【吸血鬼】生きていたころの話をしよう
太陽が天中にあることを確認すると、アレクは洋館の扉を押し開いた。
洋館の中に足を踏み入れ、いつもであれば行う挨拶は省略。扉も、開け放つだけではなく、扉が閉まらないように、持参した鉄のパイプを蝶番に差し込む。
今アレクがいるのは、吸血鬼が住んでいるという調査結果のでた場所だ。
昔話に曰く、この星にやってきた先祖のうち、感染症にかかったものが吸血鬼となったらしい。吸血鬼となると、生き物の生き血からしか、栄養を摂取することができなくなる。
他の生き物に比べて、逃げ足が速いわけでもなければ、襲ってきた相手を撃退する爪や牙があるわけでもない人間は、吸血鬼にとっては格好の獲物というわけだ。初代の吸血鬼たちは、それでも同じ星からやってきた同族である、という意識があった。出来るだけ襲わないように生活していたらしい。その苦悩を題材にした書籍も大量にある。しかし、世代を重ねるにつれ、そういった同族意識も薄くなる。今ではすっかり敵対する関係だ。
「主人に用事かな?アポイントメントはとっているか?」
「うわっ!」
日の光の当たる場所で、屋敷に踏み込む覚悟を練り上げていたアレクは、背後から聞こえた声に、飛び上がるほど驚いた。なぜなら、アレクは今、屋敷の中に体の正面を向けている。いま声が聞こえてきたのは背後。太陽が地上を照らす今、アレクに声がかかるとすれば、日の光の届かない場所からだと思いこんでいた。
慌てて振り返る。
そこにいたのは、漆黒の毛並みの犬だった。今もアレクに顔を向け、舌を出して暑そうにしているその黒い犬は、なにも言わないアレクを見て首を傾げた。
「人間。私はいま質問をした。そこは私と私の主人の家だ。アポも取っておらず、返事もないということは、貴様はなんだ?まさか住民税の取り立てというわけではあるまいな。先日も言ったが、ここは代々我が主人の所有地であり、後から来た者に支払うものなど何もないぞ」
え、俺、対象に、税金の取立てだと思われてんの?と虚しい気分になる。もしも相手が犬ではなく、人型ならば、吸血鬼ではないか、と警戒したかもしれない。
しかし、相手は犬だし、日の当たる所にいるし、どうにもやる気が起きない。吸血鬼絶対殺すマンの同期ならば、吸血鬼のいる屋敷に近づいた時点で、出会うもの全てを攻撃するらしいのだが。
「や、税金の取立てとかじゃないんだけど、そのご主人はいまご在宅ですか?」
出来るだけ穏やかに話しかける。アレクの格好は全身黒尽くめに肩当て肘当て膝当てをつけている。シルエットだけで、とても役所の職員には思われないような立ち姿。事実、街を歩けば無言で道を譲られるような有様。最近の悩みは、意中の女性に近寄ることすらできないということだ。
そのアレクに税金の取立てか、と言葉を投げた、ということは、この犬はあまり人の外見に頓着しないのではないか。そう推測したのだ。もっとも、犬の表情はわからないので、先の言葉が冗談がどうかの判断ができないのだが。
「私なら先程からここにおる」
上から声が降ってきた。しかし、アレクはこれに驚かない。声がしたのは日陰からだったし、吸血鬼というのは、大体人の上に現れるものだからだ。
上を仰ぎ見れば、案の定、そこには1人の男が腰掛けていた。どういう原理か、椅子は天井に張り付いており、男はその椅子に深く腰掛けて本を読んでいた。
「……失礼ですが、ストリゴイさんで間違いなかったですか」
「いかにも、生前はそのように名乗っていたな」
「そうですか。では、ご本人と確認できましたので、これから処置に入りたいと思います」
「できるものならやってみろ」
「では」
アレクは天井の男を見上げる。距離にしてだいたい5メートルほどか。まぁ、飛べない高さではないが、そのまま飛んだとしても、撃ち落とされるのは目に見えている。ならどうするか。
アレクは服の中から、手術室から持ち出したメスをストリゴイに向かって投擲する。
メスは重力に引かれ、徐々に失速する。メスが空中にある間に、さらにメスを投擲。二度目のメスが失速したところで、今度は水風船を投擲。狙いはストリゴイの足元だ。
投擲したメスは、2本ともストリゴイの手の中にある本で撃ち落とされた。しかし、水風船は見事天井にぶつかり、その中身をはきだした。水しぶきが散る。
「どこを狙っているのかね」
ストリゴイは余裕の表情だが、水しぶきが散った場所が白煙を出し始めた。
「なにをした!」
「や、大したことじゃありません。ただの薬ですよ」
「薬だと?!」
「あなたも最近聞いてるんじゃありませんか?吸血鬼はただの遺伝性の病気で、今は治療することができるって」
「そんなものはまやかしだ!」
「いや、事実なんですって。実際に街では着実にその実績を出してますし。確かにリハビリは必要ですけど、たまに襲ってくる吸血衝動も、鉄なめてれば落ち着きますから」
「ニコチン中毒者みたいにいうな!」
「そうは言いますがね……。ほら、もう薬の効果が現れますよ」
アレクは一歩下がる。
「なにを……!おぉぉ!?」
一歩下がったアレクの目の前に、ストリゴイが落ちてきた。一拍遅れて落ちてくる椅子を蹴り飛ばし、ストリゴイに当たらないようにするのも忘れない。
「ひ、日の光が!」
「もう大丈夫でしょう?」
「……」
ストリゴイが落ちてきたのは、アレクがあけ放ち、日の光が十分に当たる場所だ。吸血鬼のままなら、激しい日焼けを起こし、痛みにのたうち回る場所だ。
しかしストリゴイは日の光に当たっても、日焼けが起こっていない。吸血鬼を処置して一番手っ取り早く理解させるのは、これがもっとも優れている。
「おい、召使」
「ははっ」
屋敷の外にいた犬が、足を舐めるのを中断し、呼びかけたストリゴイに返事をする。
「お前、どうして私が襲われてる時に後ろから急襲しなかった」
「や、いい加減私も解放されたかったもので。あなたが吸血鬼でなくなれば、私も解放されるでしょう?」
「三食散歩もしてやってたじゃん!」
「散歩するの夜限定じゃん!昼間!俺はこれから太陽の下で生きるってきめたの!じゃ、そういうことで!」
そう言い残すと、犬はどこかへ走り去っていった。
「……なんというか、まぁ、リハビリしようか」
「はい」
アレクはストリゴイを伴って街へと向かって歩き出した。これから吸血鬼はだんだん減っていき、やがて、吸血鬼が生きていた頃は、などと昔語りがされる未来を夢見て。
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