第35話:取り戻す(前編)

 広い部屋に一人きりというのはなんだか不思議な感覚だ。


 昨日のビジネスホテルとは異なり、今日の宿泊先は豪華なスイートルームだった。宿泊費は地方のアパートの家賃よりも高い。いかんせん、宿が取れなかったのだ。広さは昨日の三倍はある。風呂とトイレはもちろん別々だし、座っているベッドもふかふか。窓の外に広がる夜景はきらびやかだ。


 タオルで頭を拭きながら、僕は今日の聞き取り内容を振り返っていた。



 目的地の枡野ますの駅前で、古くからそこで占いをしている壮年の男性から、田井中厚子のことを色々尋ねた。僕は会うまで知らなかったが、その男性は地元ではそれなりに有名な占い師らしく、テレビの取材を受けたこともあるという。あいにく僕は普段からあまりテレビを観ないので、ありがたみはなかった。


 枡野駅はスーパーや飲食店、パチンコ店が乱立した北側と、住宅しかない閑静な南側の間に位置する。


 男性をはじめ、占い師やストリートミュージシャン、ダンサーは主に北口の階段を下りたロータリーで、枡野市民を中心にパフォーマンスをしていたという。肩書きは違えど手を取り合って、長年共存していた。男性は彼らパフォーマーのリーダー的存在だった。


 田井中厚子は占い師としての実力は秀でてはいなかったようだ。だが二回の結婚と離婚を経験しており、豊富な恋愛経験から、女性を中心に恋愛相談に乗っていたのだという。


愛花あいかちゃんは親身になって話を聞いてくれるから、人が自然と集まってくるんだよねえ……。一人のお客さんに夜通し付き合ったこともあるし……。愛花ちゃんも放っておけない性格なんだろうよ。やっぱり中には変なお客さんもいたさ。酔っ払ったサラリーマンが、『占いなんて詐欺だ!』って絡んでくるんだよね。するとね、向こうでダンスやってる派手な格好した若い兄ちゃんたちがやってきて、追っ払ってくれるんだよ。人望はわたしなんかより全然あったと思うよ」


 目を細めて、男性は懐かしむように語った。


 愛花ちゃん、というのは、田井中厚子の占い師としての名前だ。


 六月に喜田圭吾。九月に九哀。そして今月に入って、愛花こと田井中厚子、鬼怒川サキ、そして設楽太一。




 確定だ。




 五人の共通点は、名前に感情を表す文字が入っている。




 喜び。


 哀しみ。


 情愛。


 怒り。


 快楽。


 きっとまだ事件は終わらない。このままだとそう遠くないうちに新たな犠牲者が出てしまう。だが世の中には、自分の名前に感情が入っている人物はごまんといる。その中から次のターゲットを探し当てて、犯人の先回りしなければならない。


 そんなこと、可能なのか?


 ドライヤーをかけてから、一階のフロント横に向かう。


 絶滅危惧種と言われてから百年以上生き残っている公衆電話にコインを数枚投入し、メモで控えていた番号をプッシュする。


 数コールの後、女性の声がした。


『お疲れ様。刊野です』


 受話器越しに届いた刊野さんの声には、一層の疲労が蓄積されていた。


 ただ労いの言葉をかけたところで事件が解決するわけでも仕事が減るわけでもないので、すぐに本題に入る。


 田井中厚子が占いという名の恋愛相談を受けていたこと。地元のパフォーマーから好かれていたこと。


 相槌を打つ刊野さんの声色は、可もなく不可もなく、といった感じだ。実際、これらの情報はわざわざ現地に出向かなくても雑誌やテレビで入手できるレベルだ。


『じゃあ次は、あたしの方ね。被害者は設楽太一、三十七歳。職業は心理カウンセラー。遺体が発見されたのは、設楽が務めている病院から近い商店街の裏路地。本来めったに人が寄りつかないところで、たまたまパトロールをしていた警官が見つけたらしいの。死因は毒殺。現場には毒の入ったボトルコーヒーが落ちていたわ。


