【天使】祈りが天に届いた経験、あります?

「ユースチス候補生!!」

 一日の訓練が終わり、仲のいい同期と食事を摂っていると、食堂の入り口にたった教官に名前を呼ばれた。

「おい、お前何したんだよ」

 対面に座った金髪のメイヤが顔を寄せてくる。

「何もしてないよ……。今日一日一緒にいたからよく知ってるだろ。それに、何かできるような時間なんてどこにあるのさ」

 朝起きてから夜寝るまで、訓練生に自分の時間はない。集団生活が義務付けられるこの生活をしていて、何か他の訓練生と違うことができるのならば、そのやり方を教えてほしいものだ。

「確かにそうだな」

「ユースチス候補生!!いないのか!」

「はい!!こちらです教官!!」

「呼ばれたら一度で返事をしろ!このあと9時に教官室に集合せよ!以上だ!」

 自分の要件を告げた禿頭の教官は、ユースチスの返事を待つことなく食堂に背を向けて歩き去った。

「どうやらお前がわかっていないだけで、向こうはお前を呼びつけるような要件があるらしいぞ」

 集合の時間は夜の9時。訓練生に定められている就寝時間は10時。その日のうちにやらなければいけないことは、だいたい終わり、その日の疲れでぐったりしている状態だ。そんな時間にわざわざ集合をかけるなど、異常といえば異常かもしれない。

「あぁ、神よ」

 せめて次の日に響くような叱り方はしないでほしい、と神に祈る。

「我らが神は、いま現在、戦場に赴いているから、その祈りは届きそうにないな」

 メイヤの余計な言動で、ユースチスはさらに落ち込んだ。


+++


 目の前の扉を叩く前に、懐中時計で時刻を確認する。

 時刻は9時まであと数秒というところ。数分前に教官室の前に集合はしていたのだが、教官室の扉を叩く勇気を部屋におき忘れてしまっていたらしい。この時間になるまで教官室をノックすることができなかった。

 最後の踏ん切りがつかずに、教官室の前をウロウロしていたユースチスだったが、手の中の時計が9時を知らせる。この後訪れるかもしれない憂鬱な出来事に覚悟を決め、ユースチスが扉をノックする。

「入れ」

 ノックを待っていたかのように、ノックと同時に教官室の中から入室を促す声が響いた。

 教官室の扉を押し開く。てっきり5人いる教官全員がいるのかと思っていたのだが、教官室にいたのはたったの一人だった。短く刈り込んだ髪に、身体中に大小様々な傷跡を残すその男こそ、教官たちの中でも最も階級の高い男。三船3佐である。なぜに上級幹部が新人の訓練なんぞ統括しているのだ、と階級を覚えた今では、緊張の糸で体をぐるぐる巻きにされているのか、と錯覚する程度に体が動かしにくい。

 階級を全く理解していなかったころ、気楽に会食の席で隣に座っていた頃が懐かしい。

「ユースチス候補生」

「は、はい!」

「君は天使を信じるかね?」

 予想もしなかった質問に、頭の中が真っ白になる。

「は?あ、いえ!あの!そうじゃなくて!」

「落ち着きたまえ。君は天使を信じるか。その質問に真摯に答えてくれればいい」

 先ほどの質問が、己の空耳だったのだろうか、と自問自答していると、同じ質問が再度投げかけられ、どうやら己の耳がおかしくなったわけではないのだ、と頭の隅でぼんやりと思った。

「はい。天使はいます。直接お姿を表さないのは、表すことで私たちが安易に答えを求めないようにするためです」

「……だ、そうですよ」

 突如、三船がどこかに声をかける。すると、教官室の窓が開き、そこから少女が入ってきた。その動きは、窓に手をかけ、体を持ち上げ、片足ずつ窓に足を入れる、というもので、しかも最後は三船に手を引いてもらっていた。

