03 アヤを家まで送ってよ
「まさか! いや、そんな事って……うそだろ? ありえない……」
かつての幼馴染、古嶋彩乃との再会。
全く予想すらしていなかった出来事が起こり、驚愕のあまり頭を掻きむしっている海斗。
偶然とはいえ、幼き日に別れてしまった彩乃に再び巡り合うなんて、しかもメイドカフェのメイドさん。ありえない。
「本当よ。正真正銘、間違いなくあの古嶋彩乃。懐かしの幼馴染のアヤちゃんだよ」
改めて自分のことをフルネームで自己紹介する彩乃。首を傾げて海斗にはにかんでいた。
彩乃が最後に『アヤ』という馴染みの愛称を口にすれば、正面の海斗は目を見開きわかりやすく反応した。
「アヤ……」
海斗と彩乃は、物心つく前から仲良しの友達として遊んでいた。
お互い隣の家。親同士の交流も頻繁にあったことから、海斗と彩乃はそれぞれの家を気兼ねなく自由に出入りしていた。
顔を合わせない日は無かったと言えるほど、海斗と彩乃は毎日一緒に遊んでいたことを今でも覚えている。
――あれは海斗が小学四年生の秋頃だった。
二人の別れは突然にして訪れた。
「彩乃ちゃんのお母さんに聞いたんだけど、今度、遠くにお引越ししちゃうらしいのよ。寂しくなるわね」
古嶋家が遠く離れた場所に引っ越してしまうという話は、夕食時に母の口から告げられた。
父親のお仕事の関係で、一カ月もしないうちに一家揃って隣の家からみんな居なくなってしまうのだ。
当然、引っ越しの話を聞いた海斗はショックを受けてしまった。
彩乃と遊んでもなんだか楽しくなかった。
(僕はずっとアヤと遊べると思っていたのに、それなのに、アヤは寂しくないの?)
別れの日が近づくにつれて、いつもと変わらない笑顔を振りまく彩乃。
自分は寂しい気持ちでいるのに、ずっと笑っている彩乃に対して、ほとんど顔を合わせることが出来なくなってしまっていた。
顔を合わせなくなったと言っても彩乃を嫌いになったわけではない。
大好きな彩乃の顔を見ると、別れたくない気持ちが海斗の気持ちを支配して余計に辛くなってしまう。
――そして、古嶋家の引っ越し当日が来てしまう。
彩乃は旅立つ前、渋川家にお別れの挨拶をきちんとしていた。
「カイ。またいつか会いましょう」
口角を上げてニコッと微笑む彩乃。
対する海斗は……
あまりに悲しみが大き過ぎて、その時自分が何をしていたのかさえ覚えていなかった。
「でも、こーんな事ってあるんだ。カイに会えるだなんて、本当にびっくりしちゃったよ」
海斗のことをカイと呼ぶ人物など、家族以外には彩乃しかいなかった。
その懐かしい響きに、海斗の心はほっこりと温かい灯が宿った気分になった。
「ああ、僕もマジで驚いた。まさか知り合いが……アヤが、メイドカフェで働いているなんてさ」
「そうだよねー。アヤも幼馴染に会うなんて思ってもみなかった。まさかのまさかだよ。でも、なんだか嬉しい」
自分の事をアヤと言うその癖、間違いなく目の前の人物は幼馴染の彩乃である。
久しぶりに海斗と会えたのがよほど嬉しかったのか、彩乃はニタニタとしながら瞳を輝かせている。
そういえば、あの頃の彩乃も毎日こんなふうに笑っていたのを思い出す。そして今も目の前でその頃と全く同じ笑顔を見せてくれている。
時が経っても変わらないその仕草に、海斗の心は懐かしさに包まれていた。
「僕も、久しぶりにアヤに会えて……その、なんだか安心したなあ」
「うん。だってカイったら、さっきまで心ここに有らずみたいな顔してたもん」
……確かに。
海斗は、気持ちに余裕が無かったとは言え、ついさっきまでのキョどった自分が恥ずかしいと思った。
「よほど緊張していたんだね。今はほら、喋り方だって普通に戻っているよ?」
海斗の顔を指差して薄茶色の瞳を向ける彩乃。海斗の眉がピクリと動く。
「……あ、ほんとだ!」
女性に対する苦手意識のあまり、どもりながら会話をしていたのに。目の前の少女が彩乃と判明した途端、普通に喋ることが出来ている。凄く不思議な気分。
別れてしまったあの日から、随分と時が経っていて、しかも目の前の幼馴染は凄く美人になっているのに。
それなのに彩乃とは、不思議と普通に接することが出来ている。
その事実は女性を苦手意識する海斗にとって、幼馴染の彼女は特別な存在なのだと気づくと、たまらなく嬉しい気持ちになっていた。
「なに一人でニヤニヤしてるの? もう、カイったらキモッ」
「うるさいなあ。でもアヤだってそうだぞ、仕事中なのに地で喋っちゃってて大丈夫なの? 見つかったら怒られない?」
