28 告白とプレゼント
あれから数日後。
「ただいまー」
一日の仕事を終えた海斗が、自宅へと帰ってきた。
普段は帰って来ても、待つ人など誰もいない安いアパートの一室。
だが、この日だけは違っていた。
「あ、カイお帰りなさい」
幼馴染の彩乃が、海斗の帰りを待っていたのだ。
そう、今日は海斗の誕生日。
水族館へ行った日に交わした約束通り、海斗の自宅でお祝いをしてくれるとの事だ。
そのことをわかった上での帰宅。当然今日一日、仕事中でもこの件で頭の中はいっぱいだった。そして今の海斗は少々緊張気味なのである。
玄関へ振り向いた彼女は、ふわりとした柔らかい笑顔を見せてくれた。
それと同時に、旨そうな料理の匂いも海斗のもとへ届く。
「おー、いい匂いがする! もしかしてシチュー作ってくれたの?」
「あったりぃ~。今日のは自信作よ」
得意げに言った彩乃は、恥ずかしそうにしながらも、エプロン姿で出迎えた。
迎えられた海斗は、跳ねる気持ちを抑えるため、目を逸らして照れ隠し。
バイト先のメイド服姿も良かったが、シンプルにエプロン姿だとより現実味を帯びていて、彼女がまるで新妻のように見えてしまったのだ。そして色っぽい。
自分の家なのに、ガラリと雰囲気が変わったように思えてしまい、靴を脱ぐ前に何故か「おじゃまします」などと言ってしまった。
彩乃は「変なのっ」と言って、クスリと笑う。
テーブルには生ハムの生春巻き、ローストビーフと揚げ物やサンドイッチが並べられていた。冷えた瓶ビールと缶酎ハイも置いてある。
先ほどから部屋中に充満した匂いの主、ビーフシチューを彩乃が盛り付けて、テーブルに運んでくれた。
「もちろん飲むでしょ?」
と、当然のようにビールの栓を開けた彩乃。
お酒類はいくつか準備してあるらしく、まだ冷蔵庫に入っていると彩乃は言った。好みに応じて選べるようなのだが。
「……ああ、折角だしな……ありがとう」
どうやら、一杯目は海斗に選択権が無い模様で、強制的にビールがグラスに注がれていた。
少し大きめのグラスに、透き通った金色の液体を並々と。
十分に冷えていて見た目もおいしそうではあるのだが、いかんせん海斗はビールの味を全く知らない。
よく聞く話で、未成年の頃は親の飲むお酒を拝借して味だけは知っている。
なんて事もなく、海斗は全くの未経験なのだ。当たり前といえば当たり前だけど。
「じゃあ、お誕生日おめでとうー」
「どうも」
二人はグラスを掲げ、先ずは乾杯。
「ぷはぁー、んーおいしい。やっとカイともこうやって飲めるようになって、嬉しいなぁ」
「…………うーん、苦いなぁー……苦い」
ビールを一口飲んで渋い顔をした海斗に「まだまだお子ちゃまね」と彩乃はからかっている。
とりあえず慣れない飲み物は徐々に攻略していく事にして、次にテーブルへ並べられた料理へと目を移した海斗。
「へー、これ全部アヤが作ったの? 僕はアヤが料理出来るなんて思ってもみなかったよ」
この日のために、彩乃が張り切っていたのは何となく感じ取っていた。
海斗の想像からして、彼女が料理をする姿というものが全然イメージできなかったのだ。なので、精々デパ地下の総菜や、焼くだけとかチンだけといったものが用意されると覚悟していた。
その予想に反し、意外にもちゃんとした手料理が並べられていたので、海斗は驚きを隠せなかった。
「あーっ! カイったらバカにしていたなっ! こう見えてもアヤは手料理得意なんだから、そこん所ちゃんと覚えておいてよね!」
海斗の言い方に、ちょっとだけムッとした彩乃は、不満気な表情で抗議した。
「ごめん、ごめん。悪かったよ」と海斗は平謝り。
むくれていた彩乃も「まあ、謝るほどじゃないけどね」と言って、それ以上は言及してこなかった。
なぜなら、海斗が予想していたのはほぼ当たっていて、彩乃は言う程料理を得意とはしていなかったのだ。
せいぜい、母親の指示に従って調理するか、お手伝い程度止まりの腕だったからだ。自分から率先して作り上げた経験はほとんど無かった。
