【龍】宵闇の世界

 ここ数日月が出ていない。

 空を見上げれば、髪が流れて耳を撫でる。

 空には大きな影。影には特徴がある。翼を持ち、長い尾があり、胴から伸びる首は長い。言葉に責任が伴う類の人間は明言しないが、軽はずみな人たちは龍が月を覆い隠していると楽しそうに語っている。

 まぁ、確かに龍ならすごいことだけどな、と壬生は思う。

 月もないのに空ばかり見上げていても仕方がない。壬生は背負っている望遠鏡の位置を調節すると、目的地の山頂に向かって歩く。道しるべは手に持ったランタンのみ。祖父の書斎にあったもので、周りが可燃物ばかりだというのに、中にはロウソクを入れて燃やさないといけない。本に燃え移ったらどうするつもりだったのだろう。では他にどうやって暗闇を照らすのだ、と聞かれればそれは困るが。

 山頂に続く道は、山裾から獣道だ。

 ランタンの光のみではほとんど見えない。壬生は、ランタンの火つけ口を開けると、ろうそくの火を吹き消した。すると、薄ぼんやりと獣道を照らす青白い光が現れる。

 日中、壬生が埋めた蛍石だ。一つ一つの光は乏しいが、足元を照らす補助等としてなら十分に役目を果たせる。

 山の中を進んでいけば、だんだんと物音がよく聞こえるようになる。

 それは、人間社会で暮らしていれば磨耗していた野生の部分が研ぎ澄まされていくのか、それとも単に緊張して小さな物音でも大きく感じてしまうのか。おそらく後者だろうな、と思いながら、壬生足が止まることはない。

 こうして山に登るのは初めてではないので、だいたいどのくらいで山頂に着くか、というのは感覚でわかっている。

 しかし、壬生足取りに油断はない。一度調子に乗って山に登り遭難しかけたことがあるからだ。いや、まさか蛍石を狸が掘り出して持ち去っているとは思わなかった。なかなか次の蛍石が見えてこないな、と思ったのだが、まぁ、そのうち見えてくるだろう、という楽観で夜の山道を進み、さすがにこれはおかしいぞ、と思って振り返った時にはもう元来た道がわからなくなっていた。周囲を見渡しても、星の光は全て木々に遮られている。完全な暗闇で、ただただ何かに祈りながら日が登るのを待ち続けた。で、陽の光が昇ってしまえば、あと10分で山頂、というところまで登っていたことがわかり脱力したものだ。

 蛍石をどうして狸が掘り返したかわかったかというと、下山している時にその現場に遭遇したからだ。それからは、蛍石を埋め、その上にガラスの板をかぶせるという手段で狸の被害を回避している。


 山頂は、山中の生い茂っていた木々が嘘のように拓けている。

 もっとも、切り開いたのは壬生なのだが。周囲には切り倒された木々が邪魔にならないように傍に寄せられている。鳶口を使って倒木を移動させたのだが、一日に3本動かせればいい方で、途中からは最低限の場所を確保するために方針が変わったのでやや雑然としている。切り株も残っているが、こちらは天然の机だ。

 その、壬生の努力の結晶である山頂に誰かが立っていた。

 いや、山の所有者はいまだに父なので、壬生のやまという訳ではないし、だれがいようと勝手なのだが。

 問題は、その誰かが女性らしいシルエットをしていることだ。

「あの、こんなとこでなにしてんすか」

 声をかける。当然だ。声をかけなければ忍び寄ることになり、後々通報されかねない。こんな場所に来る人は限られており、この場で逃げ切ることができても、犯人の特定は容易だ。逃げ切れる自信がない。

「少年。君は空のあの影をどう思う」

 や、少年と呼ばれる歳ではないのだが、と内心で否定する。

「龍だなーと」

「それだけか?」

「まぁ、俺みたいな一学生になにかできるとは思いませんし。できるとしても後4年は待ってもらって、どこかに就職。就職先であの龍をどうにかするようなプロジェクトに参加すればあの龍についてもう少し調べるんですが」

 その頃にはもう龍は研究し尽くされているだろうな、と思う。

 今は龍の影に隠れていない星を眺めているだけで満足だ。

「……君は、あの龍を調べるためにほぼ毎晩望遠鏡を担いで山に登っていたわけではないのか?」

「どうしてそんなことをする必要が?」

 天体観測に飽きた時、望遠鏡の先を龍に向け、あれが生きているということを見ることはあるが、別に龍を調べていたわけではない。

「なんということだ……」

「え?あれ?」

 なぜか目の前の女性が頭を抱えてしゃがみこんでしまった。

 なにか言葉を間違えたのだろうか、と思うが如何しようも無い。とりあえずカバンの中からチョコの包みを取り出し差し出してみれば、女性はそれを遠慮がちに掴み取った。

 これが、龍騎士オーランとの出会いだ。


「で、オーランさんはどうして俺が毎日あの龍を見ているって知ってたんです?いえ、俺が見てたのは天体ですが」

 オーランの間違いを指摘しながら事実を口にすれば、切り株に腰掛けたオーランは口を尖らせた。金髪がランタンの光を反射して美しい。

「それは言えん」

 それほど聞こうとも思っていなかったので別にいい。

 壬生は望遠鏡を設置しようか悩む。どうせそろそろ龍が真上にくる時間で星は見えない。その上、今はオーランのためにランタンをつけており、そんな状態では星がまともに見えないからだ。切り株の上に乗せたコンロでお湯を沸かして、コーヒーを作ることに専念することにした。

「それで、オーランさんはいつ下山するんです」

「日が昇ってからだが?」

 と、いうことは、このあとどれだけ待っても1人にはなれないということか。ならばこのコーヒーを飲んだら下山しようと決める。ここには天体観測をしにきているというのもあるが、大部分は1人になるために来ているので、誰かがいるとその目的が達成できないのだ。

「そうですか」

 まぁ、日が昇るまでここにいるというのなら、あと数分の付き合いだ。

 彼女の都合に巻き込まれないように、時間が許す限りくつろぐことにした。

「おい、まさか少年。この見目麗しい私をこの山に放置しようってんじゃないだろうね」

「そのまさかですよ?」

「薄情者!!」

「初対面でそれほど情も抱いてませんので」

 結局、コーヒーを飲んで壬生が下山する時にオーランも壬生の後ろをついてきた。

 後ろに仲間を引き連れて歩く系のゲームの気分がわかっただけの一日だった。

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