を招きいれようとすると、彼女は真っ白なパジャマを着たままその場に立っていた。



 「あの、また星を見に行きたいんですけど……今夜も湖に行ってもいいですか?」



 新月の夜は、こうやっていつも夜の散歩を誘って来ていた。

 けれど、その日は新月ではなかったので、月がとても綺麗に輝いている夜だった。



 けれど、黒葉の表情があまりに真剣で、そして儚くみえてしまい、何も聞き返さずに、葵音は頷いたのだった。






 

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