40 やり場のない心

 それは、夕方近くのファミリーレストラン内でのこと。


「――――!!」


 海斗は憤怒の形相で椅子から立ち上がった。

 湧き上がる怒りのままに、


「いい加減にしてくださいっ!」


 と、正面に座る男に向かって声を荒げて叫ぶ。

 同時に叩かれたテーブルの音が店内に響き渡たった。


 海斗の目の前にいる男は、彩乃の父親である信之。海斗の急変したその態度に、驚く様子もなく平然とコーヒーを啜っていた。


 突然、声を荒げた青年に、食事を楽しんでいた客たちが、何事かと静まり返る。

 店内全員の注目が海斗に集中していた。


 荒い呼吸で、真正面の男性を睨み続ける海斗に、怪訝な目を向けてヒソヒソと話し出す客たち。

 次第にざわつきが増えるにつれ、何事も無かったかのように、すぐに店内は普段の賑わいへと戻っていく。



 一瞬だけだが注目を浴びた海斗。だが、当の本人は怒りのあまり周囲が見えておらず、そんなことは微塵も気にならなかったのだ。


 普段は温厚な海斗が、ここまで怒りを露わにするのは稀である。原因は他でもない、信之の心無い一言だったのだ。

 海斗は頭に血が上り、我を忘れて怒り叫んでしまったのである。


 それは、今まさに生きようと必死に闘っている彩乃の、死を前提とした話だった。

 一刻の猶予も許されない、そんな殺伐とした心理状態の中での信之の提案のようなもの。普通に考えても、怒りを掻き立てる内容だった。


 早くこの無駄な時間を終わらせて、すぐに彩乃の側に戻らなければと思う海斗。

 目の前で平然としている信之の発言が、切なくもやり切れない、そんなどうしようもない現実を突きつけられたように思えたのだ。


 海斗は歯を食いしばり荒々しい呼吸のまま、指先と唇を小刻みに震わせていた。


「……僕はもう戻ります、失礼します」と言って、海斗はこの場を離れようとした。だが――。


「ま、待ってくれ海斗君! ごめん、私が悪かったよ」


 と信之は、慌てて椅子から立ち上がり、左手で制止を促す。立ち去ろうとした海斗を引き留めたのだった。


 海斗は無言のまま信之に目をやり、立ち止まった。

 信之は「ま、一旦座って、落ち着こう、な」と言って、海斗を席に座らせた。


 お互い、全く面識の薄い間柄だったら無視して立ち去ることもできたのだろう。

 しかし、信之とは幼少のころから親しく付き合いのある人物。海斗は無下に立ち去ることなど出来なかった。



「悪かったよ、海斗君……今後の君たちにと、応援のつもりでね、私なりに良い提案だと思ったんだけど……まさか君が、そこまで怒るなんて思いもよらなかったよ。これは全くの大誤算だったようだね」

 

 まるで自分には非は無いといった表情で居る信之は、コーヒーのカップをテーブルに置くと、オレンジ色に染まった外の景色を見ながら言った。


「私もね、彩乃には病気を克服して、いつまでも元気な姿でいてほしいと思っているんだ。それは嘘じゃない。だから、あの子の生きる力になれる海斗君に、少しでもこれから話す事実を受け入れてほしいと思ったんだ」


 目の前の男は、尚も彩乃が亡くなった後についての話をしたがっている。

 当然、海斗はそれを受け入れるどころか、聞きたくもない。


「そんな話、聞き入れろだなんて……とてもじゃないけど、僕には無理です。ていうか、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ?」


 彼女はまだ生きている。


 苦しみの中、生きる為に病魔と戦っている彩乃。

 それを直そうと、懸命な治療を続けている医師たち。集中治療室で今なおその戦いが繰り広げられている。


 死んでしまったら、その人はそこで人生のすべてが終わりを告げてしまう。生きていてこそ、価値がある。そう、誰もが思っている。


 海斗は、テーブルに置いた手を握り拳に変えて言った。


「アヤは死なない! これからも、生き続ける!!」


 目の前の男の言動に惑わされまいと、自分に言い聞かせた。

 言って気を落ち着かせることが出来たのか、ずっと荒かった息づかいは、少しだけおさまりを見せていた。


「そうだ! その通り、海斗君の言う通りだよ。彩乃はまだ生きている。……ああ、海斗君のその強い想いは、彩乃にとってかけがえのない力になるかもしれないね。ただ、これから話す内容には、親である私たちの想いも込められている、そこだけは理解してほしいな」


 海斗に視線を戻していた信之は、前のめりになり話を続ける姿勢。

 この場を離れられそうにない海斗は、仕方なく続きを聞くことに。


「以前にも話したと思うんだが、五年前に彩乃は生死の淵をさまよっていた。手術は無事成功したものの意識が戻らず、それが約半年間続いていて、私も妻も半ば諦めかけていた。そんな中、奇跡的に目を覚ましたんだ」


「……はい、確かにそう聞きましたけど」


 海斗はゆっくりと目の前のアイスコーヒーを手に取ると、ストローをくわえて半分の量を喉に流し込んだ。


「繰り返しになるが、これだけは言っておくよ。私は心底、彩乃には生きていてほしいと願っている。あの子の父親だからね。それは本当だ、嘘じゃない。だからこれは、それが大前提としてある話なんだ」


「それは当たり前でしょ。親として」


「ああ、もちろん、親としても、学者としても。誇れる人間で居続けたいと思っているよ」


 信之は背もたれにうっつき、軽くドヤ顔になる。

 それをちらりと目にした海斗は、気に入らないといった表情で外の景色を眺めた。


「自慢するわけじゃないが、これでも私は医学界の権威だと自負している。彩乃の病気が治るのなら、長生きしてくれるのならと、いろんな伝手を頼りに、ありとあらゆる手段を尽くしてきた。それは今現在も、以前と同じように……いや、それ以上にやっているよ」


「…………」


 思い返せば信之の言っていることは、あながち間違いではないようだ。

 彩乃が入院を始めたころから、病院内で幾度となく信之とすれ違う事があったのだから。

 たまたま偶然すれ違うにはその頻度は多く、信之はいつも何か考え事をしながら歩いていた印象がある。


「そういった意味で、相川医院長には多くの無理を聞いていただいている。本当にお世話になりっぱなしで、感謝してもしきれない程だ…………ただ、今回ばかりは、どうにも……」


 語尾を弱めた信之のその言葉に、強く心を締め付けられる思いになった海斗。

 ここでようやく彩乃の置かれた立場、そしてこれから彼女の父親が何を言おうとしているのか察してしまったのだ。


 それは、海斗が思い描きたくもない、最悪のシナリオ。


 歯を食いしばり、窓の景色の何処を見るとでもなく、ただ一点を見つめる海斗。握った拳に力が入る。


「彩乃の容体が急変したと連絡があった後、間もなくして医院長から電話がかかって来てね、……その告知に、正直、私も我を忘れるほど気が動転してしまった。さすがに、まいったよ」


「……それでさっき、僕にあんなひどい事……言ったんですね」


「酷い事とは失敬な。確かにきちんと順序立てて、海斗君に説明しなかった私の落ち度であるのは認めるよ。だが、あれ・・は将来を見据えた、とても建設的な話だと、私は思っている」


 信之の言ったその話、海斗が怒りに我を忘れたほどの話とは、


 彩乃と全く同じ姿、人格、思考を持つ、コンピューターの中のプログラム。いわゆる、コピーされた人格そのもの。


 それが実在し、運用できるレベルまでになっているということだった。



 愛する故人に会いたいという願望は、誰しも持っている願望ではないだろうか。一般的に知られているような、生前の映像や写真から模索して作り出したものではない。

 リアルに生存しているうちから脳波をデータとして吸出し、それを構築した技術だという。

 

「建設的な話? 冗談じゃない! 僕にはそんなふうには聞こえませんでした! おじさんは研究として……脳科学の立場を利用して、アヤを、自分の娘を私物化しようとしているようにしか聞こえなかった。そんな……人権を無視した方法が――」


