14 幼馴染と動物園
「わぁーー。ねえねえ、カイこっち、見て見て! シャンシャンごろんごろんしているよ、可愛い~っ!」
あの後二人は、間もなくして月影珈琲店を後にしていた。
彩乃の希望を受け入れた形となった海斗は、赤い軽自動車を飛ばして、これまた彩乃の熱望により上野動物園へとやって来たのである。
今はジャイアントパンダ舎内にいて、中でも人気の高いシャンシャンを見て彩乃がはしゃいでいた。
「やーん、なんて愛くるしいのー。可愛すぎるぅ」
竹の幹を前足で器用に持って口で裂きながら食べている仕草を、とろりとした表情で彩乃は見入る。
その様子を伺っていた海斗にも、うふふと笑顔を向けていた。
彩乃の嬉しそうな顔を見れば、自分も楽しまなければ損だと思った海斗。先ほどまで彩乃の自分勝手な言動に少なからずとも納得いかず、もやもやとしていた気持ちをどうにかして切り替えようとする。
なぜ、海斗はそんな気持ちになってしまっていたのか。
それにはちょっとした理由があった。
実は、ここに来る前の月影珈琲店での事。
食事を終えた海斗は、スマホ片手にコーヒーを嗜んでいた。
その目の前では彩乃が論文の書き込みを順調に進めていた……はずだったが、
その彩乃に突然変化が訪れることになる。
それはノートパソコンと向かい合ってから、わずか三十分足らずでやってきたのだ。
それまで軽快にキーボードを打っていた彩乃だったが、ある時ふと画面をジッと睨んだかと思えば、そのまま何かを考え込みはじめてしまう。と、同時に文字を打つ手もピタリと止まってしまった。
黙ってパソコンと睨めっこしている彩乃。おそらく作文の中で難しい問題か何かにぶち当たり、思索に耽っているのだろうと海斗は判断する。
しかし、ずっと黙ったままの彩乃は、パソコンの画面に食い付いているだけかと思いきや、時折海斗をチラリと覗き見ていた。
さすがにそんな視線を向けられれば、かえって余計に気になってしまう海斗は、「どうしたの? やっぱ難しい?」と、つい話しかけてしまう。
「うん、難しい~、あーん゛やんなっちゃったー」
しかめっ面のまま、海斗と視線を合わせた彩乃は続けて言い放つ。
「ねえカイ! 息抜きにさぁ、これから動物園のパンダ見に行きましょ!」
「え!? だって、まだ論文仕上がってないんだろ?」
「えっ、ま……まあね。でも、あともうちょいだから、大丈夫!もう終わったようなもんよ!」
「……本当か?」と疑いの目を向けて海斗は言う。
「うっ……」
バツが悪そうにして塞ぎ込む彩乃だったが、その後の突然人が変わってしまったかのように駄々をこねはじめたのだ。
「嫌だぁー! パンダ見たいもん!!」
お出掛けは論文を完成させてからの約束だ。
彩乃はただ単に書くのが嫌になったと言い張り、自らの主張をごり押しする。
相対する海斗は、出掛ける約束は論文書き終えてからの筈だったと真向から抵抗する。
そもそも、提出期限の迫った論文をこれ以上放置して、一番困るのは当人の彩乃だ。彼女のためを思い、厳しく突っぱねていたのだが、
「パンダを間近で見たことが一度も無いからどうしても動物園に行きたい」とその一点張り。
挙句の果てには「やる気なくしたアヤが、単位落としたら海斗のせいだからね」と脅してくる始末。
ついには彩乃に押し切られて、敢え無く海斗が折れたという訳だ。
幼少のころから二人のこの関係性は崩れる事は無く、いつもわがままを通すのは彩乃だった。
だから海斗にとって、今回の一件も想定内だったと言えばそうなのかもしれない。
かくして二人は赤い軽自動車に乗り込み、パンダの見れる上野動物園にやって来たのだ。
土曜日といえば一般的には休日でもあるし、午前十一時と少し遅めの入園になるので、混雑は覚悟のうえだった。
入園すれば、やはりパンダ観覧には長蛇の列が。仕方なく行列の最後尾に付き、炎天下の中パンタとご対面するまで耐えることに。
実は今日、天気が非常に良く気温も真夏並みに暑かったのだ。
海斗は今日の天気予報をしっかりと確認していて、上着はポロシャツを着ているのみだった。
