第1話
1話
「じゃーね!葵音さん。また遊んでねー。」
「はいはい。気をつけて帰れよー!」
休みの日の朝早く、年下の女と別れた月下葵音(つきした あおね)は、大きく体を伸ばしながらあくびをした。
「あー……また、遊ぶって連絡先知らねーし。まぁ、いいか。」
春になったと言え、まだ朝は冷える。
葵音は、着ていたジャケットの前を閉めて、近くのカフェに入って、眠気覚ましのコーヒーを飲もうと思ってたのだ。
どこにでもあるチェーン店のコーヒーショップが目に入ったので、葵音は、その店に入ろうとした。
すると、その道路側の席に一人の女性がじっと外を見つめいるのが見えた。
「……美人だなー。」
つい声が洩れてしまうぐらいに、その女性は綺麗だった。20歳半ばぐらいで、ロングの黒髪は艶があり色気を感じさせ、前髪は横に流れるようにセットしてあったが、それも自然だった。メイクはほとんどしていないのに、目立つ顔立ちで、漆黒の瞳はとても大きく、小さな顔の肌は白く、口紅はほんのりピンク色だった。白いブラウスに、花柄のネイビーの膝下スカートという清楚な服装が、彼女の品格を更に引き上げていた。
けれど、残念な事に表情はとても険しかった。笑えば可愛いのだろうなーと、葵音は思ってしまう。
彼女が真剣に見つめる視線の先は、ただの交差点だった。
「誰か探してるのか………?」
そんな事を考えながらも、葵音は自分には関係ないと思い直し、年内に入ってコーヒーを注文した。
彼女の隣に座ってみたい気もしたけれど、あえて場所を離して、彼女が見える席に座った。
先ほどから微動だにしない彼女。
何をしてるのか、やはり気になってしまった。
すると、日曜日の朝で暇だったのか、店員同士の会話を交わしており、それが葵音のところまで聞こえてきた。
「あの黒髪美女さん、またずっと居座るのかな?もう1週間以上だよな。」
「ちゃんと、コーヒーにランチ、ディナーまで食べくれるからいいけど。ずっとあの交差点ばかり見てて何やってるのかしら?」
「ミステリアスでいいよなー。」
「……美人だからいいんでしょ。」
そんな話しを聞きながら、葵音は「不思議な子なんだなー。」と思い、コーヒーを一口飲んだ。
夜から見ていなかったスマホを見ると、何件かの仕事の依頼が入っていた。どれも急ぎのもののようだ。
「これは、仮眠とってすぐに作業しないとまにあわないな。打ち合わせは、明日……。今日も忙しいな。」
葵音は、スマホを眺めながら仕事のスケジュールや作業の工程を頭の中で整理していく。
忙しく考えているうちに、不思議な女の事はすっかりと頭から抜けてしまっていた。
葵音の仕事は、ジュエリー作家だ。
超高級有名ブランド「one sin」のデザインをしたことから、一気に有名になり、葵音が有名なジュエリー作家の仲間入りをした。
けれど、彼は一つ一つ自分の手作りにこだわっており、「one sin」のデザインを手掛けた事から注文が殺到しているけれど、それでも丁寧に時間をかけて作り上げる事を徹底していた。
そのため、葵音にデサインや制作を注文すると、高い値段がついたけれど、それが更にに富裕層には「珍しくて価値がある。」と人気になっているようだった。
葵音のデザインはとても細かく繊細なのが売りだった。そのため、女性向けの贈り物が多かった。
今日も、若い男性からの依頼を受ける事になっていた。奥さんの誕生日プレゼントにすると言っていた。
話を聞いて、デザインや宝石、そして予算を相談する。そして、数週間後に数個のデザインと共に再度、打ち合わせをして制作に入る、という流れだった。
毎日ほとんどを自宅兼作業所で過ごす。
依頼があれば、お客に会いに行くこともあるけれど、ほとんどが来てもらうことになっていたし、忙しく家にこもりきりなのだ。
けれど、週に1度ぐらいは外に出て1人や時々友人とぶらりと飲みに出る。
そして、声を掛けてきた女と過ごすのだ。
葵音は恵まれた容姿からか異性にモテていた。茶色のふわっとした髪に、髪と同じ色の瞳に切れ長の瞳、長身細身の身体。そして、明るい性格から女は絶えなかった。
けれど、最近は恋愛をするのも面倒になり遊ぶ相手を見つければ、それで満足していた。
相手もそういう男を探しているので、お互いに戯れたらおしまい。
それが1番面倒なこともないと葵音は考えていた。
