第8話






   8話






 黒葉が家に来てから、穏やかな日々が続いた。

 葵音の仕事は忙しかったけれど、作業場からリビングへ戻ればすぐに気持ちがオフに出来たのだ。

 

 彼女は作業場から葵音が帰ってくると、「おかえりない。」と言った。そして、ご飯を出したり、休憩中は飲み物やお菓子を出してくれた。

 当たり前の事だが、今まではそんな事がなかったので、家に帰ってくると誰かが自分の帰りを待ってくれているのが嬉しかった。


 そして、黒葉は家事が上手だった。

 料理ももちろんの事、掃除もすみずみまで磨きあげ「重曹が欲しいです!」と、掃除への知恵もあるようだった。洗濯もしっかりやってくれており、クローゼットまで綺麗になっていたのには驚いた。



 そんな日が続き、黒葉が来て初めての休みの日が来た。



 「じゃあ、やるか。」

 「はい!よろしくお願いいたします。」



 その日は、黒葉に簡単なシルバーのリングを作る事にした。1日で出来る事ではないけれど、ゆっくりと教えていこうと葵音は思っていた。

 彼女はヤル気満々で自分で買ったのか、星と黒猫の模様が入ったエプロンを身につけていた。



 「まずは、デザインだな。どんな物がいいか、そしてどの指にしたいかを考えてみろ。」

 「なるほど…………。あの、ピンキーリングがいいです。」

 「小指か。小さいと難しいけどいいか?」

 「頑張ります。」

 


 黒葉は、自分の人差し指を見つめて、そう力強く言った。彼女はこの日をとても楽しみにしていたようで、すでにニコニコした表情になっていた。



 「この紙に大体のデザインを描いてくれ。」

 「はい。」

 「俺は、後ろで仕事してるから、教えてくれよ。」


 

 そういうと、黒葉はさっそく鉛筆を持ってイラストを、描き始めた。ずっと見られるのも緊張するだろうと思い、葵音は仕事と言いつつも、自分の趣味で作業を始めた。

 作ってみたいものがあり、時間があるときにやろうと思いつつ作れなかったのだ。


 休みの日を週1で作りながらも、葵音はいつも仕事をしてしまっていた。ジュエリー作りが趣味だという事もあり、仕事をしてしまうのだ。たまにリフレッシュも必要だと友人には言われるが、今まで特に必要としていなかったので、働き続けていたのだ。

 けれど、こうやって何の予定もなく気ままに過ごす日というのもいいな、と作業をしながら思い始めていた。

 こっそりと後ろを見ると、真剣にデザインを仕上げている彼女の、背中が見える。

 髪は邪魔になるのか、星のチャームがついたゴムでまとめていた。

 そんな姿を微笑みながら見つめ、葵音はまた作業に戻った。




 「どうだ。そろそろ出来たか?」

 「もうちょっとです……。はい!出来ました。」


 ある程度、時間が経った頃、葵音は集中している彼女に声を掛けた。

 くるりと葵音の方を振り返り、黒葉は嬉しそうに紙を葵音に渡した。何度も書き直したのか、紙はよれている。どんな作品を作ったのか楽しみになり「見せてくれ。」と言い、葵音はさっそく紙を受け取った。



 「どれどれ…………。」

 「ど、どうでしょうか?」

 「………これは…………。」


 

 葵音は、紙を持ったまま固まってしまった。

 そこには、何かの記号なのか5つの角がある形がふにゃふにゃな線で描かれていた。それが複数付いているリングのようだが、葵音にはそれが何なのかよくわからなかった。

 


 「黒葉……これは?」

 「はい!星をイメージしました。私が冬生まれなので、冬のダイアモンドの形にしてみました。」

 「あぁ……冬の大六角形か……。」



 何となく六角形に見えるが、星の部分が全くわからなかった。

 葵音はどう反応していいのかわからず、紙の絵をただ眺めるしかなかった。黒葉は、「ここがシリウスで、こっちがリゲルです。」などと、指で示して無邪気に教えてくれている。