「大丈夫、大丈夫、だーれも聞いてないって。それに、あの喋り方はお客さん専用なんだから、今は全然必要ないのっ。ふふっ」
「僕は客じゃないのかよ」
せっかくお金を払ってお客として来ているのだから、最低限のサービス位はしてほしいものだが、それ以上に彩乃はかつての友達として海斗と接してくれているので、それについて特に不満には思っていなかった。
「ねえ、ねえ。カイはいままで元気にしていた?」
「ああ、色々とあったけど、まあぼちぼちかな。……そっちは? 引っ越して変わった事とか無かった?」
「うーーん。まあまあかな? 両親は相変わらず元気だし、変わった事と言えば歳をとったくらいよ」
「それはお互い様だろ」
「だよねー」
お互い肩を窄めて苦笑い。
「まあそうね。改めてカイを見ると……随分と大人になった、って感じよね」
それは海斗も感じている。自分よりもずっと大人びている彩乃に。
あの頃の彩乃は、おてんばで体格も海斗より一回り大きかった。喧嘩は口でも取っ組み合いでも、いつも勝つのは彼女だった。
一言で言ってしまえばおてんばな悪ガキ……そんな子供時代の彩乃のイメージしかなかった。
それが、今目の前にいるかつての幼馴染だった女の子は、見違えるほど大人っぽく、そして可愛くなっていた。特に胸なんかは他の女子に比べて立派過ぎるほどに成長著しく、女性としての魅力を猛烈にアピールしていた。
時が経ち、変貌を遂げた彩乃を見ると、まだまだ自分の方が子供なのだと思えて仕方がない海斗だった。
「アヤはどうしてメイドカフェで働いているの?」
彩乃は「んー」と視線を天井に向けて、次の言葉を言った。
「年頃の乙女はね、お金は幾らあっても足りないわけですよ。一般庶民に生まれ育った欲深き少女は特に」
「まあ……それは言えてるかもな、アヤの欲深い所が特に」
「ひどーい! でも、否定はしないわ。んで、アヤはもう少しお小遣いが欲しくてね」
「あー、それでこのバイトを」
「そ、それなりに時給良いからね」
「へー」
「あ、冷めないうちに早くオムライス食べて。こんなお店だけど、お料理の味は確かよ」
自分が働いているお店を、こんな呼ばわりをするのはどうかと思うのだが。
いつまでも話をしていては、せっかく彩乃が運んできてくれた料理が冷めてしまう。温かいうちにさっさと食べてしまおうと、海斗はスプーンに手を伸ばした。
「へー、このオムライス、意外とちゃんとしてるな」
テーブルに置かれたオムライスはそれなりにボリュームがあるようで、軽食とうたってはいるものしっかりとし一食分の満足感は得られそうだった。ライスを包む卵焼きが半熟でトロトロ、見た目にも食欲をそそられる。
「でしょ、メイドカフェって言ったって、充実しているのは女の子達だけじゃないの。きっと厨房の人たちが凄いの、メニューだってしっかりとしてるし」
どうやらこのお店に売りは軽食の豊富さにもあるようで、厨房を取り仕切るシェフの腕が抜群にすごいらしい。ネットでの評判も軒並み高評価らしい。
しかし、海斗がこのお店を選んだ理由は、従業員のメイドとして働く女の子たちの質や評判だけだったので、提供される軽食のことなどこれっぽっちも見ていなかった。
「ふうん。じゃあ早速、いただきま――」
「あー、カイ! ちょっと待って!」
早速美味しいうちに食べてしまおうとフォークを構えた海斗に、彩乃が思いだしたように待ったと静止をかけた。
「せっかくメイドカフェに来たんだから、そのまま食べちゃうのは勿体ないでしょ。ほらぁ、可愛いメイドさんが目の前にいるじゃない、ちゃんとサービスしてあげるわよ」
彩乃はそう言うと盛り付けられたお皿を自分のほうに引き寄せた。片手にはトマトケチャップ入りのチューブを持っていて、どうやらオムライスにデコレーションをするらしい。
「へー。何か書いてくれるの?」
「そうよ。お客さんに喜んでもらうのがアヤのお仕事だからね、カイもきっと嬉しくなるはずよ」
慣れた手つきでオムライスの上にケチャップの線を描いていく彩乃。いつもの作業なのだろうが、目は真剣そのもの。唇から少しだけ舌がペロっと出していたのがなんとも可愛げだった。
ものの十数秒で書き上げた彩乃は「はい、出来上がり!」と言って海斗の前に差し出した。
「じゃーん! アヤの特別バージョン。カイくん赤面間違いなしの傑作、どうよ?」
そこに描かれたのは、オムライスの細丸い枠の中をめいっぱい使った傘のようなマークと、枝の両脇に『カイ』と『アヤ』の文字を書いた、いわゆる相合傘だった。
「子供の落書きか……」
「ひどい、カイったら酷い。もうちょっとこう、喜んだっていいんじゃない?
