第6話






   6話






 その日、葵音の部屋に戻ると、黒葉はすぐにウトウトしていたので、ベットで寝るように進めた。

 初めは断っていた黒葉だったが、葵音が「じゃあ、俺もこのベットで寝るぞ。」と冗談で言うと、「はい!」と笑顔で返事をしたのだ。さすがの葵音も困ってしまった。


 やることがあるから先に寝てろと言い、彼女をベットで寝せてから、葵音はリビングのソファに横になった。



 自分の事ながら、思い切った事をしてしまったと思っている。

 けれど、これでよかったと思えるのだ。

 自分の家に女性がくるのは約10年ぶりだ。会ったばかりなのに、彼女がいると心地がいいと感じてしまう。

 明日の朝、目が覚めると彼女がいるのだ。


 初めて恋人と夜を過ごし、朝さえも楽しみになっていた頃のような初々しい感情が、葵音の心を明るくさせた。

 

 顔がニヤけているのを感じながら、葵音は目を閉じた。

 今日1日はいろんな事がありすぎた。

 

 すぐに睡魔が遅い、葵音はソファで熟睡してしまった。








 葵音が起きたのは、いつもとより少し遅い時間だった。

 いつも夜遅くまで作業をしているので、朝はゆっくりしている。フリーで働く特権だなと思っていた。

 リビングには誰もいなかった。

 黒葉はまだ寝ているのだろうか。


 葵音はゆっくりとソファが起きあがり、凝り固まった体を動かしながら、寝室へと向かった。コンコンッとドアをノックしても返答はない。まだ寝ているのだと思い、「入るぞ。」と声を掛けてから部屋に入る。


 すると、寝室には誰もいなかった。

 灰色のベットカバーやシーツは、しっかりと整えられており、カーテンも開いていた。昨日貸した葵音の服も綺麗に畳んでベットの上に置いてあった。


 

 「黒葉………?まさかっっ!」


 

 彼女がいないとわかると、葵音は一気に焦ってしまった。

 

 部屋の中を葵音は走り回り探したが、どこにもいなかった。何でいなくなったんだ?といなくなった彼女に心の中で問い掛けながら、部屋を出ようとした時だった。


 がちゃりとドアが開いた。



 「あっ!!葵音さん?」

 「………おまえ、どこに行ってたんだ………。」



 外から帰ってきたのは、黒葉だった。

 両手にはビニール袋を持っている。



 「鍵を開けっ放しにするのは申し訳なかったんですが、冷蔵庫に何もなかったので、買い出しに行ってきました。」

 「あ、あぁ……。そうだったのか。」

 「すみません……朝御飯というか、ブランチを作ろうかと……ダメでしたか?」



 焦った様子の葵音を見て、彼女は怒っていると思ったようだった。

 葵音は、黒葉の頭をポンポンと撫でてから、彼女の持っていた袋を受け取った。



 「ダメじゃない。助かるよ、ありがとう。」

 「っっ!はい!」

 「………ただ、これからどこかに行く時は俺に言ってから出てくれ。」

 「そうですね………。わかりました。」



 シュンとした反応をしている黒音を見て、葵音は思わず笑ってしまう。

 こういう素直な反応をする女を見るのは、初めてで可愛いなと思ってしまう。



 「お腹空いてるんだ。何か作ってくれないか?」

 「はい!」



 黒葉は、急いで靴を脱いで台所へ向かった。

 それを微笑ましく見つめながら、黒葉も台所へと向かった。








 

 「うまいよ。料理上手なんだな。」

 「お口に合ってよかったです。」


 ご飯に味噌汁、鮭の塩焼きに、煮物、ほうれん草のおひたし、などの和食の料理がテーブルに並んでいた。それを口にすると、とても美味しかった。

 


 「料理好きなのか?」

 「好きですね。実家でもご飯を作っていたので、基本的な家庭料理は作れますよ。」

 「すごいな……。助かるよ。」



 葵音が箸を止めずに食べ続ける姿を黒葉は嬉しそうに眺めていた。

 普段ほとんど料理をしない葵音にとって、久しぶりの手料理だった。いつもコンビニやスーパーのお弁当や、外食だったし、作ったとしてもご飯を炊いたり、ラーメンを作るぐらいだった。そのため、彼女の料理はとても温かく優しさを感じられた。



