05 ポケットのスマホ
「いやー、いいですねえ車で帰宅。ふふん、ふん、ふふふんーー」
海斗の運転する赤い軽自動車。車内にはラジオ放送の音楽が流れている。
その助手席で子供のようにはしゃいで曲に合わせて鼻歌まで歌っているのは、ほぼ十年ぶりに再会した幼馴染の彩乃だ。
アルバイトが終わった彼女を家まで送るために、海斗は車を走らせている。
少し暗くなった幹線道路は、他の車で混雑気味だった。
「あーあ、音楽終わっちゃった。もうちょっと聞きたかったのに…………ねえ、カイ」
「ん?」
「音楽番組終わっちゃったよ。もっと曲聞きたいなー、特に景気のいいやつ。ねえ、この車ってCDとか入ってないの?」
音楽番組が終わり、夕方のニュースを告げる野太いアナウンサーの声に切り替わってしまったのだ。
ニュース番組じゃつまらないらしい彩乃は、他に面白いものを探すためにフロントパネルのオーディオ機器に手を伸ばしていた。
「特に聴きたい曲とか無いしなあ。そもそも僕、CDって買ったことないし」
「え! そうなの? レンタルとかツタヤに行かないの?」
ツタヤに限定するのはどうかと思う海斗だったが、実際の話DVDの利用はしたことがあるのだが、CDレンタルは一度も無かった。
「まあ今どきは、レンタルよりダウンロードかストリーミングよね、うん」
オーディオのメインパネルを覗き込む彩乃。真っ暗になって何も表示させていない画面をペタペタと触ってた。
「ダウンうんたらとか、アやの言ってる意味がわかんないが……それ、いじってもたぶん何も無いよ」
「えーっ、つまんなーい、そんなんだから女の子にもてないよ」
「大きなお世話だ」
もてないことについては自覚しているつもりなので、今更突っ込まれたくは無いと海斗は思った。そもそも、それを克服するためにメイドカフェに来たのだったが、彩乃と遭遇したことによって敢え無く断念…………そして、今現在に至っている。
彩乃はオーディオ機器のメインと思われる液晶画面を点灯させるために、今度は周りの小さなボタン類を押していた。
「カイはこの車、中古で買ったって言ってたけど、内装とかシートとか全然綺麗だよね。新車とそんなに変わんなくない? お、点いた……って、これってナビじゃん! おっ凄い、ブルートゥース使えるっぽいよ?」
ぱっと液晶画面が明るく点灯すると、機能を選択できる一覧メニューが表示された。
それを見て彩乃が反応したのは、どうやらナビゲーションが使えるのと、オーディオにブルートゥースの機能を備えていることだった。
「へえ、なにそのぶるうとぅすって? さっきから変な単語が飛び出すけど、さっぱり分らん」
「そう? カイが流行りに置いてかれているだけだよ。勉強不足、世間知らずなだけ」
「……やかましいなあ」
海斗は朝のニュース番組やラジオでの情報は耳にする。だがそれは経済や世界情勢、身近な凶悪事件など自分の興味があるものだけ記憶する。それ以外は何となく聞き流してしまうのだ。
「とにかく、装備なんて買った時から変えてないし、そもそも前のオーナーさんのままだしな……まさかそれナビだったとは、ちょっと驚きだよ」
車を購入した時に販売員さんが親切にセットしてくれたラジオ局、それ以降はそのままにしてあり一度でもオーディオに触れる事はなかった。
だから海斗はそれがカーナビとは知らずにいたのだ。まあ今どきはスマホのナビがあるので、遠出の際でも殆ど困ることはない。
海斗の返答を聞いているのか聞いていないのか、彩乃は「へえー、いい車見つけたんだね、偉い、偉い」と言いながら、オーディオラックに嵌っているナビゲーションの画面をピッピッピといじりまくっている。
やみくもに弄っても扱えなければ意味が無いだろうと半ば呆れていた海斗だったが、彩乃の何気ない褒め言葉につい顔がほころんでいたりする。
海斗は仕事を始めたころから通勤には電車を利用していた。
パチンコなどのギャンブルには全く興味はなく、外食も殆どしない自炊が中心の生活。そうして約一年ほど働いていれば、手元にはある程度のまとまったお金ができていた。
