41 ばったりと
病院内に戻った海斗は、足早に集中治療室へと向かう。
途中、廊下の曲がり角に差し掛かると、死角から人影が現れた。
「わっ! す、すいません」
海斗は、危うくぶつかりそうになるも、体制を崩しながらなんとか衝突を回避。
ぶつかりそうになった相手も、身をよじりながらとっさに罵声をあげた。
「ぶねえな! この野郎! 気を付けろ……って、幼馴染君じゃねえか」
聞き覚えのある男勝りな喋り方の相手は、ほかの誰でもないしずかだ。目の前で怖気づく人物が海斗だと気付くと、釣り上がった眉が定位置へと戻った。
そしてしずかの隣には京子も一緒にいた。
「もう、危ないですから、廊下は走っちゃ駄目ですよ」
と、はにかみながら優しい口調で注意を促していた。
「ったく、やっと戻って来たか。親父さんに何言われたか知らんが、随分と遅かったじゃねえか」
しずかは随分と海斗が戻って来るのを待っていた風に、嫌味ったらしくそう言い放った。
対する海斗は「ハア、ま……ハア、まあ、色々と……」と、息を切らしながら、困った顔でそう答えた。
それを聞いたしずかは鼻を鳴らすし、腕組みをしながら難しい顔をしていた。
本々、しずかは信之のことを良くは思っていなかった。前々から彩乃から、父親との確執の件で幾度となく相談していた、という経緯もあったからだ。
今日も、彩乃が緊急事態だというのに、信之はのうのうと遅れてやって来た。信之本人は急いでいたらしいのだが、少なくともしずかにはそう見えなかったのだ。
かと思えば、到着するなり早々に、海斗と話があると言って、連れ出してこの場を離れてしまったのだ。しずかとしては、どうにも面白くない。
海斗もまた信之に拉致されてしまった被害者。片時も離れたくはなかったのだが、信之の申し出に応じた形となり、今では後悔すらしている。
逸る気持ちのまま、海斗は彼女たちに訊ねた。
「ハァ……ハァ、あ、アヤは……ど、どうなりました?」
一言「あ」と発したしずかは、後ろにいる京子と目を見合わせた。
海斗は彼女たちの第一声を待つ。
彼女たちは和恵と一緒に、彩乃の治療が終わるのを待っていた。
その彼女たちが今こうして二人で廊下を歩いているということは、すでに処置が終わって、彩乃の無事が確認できたと……そう、考えられるのだ。
どうやら最悪のケースは免れた、ということがうかがい知れる。
いずれにしても、良くも悪くも、海斗は結果が気になって仕方がない。
そして、最初に口を開いたのはしずかだった。
「ん……まあ、なんとかな、ついさっき、無事にな」と、歯切れが悪く曖昧に答える。
「……そう、ですか……よかった」
目を合わすことなく言ったしずかに、少しだけ疑念が残るも、それでも『無事』という言葉に安堵する海斗。
ならば、一目だけでも彼女に会っておこうと、海斗は思わずにはいられなくなる。だが、
「ついさっき処置が終わったところですが、彩乃ちゃんはICUから出て来てません。安静にして経過をみると看護婦さんが言ってましたし、残念ながらご家族しか面会できませんと言われてしまいました」
と、京子が丁寧に捕捉を入れた。
「……まあ、そういう訳だ。おばさんだけが今、彩乃の側に残ってる」
「本当は、私たちも彩乃ちゃんの顔、見たかったよね」残念そうに苦笑いを浮かべた京子。
彼女たちも彩乃を心配する気持ちは海斗と一緒。大学の仲間として、行動を共にしてきた仲なのだ。一日でも早く退院して、また三人そろって賑やかな学生生活に戻りたいと願っている。
しずかと京子は、また明日以降に出直すため、病院の出口に向かって歩いていた。
戻ってきそうにない海斗には、待合ロビーでメールでもと考えていたらしい。
運よくここでばったりと会うことが出来て、タイミング的にも良かったのかもしれなかった。
経過報告が出来て、面会は明日以降になるかもしれないと……。
「……あ、そう、なん、ですか……」と、ガッカリとした表情の海斗。
少しだけでも顔を見ておきたかったのに、それが叶わないとなると、一気に気が滅入ってしまいそうになる。
海斗の上がっていた息づかいは、徐々に落ち着いてきた。
しかし、目の前の異性との会話は、相変わらずたどたどしい。未だ、女性が苦手なのは克服できていないのだ。そこはどうにもならないと、海斗自身も半ば諦めている。
腰に手を当てて、薄い胸を張り出していたしずか。
海斗の顔をジッと見ていたかと思うと、ニコリと白い歯を見せながら言った。
「って言う事で、幼馴染君よ!」
「あ、は、はい」
「彩乃には、おばさんが付いているから安心しろ。今日のところは、家に帰って休んだほうがいいぞ。親父さんに何言われたか知んないけど、さっきよりもっとひでえツラになってるからな」
「ですね。顔色も良くなさそうですし、ゆっくりされた方が良さそうですよ」
と、京子も心配そうに言ってきた。
確かに、ついさっきまで信之の話に付き合い、理屈の分からない話を聞かされて、気持ち的にも相当疲れていた。
このまま無理をして体調を崩したら、再び会社の同僚に迷惑をかけてしまう。
「そう、ですね。僕も今日は帰ります」
一人で家に居ても心が落ち着くかどうか不安だが、それでも体だけはしっかりと休めなけれなならない。コンビニで夕食でも買って帰ろうと、海斗は思った。
「お、そうだ、幼馴染君!」
「は、はい?」
「今度アタシたち三人でさ、彩乃の奴を元気付けてやろうぜ! なんかこう、サプライズ? ってなやつでさ」
しずかは人差し指を立てて、ニヤリと提案した。
「あー、それ、いいですねぇ。食べ物は海斗君があげちゃいましたからねー」
「ちっ、幼馴染君! 抜け駆けとは、感心しねえなあ。まあ、あのバウム、すげえ美味かったから、許すけど……」
「はは……」と、海斗は乾いた笑いで応えた。買ってきた海斗は、未だあの高級なバウムクーヘンの味を知らなかったのだ。
「じゃあ、彩乃ちゃんは、他に何したら喜びますかね?」
「さあな、でも何か考えておこうぜ。……おい、幼馴染君も考えておけよ、わかったな!」
「あ、は、はい」
海斗はどもりつつも、頷いてしずか達と約束を交わした。
家に帰った海斗。ベッドに横たわり、目を瞑っていても今夜は眠れそうにない。
心配な彩乃の病気の進行。その先を見越したかのような信之の言葉。
母親の和恵はどう思っているのだろう。
いつも彩乃の側で寄り添っていたのは和恵なのだ。
信之の計画をどう思っているのか。
色々な事が、頭の中を駆け巡り、時間だけが空しく刻まれていくだけだった。
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