第38話:僕にできること
六件目の事件から三日が経った。
ミヤコさんはまたもや会議に呼ばれ、いい加減にへろへろだ。
人と接するストレスからか、僕がスタジオミヤコに来る時間でも布団をかぶっている日が目立つようになった。布団を剥がそうとすると、内側から引っ張ってきて起きようとしないのだ。
夏休み明けの時点で、各小学校では集団下校を自主的に行っていたが、とうとう高校でも「同じ部活の生徒は練習後、全員で駅まで向かうこと」というルールができたらしい。無論、僕の通う学校でも。次年度の新入生募集に配慮してか、急ピッチで登下校に関する校則を強化しているという噂だ。
三年A組の教室には、事件から半年が経った今でも御堀さんの机があり、毎週月曜日に花瓶の花が替えられている。クラスの友人だけでなく、他クラスの、一・二年次の友人も協力しているらしい。学校としても、御堀さんを一緒に卒業させてあげたいという思惑なのだろう。
僕はといえば、これまでと変わらない生活を送っていた。
毎日学校に通い、放課後にスタジオミヤコでアルバイトをする。とはいっても仕事はないので、もっぱらミヤコさんの身の回りのお世話とスタジオの掃除だ。
新しいことに手を出すわけでもなく、出張から戻ってからは学校の予習・復習もろくにやっていない。そういえば受験まであと四か月を切っているが、志望校すら決めていなかった。
この日、四時を回ったところで、ようやくミヤコさんが起床する。
「……なんだ、もう来ていたのか」
目元をこすり、給湯室へ向かう。
「ミヤコさんが起きるまで待ってたんですからね。今日は早めに帰りますから。夕食はラップにかけて冷蔵庫にしまってありますので、温めてから食べてください」
「……もしや、デートか?」
顔だけこっちに出して、ニヤリと笑う。
「そんなんじゃありませんよ。僕だってたまには私用の一つや二つあります」
流し読みしていたマジックの本を閉じ、本棚に戻す。編集さんの幼女・少女コレクションは着々とスペースを埋めていき、いよいよあとアルバム一冊分で完成しそうである。
「じゃあ帰ります。お疲れ様でした」
ソファーから立ち、玄関に向かう。
「おい、カバンを忘れているぞ」
「大丈夫です。中身はほとんど空っぽですから。必要最低限は教室の机に置きっぱなしですので」
手ぶらのまま、スタジオの外へと続く扉を開ける。
一歩踏み出した瞬間、背後にただならぬ、もとい、人ならぬ気配を察知する。
「だーれ」「おりゃ!」
目元を覆われる前に、両手をつかんでぶん投げる。そのまま地面に頭から激突……かと思いきや、勢いを利用してくるくると空中で数回前転し、両足で着地する。
編集さんがしたり顔をたたえて振り向いた。
「いつまでも投げられっぱなしじゃないんだよ」
「手提げ袋の中身が飛び散ってますが」
色とりどりのお菓子の箱が、あちこちに転がっていた。ミヤコさんへのお土産だろうが、これではクッキーやせんべいはもれなく割れてしまっているだろう。きっと怒られるぞ。
あーあ、僕、知らない。
編集さんも一瞬顔が青ざめたが、何も言わずに箱を拾って乱暴に袋に戻した。もうやけくそだ。
「今日はもう帰っちゃうの?」
「ええ、野暮用があるので」
「そう、じゃ、また明日ね」
きっと編集さんには感づかれている。だからこんな意地悪を言うのだ。
「たくさん見せたい写真があるんだから」
「修学旅行の小学生はもういいですって」
ふっふっふっ、と芝居がかった笑い方をする。
「うちが小学生しか撮っていないとでも?」
いつの間にか手に持っていた写真の束を、センスのように広げる。そこに写っているのは僕、僕、僕。全部僕だ。スタジオの中のものもあれば、学校や家のもある。こんなにたくさん、いつの間に。
もう片方の手には、ミヤコさんの写真がこれでもかと収まっている。
「パンチラもあるよ」
「……………………要りませんよ」
「なんか妙な間があったけど」
「あれー、編集さんが見えなくなっちゃったー、編集さんどこー」
「急に棒読みだな!」
よし。編集さんにツッコミをさせながら話の方向を逸らそう。
「人生は一度きりなんだから楽しまなきゃ」
「絶賛エクストラステージ中のあなたが言いますかね」
「うちはもう死んでるから、やっぱり本当の意味で、一緒にはいられないんだよ」
「こうして対話だってしてるじゃないですか」
「ううん。そういうことじゃなくて。世間で何が起きたとか、誰が死んだとか、みんなが泣いたり笑ったりしていることが、どうしても共感できないんだ。他人事なんだよ。だって、うちには関係ないんだもん」
編集さんは幽霊だ。だから法律や倫理観には縛られない。やりたい放題だ。
逆に言えば、すべてに対して宙ぶらりんで、何にも、誰にも、干渉されない。してもらえない。
そして人がもっとも恐れる「死」が、抑止力にも原動力にもならないのだ。人ががんばったり、だらけたりするのは、やがて死が訪れるからだ。死を過ぎてしまった存在は、少なくともこの世では本気になれない。
殺意なんて、もっとも縁遠い。
編集さんが僕の背後に回り込み、ぎゅっと抱きしめる。
「だからうちは、シンイチくんのこと、応援するよ。生きているうちに、やりたいことをやればいい。思った通りに生きればいい」
「……はい」
ゆっくりと温もりが離れていく。名残惜しいのは、僕に心が戻ったからだろうか。
もう一度「また明日」と言って、編集さんはスタジオへと入っていった。
「さて、と」
門をくぐったところで僕は振り返った。
スタジオミヤコの外観を目に焼きつけてから、静かに目を閉じる。ミヤコさんと、編集さんの姿を思い浮かべる。
まったく、変なヒトたちだ。
非常識で、自分勝手で、都合よく僕を巻き込んで。
特にミヤコさんだ。
彼女のせいで、僕の人生は一変した。
枯れたような毎日を送っていた僕の前にいきなり現れたかと思えば、僕の心を奪っていった。
そして、「返してほしければ、私の下で働け」なんて真顔で宣言するのだ。
その時点で僕は空っぽだったから、正直どっちでもよかった。
むしろ、僕に限っては幸運ですらあった。
僕は人の心が読める能力のせいで、人をずっと避けてきた。他人の暗い部分を見るたびに、見させられるたびに、心がすり減っていくような思いをしてきた。
心がなければ、辛い思いをしなくていい。
でも、そう簡単にはいかなかった。
御堀さんや藤城ありすとの出会いが、僕を変えていった。
荒れた土が整えられ、水分を与えられた。
根こそぎ刈り取られて、種子も食いつぶされたはずなのに、畑からは勝手に苗が芽吹いてきた。
心は奪うものでも取り返すものでもなく、育つものだったのだ。
今だからわかることがある。僕にできることがある。
事件はまだ、終わっちゃいない。
あと一人。最後の犠牲者が残っている。
僕の手で、事件を終わらせるんだ。
「さようなら、ミヤコさん」
小さくつぶやいて、僕はスタジオミヤコを去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます