27 合鍵

 

 水族館から帰って来た海斗たちが、彩乃の自宅に帰り着くほんの少し前の事。


 赤い軽自動車を運転している海斗は、隣で眠る幼馴染をちらりと見ながら、今日は楽しい一日だったと振り返っていた。


 一日の運転で、これほどの長距離を経験したことが無かった海斗は、体の疲労もピークに。

 それでも、幼馴染の安らかな顔を見れば、疲れなんて吹っ飛んでしまう。

 


「あぁ、誕生日は……僕の家で……か」


 と、ぼそりと呟いた海斗。


 海斗の勤める羽柴製作所は小さな町工場である。

 就業員は少なく、どう頑張ったとしても、こなせる仕事量には限りがある。今は受注が順調に入っていて、割と忙しかったりする。


 つい先日の急な大量注文は無いにせよ、病気でもしていない限り、気軽に休暇など取れない雰囲気なのだ。


 彩乃と約束を交わした海斗の誕生日は、週もど真ん中の平日。


 まさか私用のために会社を休むことなど出来ない。

 そうなれば当日、仕事終わりに彩乃とどこかで待ち合わせしなければならなかった。

 それを承知の上で約束を交わしたと言ってもいい。


 とは言え、話の流れで自分の誕生祝いをする場所が当人の家に。海斗はそうなってしまった事に、僅かながら疑問を抱いていた。


 どうせ何処かで待ち合わせしなければならない。それならいっその事、その足で行ける外食にしておけばよかったと、帰りの道中で海斗は一人思い直していた。




 しかし、彩乃の考えは海斗のそれと少し違っていたようで……。



 ぼそりと呟いた海斗の声に反応したのか、助手席で眠っていたはずの彼女が、突如目を見開いたのだ。

 そして薄茶色の瞳を輝かせてこう言った。


「……あいかぎ」


 あまりの小声だったため聞き取れず、海斗は「ん?」と返した。


「……カイの部屋の合鍵……欲しいなあ」


 今度ははっきりと、そして甘えるような声で言った彩乃。

 少しだけドキリとした海斗は息を呑んだ。


「ねえねえ、アヤに作ってよ、合鍵! お願い、良いでしょ?」


 と、いつもの積極的な彼女の口調に戻った。


「……え? どうしてよ?」


「だって、八日にカイの家でお祝いするでしょ。どうせカイはその日、仕事休めないと思うし、それならアヤが留守中に、お祝いの準備をしていようかなーって思って」


 そう言われれば海斗の選択は無く、彼女に従うしかない。


 考えるまでも無く、彩乃に合鍵を渡したからといって、海斗に何か不都合があるわけでもない。ただ、子供じみた悪戯をされる可能性が、無いとは言い切れないのが悲しい所だが。

 しかしそれ以上に、彩乃が合鍵を欲しがってくれた事に、海斗は何とも言えない嬉しさを感じていたのだ。


「だからカイが留守中でも、アヤが侵入できるように合鍵必要になるのよ。それに、今後もちょくちょく使わせてもらうかもしれないから。特に、今は夏休み中だしね♡……あ、ちゃんと戸締りはするから心配しないで」

 

 彩乃は得意げに言い放つ。が、最近、抜き打ちで幼馴染のがさつな日常生活を垣間見てしまった海斗に、一抹の不安がよぎるのだが。

 それでも海斗の留守中に誰かが居てくれほうが、空き巣などに狙われにくいだろう。防犯上のメリットが大きいのでは、との考えもある。



 偶然とは良くいったもので、海斗はスペアの鍵を車のダッシュボードへ入れてあった。何故そうしてあったのかは、入れておいた本人すらよくわかっていない。

 ただ、スペアをそのまま家に放置しておくのは、いささか不安だっただけなのかと、今になって思う海斗だった。

 

 どうせ持て余していた持ち物だったのだから、いっそうの事信頼のおける人物に手渡した方が安心なのかもしれない。

 そして、その人物は丁度合鍵を欲しがっているのだ。


 海斗は赤信号で止まった時に、持っていた合鍵をダッシュボードから取り出した。

 そして、そのまま彩乃に手渡した。


「えっ、やだ、かわいい!」


 合鍵にはピチューのキーホルダーが付いていた。

 手渡した海斗は、ばつが悪そうに無言で信号機を見ているだけだった。


 受け取った彩乃は、鍵をギュッと握りしめて、口を一文字に。

 薄茶色の瞳を潤ませながら「ありがと」とだけ言った。

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