【天使】そこから落ちてここまでおいで

 夕闇。もう少しで夜になろうという時間帯。

 多くの人が帰宅の途につく中、正義の姿もそこにあった。斜め後ろに黒髪の美女が付き従う。まるで主人と秘書のような立ち位置ではあるが、正義の会社での立ち位置はただの平社員だ。しかも新卒。社内ではまだ仕事を教えられ、毎日必死で仕事をこなしている状態。

「反応ないか?サリー」

「ない。もう少し踏み込む?」

 仕事が終わり、先輩に飲みに誘われたにも関わらず、断ったのは今後ろに立っているサリエルが理由だ。会社にサリエルが迎えに来た時は、先輩社員に彼女かと聞かれ、それ以外の答えを返した時、先輩がどういう行動に出るかがわかっていたため、そうだ、と答えるしかなかった。

 学生の頃からの付き合いなので、それなりに長い付き合いになる。付き合いが長いので、空気と流れで体を重ねたこともあるが、彼女として付き合ってくれと言葉にしたことはない。付き合っているわけではないので、先輩がサリエルのことを好きになるのは勝手だ。そして、好きになった末に言い寄るのは目に見えている。言い寄られるのを想像するだけで少しイラつくのは、やはりサリエルのことが好きだからなのか。そんなのは誰に言われるまでもなくわかっているのに、どうしても言葉にするのはためらってしまう。

「私は彼女?」

「……蒸し返すな。踏み込むぞ。人よけの結界頼む」

 後ろから、やや嬉しそうな雰囲気を感じる。サリエルがここまでわかりやすく感情を表すのは珍しい。なにか言葉にしてほしそうに正義のことを見てることもあるので、まぁそういうことだとはわかっているのだが。

 とにかく、今は使命をする時間だ。長時間、なれない仕事を覚えるために頭を使っていたので、頭の皮の下がムズムズする。これを解消するためには体を動かすのが一番だ。

 いくつものオフィスが入ったビルとビルの間に体を滑り込ませる。幅は人1人が通り抜けれるぐらい。むしろ人1人を通すためにこの隙間を作ったのではないか、と思ってしまうぐらいの幅。そこをサリエルと前後に並んで前に進む。ある程度進んだところで、振り返れば、ビルの間をのぞいている人もおらず、人よけの結界がうまく作動しているようだ、と実感する。

 頷き、壁に右足をかける。続いて、左足。交互に足を出せば、正義の体が登っていく。階段を登るかのような自然な動作で、不自然な動きをする正義に習うように、サリエルもまた不自然な動きをする。腰掛けたかと思うと、そのまま体が登っていくのだ。

 そうして、建物の壁を登る男と、腰掛けた状態で上昇する女は、ビルの屋上にたどり着いた。

「今日の現場はここか。……確かに、結構いるな。全く。魂を刈っても根を枯らさないとまた魂が出てくるぞ」

「そこは人がどうにかしないといけない問題。私たちは溢れそうな魂を刈り取って天に返すのが仕事」

 ビルの屋上は、うっすらと発光する球体が浮遊していた。球体の色は様々で、大きさもばらつきがある。人の魂だ。が、魂があるからといって、べつにここで自殺した人がいるとか、殺人が起きたとかではない。人の魂は自然と漏れ出る。ストレスや感情が高ぶると魂は自らの大きさを保つために余分な魂を切り離すのだ。

「ここまで魂があるってことは、よっぽどこのビルの中の会社はストレスが溜まる状況か、毎日感動できることがある素敵な会社なんだろうなぁ」

 自分の入社した会社がまともな会社でよかった、と安堵する正義をよそに、サリエルが右手を横に突き出した。魂の群れが、怯えるように震えると、サリエルから距離を取り始める。

 雷が、サリエルの手に落ちた。雷は、鎌となってサリエルの手に握り込まれる。

「じゃ、刈るね」

 サリエルが踏み出し、鎌を振るう。柄の長さがほぼサリエルと同じ程度ある鎌は、振るわれるとその長さに見合った範囲の魂を刈っていく。

 魂に抵抗するような力はなく、サリエルに刈られる一方だ。しかし、刈っている方のサリエルの表情は、鎌を振るうたびに険しくなっていく。鎌を振るい続け、やがてサリエルの瞳から一筋の涙が流れた。魂を刈るたび、その魂に刻まれた感情がサリエルに流れ込む。流れ込んできた感情に共感するサリエルは、その量がある一定以上になると涙を流すのだ。それも、静かに、春の雨のように。人によっては、この作業で何も感じることなく淡々と終わらす人もいるらしいが、正義は人の感情に共感し涙するサリエルの優しいところが好きだった。

「あれ?」

 魂を刈っている時、めったに声を上げないサリエルが声を上げた。

 どうしたのだろう、と思いサリエルを見れば、サリエルの振るった鎌が魂に食い込み、しかし、断ち切ることができずにめり込んでいる。どちらかといえば、鎌を魂が咥え込んでいるような状態だ。

 魂が広がった。

 まずい、と思い、手を伸ばしたが、手が届く前に広がった魂がサリエルを包み込んだ。

 伸ばした手を、己の額に当てる。

 ここ最近上手く言っていたので油断していた。もう少し魂の様子を見ておくべきだった。

 サリエルを包み込んだままの魂に触れる。

「サリー?」

 呼びかけに答える声はない。が、サリエルの感情は伝わってくる。怯えだ。

 魂を刈るサリエル達天使は、地上で溢れそうになる魂を刈って天に返す。そうすることで、世界の人の感情の均衡を保っている。しかし、時として、魂のかけらになってもこうして強い害意で天使を襲う場合がある。このまま放置すれば、天使は堕天し、人を惑わす。

「そうはさせない」

 が、天使を堕天から守るために正義はいる。

「ラグエルの権能をもって、命ず。散れ」

 正義が言えば、魂は灰となった。魂に覆われていたサリエルが、咳き込みながら倒れ込んでくる。

「ご、ごめん。油断した」

「いい。そのためにいるんだ」

 周囲を見渡せば、もう魂は残っていない。

「帰ろうか」

 今日の使命は終わり。そういうことだ。

 頷くサリエルを伴って、正義は人混み、日常へと戻っていった。


「あら、残念。せっかくお友達になれると思ったのに」

 正義達が去った屋上で、正義が散らした魂の成れの果て。灰をつまんで息で吹き飛ばす女がいた。

「ふふ。でも、いつかはきっと、お友達になれるわ。いつだってあなた達は堕ちる一歩手前なんだもの」

 女はビルの屋上の縁に立つと、地上を見下ろした。そして、そのまま身を投げる。

 空中に投げ出された女の体は、灰となって風に流されていった。

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