35 生きるって、何なんだろう
海斗は病室の入り口から、ベッドの上に寝ていた彩乃に声を掛けた。
「やあ……」
海斗の声に反応した彩乃は、首を向けてニコリと微笑む。
が、返って来る言葉が無いまま、すぐに笑顔を消してしまった彼女。以前よりも更に元気が無くなっている。
腕には点滴の細い管が繋がっていた。透明な液体は雫となって、一定間隔の時を刻んでいる。それは数日前から目にする光景だった。
そして今日、海斗の目に止まったのは、彩乃の頭を覆い隠すニット帽。
「――――!」
抗がん治療が始まっていて、それは彼女が病魔との辛い戦いをしている証。
薬の強い副作用で頭髪が抜け落ちると、ネットにはそう書いてあったのを思い出す。
身体的にも、精神的にも、辛く苦しい思いをしている彩乃。そう思っただけで、海斗は背筋が凍りつく感覚を覚えた。
「……どう? 似合ってるかな? 昨日、お母さんに買ってきてもらったの。おしゃれな帽子でしょ」
険しい目で海斗が帽子を凝視していたのを見てか、彩乃はそう言った。嫌がっている様子は無く、逆にそれを自慢している。
「あぁ……似合ってるよ……」
言葉を詰まらせながら、なんとか誉め言葉を。慌てて目を逸らしてしまう。
心ここに有らずといった感じの海斗に、彩乃が追求する。
「ほんとうにぃ? 絶対そんなふうに思ってないでしょ」
ジト目を向ける彩乃に、たじろぐ海斗。直接病気の事を訊くわけにもいかず、他にどんな言葉を掛けていいのか、何も浮かんでこなかった。
「――っ、なんて言えばいいのか……その……」
「はぁー。もう、なんにも隠し事が出来ないんだねカイは。優し過ぎるんだか、冷たいんだか。でも顔を見れば、何考えているかすぐに分かるんだよなあ、やんなっちゃう」
「えっ?」
「……だって、アヤが癌だったて、ずっと前から知っていたんでしょ?」
「あぁ……うん、まあ」
「ほら! やっぱり! そうなんじゃないかと思ってたのよ。……きっとお母さんね、カイに言ったの。もう、ほんとに許せない。あれだけ口止めしておいたのにっつ、なんなんもうー」
目を逸らして、口をパクパクさせている海斗。冷や汗が止まらない。
立て続けに、彩乃が責め立てた。
「カイもカイよ。内緒話しを本人に悟られないようにするんだったら、もっとちゃんとポーカーフェイス決め込みなさいよ。バレバレなのよ、失礼しちゃう本当に」
何も反論できずに、海斗はただ苦笑いするだけだった。
「でも、まあいいわ。そういう訳で、残念ながら、アヤは当分の間退院できませんから」
「そう……みたいだね、はは」
「もう、カイに迷惑ばっかかけてる自分にやんなっちゃう。だって、せっかくカイとお付き合いできて、いろんな所にデート行けるなー、と思ってたのに……それが、こんなんでしょ」
目を細めて残念そうに彩乃が言う。どう声を掛けるのが正解か、迷っている海斗はただ口を紡いでいる。
「自分で言うのも何なんだけどね、アヤは昔っからツイてない人間なの。カイとさよならした時とか、五年前に病気した時とか、あと色々と……。その度に、アヤって存在価値があるのかなあーって思うの」
「……何言ってんだよ。あるに決まってるだろ」
「そっかなあ。少なくとも神様には嫌われてるっぽいけどね」
「そんなこと無いよ!」と、海斗は力強く言って見せるが、伏し目だった彩乃にその言葉は届かない。
そして、
「はぁ、人生って……生きるって、何なんだろうね……」
と、彩乃がぼそり。
その言葉を聞いた海斗は何ともやるせない気持ちになってしまう。
心が締め付けられる感覚に、思わず手に力が籠ると、クシャリ。
海斗が手に持った紙袋が音を立てた。
「あっ、カイの持ってるそれって……もしかしてバウム?」
紙袋を見た彩乃は、一瞬で薄茶色の瞳を輝かせる。
それは彼女が食べたいと言っていた、一流洋菓子店である
彩乃が闘病生活でくじけそうになった時、買ってくると約束したバウムクーヘンだった。
それを見た彩乃の声のトーンが一段階上がった。
「アヤの好きなやつ。買ってきてくれたの! やったー」
重く沈んだ空気が一瞬で変わり、胸を撫でおろす海斗。改めてお菓子の偉大さに感謝した。
「そ、この前、食べたいって言ってただろバウムクーヘン。約束だったからな、弱気になったアヤを復活させるためだ」
「うん! そうそう、確か言ってたね。……でも、よく買えたね。すごく並んだんじゃないの?」
「ん? まあ、まあ、余裕だったけどな」
「またまた、カイったら無理しちゃって。まあ、でも、これも二人の愛の力よね、うん。偉い偉い」
面と向かってそう言われると、照れてしまう海斗。思わず頭を掻きむしる。
言った彩乃もまた恥ずかしそうに布団を顔まで引き寄せた。
「はぁー……でもね、せっかくカイが買ってきてくれたのに、今は薬のせいで食べられないの、吐き気がひどくって。滅多に食べられないお菓子だし、どうせなら美味しく食べたいのよ。だから、具合が良くなってから」
「じゃあ、ここに置いておくからさ、好きな時に食べなよ」
「うん、カイありがとう………………ねえ、カイ」
「ん?」
「今日も遅くまでいてくれる?」
「ああ……別に構わないよ。帰っても他にすること無いし」
「よかった。じゃあ、バウムを一緒にたべようよ。寝る頃までには、少しくらいは元気になると思うから、そしたらね」
「はいはい、おしゃべりでもなんでも、アヤの気がすむまでお付き合いします」
「お! 言ったなあ。今の言葉、取り消しとか無しだからね。今日はとことんまで、いてもらいますから、うふっ」
「おう……、お、男に二言はないよ」
「よしよし。じゃあ先ずは、カイこっちに来て座って。この前偶然ね、面白い投稿動画を見つけちゃったのよ」
彩乃は枕元に置いてあったスマホを操作して、動画再生アプリを立ち上げる。
海斗はベッドの側にパイプ椅子を引き寄せて、彩乃のスマホを覗き込んだ。
「……っと、どこだったっけなぁ、……あ! これこれ」
動画を再生すると、コメディアンらしき人物が画面の中を面白可笑しく動き回っていた。彩乃はそれを見ながら「ぷっ、くくクッ!」と笑っていた。
確かに面白い動画だった。海斗もつられて笑ってしまう。
信之と会ったあの日以降、海斗に対しての病院側の対応が少しだけ変わっていた。面会時間を過ぎたとしても、特に何も言われなくなった。
すれ違う病院関係者たちは皆、海斗に愛想笑いを向けるだけ。どうも気を使われているような感じしかせず、逆にきまりが悪かった。
とはいえ、一日たりとも欠かさずに、彩乃と会わなくてはいけない。海斗はそう心に決めている。
誰に何を言われようが、妨害されようが、その意志は曲げることはしないと。
彩乃が自分を必要としてくれているまでは……。
今日は、彩乃の気のすむまで、解放してくれるまでずっとここに居続けよう。
そう海斗は、彼女の微笑んでいる横顔に誓ったのだ。
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