 近い将来、ロボット技術が進化すれば、この人格複製技術を使って、本人と全く一緒のコピーロボットが完成してしまうだろう。それは未来の話。

 怖いのは、今完成しつつある人格複製技術だけが応用されて、複製された本人の意志とは関係なく、コピーだけが悪用されてしまう点だ。


「人権は尊重してるさ。それに、私物化なんて、人聞きが悪いよ。確かに、ヒトの脳の構造は、まだまだ解明されていない未知の領域が山ほどある。完全に明らかになるのには、まだまだ長い年月が必要だろう」


 海斗には理解できない科学的分野の話だった。

 こういった話をするときの信之は、学者特有の雰囲気を放っているように感じられる。さらに背もたれに深く腰掛けるその姿は、まさに筋金入りのお偉いさんの風貌。


 どことなく理解しがたい退屈な話に、海斗はしかめっ面のまま頬杖をつき、仕方なく耳を傾けていた。


「ある記述によると、実際に死者の脳を切り開いて、部位ごとに細かく仕訳けたってのもある。

 今だと、CTあたりで細部まで立体化に成功しているんだよ。でもね、あまりに複雑すぎるのか、データ化しても分からない事だらけなんだ。

 おおむね一致していても、全く同じ構造の他人なんていないからねえ。じゃなきゃ、性格の差なんて出てこない。

 コピー人間作るっていうのなら、それも有りかもな。

 その違いを追求するってのが、この研究の面白い所であるんだ。そもそも人類って何かってね。

 そんな雲をつかむような謎が、私を虜にしてしまった根柢の部分でもあるからさ。家庭を顧みず研究に没頭しているのが、今の私さ」


「…………だから、なんですか?」


「ん? だからとは?」


「だから、アヤの人格が研究材料に使われたんですか。身内で、誰の介入もなく、それも自由に」


「ふむ……でも、それはちょっと意味合いが違うかな。たしかにあの子は私の娘であったがゆえに、こうして脳のサンプル、いわゆる被写体に適していたのは間違いないが。でもね、それだけの理由で選んだわけじゃないんだ」


「…………」


「彩乃にはずっと生きていてほしい、そう願うのは私も妻も全く同じだ。闘病を強いられている娘を、どうにか救いたいと思う親の熱意が強かった」


「だったら、なぜ」


「長く看病を続けていた妻は次第に疲弊していった。私もいろいろと手は尽くした。でもね、病魔は私たちの想像以上に強大で手強かった。このままでは共倒れしてしまう、そう思った私は決心したんだ……この子を救うのは、もしかすると別の方法が必要なんだろうと」


 それが、死者をコンピューター内で復元する手段なのだ。


「たまたまそれを実現可能な親が私であった。権威である私にしか研究出来ない、それほど高等な技術を要するのだから。という思いでね、着手したんだ」


「そんな、勝手な! アヤはそれを望んでるんですか? 彼女は別の自分の存在を、許すとでも…………あまりに勝手すぎますよ!」


「それはあの子も理解してくれるさ。なんせ、私の娘だからね」


「…………そんな。ありえない」


 その表情に落胆の色を見せている海斗。言葉もかすれて力が無かった。


「まあ彩乃の人格を複製するといっても、実際に脳を取り出す訳じゃない。長い時間をかけて脳波からデータを構築していく。それはそれは気の遠くなる作業だったよ」


 長いデータの構築。信之の人格複製研究は、彩乃が難病に侵されてしまった五年も前から、すでに始まっていたのだと考えられる。

 薄ら笑いを浮かべる信之は、こけた頬を指でなぞりながら言った。

 

「でも、それももうずぐ完成しようとしている。あくまでもVRの中のベータ版としてだけど、それでも外見上は本人と区別つかないくらいにはね」


「――ッ!」


「もちろん彩乃のがんが完治すれば、話は別だ。元気に寿命を全う出来さえすれば、彩乃の複製はただのサンプルデータに収まるだけ。それまでの研究結果やシステムが、世界の医療技術に活用されていく手筈だから、今までの努力が無駄になることは無い」