バレンタインやホワイトデー、そして卒業のシーズンである今はとても忙しく、注文の依頼もひっきりなしにくる。
葵音は、デザインの構想と、ジュエリーの制作に追われていた。
「しばらくは、遊びにも行けないな。」
作業場は、孤独だ。
ついつい独り言を呟いてしまう。けれど、返ってくる言葉はもちろんない。
30歳になって、結婚を考えることもあったけれど、今は忙しさを言い訳に考えないようにしていた。それに、葵音はその事を考えるの嫌いだった。
「……さて。仕事に集中するか。」
葵音はペンを持って、机に向かった。
今回も、とある男性から恋人へとプレゼントだった。思い出の花である「スターチスの花」をデザインしたものにしてたいと相談を受けていた。
葵音は、先ほど花屋に行ってスターチスの花を購入していた。コップに水を入れて、スターチスの花を机の上に置いた。
花など滅多に買うことはない。けれど、何か依頼されたデザインものが買えるものならば、葵音は購入するようにしていた。
写真で見るのと、生で見るのは違うと思っていたからだった。
葵音は、真剣な目で花を見つめたスケッチを続けた。集中してしまうと、夢中になって周りが見えなくなってしまうのは、葵音の悪い癖だった。
葵音が次にペンを置いたのは、依頼主が家にやってきた時だった。
そんな慌ただしい日々を送っているうちに、季節は変わっていく。
気づけば春になっていた。生暖かい風が心地よく、草花の香りを運んでくれる。
ニュースでも花見の話題が多くなり、寒かった冬も終わりが来そうな頃だった。
「……よし。これで、今日の依頼は終わりだな。」
今日はお得意様との打ち合わせだったので、近所のレストランでランチを食べながら話しをしていた。
お客と別れて歩いていると、汗ばむぐらいの気温になってきた。
「少し暑くなってきたな……。春は気温差があるからなー。」
葵音はそう呟きながら、羽織っていたジャケットを脱いで、薄手のセーターにズボンという格好になった。首からは、月がモチーフのネックレスをして、ハングルもシルバーの物をつけていた。靴は黒の皮の靴。それが葵音のスタイルだった。ジュエリー作家として、アクセサリーは必ず身につけるようにしていた。
脱いだジャケットを腕にかけて、自宅に向けて歩いていく。
と、以前立ち寄ったコーヒーショップの前を歩いた時だった。
ガラス張りのカウンター席に座る一人の女性が目に入った。交差点を険しい表情で見つめる、あの美人な女だった。
葵音があのコーヒーショップで彼女を見てから1ヶ月は経っていた。
それなのに、彼女はまだ同じ席に座っているのだ。葵音は「本当に不思議な女だな。」と心の中で思いながら、交差点を見つめる彼女を、こっそりと見ていた。
すると、不意にその女がこちらを見たのだ。
葵音は「やばいっ。」と思い、すぐに彼女から視線を逸らした。見ていたことが気まずいと思いながらも、ただの他人だから深く気にしなくてもいいと考えるようにしてその場から立ち去ろうとした。
葵音は気にしないで、彼女の前を通りすぎた。
不思議な女が見つめていた交差点で、葵音は信号待ちをしていた。
ここの道路は交通量が多く、トラックもよく走っており、信号が止まるまで待たされるのだ。
そんな時間さえも、葵音はジュエリーの事を考えていた。スターチスの花のデザインがまだ完成していないのだ。大体は出来上がっていたが、葵音は納得出来なかったのだ。
何が足りないんだろうか……もう少し細身にしたほうが綺麗なのか。それとも花の数だろうか………そんな事を考えていた時だった。
突然、右腕を引っ張られてのだ。
葵音は驚いてそちらを振り向くと、黒髪に真黒真珠ような瞳の、あのコーヒーショップに居座っている女がいた。どこか焦っている表情で、葵音を見つめていた。
葵音の腕を掴んだまま、ぼーっと見つめる女を、葵音は不思議に思いながら、「な、何?」と声を掛ける。
すると、ドキッと体を震わせて葵音を掴んでいた腕を離した。
けれど、目線はずっと葵音を見つめていた。緊張からか、少し潤んだ瞳からは自分より年下だろう女性なのに、葵音は色気を感じてしまった。
「あの………、星はありますか?」
その声は少し震えていたけど、透きとおった綺麗な声だった。
これが葵音と不思議な彼女との最初の出会いだった。
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