【天使】生きていたいと言ってください
静まり返った部屋の中。部屋にあるのはベッドと机、あとは衣装タンスのみ。今、ベッドの上には一人の男が横たわっていて、ベッドの横に置かれた椅子には金髪の女が座り、ベッドの男の手を握っている。
女の表情は必死と言えるもので、対照的に男の顔には生気がない。
「お願い!ねぇ!生きたいっていって!そうすれば、私がきっとどうにかしてみせるから!」
「いやぁ、油断したなぁ。まさか母国で毒を盛られるとは……」
エルは、自分の言葉に耳を傾けず、しみじみと己の失態を笑うジャンに、焦りを覚える。
「やっぱり、エルのいう通り、こっちには戻らず、神殿で暮らせばよかったかなぁ」
「だからいったじゃない!戻ってきてもいいことなんてないって!」
ジャンは、世界を一度リセットしようとしていた神に直談判をしにいった。直談判はうまくいき、世界はどうにか崩壊の危機を逃れた。神の座する場所である神殿は、霊峰と呼ばれる場所の頂上にあり、人の身では行くことだけで命がけ。おまけに、あの時は神が人間に対して不信感を抱いていたので、試練と称して大小様々な生き物がジャンを襲った。
それでも、ジャンはめげることなく霊峰を登りきり、見事世界の危機を救ったのだ。
霊峰を登りきるためには様々な装具が必要だった。霊峰をある程度登れば、人は呼吸ができなくなるため、呼吸をするための装備を。霊峰にいる生き物には、強烈な毒を持つものがよくいるので、毒を無効化するイヤリングを。普通の剣では、きることのできない生き物がいるため、特別なエンチャントがされた聖剣を。
とにかく、霊峰に登るためにあらゆる装具を集め、神の意見を変えたジャンは、全ての装備をつけていれば、誰にも傷つけることのできない最強の戦士だった。
「いやぁ。まさか国全体で俺の装備を剥ぎにかかってくるとは思わなかった」
母国に凱旋し、民衆から歓声をもって迎えられたジャンは、数日療養が言い渡され、その後に祝賀会を開くと詔を賜った。エルとジャンは、二人で凱旋に沸く城下町を堪能し、星空の下でエルはジャンにプロポーズをされた。あの時は本当にこの世全てが輝いて見えたし、世界が祝福してくれているような錯覚を覚えたものだ。
そう。全ては錯覚だった。
祝賀会にあたり、ジャンには王家からきらびやかなタキシードが送られてきた。こんなものきたことがないぞ、と照れ笑いを浮かべるジャンに、エルも笑ってタキシードを着せた。鎧は着ていくことができないので、イヤリングと聖剣は携えて王城へと向かった。
「だから怪しいって言ったの。でも、私もバカ。意地汚い人間が無償であんな服送ってくるわけなかった!」
王城へと向かい、いざ祝賀会、というところで、参加者の一人のイヤリングが爆発した。爆発したイヤリングをつけていた男は、警備兵に取り押さえられ、城から強制退去。何事か、と浮き足立つ参加者たちに、今一度身体検査が行われた。装飾品の有無を厳しく確認される中、ジャンのイヤリングも回収された。祝賀会が終われば返してくれる、という警備兵に、イヤリングを渡した。イヤリングが目の前で爆発したのだ。それも王が参加する祝賀会で。当然、テロや暗殺が警戒され、ジャンもイヤリングを渡さざるをえなかった。
「そんなこと言うなよ。俺もまさか、俺の装備を解除するために、あんな茶番までするとは思ってなかったんだ」
そして、祝賀会。
異変は祝賀会が始まり、王に挨拶も済ませ、そろそろ帰ろうか、という時点で起こった。ジャンが血を吐いて倒れたのだ。突然のことに、動揺するエル。しかし他の参加者たちは、あろうことか安堵のため息をついた。途切れ途切れに聞こえてくるのは、「やっと倒れたか」「これで安心して眠れる」「王家は安泰だ」と言ったもの。ジャンの身を心配するものは聞き取れなかった。
