第3話
3話
「はぁー……俺は何やってるんだ。」
葵音は、目の前にいる女を見つめながらため息をついた。
先ほど初めて話したばかりの女が、自分の家のベッドで寝ていた。
もちろん、葵音にはやましい理由などあるはずもなかった。
葵音と話して女が急に倒れ、自分が支えているのに放って置くわけにもいかなかったし、彼女自身が救急車を嫌がっていたので、呼ぶのも躊躇ってしまった。
近くのホテルに2人で行くのもいけないと思い、彼女を抱き上げてタクシーに乗った後は、そのまま葵音の自宅に向かった。
少し寝たせいか、顔色もよく青白さもなくなっている。穏やかに眠る彼女は、先ほど倒れたとは思えないぐらいだった。
「……よく眠ってるな。」
葵音は、サイドテーブルにミネラルウォーターのペットボトルを置いてその場から離れた。
彼女について、気になることは沢山ある。
けれども、彼女から聞かなければわからないことがほとんどだった。
そのため、葵音は諦めて仕事に戻る事にしたのだ。作業場の椅子に座れば、葵音の頭はすぐに切り替わる。
「今日はリングだな……。」
作りかけだったシルバーのリングを取り出して、葵音は頭の中でイメージを浮かべる。そして、丁寧に削ったり、模様を作っていくのだ。
少しずつ完成していくアクセサリーと、それを受け取るお客の笑顔を見るのが葵音の楽しみだった。それだけを思い出すだけで、いくらでも頑張れるのだ。
そして、作業中はいつまでも集中出来るので、自分はこの仕事が好きだし、合っているのだとわかった。
今回は小さいダイアモンドとパールをあしらったリングを作っていた。年配の夫婦からの依頼で、昔のリングが合わなくなったから、同じ宝石を使って新しいものに変えてほしいと言われたのだ。その夫婦にとって、とても思い出深いものなのか、デザインの相談をするために話を聞いていると、とても懐かしそうにそのリングについて話していたのだ。
葵音は、もちろんその依頼を受けることにした。
作業場は、大きな窓がある。葵音は、時々窓から見える景色を眺めるのが好きだった。
小さなマンションの一室だが、管理人が庭いじりが好きなのか、とても綺麗に手入れされた草花が見られるのだ。
今では、春の可愛らしい花たちが先、少しずつ緑も増えてきていた。
そんな景色が夕焼けで赤く染まる時間になった頃だった。
作業場のドアがゆっくりと開いた。
さすがの葵音は、少し休憩しよう、そして彼女の様子を見に行こうと思っていた頃だったので、ドアが開いた事に気づくことが出来た。
「あぁ………起きたか。」
「あの、助けていただいて、ありがとうございました。」
「もう、大丈夫なのか?」
「はい。たぶん………。」
女がドアを開けたままの場所で頷くと、恐る恐る作業場に足を踏み入れた。
この場所に誰も入れたくなかったけれど、葵音は何故かそれを許してしまった。
いつもとは違う気持ちにさせられる彼女が、やはり不思議に感じた。
「あの、アクセサリーを作っていたんですか?」
「あぁ……。そうだよ。」
「見せてもらってもいいですか?」
「………あぁ。」
葵音はテーブルに視線をずらして、彼女にそれを見るように促した。すると、彼女は顔を近づけてそのリングを見つめた。
急に彼女との距離が近くなる。
目の前には、色白で小さい横顔と、サラサラとしたストレートの髪。
その髪を耳にかけながら、彼女はうっとりとした目で見つめてた。
「こんなに繊細で綺麗なリングが作れるなんて……すごいですね。」
リングには触れずに、自分が動きながら模様を見ていた。
この女はどうして初対面の男の家にいたのにこんなに安心しきっているのだろうか。
ナンパをしたり、男遊びをするような女には見えない。人は見た目によらないとも言うけれど、葵音はどうしてもそんな風に感じられなかったのだ。
それは彼女の一つ一つの仕草や言葉、そして態度から違うと思うのだ。彼女は、とても洗練された綺麗な仕草をしており、育ちの良さがあったのだ。
けれど、どんな女が何故コーヒーショップに居座り、ナンパのように声を掛けて、そして独り身の男の部屋に上がり込んでいるのか。
それが理解しようにも出来なかった。
「………どうして、君はここにいるんだ?」
「え………?」
そんな事を考えいたからか、葵音は気づくとこんな言葉を言っていた。
「どうしてって……あなたが助けてくれたから……。」
「……月のネックレスを作ると言ったら帰ってくれるのか?」
「それは……。」
「どうして俺と話がしたいんだ?」
「………話してみたいから、です。」
その女は、何故か悔しそうにスカートを両手で握りしめていた。
彼女がどうしてそんな態度をとったのかは、葵音にはわからなかった。いや、気づかなかったのかもしれない。
彼女の行動の意味を探すのに必死だった。
そして、自分が何故彼女は「違う」と思っているのかを知りたかったくて仕方がなかった。
「………じゃあ、普通のナンパなのか?」
「なっ……ナンパなんて!!したことありませんっっ!」
「……知らない男に声を掛けて、話がしたいと引き留めるのは、ナンパじゃないのか?」
「…………っ!!確かに、ナンパみたいですね!」
初めてそこで自分のしている事が怪しかったと気づいたようで、その女は驚きながら、顔を赤面させた。
そんな様子を見ていると、彼女が怪しいとも思えなかったけれども、話すことを信じようとも思えなかった。
「………取り合えず、おまえは俺と話しをすれば満足するんだな?」
「………それは、その………。たぶん?」
「…………。」
「はい!しますっ!だから、話をさせてください。」
「……よろしい。」
女が納得する様子もないような気もしたが、葵音はまずは女の話しを聞くことにした。
彼女に聞いてみたい事は沢山あるのだ。
それを少しずつ話してたみたい。
そう思ってる自分がいるのに、葵音はもう気づいていた。
今日の作業は、とりあえずは予定以上終わっている。彼女と話していても問題ないだろう。
「名前教えて。…………俺は月下葵音。」
「葵音さん………。」
葵音が自分の名前を伝え、そして作業机にあった名刺を渡した。
すると、彼女は両手で大切に名刺を持ち、名前を復唱しながら名刺をジッと見ていた。
自分の名刺を受け取って、こんなにも嬉しそうな顔をしてくれる人など今までいなかったので、葵音はなんだか照れてしまう。
照れ隠しで、「君の名前は?」ともう一度彼女に問いかける。
「私は、平星黒葉です。」
そういって、姿勢正しくお辞儀をする彼女が、この作業場にはミスマッチだったけれど、その姿はとても惹かれるものがあった。
ただひたすらに自分を見てくれる相手がいることに、葵音は戸惑い、それでも心地よいと感じながら、彼女の美しい名前を頭に刻んだ。
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