43 居酒屋


 あれから数日後。


 海斗は居酒屋の前で立ち尽くし、深くため息を吐いていた。


 何故、ここに来なければならなくなったのか……。

 その理由を考えれば考えるほど、気持ちが沈んでいく。


 それでも待ち人との約束を守るため、気持ちも足取りも重いまま、のれんをくぐり抜けた。


「よう! 遅かったじゃねえか」


 店員に案内されてやって来た海斗にそう言ったのは、ジョッキを片手に男勝りな口調のしずかだった。

 頬をほのかに赤く染めながら、座敷のテーブルで胡坐をかいていた。


「あ、あの……その……し、仕事が、なかなか終わらなくて……その」


 言葉を詰まらせながら口を開く海斗。なかなか女性に対しての苦手意識が抜けず、上手く会話が出来ないコンプレックスを抱えている。

 唯一、幼馴染の彩乃とは自然で居られるから不思議なものだ。その彼女は入院中の身であり、その彼女を差し置いてこの場に来たことに、後ろめたい気持ちにもなっていた。


「なんだよ! 言い訳はいいから、早くこっち来て座んな」


 そんな気持ちの海斗を察することなく、こっちに来いと手招きしているしずか。

 そもそも、彼女の友達であるしずかと京子の二人が、この居酒屋に海斗を誘い出したのだ。


「でも良かったぁ、来てくれて。やっぱり海斗君、来ないんじゃないかって心配したんですよ」


 京子も、海斗が来てくれたことで、安心した顔を見せていた。


「はは……まあ、なんとか、来れました」


「ったりめえだろ! あんだけ念を入れたんだ、それで来ねえような奴だったら、人生終わってるぜ」


「……は、はは」


 と、苦笑いで海斗は頭を掻いた。



 数日前に、しずかから飲みに行こうと、誘いの通知が来た。

 それは何の前触れもなく、唐突なメッセージだった。

 しかし、困惑した海斗はその誘いを断っていた。


 とてもじゃないが、彩乃を差し置いて彼女たち二人と呑気に飲む気分じゃない。

 その上、女性にコンプレックスを抱えている自分では、面と向かってまともな会話が成立するとは思えなかった。

 彩乃無しでは何も出来そうにない、そんな自分を情けなく思う。今更だが。


 だから海斗は断った。


 だが、しずかと京子は諦めることはなく、しつこく食い下がってきたのだ。

 粘り強く誘いのメッセージを送ってくる。何回も、何回も。

 時折、しずかから脅迫じみた文面があったり。


『彩乃ちゃんのことで、海斗君にどうしてもお話したいことがあるのよ』


 京子からの、この一文が決定打となり、折れる形となった海斗。

 今日、この場所で彼女たちと顔を合わせる事となったのだ。



「ささ、先ずは座って下さい。……えっと、お酒飲みますよね? 生ビールでいいですか?」


「あ、いえ、僕は――」


 海斗は電車でここまで来たので、飲酒しても別に困らない。

 しかし、それ以上に飲む気分になれそうにない。


「まあいいじゃねえか。辛気臭い顔されてたんじゃ、こっちも気が滅入っちまう。少しくらい飲んで、憂さ晴らしした方がいいいぞ」


「私も少しだけなら、お酒が飲めるようになったんですよ。ほらコレ」


 京子は、手元のグラスを海斗に向けて見せびらかした。どうやらグレープフルーツサワーらしい。


「まあ、アタシらも、たまにこうやって飲んでねえと、どうにかなっちまいそうだぜ」


「しずかさん! 海斗君の方がもっと辛いんですよ…………って、ごめんなさい海斗君。私たちが、もっと元気付けてあげなければいけないのにね」


「ああ……そうだったな……」


 まるで海斗のためにこの場を用意した。彼女たちの目配りが、そう語っているように思えた。


 彼女たちの言葉と表情が、海斗の心に重くのしかかる。彩乃を心配する彼女らもまた、日々辛い思いをしているのだと。

 

 海斗は座敷に上がると、しずかと京子の向か側に座った。

 


◇◆◇


 生ビールが届くと、海斗はそれを一気に喉へと流し込んだ。


「おぉー、いい飲みっぷりだねえ」ニヤリと白い歯をむき出しにするしずか。


「あんまり無理しないでくださいね」注意だけを促し、サワーをちびりと飲む京子。


 ビールなんて苦くて美味しくはない。

 でも、それでも塞ぎ込んだ気持ちを、少しでも解放させたい。

 そんな思いからなのだろうか、ジョッキが空になるまで止まれなかった。


 ドン! と、飲み干したジョッキを置く。


「はぁ、はぁ、はぁ……もう一杯、お願いします」


 海斗は、丁度通りかかった店員に中ジョッキをたのんだ。

 しずかと京子は、あっけにとられている。


「……そんなに一気に飲んじゃって大丈夫ですか? もうちょっとゆっくりとお飲みになったほうが……」


「だ、大丈夫です。これ位どうって事ありません」


 どうって事は無くは無かった。

 ビールといえど、中ジョッキの量を一気に流し込んでしまったため、猛烈な勢いで酔いの回りが海斗を襲う。

 目の前が、頭かクラクラしてきた。


「おいおいおい、もう目が座ってきてるじゃんか。ぶっ倒れても知らねえからな」


「…………ふぅ、ちょっと暑いですね」


 女性二人を目の前に緊張気味だった海斗。そこにアルコールの酔いがプラスされて、額に汗を滲ませるほどに体温は急上昇。見れば顔から首まで真っ赤になっていた。

 海斗は手元にあったおしぼりで額の汗を拭った。

 

