10 自販機の缶コーヒー


 都心から離れた、いわゆる下町と呼ばれる民家と小さな工場が入り乱れている場所。


 その一角にある加工製造業を営む会社がある。

 社名は『羽柴はしば製作所』、従業員二十名ほどの小さな会社であり、渋川海斗しぶかわかいとは上京してからここに勤めていた。


 午後三時。休憩時間を告げるチャイムが、羽柴製作所の敷地内に響き渡る。

 すると加工作業中だった旋盤機から、作業着姿の一人の男が海斗に近寄ってきて声をかけた。


「おーい渋川、時間だぞ、休憩しようぜ!」


「はい、新村にいむらさん。これだけ終わったらすぐ行きます」


 新村と呼ばれたその男は、無精ひげを生やしたちょっと強面な人物。

 口を一文字にして海斗の肩をポンと手を置く。


 役職こそ付いてはいなかったものの、海斗の上司であり指導者という位置づけの新村和樹にいむらかずき。年齢は三十歳、作業歴十二年程のこの会社にとってはベテラン従業員にあたる人物。独身である彼は現在花嫁候補の彼女募集中らしい。

 

 研磨作業中の海斗は、いま手に持っている部品だけは終わらせてから休憩に入りたかったので、新村には先に休憩へ行ってもらおうと促した。

 すると新村は「おう、じゃ先に行ってるわ」と慣れた口調で答え、作業の手を止めない海斗を気にする事無く、さっさと休憩所に向かって行った。

 

 この工場の休憩所は建物の外にあった。

 吸い殻入れとベンチ椅子が四脚、壁には缶コーヒー等を売っている自動販売機が置いてある。


 工場から出てきた新村は、先に煙草をふかしながらベンチに座っている男に声をかけた。


「よう松下まつした、お前いつも一服するの早いなあ、ちゃんと仕事してるかぁ?」


 新村は舌打ちをしながら苦い顔を向けた。

 一足早く休憩していた人物は松下陽介まつしたようすけ、新村の後輩にあたる。年齢は二十三歳、つい先日彼女と別れたばかりの、見た目はヤンキーっぽいヘビースモーカーだ。


「あ、先輩ちわっす! 自分? 仕事っすか? まあ……ほどほどに頑張ってますよ。なんせこの時間が超楽しみなもので」


「ったくよう、ちゃんとやらねえとまた社長にどやされるぞ」


 新村の忠告に「へいへい」と煙草をくわえながらそっぽを向く松下。


 今でこそ一人前として仕事をこなす松下だが、入社した当初は今の海斗と同じように新村の下で教わりながら働いていた。その頃の松下は今よりもっとやんちゃだったので相当手を焼いていた。

 だからなのか、未だに松下の仕事内容だったり態度が社長の目に留まると、新村も一緒になって怒られてしまう。

 現在は松下との職場は離れており、社内で顔を合わすのはこうした休み時間かお昼くらいだった。


「いい加減、勘弁してほしいぜホントに」


 新村は愚痴を呟きながら自販機に百円玉を投入する。

 特に選ぶことは無く、新村はいつも飲むホット缶コーヒーのボタンを押した。

 ガジャンと取り出し口にコーヒー缶が排出されて、当たり前のように手を伸ばしたその時だった。


 自販機からピーッと軽快な音が鳴り響いた。


「ん?」

「おおっ、先輩! 当たりっすよ! 当たり!」


 新村は顔を上げて正面パネルを見ると、二十個ほどある自販機のボタンがカラフルに点灯を繰り返していて、大当たりを示す金額表示パネルが数字の七を四つ並びにして激しく点滅をていた。


