第11話:×××(終)
「おはようございます」
玄関から事務所全体に聞こえるように大声で挨拶をするが、やはり反応はない。
数瞬して、こんにちは、と女性の反応があった。
声のした方を向くと、夕方の報道番組がちょうど始まったところだった。司会のアナウンサーが発したらしい。
パソコンの前は無人だ。出勤していれば、編集さんの定位置。またどこかの小学校に忍び込んで、「利き少女の上履きのにおい」コンテストでも開催しているのだろうか。現役小学生でもそんなことしないぞ。
おっと、うっかり人間を装ってしまった。
僕は人間を奪われたのだった。
視線を左にずらすと、漫画を顔の前まで近づけて読みふけっている女性がいた。先日、僕が汗だくになりながらここまで運んできたうちの一冊だ。
「おはようございます、ミヤコさん」
うす紫色のパジャマに、同色のナイトキャップ。完全にリラックスモードで、僕のことなど意識の外ようだ。
まあいい。いつも通り、ちゃっちゃと掃除を始めよう。ソファーにカバンと制服の上着を置いて、給湯室横にある縦長ロッカーからお掃除グッズ一式を取り出す。掃除機は年度末の処分セールで買った激安中古品で、うるさい割に埃をちっとも吸い込んでくれない。そろそろ買い替えてもいいんじゃないか。
「この少女漫画というのは素晴らしいな」
漫画に顔を埋めたまま、ミヤコさんが賞賛を述べる。
「主人公の心情がしっかり描かれていて、ヒーローのどこが好きなのかを、エピソードを重ねて丁寧に読者に説明していくのが良い。ハーレムものに比べるとお色気成分が少なくて物足りないが、第一話で知り合って間もないのにいきなりキスをしているし、これはこれでありなのかもしれん」
「これで男女の機微問題は解決しましたか?」
「この調子なら、ある程度は満足できそうだ。有能な部下を持って私は幸せだよ」
だったらもうちょっと声に感情を込めてほしい。
『まずは連日お伝えしております、御堀優羽さん殺害事件の最新情報です』
僕とミヤコさんが同時にテレビに注目する。
一体どんな情報が手に入ったのかと思えば、渋い男性ナレーターの声で紹介されたのは、御堀さんの年の卒業アルバムだった。
六年B組なんでもランキング。優しい女子部門、一位。友達の多い部門、一位。良いお嫁さんになりそうな女子部門、一位。
将来の夢は、人の役に立つ仕事をすること。
修学旅行や運動会、林間学校といった学内行事に参加する御堀さんの写真が次々にアップで映る。
まるでアイドルにでもなったかのように、御堀さんに関する情報が全国ネットでお茶の間に届けられている。
「命を落とすと女の子は二階級特進するんだな」
ミヤコさんも似たような感想を抱いたようだ。
「彼女は本当に、誰からも愛されていたのだな」
「ひょっとすると数年後には生き仏にでもなっていたかもしれませんね」
「殺して大正解だった」
くつくつと喉の奥を鳴らす。
この状況で笑えるなんて、化け物め。
「彼女の両親や友人は皆、嘆き、哀しみ、怒り、やり場のない感情をあらわにしている。人殺しという絶対的な悪の存在を、恨んでいる。そして彼らの心には一生の傷が残り、それが人間としての価値観の形成に大きく関わっていく。まさしく狙い通りだ。被害者が善人であればあるほど傷は深くなるからな。この調子なら、少なくともあと二週間は、国民は人の命の重さについて、真剣に向き合ってくれるだろう。二次被害が拡大してくれたら喜ばしいな」
こうして昼夜を問わず事件に関する報道がされているのは、御堀さんが愛されていたからだけじゃない。
この事件が、今年になって発生した、初めての殺人事件だったからだ。
特集がようやく終わり、映像がスタジオに戻る。アナウンサーの隣にいた男性コメンテーターが、学校だけでなく企業でも道徳教育を導入していくべきだとか、人が人であるために法律があるのだとか、カメラに向かって唾を飛ばしている。
コメンテーターさん。この国の教育は順調に進んでおります。
なんてったって、これはやらせなのですから。
今回だけじゃない。
世の中で起きている凶悪犯罪は、すべて僕らの仕業です。
スタジオミヤコ。国営の映像制作会社。下請けの下請け。
下請けの下請けがやる仕事は、番組を作ることじゃない。それよりも、もっと下、もっと根幹の部分。
テレビを作るための、ネタを提供すること。
事件を起こすこと。
すべてはこの国の情操教育のために。この国の未来のために。
『わたしはあなたと友達になるためだったら、喜んで馬鹿になるわ』
ふいに御堀さんの声が、言葉が、頭をよぎった。
善人。モラリスト。
どちらでもない。
御堀さんはこの国の、情操化社会の、犠牲者だ。
そして一瞬だけ、彼女は僕の友人だった。
僕は憂う真似をする。
いなくなった、たった一人の友人を想う。
悲しむことは、今はまだ、できない。
悔やんだり、同情もできない。
僕の心は買ったばかりのパズルのように、真っ白で、真っ黒だ。
ピースを持っているのは、僕ではなくミヤコさん。
このヒトは、僕に対して僕を人質にとった。
心を奪ったのだ。
僕は人の心を読み、時に善人を探し出す。またある時は強奪の準備だったり、詐欺の算段を立てたりする。
ミヤコさんはそれを基に、事件を起こす。人を殺し、物を奪い、集団を騙す。
世界を欺くために、僕らはともにいる。
僕は掃除機のスイッチを入れる。大型マシンが立ち上がったかのような爆音を上げる。ミヤコさんは読書に戻らず、掃除を始めた僕をじいっと見つめている。
口が小さく動く。何か発したのだろうか。やがてミヤコさんは口元に笑みを作った。嘲笑とも愉悦ともとれるような笑みだった。
掃除機を動かしたまま見つめ返す。ミヤコさんが何を思っているかはわからない。それは稼働音で声がよく聞こえないせいだけじゃない。
「僕が心を取り戻したら。悲しみや怒りを思い出したら。きっと、真っ先にあなたを殺すんだと思います」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も!」
今度はしっかりと伝わるように、声を張り上げる。届いてないフリなのか、それともはなから耳を傾けるつもりがないのか、ミヤコさんは再び漫画に目を落とした。
テレビの内容は、掃除機の爆音に埋もれてすっかり聞こえなくなっていた。
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