 それはそうである。ただお金だけを消費してしまうような研究なら、だれも投資などしないだろう。その後の利益が見込めるからこそ、今まで継続出来ていたにすぎない。

 見返りを求める猛者たちの、欲望がうずめくプロジェクトだと言っても過言ではないだろう。


 しかしながら、現実世界と瓜二つの顔と人格が、コンピューターの世界をデータとして世界中を駆け回り、勝手に行動していたら、それこそ実在する当の本人は気がおかしくなってしまうかもしれない。

 被写体が実の娘である信之が、この技術を悪用するとは思えない。ただ、第三者にこの技術が盗まれてしまったら、それこそどうなるかわからない。


「セキュリティー面は全く心配ない、完璧だよ。そのからくりについては明かせないが……当の本人が生きているうちは、絶対にコピーは起動しない仕組みになっている。それはこのプロジェクトにおける絶対の鉄則だよ」


 信之は自信満々にそう言い切った。

 おそらくこの計画には多くの人材と、多額の資金が費やされているに違いない。もしかすると国家が関わり、国民の税金からとも考えられる。


「しかしだ、この研究はいずれ世界中にいる多くの難病患者やその遺族にとって、大きな価値を生み出すことに違いないだろうと、私は考えているんだ」


「……生きていた頃と変わらない……人と、会える……と? それを求める人たちが沢山いると?」


「そう! 顔や体の形、話し方や細かい仕草。会話した時の喋り方や考え方、息づかい。すべての情報は脳に蓄積されているからね。皮肉なことに、多重人格もそのまま反映されてしまうから、そこは厄介かもしれないけどね」


 その人の性格や考え方など、すべての思考は紐づけられている。好きな人、嫌いな食べ物、心動かされた映画や小説。すべてが何らかの記憶に繋がっていて、それを意図的に切り落とすことは困難なのだ。

 一般的に言う記憶喪失とは、都合の悪い記憶を封じ込めたにすぎない現象なのである。


「実際に会って会話ができる端末は、今のところハイスペックパソコンしかないけど、もう間もなくVRゴーグルに反映される手筈だ。実際に目の前で、生前と同じように動き回ってくれるよ」


 目の前の信之は、徐々にオーバーアクションになっていった。喋る口も止まらない。

 海斗は、表情を曇らせながら黙って聞いていた。


「もうすでに多くの企業から、この技術を聞きつけて、問い合わせが来ている。中には独占したいと言いだして、国家予算並みの金額を提示している投資家だっている。まだまだ粗削りな部分も多いから、私てしてはもっと完成度を上げたい。手放したくはないんだよね」


 海斗は、次第に目がつり上がてきている。

 今、生死の境をさまよっている娘を気に掛けることなく、喜びの表情で研究についてひたすら語る父親に、怒りのような、煮えたぎった感情がふつふつを奥底から湧き上がってくるのだ。


「今の技術の段階では、全く同じとはいかないさ。特に親しい間柄なら尚更、その違和感は大きな差となってしまう可能性はある。それでも現実世界と変わらぬ姿を見れて会話できるのは、君にとっても魅力なんじゃないかな?」


 そこでようやく海斗と信之の視線か交差する。

 睨みつける海斗に、ハッと気づいた信之が口を紡いだ。


「――だから、何で? なんで! アヤが死んじゃう前提で話をするんですか!」


「おっと、これは失礼した。また君を怒らせてしまうところだった」


 海斗は再び席を立ちあがり、自分を見上げている信之に、


「僕はそんな話、理解できません。それに……聞きたくありませんでした」と、言葉を吐き捨てた。


 彩乃は今生きようと必死になって頑張っている。それを応援して、また元の生活に戻ることを願っている海斗。

 その願いが、空しくも根底から否定されたように思えた。


 生きる事だけを願え。そう、自分に言い聞かせていたのだから。


 死んでしまったら……などと、考えたくもなかった。

 その考えは危険だとさえ思っていたのだから。


「そうかな? いずれ海斗君もこのプロジェクトに頼る時がくると思うけどね」


 と言って、不敵な笑みを浮かべながらコーヒーを啜る信之。


 海斗は目の前の男を視界から払いのけると、ファミレスを後にした。

 


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