「まあ、お互いに、いろいろと思うことはある。けどさ、ずっと暗い気持ちでいたってしゃあないだろ?」


「そうですよ。少しは気持ちを切り替えないと、これから先の道が見えなくなっちゃいますから」


「…………」


「せっかく可愛い女子大生のアタシらと飲めるんだぜ、役得だぜ幼馴染君。今夜くらいは楽しく飲もうや、な」


「そ、楽しく飲みましょうよ」


 ニヤリと白い歯を見せるしずかと、にっこりと微笑みかける京子。

 二人ともに、お酒でほんのりと頬を染めていながら。


 彼女たちも、彩乃の事で辛いはずなのだ。

 それなのに海斗を励まそうとして、元気付けようとしているその眼差しに心打たれる。

 海斗もまた、彼女たちの心遣いに応えるべく、今だけは楽しもうと思った。



 生まれ育った故郷のことを訊かれた。

 今はまだ下っ端だけど、そのうち一人前になると頑張っている仕事のことも。

 大学で起きた事件や噂話をしだした。ゴシップ大好きな彼女らは、やはり恋話が大好物らしい。


 海斗は、楽しく飲めて、久しぶりに心が少しだけ軽くなった気がした。そもそも、彼女たちの気遣いが、そう錯覚させているのかもしれない。


 その錯覚と同調する違和感がある。


 色々と他愛のない会話をしていく中で、彼女たちが決して触れない言葉があるのに気付く。

 この居酒屋に来てから、海斗が感じ取っていた違和感そのもの――。


 それは、彩乃に関係する、一切の事柄だった。


 あえて彩乃の名前や、話題につながる流れを断ち切っている。それを口にする事を意図的に避けている空気だった。


 わざわざ彼女らが、なぜそんな風に避けるような振舞いをするのか。

 理由はわからないが、それを訊くことも出来ないのも事実。


 だから、あえて海斗もそれを口には出さなかった。

 きっと、彩乃が自分を避けている訳と、なにか関係しているのだと感じたからだ。

 


 趣味は何と尋ねられ、ゲームかな? と答える。二人とも納得の顔。

 ただ、京子は少しだけゲームの話に食い付いてきて「私、あのゲームって、やったことあります」と、しばらくそのネタで話が続いていた。


「そうなんだよ。あれって緻密なストーリー重視だから、ついつい、のめり込んじゃう」


「うんうん、わかるぅ~」


 しばらくその話で盛り上がる二人。それをジッと見ていたしずかがこう言った。


「へえ、幼馴染君、女の子とちゃんとおしゃべり出来るじゃん! 全然、どもらんじゃん」


 ――確かに。


 海斗はそう言われて、改めて気付いたのだ。

 彩乃と母の和恵以外、他の女性とは自然なコミュニケーションをとることは不可能と思っていた。

 半ば諦めかけていた自分の負の部分を、こんな形で克服したことに驚きを隠せない。

 

 前のめりに海斗を見つめる彼女たち。その笑顔に圧倒されながら、海斗は交互に目を移す。


 まるでこうなることを最初から企んでいたかのような、彼女たちの策略。


 しかしそれを可能にしたのは、確実にお酒の力とも言える。

 が、それでも、彼女たちと普通に会話をしている自分がいたのだ。間違いなく。


 ふと、海斗は思う。自分は何に対して頑なにこうまで固執していたのかと、考えれば考えるほど馬鹿らしくなって、クスリと笑ってしまう。


 それを見ていたしずかは、しめたと言わんばかりに、


「うん、よし! これで彩乃が心配した事・・・・・・・・、一つクリアしたよな、京子!」


 しずかの口から聞き覚えのある名前が飛び出し、海斗は思わず「え?」と、聞き返した。


「あっ、ダメ! しずかさん。それ言っては……」


 京子に指摘されて、自分の失言に気付くしずか。慌てて自分の口を押さえつけた。

 京子は口を開けたまま海斗から目線を反らした。


 

 やはり、最初の違和感通り、彩乃の名前は禁句だったようだ。

 何故なのか、理由が知りたい。


 キッっと目を凝らし、二人を睨む海斗。普段なら出来ないのに、酔っている勢いだ、何でもできる。


「あ、あはは…………どうも」と言いながら、はにかむ京子


「どういうことですか? アヤが心配してるって、何なんですか?」


 海斗は真剣な面持ちで二人に問い詰めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女子が苦手な僕ですが、美人になった幼馴染だけには違うみたいです。 うずはし @uzuhashitukiyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