「いやいやーその自販機で当たり引くなんて、先輩、超ツイてるっすね!」


 松下は煙草を片手に喜んでいる。だが、当たりを引いた本人は怪訝な表情を浮かべていた。


「チッ、こんなところで運を使っちまった。どうせなら今夜に使いたかったぜ。おう松下、お前にやるよ、何飲む?」


「俺はいらないっすよ。ここにあるんで」


 そう言うと松下は、ベンチに置いてあった缶を持ち上げた。

 すると、遅れてやってきた海斗が休憩所に顔を見せる。


「お! 渋川やっと来たか、ご苦労さん。お前ホットでよかったよな?」


「え? あ、はい?」と海斗が答えると同時に、販売機のボタンを押す新村。

 ガシャンと商品が出てくると、それを素早く取り出してヒョイと海斗へ向けて放り投げた。


「ほらよ! 俺のおごりだ!」


 弧を描いた缶コーヒーは、パシッと海斗が両手でキャッチ。


「あっ、新村さん、ありがとうございます。え、本当にいいんですか?」


「おう? いいにきまってるだろ。それとも何か? 俺がおごるのに問題でも?」


「あ、いや新村さん、今月かなりピンチだって、確か言ってたと思ったんで」


「……まあ、気にするな。いつも頑張っている渋川に俺からの気持ちだ! 感謝して飲めよ」


 無精ひげを指でなぞりながらドヤ顔で威張る新村。横では松下がクスクスと笑いをこらえていた。


「いつもすみません、頂きます! ありがとうございます」


 海斗が真面目にお辞儀までして感謝の言葉を言えば、面白いコントを見ているかのように松下がゲラゲラと笑い出した。

 笑われた海斗は、訳が分からずただキョトンとしていた。


「ハハハッ、いやー、面白いっすわ。おう渋川、そのコーヒーただだからなタダ。先輩が自販のアタリ引いただけだから、そんなに感謝しなくてもいいぞ! だいたいからしてケチな先輩がおごるわけねえだろー、ワッハッハー」


 余計な事を言うなと言わんばかりに「このやろー、ばらすな!」と松下の頭をグリグリ抑えつける新村。目が若干怖い。


 ああ、そういう事かと事情を呑み込めた海斗は「新村さんらしいですね」と笑顔で言った。


「……でも新村さん、ありがたく頂きます」


 海斗はパカッと栓を開けてコーヒーを飲み始めた。


「渋川はホント、素直でいい奴だぜ。それに比べ松下ときたら……」


「なんすか先輩、そんな目で俺を見ないでくださいよ。だいたい万年金欠している先輩がいけないんすよ、そのせいで俺も迷惑してるんすから。この前貸したお金、いつ返してくれるんですか? まだ返してもらってないですけどね! 全く、先輩にはしっかりしてほしいっす」


 頭を押さえつけている新村を見上げ、憐みの視線を向ける松下。

 気まずくなった無精ひげの男は、松下の隣に腰掛けると買ったコーヒーを飲み始めた。


「で? さっき今夜って言ってましたけど、先輩また今日もパチンコ行くつもりっすか?」


「お、おうよ! 昨日の負け分を取り返さなきゃだからな!」


「よくそうやって毎日、毎日。いい加減ギャンブルから足洗った方がいいんじゃないっすか?」


「うるせえ! 勝つまで勝負をする! それが男の生きザマだ!!」


 新村は、コーヒー缶を強く握りしめる。


「ハァー、そうやって勝っても次の日には一文無しになっちゃってる先輩を、俺は何度も見てますけどねぇ。まあ、楽しいから止められないのは俺も分かってますけど……」


 松下は火のついた煙草をふかすと、灰皿代わりのオイル缶に煙草の灰を落とす。


「な、なっ、だからよ松下! 今日一緒にパチンコ行こうぜ、な」

「えーー、どうしようかなー」


「勝ったらメシ、おごるからよ、な」


 そう言いながら、後輩の肩に手を掛けて説得している新村。


「ほんとっすか? じゃ、行こうっかなあ」


 嫌がる顔をしている松下も金づるにされると分かっていながら、ついつい誘いに乗ってしまう。どっちもどっちか。


 彼らの一連のやり取りに微笑ましさを感じながら、海斗は松下の隣に腰掛ける。

 隣に座った海斗の顔をチラッと見た松下は、灰皿に手を伸ばし一本目の煙草の火を消すと、


「おっ渋川、そういやあお前、メイドカフェ行くって意気込んでいたみたいだったらしいじゃん」


 海斗がメイドカフェの話をしたのは新村にだけだったはず。

 松下がこの事を知っているということは、情報漏洩の元は無精ひげズラした上司だけだ。

 

 海斗はチラリと新村を覗き込むと、何食わぬ顔をしてコーヒー缶に口をつけていた。特に口止めはしていなかったので、責めるつもりは全くなかったが。

 

「で? 結局行ったのか?」


「あ、はい」


「で? どうだった? 萌えたか? めっちゃ女の子、可愛かったろ」


「おう松下! それがな、渋川おもしれえ事になったようでさ――――」


 新村の話を遮るように、海斗の作業ズボンからメッセージの着信音が鳴った。

 スマホに着信だ。


 新村はニヤリ、「おう? 話をすればかぁ?」と嫌みたらしく言葉を放つ。

 二人の間に座る松下は「なに、なに、なにが?」と海斗や新村をキョロキョロと。

 

 海斗はポケットからスマホを取り出すと、それは彩乃からの通知だった。


「おい! 渋川! 何だそのメッチャマブイ女子は? ま、さ、かっ、お前の彼女かーっ!」


 隣に座る松下が、海斗のスマホの画面をのぞき込んでいた。

 通知画面の壁紙に写っていた女の子はウインクをして決め顔をしている幼馴染。誰が見ても可愛すぎる。

 それを見た松下が、激しく反応していたのだ。


「渋川! お前は女の子苦手じゃなかったのかよっ!!」


 詰め寄る松下にどう答えて良いものか、戸惑う海斗であった。

 

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