24 呼び出されて
時刻は、もうすぐ22時になろうとしていた。
古嶋家では彩乃の母親である和恵が、キッチンからコーヒーとお茶菓子を持って居間に入ってきた。
「全くもう彩乃ったら、あんなになるまで飲むなんて。ねえ、恥ずかしいわよ本当に、ごめんなさいね送って頂いて。海斗くん、コーヒーでいいかしら?」
居間のテーブルには、彩乃を車で送り届けてきた海斗が座っていた。
「あ、いえ、もうこんな時間ですし、すぐに帰りますから、どうぞお構いなく……」
彩乃を家に送り届けたらすぐに帰ろうと思っていた海斗は、頭を掻きながら申し訳なさそうに背中を丸めていた。
仕事終わりに呼び出された海斗は、居酒屋で彩乃を車で拾うことに。
泥酔しきっていた彩乃は、助手席に乗り込むとすぐに爆睡してしまったのだ。
彩乃の家に到着し、車から降りてもらうため彩乃を起こした。だが、幾ら呼び掛けようが頬をペチペチしようが全く起きる気配は無く、結局和恵の手を借りることになったのだ。そして今、古嶋家に上がり込んでいる訳である。
「それにしても海斗君、その怪我大丈夫? 五針って彩乃から聞いたんだけど、会社では色々と大変だったんだって」
海斗の左腕の包帯を見て、和恵は顔をしかめる。油を使う作業が多かったせいか、今日の包帯は汚れが目立っていた。
「……でも、幸い骨には異常なかったんで、仕事も問題なく出来ています」
どうぞとコーヒーを海斗に差し出す和恵。
軽く会釈をして一口だけ啜ると、ホッとしたのか海斗の肩の力が抜けていく。
「そう、あんまり無理しないでね。海斗君にもしものことがあったら、あの子が悲しむから」
和恵は彩乃の部屋の方向を見上げて言った。少しだけ寂しそうな顔をしながら。
海斗も同じ天井を見上げ、さっきベッドに寝かせた彩乃の顔を思い浮かべる。
ほんのりと赤みのかかった寝顔は、ちょっとだけ微笑んでいるように見えて、海斗も彼女を少し意識しているせいか色っぽく見えた。
「あ……はい、気を付けます」
「でもよかったわ。私、海斗君の顔ずっと見たいと思っていたの。こんな風に慌ただしく会うことになっちゃったけど、でもおばさんとても嬉しいわ」
和恵は目を細めて海斗に微笑みかけた。
海斗も、いつかはきちんと挨拶に来ようと気にはしていた。
けれども、海斗の幼少期の苦い思い出が、古嶋家に向かわせるのを躊躇させていた。そうなった主な原因は、彩乃の性格にあるのだが。
お転婆で悪戯好きだった彩乃。だいたい海斗と一緒に遊びながらする事が多く、ほとんどの悪行が和恵に見つかった。その巻き添えを食らって海斗も一緒になって叱られていたのである。
幼かった時の海斗の印象か、和恵は口調のキツイ、目のつり上がっている常に機嫌の悪いおばさんだと思っていた。
しかし、十年ぶりに見た和恵の姿は、思い出の印象とは違う、気さくで優しい笑顔の女性だったのだ。歳を重ねて性格が丸くなったのだろうか。
そして、海斗が一番驚いたのは、和恵とも普通に会話が出来たことだった。
女性に苦手意識ができたのは和恵のせいだとばかり思っていた海斗にとって、それはあまりにも衝撃の事実である。
過去の印象とは違う、優しい笑顔を向けられていたからなのだろうと、この時は納得していた。
「僕も、いつかちゃんと挨拶に来ようと思っていたんですけど……」
和恵は、お茶菓子も勧めてきた。もう夜も遅いので、コーヒーだけでと海斗は言う。
明日も朝から仕事なので、長居は出来ない。怪我もまだ痛むし、少しでも自宅で安静にしていたいところだ。
折角なのでコーヒーだけは頂いて、早めに帰宅しようと海斗は考えている。