彩乃はここ数日、自宅のキッチンでレシピを繰り返し練習していた。海斗の好みを考えながら、あれやこれやとメニューを厳選していたのだ。
クックパットも参考にした。今日の料理なんて本も買って参考にした。時には母親の和恵に教えを受けながら決定に至ったのだ。連日苦労して出来上がった傑作といっても過言では無い。
彼女の指に巻かれていた絆創膏の数が、その努力を物語っていた。
「まあ正直、カイの口に合うか分かんなけど、さっ、食べてみてよ」
「あぁ……じゃ、いただきます」
海斗はスプーンを手に取ると、ビーフシチューを口の中へ。
正面に座る彩乃は、半開きの口で海斗の反応を待つ。
「んっ! んまい!」
「でしょー」
他の料理にも手を伸ばし、海斗は食べ進めていく。
どれも美味しかったようで、その度に海斗が旨いと言えば、彩乃は嬉しそうにビールを喉に流し込んでいた。
海斗も真似してグラスに口を付けるが、やはりそんなに美味しい飲み物ではない。これが大人の味なんだと思いつつ、慣れないビールの味に苦戦していた。
ただ、彩乃の作った料理は本当に美味しくて、空腹の胃袋にどんどん入っていく。飲み物がビールじゃなかったらよかったのにと、海斗は思っていた。
そして、海斗がどうにか一杯目を飲み干す頃には、彩乃が三杯目に選んだ缶酎ハイを軽々と空にしようとしていた。
海斗はあっけにとられる。
「じゃーん! バースデーケーキですっ」
夕食も一通り食べ尽くした後。彩乃が次に冷蔵庫から運んできたのは、立派なホールケーキ。
生クリームたっぷりのイチゴの乗ったシンプルな物だが、それほど大きくなかったので二人で食べる分には丁度良い大きさかもしれない。
中央に置かれたチョコレートプレートには『Happy birthday Kai』と書かれていた。
「これは流石に作れそうになかったからね。アヤの好きなお店のを注文しておいたの」
そして、再び冷蔵庫へ行った彩乃。持ってきた物は……。
「じゃじゃーん! スパークリングワイン! 信州産のナイヤガラよ。これすっごく美味しいんだから」
見た目にもそこそこな値段がしそうな、高級感のあるお酒だった。
海斗はふと、そういえば今回の誕生日に、いったい幾ら位使ったのだろうと疑問に思う。
彩乃は学生アルバイトという立場である以上、社会人の海斗に比べたら収入なんて知れたもの。そう考えると、今日使った金額は相当な額になるのでは、と心配になる。
「……それって、高そうに見えるけど、大丈夫なの?」
「ん? 平気平気。…………あっ! お金の心配してるでしょ?」
「ああ、お酒もそうだけど、食材とかもろもろと。けっこう使ったんじゃ……」
「大丈夫よこの位、アヤのこと見くびらないでよね」
そう言って鼻を鳴らし、強がって見せている彩乃だったが、実際のところは母親の支援があったのだ。
自宅で必死にレシピの練習をしていれば、母親にも当然その理由を訊かれる訳で。
当日の帰りは遅くなるかもと伝えれば、「どうせなら海斗君家に呼びなさいよ」と和恵に言われていた。
海斗の誕生日は平日だったこともあり、仕事終わりに家なんて寄らないわよと、それとなく断った彩乃。それでも必要経費はちゃっかりと古嶋家の家計から出してもらっていたりする。
抜け目のない彩乃の策で、今回のパーティーは成り立っていたのである。
ただ海斗は、そんな彩乃の心の内など知る由も無く、今日掛かった費用が心配になっていた。
「もちろんタダじゃないわよ。アヤの誕生日には、倍返しでおねがいするからね」
と、彩乃に言われれば、確かに彼女の誕生日にプレゼントとして渡すのが正解であるし、一般常識であろう。
彩乃の誕生日は春先、四月の初めだ。倍返しであろうと十倍であろうと、今からなら全然怖くない。準備期間が十分すぎるほどあるから。
むしろその頃には、もっと凄い物をプレゼントしたいとさえ思えているのかもしれない。
「おう、期待してくれ。凄いサプライズを用意してあげるよ」
「ぷぷっ、サプライズって言っちゃダメじゃん。それじゃサプライズになんないし」
「…………そっか」
