【鬼】ごっこ遊びは楽しいでしょう?
大きくなって鬼ごっこをすると、本物がまじる。
いつからか、まことしやかにささやかれるようになったその噂話。真偽のほどを確かめる方法はただ一つ。とても簡単なこと。
「鬼ごっこやろーぜ」
言い始めたのは誰だっただろう。皆を取りまとめることの多い健一だったか、いつも退屈を紛らわせることを探している壮太だったか、それとも皆が仲良くすることを己の使命のように思っている美菜子だったか。
まぁ、ことの発端はこのさい重要ではない、と物陰に隠れ、必死に息をひそめる祐汰は、ずれたメガネを押し上げた。
放課後、授業が終わり、試験期間中で部活動も禁止であるため、教室に残って試験勉強をしていた祐汰は、同じく教室に残って笑い声をあげていた健一たちに、半ば強制的に鬼ごっこに参加させられた。
部活動は将棋部で、頭を動かすことは好きだが、体を動かすことがそれほど好きでない祐汰は、鬼ごっこをしたくはなかった。そんなことをしている暇があれば試験勉強をした方が断然有意義だと思う。
しかし、健一は言い始めれば自分の意見が通るまで満足しないし、それで勉強ができないのであれば意味がない。ここは始め参加して、適当に逃げたあたりで荷物を持って図書館か喫茶店にでも隠れよう、と計画を立てると、渋々始めの鬼を決めるじゃんけんの輪に加わった。
どうにか始めの鬼になることを免れ、学校内、と決められた範囲を、他の参加者の動向を観察できる位置に隠れ潜む。逃げる方はあまり得意ではないが、逃げ隠れることは得意だ。
今回は他の参加者が離れた頃を見計らって、開始位置の教室の前の廊下から外に出た。教室は3階にあるので、下を見ればそれなりの高さに足がすくむが、幸い足を置くには十分な幅があるし、反対側は道路になっており外から見られることもない。下から見上げたとしても、幅の広い足場が視線を遮ってくれるだろう。上から覗き込んでも同様で、祐汰を見つけるためには、3階の廊下から身を乗り出して探さないといけない。見つかってしまえば逃げることは困難だが、今回の参加者はそんなことをしない、ということを経験から知っていた。
時計がないので開始からどのくらいの時間が経ったかはわからないが、時折鬼が交代したことによる歓声がきこえる。
三度目の交代は、どうやら二つ上、5階で行われたらしい。
続いて、逃げる声が遠ざかる。渡り廊下を通じて、東側の校舎に逃げていったのだろう。荷物を回収し、校外に出るならこのタイミングだな、と窓から廊下に侵入する。今鬼になったのは、声から判断するに美菜子だろう。彼女はいつも人の後を追いかける。鬼なった今回も、逃げた元鬼の声を追いかけて東校舎に行く声が聞こえた。
「じゃ、一抜けたっと」
誰にともなく己が鬼ごっこの参加者でないことの宣言をすると、教室に入り、荷物を手に取る。教室の窓から東校舎を何となしに見れば、東校舎の5階、その廊下を、幾人かの人影が駆けていくのが見えた。
後ろを確認しながら走っているのか、時折速度が落ちている。
そんなことしてないで試験勉強をするべきだろう、という思いを胸に秘め、下駄箱のある1階に足を進める。西校舎と東校舎を繋ぐ渡り廊下は1本で、校舎を上空から見れば『工』の字になっている。
下駄箱まで行っていれば、追いかけあう彼らに見つかるかもしれないが、幸い騒ぎながらでないと動けない人種だ。声が近づいてくれば手近な教室に隠れればいいし、余裕がありそうなら、また廊下から外向いて隠れればいい。物音に意識を向けながら、注意深く階段を降りていく。
「おや、まだ校舎に残っていたんですか?」
不意に、階段の上からかけられた声がきっかけで驚きの声をあげそうになった。
誤魔化しても仕方がない、とばつの悪い思いを作り笑いで覆い隠しながら振り返る。
そこには教師だろうか、見たことはない大人が立っており、階段から祐汰を見下ろしていた。
「ごめんなさい。教室で勉強してたらこんな時間になってて。今から帰ります」
「そうですか。まだ明るい時間ですが、くれぐれも注意して帰るように。最近は何かと物騒ですから」
頭を下げ、挨拶とすると、出来るだけ急いで下駄箱に向かう。
途中、下駄箱の手前にある1階のトイレに入る。学校を出る前に便意の解消を、と思い、便器の前に立つ。
「あれ、何でこんなに鳥肌たってるんだろ……」
自らの腕が見える範囲で凹凸が目立っている。首を傾げていると、廊下で叫び声が聞こえた。
しまった、と内心で舌打ちをする。あの声は健一だ。
トイレなど学校を出て、適当なコンビニで寄ればよかったと後悔をする。頼むからトイレには来てくれるなよ、と内心で祈る。
祈りが通じたのか、健一の声はトイレの前を通り過ぎ、そこで鬼につかまったのか、叫び声がやんだ。
「……どうした?ごっこあそびは楽しいだろう?たまには本物を混ぜてくれてもいいよな?」
知らない声が、トイレの前の廊下で響いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺たちは何も悪いことしてないだろ?!」
「だから、たまたま本物が混じっただけだって。鬼が混ざって、人を追いかける理由なんて、食事か、略奪か、殺害で十分だろ?悪いとか良いとか、そういうことじゃないの。鬼が混ざる、人が死ぬ。それだけ。じゃ、ばいばい」
水風船が割れたような音がした。
足音がトイレに近づいてきて、祐汰は慌ててトイレの個室に逃げ込んだ。なんの解決にもならないとわかっている。しかし、1階のトイレの窓は、換気用の小さなもので、とても人1人が通れるような大きさではない。
足音がトイレの中に入ってくる。
「えーっと、今ので7人目。全部で8人だったから、後1人か……」
誰かわからない呟き。その内容は、祐汰を震撼させるには十分なものだった。放課後、あの教室内に残っていたのは、祐汰を含めて8人。鬼ごっこに参加したのも8人。そして、今ので7人目、ということは、もう祐汰の他には誰も残っていない、ということになる。
恐怖で叫び出しそうになるのを必死にこらえて、息をひそめる。
「……ん?」
気づかれただろうか。それも当然。個室は祐汰が今入っているものは全て空いていた。上から覗き込まれれば、それだけで終わりだ。
「いや、そういえば、1人は抜けたと言っていたな。じゃ、これでおわりか」
その呟きが聞こえると、トイレ内にそれまで充満していた圧力は消え去っていた。
それでも、祐汰はしばらくトイレから出られなかった。
どれほどたっただろう。
トイレの外で足音がした。
足音はだんだんと祐汰のいる個室に近づいてくる。
トイレから離れていたのなら、さっさと逃げていればよかった、と後悔するが、もう遅い、次にこの足音が遠ざかれば、絶対に逃げよう、と固く決意し、必死に足音が遠ざかることを祈る。
「おい、誰かいるのか?」
聞こえたのは、聞き慣れた担任教師の声。慌てて個室から飛び出す。
「うわっ。本当にいるとは思わなかった。驚かすなよー」
そこにいたのは、紛れもなく担任教師で、祐汰はその場にへたりこんだ。
「あ、おい、トイレにしゃがむなよ。汚いだろ」
そんな、日常的な叱責に、日常に帰ってきたのだ、と実感し、祐汰は力無い笑みを浮かべた。
その後、担任教師に健一たちがどうなったかを聞いたが、そもそも健一たちのことを知らなかった。
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