【天使】口が裂けてもまだ言えない

 人の感情のこもった視線が、一点に集中する。

 視線の先には、巻いた紙を持った男が立っていた。周囲よりも、一段高い場所に立っているその男は、必然的に周囲の人よりも視線が高くなる。いや、一段高い場所に立たずとも、その男の視点は高かった。街を歩いていても、頭一つ飛び抜けているため目立つような高身長だ。

 その男に、部屋に集まった人の視線が集中しているのだ。部屋の中にいるのは9割以上が男たちで、その上、大体が体に傷跡を残しているような連中なので、迫力がすごい。

 その中の1人、ソンジもまた皆と同じ場所に視線を向けていた。

 この場にいる人々は、皆同じ職業の者たちで、これから発表されるのは、今後の生活に大きく関わる仕事のことだ。

 この街で、大きな仕事はほぼ例外なく抽選で行われる。王国の騎士に提供する武器しかり、貴族に提供する着物しかり、大きな催しものがあれば、そこに提供する食事の調理担当に至っても。もちろん、抽選の対象となるのはある一定の実力を持った者たちであり、抽選に当たり、顧客の満足するものを提供できれば、これ以上ない宣伝となる。過去、王女のドレスを仕立てるにあたって、抽選で選ばれた職人は無名だった。が、王女のドレスが皆の好評を得、その職人の元には注文が殺到した。もっとも、その職人は注文をさばききることができずに、ノイローゼとなり、今では王女のドレスを仕立てた時の報酬で田舎暮らしをしているのだが。

 ともかく、この抽選結果は当選者にとって大きな意味を持つ。

 大男が、周囲を見渡した。一瞬、ソンジは大男と目があったような気がした。

 やがて、大男は一度頷くと、巻いた紙の端を左手でもち、右手を離した。紙が広がり、その中に書かれていた文字を集まっていた職人たちに晒す。

 そこにあった文字を読み、ソンジは歓喜に雄叫びをあげそうになった。

 が、そこはグッとこらえて、大男に歩み寄る。

 大男も、歩み寄ってくるソンジをその場で待つ。やがて、ソンジが大男の前までたどり着くと、口を開く。

「汝、その身を証明できるものがあるや?」

 そん時は首から下げている身分証と、職業証を外し、それを大男に手渡す。

 それぞれの証を確認した大男が、ソンジに身分証と職業証を差し出す。ソンジが受け取れば、大男は先ほど広げた宣言書をソンジに差し出す。

「汝を北の森の伐採職人として認める。危険の伴う仕事ゆえ、無理は禁物である。はげみなさい」

 深く一礼をし、ソンジは北の森を伐採することとなった。


 王国の北には、未だほとんど手つかずの森がある。

 森の木々が伐採されなかったのには、いくつか理由がある。一番大きな理由としては、森には神が住んでいて、伐採しようとすれば、神の怒りを買うというものがあった。事実、森に神はいて、数ヶ月前に森を開拓しようとした隣国の兵士が獣の餌食となった。

 では、なぜソンジの国が北の森を切り開く決心をしたのか。

 その理由は、ソンジも詳しくは知らない。ただ、伝え聞いたところによれば、北の森を切り開かなければ、木材が足りないらしい。そこで、ものは試しと、神官を伴った王が、北の森の神に許しを得に行った。すると、不思議なことに森の端の大木が自然と倒れたのだという。すわ神の怒りを買ったかと恐怖した一行だが、木の断面に森の地図があり、地図に点線が記されていた。これは神の許可が降りたに違いない、と、国内の木こりに声がかかった、というわけだ。

「……なかなか太いな」

 北の森に入り、伐採する範囲を確認するために森の中を歩く。

 下草も少ないうえ、傾斜もあまりない。上を見上げれば、木もそれほど曲がっていないし、枝も極端に偏ったつき方をしているわけではない。木が太いことを除けば、非常にやりやすい現場だと言える。

 王国から渡された地図を片手に、伐採可能な範囲を歩いたソンジは、地図上で点線にある位置の木に赤い紐で印をつけると、森の入り口へと移動。空を見上げればもう太陽は天中。月も小さいが空に浮かんでいる。昼時だな、と持参した荷物から水分と食料を取り出し食事とする。