わあ、ありがとうアヤ。見ない間に随分と美人になっているし、絵のセンスも抜群だよ。
もしかして、今日二人が再会できたのも、きっと運命なんじゃないかなあ…………とか?」
彩乃が明後日の方向を向いて子芝居をしている隙に、海斗は「おお、旨い」と言いながら、さっさとオムライスを食べ始めていた。
それを見た彩乃は頬をリスのように膨らませて、もうっカイのバカなどと悪態を吐いていた。
「アヤはこんなお絵描き、他のお客にもしているのか?」
海斗の問いかけに、彩乃は強く首を振った。
「お絵描きはしてあげているけど、もっと萌え系のやつよ。赤の他人だから平気でできちゃうけど、カイにはちょっとねー。それに、その相合傘はアヤの特別バージョンよ。カイにだけのとっておきなの」
「ふうん……そっか」
海斗に向けて特別の意味を込めた渾身の作品を得意げに説明するも、リアクションがいまいち薄く彩乃は少しばかりがっかりとした。
すぐに気を取り直した彩乃は、次に海斗の住居について訊いた。
「ねえ、カイは今どこに住んでいるの? もしかして実家にいるとか?」
「まさか。わざわざ実家からこんなに遠くまで足を運ばないよ。西丘町にアパートを借りて一人暮らしいるんだ。就職のためにこっちへ出てきてさ、今は工場で働いているよ」
「へえー、そうなんだ、意外。てっきり大学通っているかと思った」
「……ならよかったんだけどね。僕、勉強嫌いだし、仕事していた方が性に合うからさ。……アヤは?」
「アヤは、大学生活満喫しているよ」
「だろうな」
やっぱり大学に行かず働いているのは自分だけ。彩乃も立派に大学へ進学してちゃんと将来の事を考えているんだと現実を突きつけられた気分だった。
今更どうすることもできないが。
「じゃあさあ。カイは今日、西丘町から電車で来たんだよね?」
「いいや、僕は――」と言ったところで、受付から一人のメイドさんが海斗たちのテーブルにやって来た。
側まで近づいたメイドさんは、少し屈んで彩乃に耳打ちをする。すると彩乃の顔色が明らかに変わり、渋々わかりましたと返事をしていた。
どうやらノンコをお気に入りの常連さんが来店したようで、そちらに移ってほしいと彩乃へ告げに来たのだ。
彩乃は背もたれの陰から受付カウンターを確認すると、大きくため息をついていた。
海斗も腰を浮かせて受付方向を見ると、いかにもオタクっぽいアイドルを好きそうな男性が立っていた。
「ごめんねカイ。本当は特定のお客様に付いたりはしないんだけど……あの人が来ちゃったみたいなのよ」
申し訳なさそうに、手を合わせながら上目づかいで海斗に断りを入れる彩乃。お店にとって結構なお得意様らしく、断ることができないのだとか。
「いいよ、気にするな。そういうお仕事なんだろ?」
「でも……せっかくカイが来てくれたのに…………あ、そう、そう、カイって電車で来たんでしょ? 何時に帰るのかな?」
「ああ、その話な。電車じゃないよ、ここへは車で来たんだ」
この場所に自動車を運転して来たと聞いた途端に、彩乃の顔がパアっと明るくなった。
「え! 本当!! じゃあさ、あと一時間位でバイト終わるから、それまで待っててほしいの」
「え?」
バイトが終わるまで待ていてくれとの彩乃の申し出に、一瞬何を言われたのか理解できなかった海斗だったが、構わず彩乃はお願いを続けた。
「カイの車で、アヤの家まで送ってほしいなぁ。せっかくこうして久しぶりに会えたんだもん、いろいろとお話ししたいしさー。ねえ、お願い、いいでしょ?」
このあとは特に予定は無く、ただ自宅へ戻るだけだった海斗は「ああ、僕は全然かまわないけど」と運転手になることを了承した。
「やったー! ラッキー! じゃあゆっくりしていってね、カイ♡」
彩乃が飛び跳ねながら体全体で喜びを表したかと思えば、パチリとウインクを飛ばしてノンコを待つお客へと向かっていった。
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