おかえりは来世で
目を開ければ、そこには見慣れた天井があった。
木造の天井は、設計段階から大工に注文をつけ、注文をつけるたびに眉をひそめる大工をなだめすかして建設した、思い入れのある箇所だ。木の濃淡で龍に見えるようになっている天井は、目が覚めるたびにザフに喝を入れてくれる。
他の家にこの天井があるとは思えないので、ここは自分の家なのだろうな、と思いながら、上体を起こす。
ベッドから上体を起こし、軽く周囲を見渡すが、眠る前と部屋の様子が変わっているようには見えない。かと言って、このベッドに横になった記憶もない。
さて、自分は昨日何をしていたのだったか、と思い出そうとするが、頭にまるで靄がかかったように何も思い出せない。
ベッドの上で首を傾げていると、隣の部屋へと続く扉の向こうから、食欲をそそるパンの匂いと、何かを焼く香ばしい音が響いてきた。
己の腹に手を当てるが、特に空腹、というわけではないようだ。最後に食事をとったのがいつかも思い出せないのに、これはいったいどういうことだ、とさらに増えた謎に唸りながら、状況を解明するためにベッドから降りる。
床に足をつけ、それだけで膝から崩れ落ちそうになった。
ますます現状がわからない。
確かに、自分はそれほど体が頑丈な方ではなかった。所属していた討伐隊でも、直接的な戦闘能力は下から数えた方が早いほどだったのだから。
それでも、ただ地面に降り立っただけで倒れそうになるとはどういうことか。これでは子供以下だ。直接的な戦闘には関わらなかったが、戦場に赴くことはあり、戦闘に巻き込まれることはあったと記憶している。その時に真っ先に逃げられるように、と新人教育係のアインラッヘに脚力だけは鍛えられたのだが。
ともかく、誰かに現状を聞こう、と扉を開ける。
扉の向こうには、記憶していた通り中央に6人分の椅子と、その椅子に適したテーブル。そしてキッチンをがあり、キッチンにはエプロンを着けた女性が調理をしている。
「裸エプロンじゃない。やりなおし」
自分は何を言っているんだ、と思ったが、何かを考えるよりも先に発言していたので、如何ともしがたい。
ザフの言葉に、女性が気が付き振り返る。
しまった、あまりにも最低な発言だった、と思うも時すでに遅し。女性の目にみるみるうちに涙が溜まっていく。
そこまでか?!と思い、次に起こるであろう出来事に備える。果たして、大声で泣かれるか、助けを呼ばれるか、いや、今彼女はキッチンに立っている。凶器が手元にあるのだ。あの熱されたフライパンで叩かれれば、タダでは済まないだろう。
しかし、女性の次にとった行動はあまりにもザフの予想に反していた。
女性は涙を浮かべたまま、調理の手を止め、テーブルを文字通り飛び越えて、驚くザフに抱きついてきた。
「ザフ様!やっとお目覚めになられたのですね!?リーリエはもう、この日をどれだけ待ちわびたことか!思い出せますか?あなたの従者であり妻であり家政婦のリーリエですよぅ!!」
「待て、リー。状況がよく思い出せん。僕は一体どうなった?」
抱きつかれ、女性の名前をどうにか思い出したザフは、女性を抱きとめながらも状況の確認をする。
「そうですよね。やっぱりあれだけバラバラにされれば、転生して経験を引き継いだとしても記憶は混乱しちゃいますよね!とりあえず、お帰りなさい!!」
リーリエの言葉に、ザフはさらに混乱する。バラバラにされるとはまた穏やかではない。転生、ということは自分は一度死んだのだろうか。
「た、ただいま」
実感はないが、帰ってきたぞ、とリーリエに言葉を返せば、リーリエは顔を上げ、その顔にほころぶように笑みを浮かべた。
その笑みが、あまりにも記憶の中にある通りで、自分が以前から好きで好きでしょうがない笑顔だったので、己の中の感情が暴走する。視線を逸らすことで気持ちを落ち着ける。
「そ、それで、今はどうなっているんだ」
「そのあたりの説明も、ご飯食べながらやっちゃいましょう。ちょうど昼食もできるところです」
「しかし、僕が目覚めるかどうかわからなかったんだ。一人分しか用意してないだろう」
食事をとりながら話をする分には大いに賛成なのだが、これからもう一人分の食事を用意するのも時間が勿体無い。かと言って、どこかで買ってくるぐらいであれば、先に説明を受けたいところだ。
「大丈夫ですよ、私、お昼は晩御飯の分も含めてちょと多めに作ってるので。二人で分けたらちょと少ないかもしれませんが、それくらいの方が、昔を思い出せて、私としては嬉しいです」
確かに、討伐隊で遠征をしていた時は満腹になる程の量は食べられなかったな、と思い出す。しかし、その記憶は、ザフにとってはついこの間の記憶であり、やはりリーリエとの発言とは噛み合わない。
リーリエが離れ、テーブルの椅子を引いてくれる。
リーリエの体温が離れたことを惜しく感じながら、引いてもらった椅子に腰掛けた。
椅子に腰かければ、それほど長い間立っていたわけではないのに、疲れが襲いかかってくる。
次々に運んでくる料理を眺め、ザフは今がどうなっているのかの想像を巡らせるのだった。
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