 ここで「上手いな。」と言えば彼女は喜ぶだろう。しかし、それでは上達はしないと考えると、指摘しなければいけないとも思う。



 「これで作ってもいいですか?」



 ニッコリと笑う彼女を見てしまうと、葵音は躊躇ってしまうけれど、彼女の初めての作品がこんなふにゃふにゃな作品になってしまうのは、耐えられなかった。それに、初めての弟子(にしたつもりはないけれど)の作品がこれだと思うと、やはり我慢は出来なかった。



 「………黒葉。」

 「はい!」

 「………おまえ、絵は苦手なのか?」



 その言葉を聞いた瞬間、黒葉は一気に顔が暗くなりシュンとしてしまった。

 


 「やっぱり駄目ですか?」

 「ダメというか………何を描いているのかがわからないな。」

 「………実は美術の評価だけはいつも最悪で。とっても下手みたいなんです。」

 「そうだったのか……。」

 「可愛く描けてると思ったんですけどね。」

 「………。」


 

 黒葉の発言に驚き、葵音はひきつった笑顔しか返せなかった。本人に自覚がないのが一番やっかいだろう。

 彼女にジュエリー作りを教えるの、想像以上に大変なことになりそうだと、内心では思ってしまった。けれど、彼女はやる気に満ちている。それを「デザインが描けないから無理だ。」とは言いたくなかった。それに、練習していけば誰でも上手くなるものではあるので、黒葉の頑張りに期待するしかないな、と考えるようにした。



 「黒葉。このデザインは書き直したとしても細かくて難しいから、初めは簡単な1つの星型にしよう。こんなのはどうだ?」

 


 葵音は、黒葉のデザインの隣にシンプルな星を1つ描いた。十字架のように長い棒とその間に短い棒がある星の光をイメージしたものだった。


 「この中央に小さな宝石を入れてもかわいいな。どうだ?」

 「………とっても素敵です……。やっぱり葵音さんはすごいですね。」

 「まぁ、ずっと物作りしてるから、これぐらいは出来るさ。」



 彼女が気に入ってくれたようで、葵音も安心をした。目を輝かせながらデザイン画を見つめている。

 


 「これが出来上がるのが楽しみです。」

 「それはよかった。とりあえず、今日はこれでおしまいにしよう。あとは………黒葉にこれをやるよ。」



 葵音は作業場の本棚から1つの本を取り出して彼女に渡した。

 少し古びていたけれど、まだまだ読める本だ。表紙には「シルバーアクセサリーの基礎」と書いてある。



 「…………え、いいんですか?」

 「あぁ。俺が使っていたものだから古いけど、わかりやすい本だ。次にやるのはシルバークレイっていう銀粘土っていう作り方だから、読んでおくといいかもな。」

 「シルバークレイ……。」



 黒葉は、その言葉を呟きながら本を嬉しそう本を開こうとした。けれど、作業場にある時計を見て、それを止めて本を閉じた。

 今はお昼前の時間だったのだ。

 

 それを見て、葵音は咄嗟に彼女を引き留めた。


 「今日の昼はピザが食べたいな。黒葉、注文してくれないか。リビングのボックスにチラシあるから、おまえの好きなの選んで電話してくれ。」

 「葵音さん………。ありがとうございます!」



 黒葉は本を抱きしめながら、お辞儀をしながらお礼を言うと、パタパタと小走りで作業場から出て行った。

 葵音の気づかいに気づいたのだろう。

 黒葉はとても嬉しそうに微笑んでいた。






 昼食後は、温かい日差しが入り込んでくるリビングで2人で過ごした。

 黒葉のジュエリー質問に葵音が答えたり、彼女が作ったお菓子を食べたり、ソファでうたた寝をしてしまったり……。


 こんなにもゆったりとした時間の流れを感じながら、ふんわりとした雰囲気の中、葵音は穏やかに過ごした。

 

 隣には、先程あげた本を読みながらウトウトしている黒葉がいる。

 彼女がいるだけで、こんなに生活が変わっていくとは思いもしなかった。それぐらいに、自分にとって彼女は大きな存在なのだろうと、葵音は感じていた。


 「こんな休日もいいな。」と心の中で呟きながら、彼女の重さを肩で感じながら葵音も瞼を閉じた。








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