落ちる先が二人同じであればいい
よし、と平賀は胸の中でガッツポーズをする。
目の前ではもう覆ることのない状況にまで進行した盤面が広がっていて、勝利を確信する。
そのことが対戦相手にもわかっているのだろう、必死に盤面に視線を這わせる様子が見て取れる。その様子を満足げに見やり、後は対戦相手が負けを認めるか、持ち時間がなくなり自動的に負けが決まるかのどちらかだな、と判断。
チラリ、と視線を対戦相手からそらし、右手、三人の記録係がいる、さらに向こう。景品が飾られたショーケースに目を向ける。ショーケースには、見事な紫の宝石が妖しい輝きを放っており、時折、ヌラリと光の角度が変わる。ショーケース内の宝石が生きている、といわれる所以であり、世界各国の宝石蒐集者が命を差し出してでも手に入れようとする理由だ。
もうすぐであれが手に入る、と思うと、にやけそうになるが、昔からもらえるつもりで期待していると、大抵その期待は裏切られてきたので、どうにかして気持ちを引き締めようとするのだが、なかなかうまくいかない。
「まいり……」
「まいりましたなんて、言わないでちょうだいね?」
対戦相手が投了しようとしたところで、外部からよく通る女の声が響いた。この場にいる5人、全員がその声に引き寄せられるようにしてそちらに顔を向ける。
声の主は、平賀から見て左手、景品とは反対側の階段を、一段一段、まるで見せつけるかのように時間をかけておりてくる。その女の纏う、威圧的な雰囲気に、誰も何も言えず、ただその女の歩みを目で追うことしかできない。
だれも何も言葉を発さず、女の動きを視線で追うだけの異常な空間で、不意に小さな鐘の音がなった。対戦相手の持ち時間がなくなった合図であり、記録係が正気に戻る。記録係は、己の役割に忠実に、決着がついたことを告げようと、口を開こうとした。
いつの間にか、その記録係の肩に、部外者であるはずの女の手が回されていた。
「ダメよ。まだ勝負はついてないの」
「し、しかし、もう時間はなくなってまして……」
「時間?そんなものいいのよ。だって、これ、あの景品を奪い合ってるゲームでしょう?」
「ええ、まぁ……」
「だったらどうでもいいの。だって、あの景品、出したのは私で、勝負がつく前に私が入ってきた。つまり、ルールは私。誰があれを取るかを決めるのも私。わかる?」
耳元で囁かれている記録係は、女の色香に惑わされているのか、ぼうっとした顔でただ時折うなずくだけだ。
皆、女の雰囲気に飲まれているが、唯一、平賀のみは、女の言い分にブチ切れていた。何しろ、もう少しで手に入りそうになったものが、いま目の前で奪われようとしているのだ。
「ちょっと待て!もう勝負は決まってる!その宝石は俺のもんだ!」
立ち上がった平賀に、初めて気がついた、というように、女の視線が平賀に向く。
視線があった瞬間、この相手は普通の人間では無い、と平賀は背中を這い上る寒気とともに痛感した。視線があった瞬間に、飲み込まれるような錯覚を覚えたのだ。
「あら、面白いことを言うのね。まあいいわ」
女が記録係から体を離し、宝石の方へとむかって歩く。
「おい!話聞いてたのか!」
「ええ、聞いていたわ。だから、おのぞみ通りにしてあげよう、と思って」
女がショーケースに手を伸ばし、ショーケースをすり抜けて、中の宝石を掴み取る。なにが起こっているのか理解できずに、戸惑っていると、女は平賀の目の前に歩み寄ってくる。
「だから、二人で一緒に居たいのよね?望み通りにしてあげようと思って」
女が宝石を差し出し、平賀が思わずそれを手に取る。
「はい、じゃ、落ちる先が二人同じなら、それでいいわよね」
どう言うことだ、と顔を上げると、目の前に女の顔があった。足元が揺らぎ、立っていられなくなる。
三人の記録係と、平賀と対戦していた男はなにが起こったのか理解できずに困惑していた。
宝石を手渡された平賀が、女に顔を覗き込まれたかと思うと、急にふらつき、女にしなだれかかるようにして倒れた。そして、まばたきをした次の瞬間には、平賀の姿が消えていたのだ。
「さて、あとの残った方は、さっき見たこと、誰にも言っちゃダメよ?」
蠱惑的な笑みを浮かべ、鼻歌交じりで階段を登り始めた女。
他の四人は、女の姿が見えなくなるまでただただ震えて時間が過ぎ去るのを待つことしかできなかった。
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