 「あの……私はこんな仕事をすればいいのですか?」

 「あぁ、そうだな。家の事はおまえに任せたい。仕事に余裕がある日とか、休みの日にジュエリー作りを教えるのでいいか?」

 「はい!」

 「じゃあ、そうしよう。毎月の末にお金を渡すから。まぁ、値段は………これぐらいでどうだ?」

 「そんなにですか!?」



 スマホの電卓画面の表示を見て驚く黒葉を、葵音は苦笑しながら見つめた。

 


 「それぐらい助かるってことだ。………あぁ。あと、この材料費とか買ったお金は請求しろよ。」

 「そんな!これぐらいはいいですよ……!」

 「あのな………家政婦雇って、料理はいいけど材料費は払ってもらうなんてないだろ。」

 「それはそうなんですけど……。」

 「あとで渡すから。まぁ、話しは後だ。おまえも食べろ。」

 「…………いただきます。」



 すっかりと日が昇り、お昼の時間になっていたが、2人は今日初めてで、そして2人で食べる初めて食事を楽しんだのだった。




 





 その日の夕方。

 葵音の仕事が落ち着いた時間に、2人は出掛けていた。

 黒葉の荷物をホテルから運び出すついでに、彼女の布団や生活雑貨などを買い込んでいた。

 昨夜、ベットに戻ってこなかった葵音を、黒葉は怒り、「雇い主がベットで寝るべきです!」と言い張ったのだ。さすがにソファに寝させ続けるわけにもいかないので、布団だけでも早く買おうと思ったのだ。その他は、ついでというか言い訳だった。



 「あの……そんなにいろいろ買い込まなくても。私が少しずつ揃えていくので………。」

 「布団とかパジャマとか、生活雑貨は買っておかないとだめだろ。女は準備するもの多いだろうしな。」

 「そう、ですけど……。」

 「俺からの就職祝いだと思えばいいさ。」

 「………。」



 黒葉は、何か考え込んだ後に小さくコクッと頷いた。

 彼女が納得していないのを感じながらも、その時は気づかない振りをした。




 引っ越し祝いのように、自宅でそばを食べている時だった。

 黒葉は箸を置いて「葵音さん。」と、真剣な表情で葵音を見つめながら、名前を呼んだ。



 「どうして、こんなに良くしてくれんですか?」

 「………どうしたんだ、急に。」

 「急じゃないです!ただの住み込みの私にここまでする必要はないと思います。お給料だってあんなに高いし、それにタダでジュエリーのつくり方を教えくれるなんて……。」

 「おかしい、か?」

 「……はい。」



 黒葉は、複雑な表情のまま葵音を見つめていた。彼女が不安がるのも仕方がない事だろう。


 昨日までは、話をすることさえ拒否していたのに、掌を返したように優しくなったのだ。

 葵音の気持ちの変化がどうしてなのか、わからないのだろう。



 「確かにおかしいかもしれないな。」

 「え?」

 「俺もよくわらないんだ。ずっと一人で暮らしてきたから、寂しいのかもしれないな。おまえと居て嫌な気持ちにはならなかったし、心地がよかったから………おまえに傍にいて欲しいと思った。だから、夜中に探しに走ったんだろうな。」

 「………葵音さん。」



 こんな恥ずかしいことを言うつもりではなかった。

 けれど、彼女といると不思議とそんな言葉が口から溢れてしまうのだ。

 


 黒葉は嬉しそうに微笑みながら、「私も傍にいたいです。」と、微笑んだ。


 第三者からみたら、恋人同士に見える会話かもしれない。

 けれど、葵音と黒葉はただの雇い主とジュエリー作家見習いの家政婦という関係だっだ。


 

 この奇妙な関係と距離感が何とも複雑だけれど、葵音は新鮮さを感じていた。



 きっと近づくのは簡単なことなのだろう。

 


 けれど、今は恋愛の駆け引きややり取りがとても楽しく、葵音はその関係をゆっくりと育てていきたいと思った。


 大切に温めて、自分の気持ちに向き合いたい。

 そう思いながら、葵音は彼女が作った蕎麦を啜った。









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