今から一時間ほど前。
丁度、仕事を終わりにしようと、帰り支度をしていた時に、海斗のスマホが震え出した。彩乃からの電話だ。
すぐに電話に出ると、スピーカーの向こうからは陽気な騒ぎ声と、支離滅裂な彩乃の声が聞こえてきた。
全く要件が見えず、困惑していた海斗に救いの手を差し伸べたのは、京子だった。
素面だった彼女は、彩乃からスマホを奪い取ると、居酒屋へ迎えに来てほしいとだけ、用件を伝えてきたのだ。
呼び出された海斗が現地に着くと、泥酔しきった彩乃としずか、そして疲れ切った京子の姿があった。
「三人で女子会だよって言ってたけど、しずかちゃんと京子ちゃんは一緒じゃなかったの?」
「一緒でした。彼女たちは同じアパートらしくて、じゃあそこまで送るよって言ったんですが、回るとかえって遅くなるから近くの駅まででいいって京子さんに言われて」
「しずかちゃんだって、彩乃と同じくらい酔ってたんでしょ?」
「ええ。でも……いいから近くの駅に下ろせって、しずかさんに凄まれたんで、仕方なく途中の駅で下ろしてきました。京子さんが一緒だったから、多分大丈夫だと思いますけど」
海斗と彩乃に気を使っていたのか定かではないが、とにかくしずかは海斗の自動車に乗るのを最初から嫌がっていた。
京子も少し遠慮がちにしていたのだが、せめて最寄りの駅まではとお願いしてきた。さすがに居酒屋から最寄りの駅まで、泥酔のしずかと歩くのは不安だらけらしい。幸い彼女たちのアパートは、乗り継いだ先の駅の真ん前らしい。
「そうなの、でも心配よね。若い女の子二人だけなんだし……ねえ」
「まあ、そうですね。無事に帰っていると良いんですが……」
京子に心配いらないと言われたが、方やしずかは泥酔しきっていた。
少し車に揺られて、降りる頃には半分眠たそうな目をしていたしずか。肩を預けた京子は千鳥足のしずかと共に駅のホームへと消えていったのだ。
彼女達は乗り過ごすことなく、無事に帰宅していることを祈っていた。
「彩乃は居酒屋で寝ちゃってたのかしら? だったら運び出すの大変だったんじゃない? 学生のくせに良いご身分だこと」
「居酒屋では起きてましたよ。相当酔ってて、何言ってるのかわからなかったですけど。車に乗ったら爆睡です、あっというまに」
「やだもう、恥ずかしいわ……色々とね」
彩乃の家に到着してから、どうにも起きない彩乃を助手席から引っ張り出すため、和恵の手を借りた。
そのまま二人で両肩を担ぎ、二階の彩乃の部屋まで運んだ。
いつか彩乃の部屋を抜き打ちチェックすると海斗は言っていたが、まさかこのような形で実現するとは思ってもいなかった。
彩乃の部屋に入ると、そこは正に彼女の性格を反映したような空間が広がっていたのだ。
部屋の中央に置かれた小さなテーブルの上や周りには、大学で使う教科書や参考資料が乱雑に置かれていて、その周りには幾つか脱ぎ捨てた上着もあった。タンスに仕舞われていない綺麗に畳まれた洗濯済みの衣類が、部屋の端っこに積まれている。
かろうじて足の踏み場がある、そういった感じの部屋だった。
海斗と対照的な部屋の仕掛けに、思わず証拠写真を撮りたくなったが、彼女の了解無しにはまずいだろうと思い寸でのところで止めておいた。
ただその時、海斗の目に止まったのがあった。それはテーブルの下に隠すよう置かれていた、何種類もの飲み薬が入った紙袋。
相川病院と印刷された袋が、どうしても気になったのだ。
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