 食事は簡単なものだ。

 保存可能に加工した干し肉を挟んだサンドイッチ。王国の携行食としては一般的なもので、朝城下町を出るときにパン屋で買い込む。人気のパン屋になれば、行列になっていたりするので、開店少し前に裏口から融通してもらうのが裏技。

 食事を終えればいよいよ伐採。

 担ぐのは、かなりでかめの片刃の斧。

 森の端から切り倒していく。

 初めに倒したい方向の幹をくの字に切りとばす。次に反対側に斧を叩き込み、斧の背にある突起を上にあげれば木が倒れる。木が太くなれば突起を上にあげるのが辛いのだが、ここの木はまだ傾いたりしていないので楽だ。

 二、三本倒して枝の処理をする。地面を足で叩けば、大地から犬が顔を出す。この土地に暮らす精霊で、切り倒した木材を城下町の城壁まで運んでくれるように頼む。少し距離があるので嫌な顔をされたが、荷物からお菓子を取り出し渡せば尻尾を振って快諾してくれた。

 あとはこの作業を続けるだけだ。

 切り飛ばした枝が山となるのに比例して、森が切り開かれていく。



 そうして数日作業を行った。

「あれ、なんか煙上がってるな……」

 汗を拭き、少し休憩していると、森の中で煙が上がっているのが見えた。もしも山火事であれば命の危険だ。五感を集中し、きな臭くないかを確かめるが、焦げ臭くはない。であればあの煙はなにか。

 興味を覚えたソンジは、煙の上がる場所へと歩いて行った。

「?」

 煙の立ち上る場所にたどり着けば、そこには山小屋があった。

 初日、森の中を歩いたときはこんなものはなかったはずだが。首を傾げ、己の疲労を疑うが、どう見てもそこには小屋がある。

 小屋があるのなら、ソンジにはやらなければいけないことができてくる。

 注意喚起だ。

 この小屋の住人が、切り倒している木の下敷きにならないよう、作業している場所には近づかないように行って聞かせる必要がある。ソンジも木の下敷きになった人を見たくはない。

 小屋に向かって歩いていると、小屋の扉が開き中から人が現れた。

 その人を見た瞬間、ソンジは目を疑った。

「天使だ……」

 王国の神官が物語に聞かせる神の遣いたる美女がそこにはいた。

 立ちすくみ、小屋から出てきた美女を凝視する。

 美女がソンジに気がつき、目があったことで我にかえると、慌てて頭を下げ、声をかける。

「すまない!最近このあたりで伐採をしているのだが、話を聞いてもらえるだろうか!」

 美女が首を一度傾げ、頷いた。

 小屋へと向かう足を再び動かす。

 こんな場所に暮らしているのは何か事情があるのだろうな、と思いながらも、女1人で暮らしているとも思えない。さて、一体小屋の中にはどんな男がいるのだろう、と興味を覚えながら小屋にたどり着く。

「えぇと。他にはだれがいるのだろう」

「ここにいるのは私だけですよ」

「え?1人で暮らしているのですか?」

「まぁ、そうなりますね」

 笑みを浮かべるが、その笑みには諦めが強く浮かんでいる。

 森の中1人で暮らすのなら、事情があるのだろうが、それは果たして初対面で踏み込んでもいい話だろうか。いや、ここはひとまず作業中は近寄らないように言うのが先だろう、と要件を済ますことにする。

「森の入り口から木を切り倒しているので、作業している場所には近寄らないで欲しいのだが、構わないか?」

「えぇ。かまいませんよ。この小屋があれば生活には困らないので」

「そうか。ではこれで失礼する」

 一礼し、小屋をから離れ、作業現場へとむかう。一度振り返れば、女が小屋の中へと戻っていくところだった。気がつけば、周囲には肉を焼く香ばしい匂いが立ち込めていて、後悔する。せっかくなら昼飯を小屋の中で食べさせてもらえないか頼んでみるべきだった、と。

 まぁ、初対面の相手に、そんなことを切り出すなど、口が裂けても言えないのだが。

 ともかく、ここには美女がいる。

 森を切り開いていれば、たまたま近くを通ることもあるだろう。

 予想外の人物の存在で、これからの仕事に少し楽しみを見出したソンジだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る