第37話:六情
コンクリート打ちっぱなしの外観は、一見刑務所のようにも映る。窓枠が縦の長方形になっているのは、窓からの侵入者を防ぐための対策らしい。インターフォンの下の穴にカードキーを差し込む。緑のランプが点灯し、かちゃん、と門のロックが解除される音がする。
三日ぶりに出勤するスタジオミヤコは、ひどく懐かしいものに映った。
門から玄関までが遠いのも、防犯上の理由だという。庭のあちらこちらから、監視カメラが僕を品定めしている。
二泊三日なら、土日で回ればわざわざ学校を休まなくても良かったと今さらながらに後悔した。
後悔。
ホテルでの朝食は、今までよりもおいしく感じられた。それは素材も調理技術も一流だからだろうか。
食事中、設楽太一の両親のインタビューを観て、いたたまれない気持ちになった。
自分の家族のことのように憤る人たちに、同調しそうになった。けれども、僕は別の立場の人間だということを思い出し、テレビを避けるようにレストランを後にした。
僕はこんなにも感情豊かだったろうか。
いや、これは体が心に慣れていないだけだ。じきに何も感じなくなる。
そうでなければ、狂ってしまいそうだ。
「おはようございます」
スタジオに続く玄関扉を開けると、ミヤコさんは定位置にいた。てっきり読書をしていると思いきや、耳元にイヤホンを装着している。音楽をたしなむとは、どういう風の吹き回しだ。
もう昼過ぎになるが、今日も今日とてミヤコさんはおなじみのパジャマをまとっている。
「……ああ、安室くんか」
「……」
歓迎とも拒絶ともとれない目で僕をじっと見つめてくる。
昨日、あんなやりとりがあったんだ。僕だって気まずい。本当はあまり来たくなか
った。でも自宅に直帰してしまったら、明日はもっと会いにくくなる。
ミヤコさんがイヤホンを外す。口がゆっくりと開き、僕は身構えた。
「お土産はどうしたのだ」
「え?」
「出かける前に言っただろう。お土産を買ってこいと」
「……あ」
そういえば、そんなやり取りがあったような。すっかり忘れていた。
「もしや、手ぶらで帰ってきたのか?」
「……はい」
はあ、とミヤコさんが盛大にため息をついた。
「すいません」
「……まあいい。夜叉小路白雪に期待するか」
その言葉に、胸がちくんと痛む。
期待外れと言われたようで。
「あと、昨日の電話のことだが」
本を膝の上に置いて、足を組んだまま僕を見据える。鋭い瞳が、刃を突き立てる。
「君があれこれ手を焼く必要はない。あれは君が関わるべきことではないんだ」
「……関わるべきとかそうじゃないとか、あなたに決められる筋合いはありません」
ほう、とミヤコさんが感嘆の声を上げる。
「君もずいぶん言うようになったじゃないか」
「茶化すのはやめてください」
「人間同士、助け合いの精神を持とうということか」
「そんな大層なものじゃありません。単純に、これ以上人が死ぬのを見たくないんです」
「見たくない、か。君の知らないだけで、人は毎日死んでいるぞ。病死。事故死。餓死。過失致死。自殺。いちいち憂いたって何も変わりはしない。人はいずれ死ぬ。早いか遅いかだけの問題だ」
「それと殺人はまったく別です」
「だが君にこの連続殺人を止めることはできない」
「これまで未然に食い止めてきたじゃないですか。ミヤコさんと一緒に」
そのために僕はずっと、このスタジオミヤコにいたんだ。人質を取られていたとはいえ、自分のためだったとはいえ、僕は、僕以外の人間に人を殺めてほしくないという気持ちは嘘じゃない。
「僕は誰にも悲しんでほしくないし、誰にも罪を犯してほしくないんです。犯人の狙いがわかっているのなら、それを止めることだって僕らの仕事でしょう」
くすくすと、まるで他人事のようにミヤコさんは笑みをこぼした。
「思い上がりも甚だしいな。私たちは神じゃない。世の中のすべてを自在にコントロールすることなんてできないよ」
「……それでも」
思い上がりでも、傲慢でも、わがままでも。
「……それでも! 僕は止めたいんです!」
スタジオに響き渡るほど、力いっぱいに叫んだ。少年漫画じゃあるまいし、声量で押し切れる話じゃない。でも、伝えたかったんだ。この気持ちを、ミヤコさんに。
再び、ミヤコさんが笑みを作る。
しかしそれは嘲笑ではなかった。呆れてこそいるが、あざける種類のそれではない。
「……君の言いたいことはわかったよ。……でも、もう遅いんだ」
「どうしてですか」
どこか寂しそうに、ミヤコさんがぼそりとこぼす。
「最後の犠牲者が出たからさ」
テレビのリモコンを押す。
画面に表示されたのは、「二日連続! 相次いで発生する凶悪事件」というテロップと共に、女性アナウンサーが興奮気味にカメラに向かって状況を伝えている。
今月四件目、二日続けて殺人事件が発生したことを。
犠牲者の名前は、
源氏名は、
「……一時期こういうキラキラした名前のつけ方、はやったらしいですね」
「遠い昔の話だがな」
かくして、六情になぞらえた犠牲者が出そろった。
僕の口先だけの意気込みは、簡単に踏み潰された。
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