バースデーケーキをそれぞれ四等分づつと、スパークリングワインを違うグラスに注ぎ、再び乾杯。
「んはぁーー! やっぱり、おいしいお酒よねコレ」
通算四杯目となる彩乃。ワインのアルコール度数は上がっているにも関わらず、飲むペースは衰えていなかった。
対するアルコール初心者の海斗は、顔の火照りで酔いの気持ち良さを自覚していた。
ビールより度数のあるワインを美味しそうに飲む彩乃を見てから、海斗は恐る恐る口に含んだ。
「…………んー、味、わかんね」
炭酸のシュワシュワ感しか伝わってこなく、味がよくわからない。
自分の味覚がおかしくなったのか、それとも彩乃に騙されているのか、疑ってしまう。
「えー、なにその感想。こんなにおいしい飲み物が、たったそれだけって……ぷっ、それに、カイったら顔真っ赤だし、さては下戸ね、うふふっ」
海斗の顔を見つめていた彩乃は、顔を近付けて笑い出す始末。
ただ、そのほんのりと赤らんだ笑顔が、たまらなく可愛く、そして色っぽさも感じられて、酔いが回っている海斗の心拍を更に上昇させた。
「げ、下戸なわけないだろ」
と言いつつ、海斗はケーキを一口放り込む。
「ん! 甘い、おいしい!」
しっかりとケーキの味は伝わって来たので、どうやら海斗の中で下戸が確定した模様である。
「でしょー。そこのケーキ、最高なのよ」
彩乃もフォークで切り取り、ケーキを頬張った。
「ん、ふんまえめぇ」と彩乃が何言ってるのかわからなかったが、とろんとした目を見れば、美味しさを表現しているのが読めた。
(かわいいなー)
海斗は酔っているせいなのか、それとも会社の同僚たちに言われて意識しているせいなのか、とにかく彩乃の仕草がいちいち可愛く見えて仕方がない。
それに、彼女を好きだという感情が沸き上がって、押さえきれそうにない。
お酒の力はこんなにも凄いのかと、その麻薬的な効能に恐怖さえ感じていた。
ただ、奥手な海斗にとって、気持ちの高ぶっている今が最大のチャンスであるのも事実。
ここ数日間、ずっと思い続けている胸の内を打ち明けるいい機会なのだと。
今日、緊張している理由も、多分それが原因なのである。
海斗はグラスに入ったワインを、半分ほど一気に喉に流し込んだ。そして……。
「……アヤ……は、話があるんだ」
酔いでクラクラする頭をこらえつつ、真っ赤な顔を彩乃に向けて、姿勢を正しながら真剣な眼差しを送る。
「ん? なあにカイ?」
彩乃もそれに合わせるように、持っていたフォークをお皿に置くと、背筋をピンと伸ばした。
そして、正面の海斗は二、三度呼吸を整えてから、彩乃に告げた。
「僕は……その、アヤのことが、毎日、頭から離れなくて……だから……」
十年来の幼馴染としてではなく、恋人としてきちんとお付き合いしたい。
そう思う気持ちが海斗の中でどんどん大きくなっていった。
きっと交際を打ち明けた途端に、今までの関係が崩れてしまうかも、そういった不安に襲われていることも確かで。
しかし、行動に、言葉にしなければ、幼馴染から何も発展しないのも事実。
そんなのは嫌なのだから……、
「ぼ、僕は……アヤが……」
心臓が口から飛び出しそうなくらい激しく暴れている。喉もカラカラだ。
でも、今こそ自分の思いを伝えなければ。
「アヤのことが好きだ。だから僕と、付き合って欲しいんだ!」
と、海斗は意を決して彩乃に告げた。
海斗の告白を受けた彩乃は、固まって薄茶色の瞳をパチクリさせていた。
かと思えば、黙って俯いてしまい、肩を震わせている。
そうやって彩乃が黙ったまま下を向いてしまったので、やはり自分は恋愛対象ではなかったのだと、ただの幼馴染だったのだと感じ取り、半ば諦めかけた。
「……えっと、その……やっぱ、こんな僕じゃ――」
海斗は力無くそう言うと、彩乃はその言葉を遮るように――
「そうじゃないの、嬉しい……」
と、頭を起こし震えた声をあげた。
そして、向けられた瞳からは、大粒の涙が溢れていたのだ。
「え? ……アヤ」
「やだ、ごめんなさい。嬉し過ぎて、感極まっちゃって、もう……ねえ」
涙を拭いながら、彩乃は笑顔でそう言った。