「ふぅ」

「え?えぇっと」

 困惑の声を上げるのは、部屋に入ってきた相手が見知った顔だったからだ。

「どうしてガブがこんなところに?」

 入ってきた相手は、ユースチスが幼い頃隣に住んでいた少女で、記憶の中にある通り鈍臭い。間違いなく本人だろう。わからないのはどうしてその少女が、陸軍の訓練所にいるのかということだ。

「ユースチス候補生。最近の我が軍の戦果は聞いているかね?」

「はい!あまり聞かされておりません!」

「ふむ。やはりそうかね。ユースチス候補生、いま、我らの軍は劣勢状態だ」

 三船の言葉がどういった意味を持つのか、ユースチスはよくわからなかった。理由は、戦争の状況を、未だ訓練生のユースチスに聞かせると思っていなかったからだ。

「そ、それは私に伝えてもよい情報なのでしょうか?」

 劣勢になっている、とわかった瞬間に敵方に寝返り、己の保身に走る輩もいると聞く。

「問題ならないとも。むしろ、戦果は正しく伝えておかねば、君が戦場に立った時に困るではないかね」

「あの、3佐おっしゃっている意味がよくわからないのですが……」

「あぁ、それについても問題ない。私のはほんの話の触りだからね」

「テュウ!お父様が大変なの!このままだと戦争に負けちゃうわ!」

「どういうことだよ……」

 ガブリエルの父はあまり見たことがないが、昔の記憶のなかでは、よく庭に広げたハンモックに揺られながら本を読んでいる。その人が、どうして戦争の勝敗に関わってくるのだろう。

「そのへんについてもこちらのガブリエル嬢に聞いてくれたまえ。詳しく聞いているのだが、何しろあまりにも突飛な話なので、どのように処理すればいいのか悩んでいるのでね」


+++


 ……ほんとうか?

 というのがユースチスの正直な感想だった。

 ガブリエルの父が、実は神様である。まずここから正気を疑ってしまう。よくこの発言信じたな、と軍の連中の正気すらも疑いそうになる。

 まぁ、そこにつまづいていたのでは話が先に進まない。真偽は置いておいて、ガブリエルの話によれば、ガブリエルの父が今、隣の国の神と戦っている。その戦いで相手が優勢なため、ユースチスの母国と争っている、相手国の兵士達がパワーアップしているのだという。

 確か戦争の相手国は宗教盛んで、主神の名前を叫びながら自爆特攻をしてくるようなお国柄だったな、と座学で学んだことを思い出す。

「なるほど。私はどうすればいいのです?私のような訓練生にはどうにもできないように思うのですが」

「おぉ。信じてくれるかね」

 信じられるわけないでしょう、と怒鳴りたくなるのを必死で抑える。相手は上司だ。人の目がないとはいえ、怒鳴っていい相手ではない。三船の隣ではガブリエルが頭を不規則に揺らしている。

「ユースチス訓練生には、ここにいるガブリエルと合体し、神々の戦いの場に駆けつけて欲しいのだ!」

 先ほどを上回る馬鹿な提案が来た。

「正気ですか」

 思わず本音が出た。いかん、相手は上司だ、と思ったが、言った言葉は飲み込めない。と、いうか、合体って何だ。エロいことか。

「や、正気を疑う気持ちもわかるとも。私も初めて聞いた時は頭痛がしたものだよ。それにまだ誰も実践していないことだからね。証明のしようもないとも。しかし、それを口実にこんな美少女と同衾できるのだよ?それだけで役得ではないかね?」

 エロいことだった。前方にいるガブリエルをみる。まぁ、確かに美人だ。胸もでかい。肩甲骨まである金髪は夜でも輝いているようだし、月の光を浴びて神々しさすら感じる。

「返答はいつまでです?」

「それについては別室を用意してある。2人でしっぽり話をしてくれたまえ。早い方がいいね」

 笑いながら言われた。あ、結構これ時間的猶予がないんだな、とユースチスは悟った。

 三船の隣で呑気に眠っているガブリエルを恨めしく思いながら、これが軍の中でなければ良かったのに、とため息をついた。

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