【鬼】平穏も安らぎも知らずに生きてきた君
戦場を遠く眺めながら、手元に置いてあるコップにお湯を注ぐ。
前線はかなり離れており、ここまで被害が及ぶことはない。初めて戦場に立った時は、そう言われても聞こえてくる悲鳴や歓声、怒号に逐一驚きビビっていた。そんな昔の自分を懐かしく思いながら、遠くで戦っている前線隊長に思いを馳せる。
「お、今日もくつろいでるな」
お茶を飲んでいると、後ろから声をかけられた。リンゴが振り返れば、口髭を生やした中年が、髭を手で撫で付けながら立っていた。その視線は、リンゴと同じく阿鼻叫喚の響き渡る戦場に向けられている。
「こんなところに立ってて大丈夫なんですか?なんか、今日は敵兵の動きが活発ですけど」
誰が立っているのかの確認をしたところで、再びリンゴは戦場に視線を戻す。
「俺の役割、どっちかっていうと戦後の調整とか炊事だからなぁ。まぁ片腕無くして剣振り回せんなったから、戦場に立っても邪魔なだけだし」
「だから、その炊事の準備、しなくても良いんですかって聞いてるんですけど。敵兵も良く動いてるし、みんなが帰ってきたらいつもよりお腹すかせてるでしょ」
人型の何かが空に打ち上げられた。どうやらあそこに前線隊長はいるようだ。まぁ、無事ならいい。どうせ戦場にいる間、リンゴにできることはないのだから。
「大丈夫大丈夫。もうほとんど終わらせて、あと足りないのは食べる人だけだから」
そういうことなら問題はないだろう。戦場で戦っている皆が帰ってこないと、リンゴも食事にありつけない。皆が無事に帰ってくることを祈りつつ、コップのお茶を再び口に含んだ。冷えた体に、お茶が落ちていくのがわかる。
「しかし……今回もうちの鬼はよく働くな」
「まぁ、彼1人の戦闘力が尋常ではないので、それも当然でしょう。あんなの、敵兵がかわいそうですよ」
確かに、と後ろで頷く料理長。
さて、と空を見上げる。個人が持つような時計はいまだに開発されていないので、空を見て、天体の位置でおおよその時間を測るしかないのだ。開戦から、およそ5時間というところだろうか。
そう思っていると、前線から一際大きな歓声が上がった。
「お、どうやら敵の指揮官を討ち取ったようだな。そろそろ戦場がこっちになるぞ」
慌ただしく立ち去る料理長に、リンゴも立ち上がる。なにしろ戦場帰りの兵士たちはよく飯を食うのだ。
目の前に長蛇の列を作る兵士たちに、必死になって食事を手渡す。
隣では、同じく食事を手渡すアナが額に汗を流している。横目でアナを伺いながら、今日も美人だなーと思うくらいにはまだ余裕があった。
「おいこら。なに2杯も取ろうとしてやがる」
目の前で聞こえた声に、慌ててそちらに目をやれば、確かに同じ人に2杯目の器を手渡してしまっていた。流れ作業になっていた、と反省し、器を返してもらう。
幸い、特にもめることなく立ち去っていってくれた。
礼を言うつもりで顔を上げれば、そこには装具についた血をつけたままにしている目つきの悪い男性がいた。前線で最も働く男、エーレンだ。
「あ、今日もお疲れ」
「流れ作業で誰に渡したかもわからなくなるやつほど疲れてない」
「うっ」
そこまで疲れているつもりはなかったのだが、同じ人に食事を渡してしまうほどだ。自覚していないだけで疲れているのかもしれない。
「そんなに疲れてる子は、鬼と一緒に向こう行って休んできて」
横から聞こえてきた声に顔を向ければ、リンゴに顔を向けることなく、兵士たちに食事を渡すアナが険しい顔をしていた。なんと言えば良いか戸惑っているリンゴに、アナは視線だけを一瞬向けた。
「わからない?そこに入られても邪魔だから、さっさとどっか行けって言ってるの」
「はい……そうします」
美人は怒っても美人だなぁ、と思いながら、エーレンとともに配給場を離れる。
少し歩けば、手頃な岩がある場所に着く。
エーレンと腰掛け、食事を口にする。
「それにしても、戦ってすぐによく食べれるよね。気持ち悪くならない?」
「戦場からそれなりに歩くからな。それまでにだいぶ落ち着く。新人はそれができないから、ああなる」
指さされた方向を見れば、仰向けに寝転がっているいくつかの人影があった。
「あ、ほんとだ」
「膝、借りるぞ」
「はいはい」
先に食べ終わったエーレンが、食器を床に置き、言葉通りリンゴの足を枕にして寝転がる。ほどなくして寝息が聞こえてきて、相変わらず寝付きがいいなぁ、と呆れるやら感心するやら。もっとも、ここまですぐに寝付くことは、これまで全くなかったことらしい。
周囲からも、いつ寝ているか心配されているくらいで、出会った頃は両目の下にどす黒いクマを作っていた。そんな体調で、よく戦っていられるな、と思ったのを覚えている。
まぁ、今はこうやって穏やかに眠ってくれているので、リンゴとしても満足だ。
そのあまりの戦闘力の高さに、鬼と呼ばれ恐れられていたエーレンの身の回りの世話を申しつけられた時にはどんな扱いを受けるかわからず、しかし、半ば生きることを放棄していたので、どうでもいいか、と自暴自棄になっていた。
こうして眠ることができて、平穏を得ることができた、と一度言ってくれたが、リンゴもこの時間は好きだ。落ち着く。
戦場に吹く一陣の風が、2人を撫でて空高くを流れていった。
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