「えっと……じゃあ、僕と……」
「ええ、もちろん。こちらこそ、お付き合い、よろしくお願いねカイ♡」
軽く頭を横に傾けてはにかんだ彩乃。海斗は「お、おう……こちらこそ」と、ぎこちなく答えていた。
「じゃあ、記念に、もいっかい、乾ぱぁーい」
二人は持ち上げたグラスを、チン! と当てた。
海斗は恥ずかしさのあまり、そのままグラスに残ったワインを一気に飲み干した。
なぜだろう、今度はほのかに甘い味が口の中に広がって、初めてお酒が美味しく感じられたのだ。
お酒の力を借りて告白できたとはいえ、海斗にとっては一か八かの大勝負だった。
とにかく成功して、肩の力が抜けたおかげなのだろうか、お酒の美味しさがわかるようになったのかもしれないと思った。
全くもって不思議なものである。
で、もう一つ目の前に不思議なものが……。
「うふ……ふふふ……えへ……うへへ」
ニタニタしながら、時折こぼれ出る笑い声が止まらない、へべれけ一歩手前の彩乃がいる。
なぜかにやけた笑顔の中に、したり顔が一瞬見えたような気がした海斗。
そんな筈はない、酔っている自分の気のせいだと、海斗は雑念を払うように頭を振る。
そして彩乃は、溢れ出す幸せが止まらないといった感じで、チラチラと海斗を見つつ、ニヤリとしてさらに飲むペースを上げていた。
「あー、ワイン終わっちゃったー。次、ハイボールにしよっかなー。カイも飲む?」
「……いや、僕はもう」
「えーっ、ちょっとだけ飲んでよ、ねっ」
「……じゃあ、少しだけ」
「やったー。んじゃ、冷蔵庫から持って来るね」
そう言って立ち上がった彩乃は少しだけふらついていた。
また飲み過ぎて、運ぶ羽目になるのだけは勘弁してほしいと、海斗は心配になる。
ただ、あまりにも彩乃が幸せそうにしているし、そうしている彼女を見ている海斗も幸せな気分になれる。
いざとなれば自分が付いているので、心行くまで飲ませてあげようとは思っていた。
「あのねぇーカイ」
「ん?」
彩乃はテーブル越しに回り込み、海斗の側で正座した。
薄茶色の瞳が、真剣な眼差しに変わった。
「おたんしょうび、ぷれれんとがあるの」
と、彩乃は少し呂律が回らなくなってきた口調で言った。目も若干座っているようだ。ふわふわした彼女を見ていると、海斗は少しだけ可笑しくなる。
「いや、今日は色々としてもらっているし……」
「らめ! アヤのきもち、まら、うけとっれいないれしょ」
グッと顔を近付けて睨みつける彩乃。喋りが変な酔っぱらいは、可愛く見えてしまう。
まともに目を合わせられない海斗は、笑いをこらえるのに必死だった。
「いい? めをつむっれてっ! いいよっていうまで、れったいに、あけちゃらめだよ! わーった?」
「お、おう! わかったよ。絶対に目、開けないから」
酔っぱらいの言うことに逆らわないでおこうと、海斗は素直に答える。
「よし、じゃあー、つむっれ! じっとしててれ」
彩乃の合図と共に、海斗は目を固く閉じた。身動き一つせずに。
「ふぅぅぅーー」と彩乃は大きな深呼吸をする。
そして彼女は何かの準備をしているのだろうか、しばらくの沈黙が続いていた。
ただ海斗の耳には、彩乃の酔った息遣いが聞こえてくるので、側に居続けているのは何となくわかる。
と―――。
海斗の唇に、柔らかい何かが付けられた。
驚いた海斗は、思わず目を開けて確認した。
そこには、彩乃の顔が至近距離にあった。
そして彼女は、自分の唇を海斗に重ねていたのだ。
間違いなく、それはキスだった。
彩乃との初めてのキス。
海斗は目を見開いたまま、言葉に出来ない心の叫びを感じていた。
薄眼を開けた彩乃は、海斗がガン見しているのに気付くと、
「あーーっ! あいずするまれ、あけちゃらめっていったのにっっ!」
と言って怒った。
怒ったのだが、もう一度キスをしてきた。
こうして、幼馴染としての関係を超えて、お互い恋人同士としての交際がスタートしたのである。
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