 設楽は結婚して十年目。子どもはなし。でも夫婦仲は悪くないし、ついこないだの休みにも二人で映画を観にいったらしいの。金銭面の苦労はなし。仕事も順調。対人関係で恨みを買った様子もなし』


 刊野さんからもたらされた情報も、今テレビを点ければ流れているようなものばかりだ。


 短時間でこれほどの情報量を仕入れたというのは確かにすごい。さすが本職。


 だが僕と同じく、事件の解決に結びつくような点は見つからない。


『……結局、目新しい発見は何もなかったわね』


 愛という名前を使っていたことや、五人の被害者の共通点については黙っておいた。もちろん、これが連続殺人であることも。特に、この人には。


『これじゃあ、特集記事の企画はお預けかしら。あなたは明日、どうするの?』

「とりあえず適当に観光してから帰ろうかと。刊野さんはもう会社ですか?」

『今日もたぶん会社泊になりそうね。それにしばらくは、あなたの素行調査もお預け』

「守護天使がいなくなって残念です」

『すぐに戻ってくるから安心していいわよ』

「あ、でも守護霊の方が残ってるんで大丈夫です」

『あら、モテモテなのね』

「年増のにおいがする言葉ですね」

『今度、年上のお姉さんの魅力を教えてあげるわ』


 大人っぽい声を出すが、どこかわざとらしい。


 ところで、と刊野さんが前置きする。


『あなたの読心術の話だけど』

「またですか。宇宙と交信なんてしてないですから」

『それを抜きにしてもよ。取材中のあなたって、いつも以上に小難しい顔していたわよ。どこか隙がないっていうか、相手の粗を見つけてやろうって目だったから』


 これはジャーナリストとしての分析か、それとも女の勘というやつか。


 からかっているようだが、本気のようにも思える。


「……僕はただの高校生ですよ。もし人にそんな力があったら、世の中どれだけいさかいが減るか」

『逆よ』

「は?」

『誰もかれもが他人の考えを知ることができたら、人は人でいられなくなるわ』


 そんなこと、わかっている。今は僕一人だから、世の中何も変わらない。僕が我慢をしさえすればいい。けれど、全人類が互いの心を監視しあう世界になってしまったら、友情や絆といったものは消え失せてしまうだろう。


 人は一人で生きることはできないのに、これほど窮屈なことはない。


『って、そんな哲学めいた話をしている場合じゃないわね。そろそろ仕事に戻るわ。冗談抜きで、今度お礼にお茶でも行きましょ、じゃ』


 電話を切り、おつりがかしゃん、と落ちてくる。


 そのおつりを再び投入し、今度はメモを見ずに、暗記している番号を入力していく。


 コールが続くが、反応はない。それでも辛抱強く待ち、二十回を超えたところでようやく向こうの受話器が持ち上がる。


『やあ、安室くんか』

「あなたの正体はエスパーでしたか」

『大抵の者はしびれを切らしてメールを送ってくるからな。私に受話器を取らせるのは君くらいのものだ』

「それは光栄です」


 久しぶりに聞く、ミヤコさんの声。とは言ってもたったの二日だが。


 それでも、僕がスタジオミヤコに来てから、これほどの時間ミヤコさんに会っていないのは初めてのことだった。


「今回被害者の周辺を調査してみて、わかったことがいくつかあります」

『田井中厚子は別の名を持っていたんじゃないのか? そしておそらく愛の字が含まれている』

「……どうしてわかったんですか」


 一番の特ダネをいきなり当てられてしまった。驚かせてやろうと意気込んでいたのに。


 受話器の向こうから、ミヤコさんのほくそ笑む声が漏れてきた。


『当たりということは、君も被害者の法則に気づいているな?』

「……ええ。彼らの名前には、感情を表現する文字が入っている」

『感情の種類については様々な見解があるが、その中に古くから【六情ろくじょう】と呼ばれる分類がある』

「六情?」

『そうだ。喜怒哀楽の四つに、愛と憎で六つ。今まで殺された五人は、そのいずれかに当てはまる』


 六つの感情。五人の被害者。


「ってことは、あと一人」


 狙われる。

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