通勤に電車で通う事には何も不具合は無かったし、なにより公共の交通機関のほうが便利だった。
それでも休日なんかは気楽に、そして自由気ままに出歩きたいと以前から思っていた。
働きだして一年以上が経ち、所持金に余裕が出来た海斗は、マイカーぐらいは所有していたいと常日頃から考えていたのだ。
ある日、たまたま寄り道をして中古車販売店の前を通ると、陳列スペースに値札の貼られていない一台の赤い軽自動車が目に留まった。
それはテレビのCMで見て気になっていたモデルでもあり、海斗はすぐさま販売員に問い合わせた。
「前の日に入荷したばかりだったらしいけど、一年落ちで事故歴や傷も無かったしね。好きなモデルっていう事もあったから、ほぼ即決で買ったよ」
「……それなら、新車並みに高かったんじゃないの?」
「それがこの車、走行距離が七万キロ超えててさ、前のオーナーさん一年未満でどんだけ走ったんだよって感じ。だからエンジンとか足回りが消耗している可能性があるらしいんだ。そのおかげで割とお手頃な値段だったんだよね」
「へえ、じゃあ走った距離の他には問題ないんだ?」
「そ、今のところ。エンジンの調子も悪くないし、買ってよかったと思ってる」
「ふうん、そっか、そっか。いい買い物できたんだ。カイのお気に入りかぁ、この車」
「まあ、そういう事に……なるのかな?」
お気に入りと言えばお気に入りなのだが、まだ購入して間もないので愛着が湧くまではもう少し使い慣れてからといったところだろう。
そうこうしているうちに、ラジオが流れているスピーカーから『ポン』『目的地がセットされました』とナビゲーション特有の音声案内の声が聞こえた。
「これでよし!」
「え? まさか、セット出来たの? 取説とか見ないで出来ちゃうって、アヤって凄くない?」
運転中の海斗は正面を見ているのだが、それでも目を丸くして本気で驚いていた。その横顔を隣の助手席で見ている彩乃は自慢げにニヤリとしていた。
「普通こんなの余裕っしょ。っていうか、もしかしてカイは機械音痴とか?」
「うーん、僕はムリ。取説から入る派だから。それに今、初めてナビの画面見たくらいだからな」
「……ははん、なるほどねぇ」
鼻で笑い、腕組みをして彩乃は妙に納得している。失礼だなとは思いつつも、実際新しく電化製品を買いそろえた時だって結構手間取っていたことを思い出し、海斗は反論するのをやめておこうと思った。
「このままナビ通りに行って。そうすればアヤん家に着くから……あと五キロかぁ、意外とあるね」
「そう? 五キロ位ならそうでもないと思うけどな」
「だってー、ラジオつまんないじゃん」
「悪かったな、つまんなくて! 今度何かCD買っておくよ」
「おっ、今度があるということは、アヤの運転手さん確定ね。うふ♡」
彩乃にとって使える幼馴染海斗は、不貞腐れた顔をするも「…………まあ、別に、いいけど」と了承する。
「それじゃあ次の時までにリクエスト。ノリの良いロック調のやつで、カイよろしくねっ!」
「え? ロック調って? ええっ何、誰?」
音楽なんて殆ど聴いた事の無い海斗は、彩乃のリクエストに困惑する。
だが助手席に座る彩乃は、額に汗を浮かべる海斗に気にする様子もなくクスクスと笑っていた。
「あっそうだ! カイのスマホ貸して」
突然思い出したかのように声を上げた彩乃は、手を差し伸べてきた。
スマホを貸すのは良いのだが、今は運転中。それにズボンのポケットに入っているので、上手く取り出せない。
「いいけど、何するの? ポケットに入れてあるから、次の信号で停車した時とかで――――」
言うが早いか、彩乃の手は海斗のズボンのポケットへ。「おい、ちょっ、まて!」と抵抗の意思を示すも、構わずグイグイと彩乃は手あたり次第漁る。くすぐったいやらこそばゆいやら、それと同時に近寄った彼女から、甘い香りも海斗の嗅覚をくすぐっていた。
「ラインの友だち登録よ。連絡取り合いたいでしょ? ……ちょっと、背中浮かせて」
