夜などただ長いだけ
枕元の時計を見て、まだ日付が変わっていないことを知る。
布団に入って、まだそれほど時間が経っていない。
体調を崩して寝込むなど、いつ以来だろう。少なくともここ5年ではなかったことだ。
いつもであれば、この時間は工房にこもって何かを作っているような時間なのだが、今日は工房に向かうことも出来ず、工房で作る新作のアイデア出しすらも出来ない状態だ。
同僚には、普段から働きすぎなのだから、これを機にしっかり休めと言われてしまった。
「休めって言われても……」
趣味を仕事にしてしまったので、例え休日であっても平日と同じようなことをしているのだ。こういうときに困る。
とにかく今はライアンに言われた通り、ゆっくり体を休めて、明日には工房に出勤しようと決意し、瞼を固く閉じた。
「ふぅ……」
思わずため息が出てしまい、周囲を見渡す。
ため息をついていたことなんて知られてしまうと、親方にまた叱られてしまう。
それにしても、と作業の手は止めたままで。窓から見える夜空を見上げる。
室内が明るいため、星空は全く見えない。
寒い季節だが、室内には炉が焚かれているため、屋外の寒さを感じることはない。
「お、なんだ。ライアンはシンレイがいないと作業がすすまねぇか?」
後ろから響いた野太い声に、思わず体が震える。
それまで手が止まっていたことは悟れないように、自然に見えるように作業の手を再開する。
「ま、気持ちはわかるがね。自分一人だけだと、どうしても張り合いがなかったりするからな。とくにお前らみたいな新人は。俺ぐらいになると依頼が増えちまって、怠けちまうと自分の評判にそのまま影響しちまうから、そんなことも言ってられねぇんだが」
「なにしにきたんすか」
どうやら見透かされている、と振り返り、親方に目を向ける。
「って本当に何しに来たんですか?!」
そこでは一目で泥酔状態とわかる親方の姿があり、とてもではないが、工房に出入りするような状態ではない。普段の親方であれば、そんな状態でもしも誰かが工房に入ってくれば、問答無用で金槌を投げつけるか、機嫌が悪ければ試し切りだと言って、打ちたての斧でうちかかるぐらいのことはしそうだ。自分に厳しい親方なので、自分にできないことは人に強要しない。こんなことは今までなかったのに、と脳内カレンダーをめくり、納得する。
「あぁ、もう、こっち来て座ってください」
ライアンは立ち上がり、それまで自分の座っていた椅子を明け渡す。
が、親方は今にも崩れ落ちそうだ。
手間のかかる、と思いながら、親方のところまで椅子を運び、強制的に座らせる。
それまで夜が長いと思っていたのが嘘のように時間が過ぎていく。
「それで?どうだったんですか」
炊事場から水を樽ごと持ってきて、コップで樽から水を汲み取り手渡す。親方は緩慢な動作でそれを受け取ると、一息に飲み干した。
「どうって……なにがぁ。いつもどおりだぁ」
これだけ酔いつぶれておいて、どうしていつも通りなどと言えるのだろう。
「今日でしたよね、組合の報告会。最近は、そのあんまり評判に上がるような作品作れてなかったので、心配だったんです」
きっかけが何かそれはもうわかっているので、ライアンもあまり強く出ることはできない。時間が解決してくれるとは思うが、それまではそっとしておこう、と工房の他のメンバーも無言のうちに方針は一致している。
つらつらと最近の出来事に思いを馳せ、親方に目を向け、本日二度目となる驚きを得た。
親方が目から大粒の涙をこぼしていたのだ。
「くそぉ。あいつら、かかあが死んでから、うちの製品の出来がわるいだの、うちはかかあの呼び込みだけで生計立ててただのと好き勝手言いやがって。そりゃあ、かかあがいりゃ、うちは他に負ける気はしなかったけどよぉ。かかあがいなくなってから、やらなきゃいけないことは一気にふえて、かかのありがたみはじっかんしてるけどよぉ。それをあいつらに言われなきゃならん理由はなんだ」
相変わらず、目からダバダバと涙をこぼしながら愚痴をこぼす。
その言葉に相槌を打ちながら、先月亡くなってしまった女将を思う。
今日まで親方は女将がいなくなったことで増えた仕事を必死にこなし、工房もいつもとは異なる環境で必死に依頼をこなした。
結果として、数日前からシンレイは体調を崩したし、これまで泣いていなかった親方は今日ボロボロになって帰ってきた。
涙をこぼしながら、組合に対する不満、亡くなった女将に対する感謝、自分の不甲斐なさを延々と零す親方を慰めながら、ライアンは未だ明けぬ夜を思う。
夜が明け、以前のように明るい工房に戻れるように、どうすればいいのかを考えながら。
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