それに対して彩乃は、カラフルなスカートとTシャツ、その上に薄いジャケットを着合わせていて、傍から見てもちょっと着過ぎで暑いんじゃないかと思うほどだった。
歩けば体からは汗がジワリと浮き出てくるのだが、彩乃は平然とした表情をしていて、上着のジャケットを脱ぐことは無かった。
折角来たからにはパンダを見ずしては帰れない。
海斗たちは覚悟を決めて炎天下の中、行列に並ぶこと決意。
――そして一時間後。
ついに念願のシャンシャンとご対面したという訳である。
やっとの思いでパンダとご対面出来た彩乃の喜びようは、幼稚園児か小学低学年の様な無邪気さ。
パンダと会えてこんなにも喜んでいる彼女を見れば、わがままな理由に納得していなかった事など、どうでも良くなっていた海斗だった。
「ねえねえカイ。次は何見にいこっか? ……あ、キリン、キリンさん! 首のながーいキリンさん見たーい」
「ちょっと待ってアヤ! キリンはここからだと確か……遠くの場所じゃなかったか?」
「えー、そうなのー。でも、そうね。いろんな動物さん見たいから、楽しみに取っておくことも必要よね。――って、あぁっ! ゾウさんだ!」
「そうだな。……まあ、先ずは近い所から順番に見ていこう、ってオーイ! 走んなよ! はぐれるぞー!」
「はぁーい♡」
彩乃は元気いっぱいに手を上げて答えていた。だが、駆け足は止まることなくゾウの場所へ一直線。
「ったく……ハァ」
これじゃあまるっきり幼稚園児の遠足だと思いつつ、ため息をついた海斗。
彩乃はすでにゾウの観覧フェンスにへばりついた。
張り切る幼馴染が迷子にならないようにしっかりと見張っていなければならない。
先が思いやられる気もするが、それでも彩乃を動物園に連れてきて良かったと心底思えていた。
◇◆◇
「ふぅー。キリンさん、首が長くてすごかったね、ベロがちょっとキモかったけど」
目的だったキリンを見た直後、彩乃の元気が無くなっていて顔から笑みが消えていた。
その様子を見ていた海斗は「どうしたアヤ、具合悪そうだけど……」と心配そうに伺う。
「うん、ちょっとね。暑かったせいかなぁーって」と苦笑い。薄いジャケットを羽織っている彩乃だったが、それを脱ごうとはしなかった。
薄い春物のジャケットとはいえこの暑さだ、着ているだけで蒸されてしまいそうである。
「あのさ、アヤは上着着ているだろ。暑かったら脱げばいいのに、気を付けないと熱中症になっちゃうぞ」
こんなにも暑いのに、なぜ彩乃がジャケットを脱がないのか海斗は疑問に思う。クーラーの効いた喫茶店内や自動車の中ならまだしも、日差しの強い無風の屋外は相当な熱である。
彩乃は肩で息をしはじめて徐々に顔色も悪くなってきたのだ。
「……そう? ぁあー、カイは知らないのね。これ着ていた方が、直射日光を防げて逆に涼しいのよ」
フンと鼻を鳴らして自信ありげに言った彩乃だが、その声にはいつもの元気が無い。額には汗をにじませていた。
「ふーん、そういうもんなのか?」
「そういうもんよ」
覇気のないその言葉に、明らかにやせ我慢だと感じた海斗。少しでも元気に振舞ってほしいと思い、
「……まあ今日はホント、真夏みたいに暑かったからな。僕なんて、ほら見て! 汗でべとべとだよ」
海斗は汗で少し湿ったシャツを持ち上げて見せた。
彩乃は「うわっ、くさそー」と鼻をつまんでクスクスと笑う。
「…………っと、ごめんねカイ。ちょっとあそこで座ってていいかな?」
木陰になっていた近くのベンチを指差す彩乃。それじゃあと海斗が、
「大丈夫か? 歩ける? なんなら肩貸すけど」
「ううん、大丈夫。それ位は歩けるから」
「そっか……じゃあ、何か飲み物買って来るからさ、アヤはそこで休んでてよ。じゃ、ちょっと行ってくるね」
当たりを見まわした海斗は、自動販売機を見つけた方角にダッシュで駆けていく。
「カイ! めっちゃ冷たいやつよろしくねー」
ふらふらとした足取りでベンチに近づいた彩乃は、ゆっくりと腰を落として背もたれにしがみつく格好で座った。
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