運転に集中している海斗は前方から目を離せないし、彩乃の行動に逆らうことが出来ない。仕方なく彼女の言う通りにシートから背中を離せば、するすると彩乃の腕が背中を回りお尻のポケットへ手が入る。息が掛かりそうな程顔が近づくし、大きな胸も二の腕に接触している。
運転に支障が……車体がふらつく。
「――!!」
「ほらほら! ちゃんと前見て! 運転に集中する!」
誰のせいだよと思いつつ、海斗は邪念を振り払い前方に集中し直す。
あまり深く探られるとそれはそれで困ってしまう。いくら幼馴染とはいえ、お互いもう立派な成人だ。異性に対する恥ずかしさだってあるはずなのに、そんなことは微塵も感じていない風に振舞う彩乃に若干気圧されてしまう。
海斗のスマホは右の前ポケットに入れてあり、そこに彩乃の手が入ると「あった、あった」と喜びながら強引に抜き取っていった。
スマホはそんなに小さな物ではないからポケットの膨らみ具合を見れば、大体どの場所に入っているかは判りそうなものだ。楽しそうに手あたり次第、海斗のズボンへ手を突っ込んだのは彩乃の悪戯なのかもしれない。
「あらー、カイってスマホにロック掛けていないの? 不用心ねえ、もしかすると彼女のアドレスとかあったりして?」
「別に見られても困るようなものは何も無いし」
海斗のスマホの待ち受け画面は、まるで購入したばかりのデフォルトで並んでいるようなアイコンしかなかった。壁紙も見たことあるような絵柄。
「あー、ホントだ、シンプルな画面。さびしい」
自分の親と会社の同僚で電話やラインを使う以外、海斗はこれといってスマホを使用することがない。インターネットやゲーム、ユーチューブなどの動画再生など一切使ったことが無かった。だから、ロックも必要ないと考えていた。
「親や友達の情報盗まれちゃうから、最低限ロックはしておいた方が良いと思うよ。ポケットに入れて持ち歩いているなら尚更、どこかに落としちゃうかもしれないしね」
「考えておくよ」
それからしばらく黙って海斗のスマホを操作していた彩乃は、自分の顔の前にスマホをかざしてパシャリと自撮り。
「よし! これで海斗のスマホの待ち受け、アヤの可愛い写真になったからね♡」
「なっ!」
『ポン! 目的地周辺です。音声案内を終了致します。お疲れさまでした』と、車内のスピーカーから音声ガイドの声が流れた。
彩乃は指差し「あそこがアヤの家なのよ」カーナビのポイントも同じ場所を指示していた。
海斗は彩乃の示した家の玄関前に自動車を横付けした。
住宅街の一角にある一軒家。二階建ての至って普通の家屋が彩乃の家だった。門灯と家の中の灯りはついているので、家族が中にいるようだ。
手に持っていたスマホを海斗に返すと、ゆっくりと助手席のドアを開けた彩乃。
スマホを受け取った海斗は、起動画面を確認する。
「……マジか」壁紙は本当に彩乃のアップになっていた。
車を降りようとしていた彩乃は、スマホを凝視する海斗を見て薄ら笑いを浮かべていた。
「カイ、今日は送ってくれてありがとう」
「あ、いや、僕の方こそ。今日、アヤに会えて嬉しかったよ」
「え! 本当に? アヤもとっても嬉しかったよ……あ、あの、せっかくだから家に寄っていく? アヤの部屋は……その、散らかっててダメだけど、居間ならね……お母さんも久しぶりにカイの顔見れば、凄く喜ぶと思うし」
「うーん、今日はやめとくよ。僕もおばさんには久しぶりに会ってみたいけど、いきなり夕食時にお邪魔するのは気が引けるかな」
「そっか……そうよね。今日の今日だもんね」
彩乃は助手席から降りて、再び海斗の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、また今度必ずね、絶対だよ」
「うん、また日を改めてからお邪魔するよ。おばさんによろしく言っといて」
「うん、わかった。それじゃあ……また、連絡するね。気を付けて帰ってね」
「ああ、じゃあ、またな」
「またね、バイバイ」
彩乃がドアを閉めると、海斗はゆっくりと車を発進させた。
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