王の態度は、と視線をやれば、他の参加者よりも一段高いところに腰掛けていた王は、頬杖をつき、誰よりも朗らかな笑みを浮かべていた。
その場の参加者、全ての命を刈り取りたい衝動を抑え込み、エルはジャンを抱えてここまで避難してきたのだ。
創造神を祀っている教会であり、人はいなかった。
「これでも、俺、お前と一緒にずっとくらすつもりだったんだ。本当だぞ?まぁ、お前は天使だ。俺が先に死ぬ。エルは自殺できないように命令されてるから、俺が死んだら、一人にしちまうけど」
「そんなことはどうでもいいわ!あなたが一緒にいてくれるなら、それだけで十分だった!そのために一緒に神様に祈りに行ったの!」
「だから、まぁ、後悔はない。どの道俺が先に逝くんだ。それが早まっただけだ。ただ、やっぱり、お前と一緒に居られる時間が、ここまで少なくなるとは思ってもいなかったなぁ」
「だから!お願い!祈って!生きていたいって!!生きたいって言ってよ!そしたら私がその願いを叶えるから!私はその力があるんだから!!」
人の望みを叶える。それがエルの力で、叶えたい願いはエルが自由に決められる。だから、生きていたいと、ジャンが口にすれば、エルにはジャンの命を脅かすものを根絶する力が備わるはずだった。
しかし、いま、エルの目の前でジャンは死にそうになっている。
だから、エルはジャンがもう生きることを諦めているのだと思っていた。
「実はな、さっきからずっと、生きていたいとそう思ってるんだよ。お前の笑顔を、ずっとそばで見ていたいと思ってるんだ。でもな、多分ダメだ。これは、言っちゃいけない」
「どうして!!」
願いは口に出さないと実現しない。そんなのは、一緒に旅をしてきてよくわかっているはずなのに。
「じゃあ、言うぞ。でも、いいか?絶対に後悔するんじゃない。エルは何も悪くない」
「どういうこと!?そんなのはいいから!早く!」
「生きていたいよ、エル。お前と一緒に生きたい」
「わかってるわ!まかせて!!」
ジャンの望みを聞き届け、エルはジャンの命を奪おうとしている原因を取り除こうとする。
「え……。どうして……」
しかし、慣れ親しんだはずの、人の望みを叶える力はエルの身に宿らない。動揺し、しかし動揺していることを悟られまいと必死に取り繕おうとする。
「俺、神様に直接文句言って、神様の意見変えちまっただろ。だからまぁ、たぶん、人としてみてもらえなくなったんじゃねぇかなぁ」
そんなひどいことがあっていいのか、と憤るエルの頬に、温かな手がふれる。
「そんな顔するなよ。後悔するなって、そう言っただろ。神様に文句言って、世界からも人として扱ってもらえなくなったんだ。だったら、俺、神様みたいなもんだろ。神様に文句言った俺のそばに居たんだ。エルも似たようなもんさ。だから、悲しまないでくれ」
「……ジャン?」
頬に当たっていた手が離れた。
見れば、微笑んだままでジャンが動かない。
エルは震える手でジャンの頬を撫で、ジャンの額に己のそれを打ち合わせる。
最後の最後で報われなかった愛しい人よ。あなたの望みを叶えられないのなら、人の望みなど、もう叶える力などいらない。だから、私は私のために力を使おう。
その日、大陸屈指の領地の王都から、青い炎が吹き上がった。炎は、王都の領地全てを飲み込んだ。王都を焦土と化すと、炎は不思議と収まり、直後、地面から城が生えた。
「ここは、私とジャンの思い出の地よ。何者も立ち入ることは許さない。近寄るものは皆殺し。死にたくなければ私たちのことは放っておいて」
城の玉座に腰掛け、エルはすっかり白に染まってしまった髪で世界を呪う。
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